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9話 解放と日常

 控え室を出たあと、簡単な書類の提出といくつかの説明を受けた。

 その中には、コードネームの登録も含まれていた。

 

 悩んだ末、冬夜が選んだ名前は――トキ

 

 由来は一次試験。約23時間半という孤独な時間を、ただ“時”だけを頼りに乗り越えた記憶。

 

 だが「刻む」ことは、単なる時間の経過のみではない。選択、覚悟、痛み。それらすべてを、自分の中に刻みつけていくことだ。


 ――と言っておけば聞こえは良いだろう。

 

 実際は、今回の試験を思い返すと、真っ先にあの地獄の試験内容が浮かび上がってきたため、このコードネームにしたというだけである。

 

 正直、約24時間をたった一人で数えさせるのは、控えめに言って運営は化け物か何かだと思う。


 茶番はここまでにして、その他の説明事項もほとんどが「口外禁止」に集約されていた。


 その中でも特に驚いたのは、隠者は家族やカップル等、大切な人間が居る場合は選定されないとのこと。よって中学生くらいに見える透も、今までずっと友達だったレノも、恋人は勿論、家族すらいなかったのだ。

 

(……俺も、同じだ。)

 

 その事実に気づいた瞬間、胸の奥が妙に静かになった。仲間、というよりは、同じ種類の孤独を持った人間たちが、ここに集まっているのかもしれない。


 こうして色々知ってしまうと、今までと見る世界が全くと言って良いほど変わってくる。


 そして、冬夜たちは一旦の「解放」とされた。次に招集されるのは数日後の初任務。それまでの時間は各々が“日常”に戻ることになる。


 隠者用のスーツは回収されたが、インカムだけはそのまま――と言っても、透過処理されており、外からは装着していることすら分からない。加えて、通信は脳内で完結するため、傍から見ても誰かと会話しているようには見えない仕様だった。


「なんか、現実に戻ってきた感じするな。」


『お疲れ様でした、冬夜さん。』


「……明奈は、しばらくの間も一緒にいてくれるのか。」


『そうですね。通信状態を維持していますので、話しかけてくださればいつでも応答できますよ。』


「そっか……なんか、それだけでちょっと安心した。」


 帰り道。落ち着いた夕暮れの空が、町の輪郭を淡く染めていた。紅影の本部は意外にも都心に位置しており、家の最寄りから電車で1時間程度だった。


 スマホをポケットに入れ直しながら、冬夜は自宅へと歩みを進める。通知は膨大に溜まっていたが、今はそれに向き合う気力がなかった。


『冬夜さん、ご家族に何か聞かれた場合は“学校の合宿に行っていた”と答えてくださいね。紅影に関することは、たとえ身内でも、話すことはできませんので。』


「……ん?」


 冬夜はその言葉に疑問を持った。


「確か……紅影に入るには家族が居たらダメって……。」


『あ……ごめんなさい。そういえばそうでした。』


「良いよ、気にしないで。むしろ明奈みたいなプロも、ちゃんと忘れることとかあるんだなーって安心したよ。」


『それは……良かったです。』


 明奈は申し訳なさそうにしつつも、どこかほっとしたように一息ついた。


 そうしている間に、見慣れた所へ戻ってきた。玄関を開けると、静まり返った部屋がそこにあった。


 薄暗いリビング。散らかっていないが、生活感の乏しい空間。ちょっと空けただけなのに、まるで他人の家のように感じられる。


 冬夜は制服を脱ぐことも忘れて、ソファにどかっと腰を落とした。天井を見上げて、ぽつりとつぶやく。


「……俺、ホントに受かったんだな。」


『ええ。おめでとうございます。よく頑張りましたね。』


「ありがとう。ま、現実感はないけど。」


 そう言って大きくため息を吐く。すると、忘れかけていた疲労が体の奥からじわりと蘇ってきた。

 

「……足、まだ攣りそうだし。」


『あれだけ動けば当然ですよ。今日はしっかり休んでください。初任務まではまだ普段通りの生活ですから、その間に回復させましょう!』


(普段通りか……戻れるのかな。)


 誰にも聞こえない問いを投げかけながら、冬夜は目を閉じた。

 

 ――翌朝。冬夜は久しぶりに目覚ましの音で起きた。


 制服に袖を通すのも、なんだか変に新鮮だった。足取りは少し重い。けれど、これが普通の日常だ。


 家を出ると、朝の光がまぶしかった。


 学校へ向かう坂道を登っていると、明奈の声がふいに響く。


『学校……どこか懐かしい感じがします。』


「あ……そういえば、サイキッカーって学校どうしてるんだ?明奈の声の感じだと、まだ大人じゃないでしょ?」


 冬夜の言葉に、明奈は一つ間を置いた。その間が彼にはどうにも長く感じられ――聞いてはいけないことを聞いてしまったかのような罪悪感に苛まれる。


『そう……ですね。私は学校には行ってないです。行ったことも……多分、ありません。』


(多分……?聞いちゃいけないことだったかな。)


 彼女の違和感のある言葉に疑問を覚えつつも、今まで通りを装って校門を潜り抜ける。

 昇降口へ到着すると聞き覚えのある声が響いた。


「東雲!おい東雲!マジで生きてたのかよ。」

「連絡くらい寄越せよ。どんだけ心配したと思ってんだ?」

「てかさ、3日も音信不通って、事件かと思ったんだけど!?」


 一気に押し寄せてくるクラスメイトたちの勢いに、冬夜は一歩たじろぐ。


「ちょ、ちょっと待って。ちょっとした事情が……。」


「事情ってなんだよー!隠してんじゃねーよ!」


 声が強くなる。困った空気が流れかけた、そのとき──


「おー!冬夜じゃーん!元気してたー?」


 人の波を割って入ってきたのは――レノだった。


「人気者じゃねえか、よかったな!……取り敢えず無事で何よりだ。」


「レノ……。」


「でもいくら彼女に振られたからって、3日も俺らの連絡を無視するなんてそりゃ酷いぜ〜。」


 にやりと笑って、軽く冬夜の背中を叩く。そんなレノの言葉を聞いて、クラスメイトの言葉は一気に別方向へと転換された。


「は!?本当かよ東雲!!」

「どんな彼女だったんだ!?あと、別れた経緯は!?」

 

 助け舟を出してくれたのか、はたまたただの嫌がらせなのか。何にせよ、陽キャの力恐るべしである。


 だが、その甲斐もあってか、冬夜はようやく息ができたような心地がした。


『……いいご友人ですね。』


(そうだな。ちょっとだけ救われたよ。)


 声に出さずに返した言葉が、明奈に届く。彼女はただ、やわらかく微笑むように『よかったです』とだけ言った。


 教室の扉を開けた瞬間、冬夜はほんの少しだけ、空気の違いを感じた。


 同じ景色。変わらぬ日常。


 ──でも、どこか自分だけが、ほんの少し違う場所にいるような感覚。

 

 今までであれば気にしなかったような視線ですら、見られているのではないかと感じてしまう。

 違和感のある動きをする人を前にすると、何か起きるのではないかと身構えてしまう自分。


 ――ある女子生徒にこう言われた。


「東雲君、休んでる間に大人っぽくなった?」


「え?」


「やっぱり……恋が人を成長させるって感じ?」


 冬夜は苦笑いで誤魔化した。変わったのは、きっと目に見えない部分だ。


 ――授業中、ふと窓の外を見ると警備型AIが巡回している姿が、目に飛び込んできた。脳裏に浮かぶのは昨日の出来事。

 

(あれもU-13みたいに暴走したら……)


 上の空で考え事をしていると、室内に大きな声が響く。


「おい東雲!聞いてるかー?」


 先生の声にハッとし、何もなかったかのように再度机へと向かう。

 

 もう、元の日常へ完全には戻れない。

 心のどこかで分かりきっていたことが、現実味を帯び始めていた。

 

 

 

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