7話 それぞれの孤独
『……あの、冬夜さん?』
「今は無理!呼吸がっ……!」
なんだこれ。何の試験だっけ。そう思ってしまうほどに息を切らし、膝に手をつきながらも辛うじて歩みを進める。
やがて、視界の奥の方になにやら見たことのある景色が広がってきた。――そう、試験会場となっている紅影の本部だ。
彼はそれを視界に捉えた瞬間、勝ちを確信した。
「……っしゃああああ!見えたぞ俺のマイホーム!」
まるで野球少年がサヨナラホームランを打ったかのようなテンションで、冬夜はラストスパートへ突入する。
全力ダッシュからの滑り込むように自動ドアへ直行。そのまま駆け抜け、入り口から右にあるカウンターへと飛び込んだ。
「し、東雲冬夜さんですね。試験時間内の到着を確認、お疲れ様でした。」
黒服のスタッフらしき女性が、少し驚いたような表情で時計を確認した。
いくら国家機密のエージェント組織の一員でも、流石に試験会場へ滑り込んでくる人間なんて想像もできない。ましてや、これがひょっとしたらそのエージェントとして国を守る可能性すらあるのだ。
「ま、間に合った……のか……?」
冬夜は半ば信じられないと言った様子で女性へと目を向ける。
「ええ、あと……残り12秒でしたが。」
「はっ、はっ……じゅう……に……!?」
膝に手をつきながら、冬夜はその場で息を整える。心臓がバクバクとうるさく、肺は酸素を渇望していた。
『……本当に、あと数秒遅れていたら、不合格でしたね。ナイス到着!』
「間に合ってなかったらマジで笑えなかったって。」
『……正確には、笑えないというより、記憶を消されるので、笑うこともできなくなっていたかと!』
「こっっわ……!」
全身クタクタのまま、女性に促され電子認証を済ませる。息も絶え絶えに、顔を上げると目の前で係員の女性が微笑んでいた。
「本当にお疲れ様でした。合格者の発表までは、控え室でお待ちください。」
「は、はい……。」
案内されて廊下を進む。まだ心臓の鼓動は速いままだ。
『よく頑張りましたね、冬夜さん。でもまだ油断はできません。これで合格と決まったわけではないですから。』
「うん……分かってる。自分で言うのもあれだけど、なんてったって融合率は結局1%だし。それがどう評価されるかだよなぁ。」
自嘲気味に呟いた冬夜の言葉に、通信越しの明奈がすぐさま応じた。
『……難しいところです。ただ、それ以外の評価項目に関しては、私はかなり上出来だったと思いますよ。』
「本当か?」
『はい。特に、AIに関する知識面や、戦闘時に仮想空間へ移行した直後の精神安定性、それから……超能力を抜きにした冷静な状況判断。どれも、私から見れば十分すぎるほどでした。』
誇らしげに明奈が言う。まるで自分のことのように嬉々として冬夜を褒める、そんな彼女の言葉に思わず笑みが溢れる。
「……そっか。ありがとう。」
「……んー、なんかもう変な汗かいてきた。足も攣りそうだし。」
冬夜はわずかに頬をかきながら、照れを隠すように話題を変えた。
『無理もありません。あの全力疾走、屋上から非常階段を駆け下りて、さらに市街地をショートカットして……』
「俺、今日何キロ走ったんだろ……」
『ちなみに、隠者になるとほぼ毎日そのくらい動ける体力は求められますので、今のうちに覚悟しておいてくださいね?』
「現実が重い……。」
悪戯っぽく言う明奈に、冬夜は思わず愚痴を溢した。
廊下の先、やがて一つの扉が見えてきた。控え室と書かれた案内板の下で冬夜はふと歩みを止める。
「……他にも受かってそうな人、いるのかな。」
『前を行った二人ですね……気になりますか?』
「まあ、そりゃな。あの金髪の女の子も銀髪の少年も。やたら動き早かったし。銀髪の子とか、絶対俺より若かったぞ。」
『そうですね。ひょっとしたら、二人ともこの部屋に居るかもしれませんよ。となると、やっぱり緊張しますか?』
「ちょっとだけ。でも……なんか、もうやり切った感のが今は強いかもな。」
『ふふ、それは素敵なことです。冬夜さん、今日は本当にお疲れ様でした。』
「うん、ありがとな……明奈がいなかったら、マジで終わってた。」
もしパートナーが明奈でなかったら……とそんな想像をしてしまう。
あの時明奈が隣に居なかったら――目の前で人が撃たれた状況から、自分は一歩踏み出すことができていたのだろうか。そんな考えが脳裏をよぎる。
『……恐縮です。でも、最終的に踏み出したのは、冬夜さんご自身ですよ。』
明奈の声は、それでも変わらず穏やかだった。
深呼吸一つ。汗はまだ引かないが、気持ちは少しだけ落ち着いてきた。
「ふふっ、本当明奈には助けられてばっかりだな。」
『ん?今に関しては私何もしてませんけど……!?』
「まぁ……ありがとってこと。そろそろ入るか。」
『あんまり廊下で長居してても邪魔ですもんね。行きましょう!』
軽く扉に手をかけ、冬夜はゆっくりと控え室の中へと足を踏み入れる。
扉を開けた瞬間、ひんやりとした空気が頬を撫でた。空調が効いているせいだけではない。室内の雰囲気が、どこか張り詰めていた。
広くはない部屋の中央には、丸テーブルが3つほど。それを囲う壁沿いのL字型の椅子に二人が角を陣取るような形で座っていた。
一人は金髪の少女。ソファに深く座り込み、退屈そうに窓の外を眺めている。制服のようなジャケットを無造作に脱ぎ、自身の隣にポイと投げる。
もう一人――銀髪の少年。中学生くらいだろうか。姿勢正しく椅子に座り、目を閉じて微動だにしない。呼吸すら感じさせないほどの静けさだった。
どちらも見覚えがある。二次試験で動きの速かったあの二人だった。――と言っても、あの試験は自分以外にこの二人しか居なかったが。
「…………。」
冬夜はそっと扉を閉め、迷わずL字のソファのど真ん中へと向かった。真横奥には銀髪の少年、右斜め前方には金髪の少女。その二人を見据えて腰を下ろした。
何か声をかけるべきかと思ったが、どちらもこちらに反応を示す気配はない。
気まずい沈黙が狭い一室にしばらく漂った。
(んー……何とかして明奈と話したいけど、どうにか話す方法ないのかなぁ。)
インカム越しに話すのも空気感的に躊躇ってしまい、冬夜はダメ元で思考の中で問いかけてみる。すると――
『……はい、聞こえてますよ。……というか、念話ですか?脳内で喋りかける技術のはずなんですけど……教えてもいないのによく使いこなせましたね。』
冬夜の念話に反応して、明奈の言葉が返ってきた。
(まじか!なんか念じてたらできちゃったんだけど……。喋ってないのに聞こえるって、なんか不思議な感じだな。)
『まだ不慣れだと思いますが、慣れてくればスムーズに使えるようになります。状況によっては声を出せない場面もありますし、重宝しますよ。』
(……確かに。あ、てか今のが聞こえてるってことは……考えすぎたら、全部筒抜けでバレるやつ?)
『そこはご安心ください。意図的に送信しようとしなければ、思考はこちらまで届きませんので。』
(それならよかった〜。)
『……もしかして、私に聞かれたら困ることでも考えてました?』
(っ……いや、そんなつもりじゃ……!)
『冗談ですっ。』
明奈のやわらかな笑いに、冬夜は「ふぅ」と少しだけ肩の力を抜いた。そして、再び部屋の二人に視線を向ける。
どちらも相変わらず、我関せずといった顔つきだ。明らかに自分より格上の人物へ、自分からのこのこと話題を振るのはどうしても気が引けてしまう。ましてや、こんな界隈なのだから尚のこと。
(なんか……声かけづらいな。)
『無理に話す必要はありませんよ。おそらく、あのお二人も同じ気持ちだと思いますよ。』
(そっか。てか、あの金髪の女の子ちょっと怖そうじゃない?顔あんな可愛いのにめちゃ静かだし。絶対性格悪いよあれ。)
『怖い……ですか。んんー、私はあんまり思いませんけど、そういう時はクールと表現した方が角が立ちませんね。』
(ごめんごめん……。)
そんなやり取りを思わず表情に出してしまいそうになるが、控え室の静けさがそれを許さない。冬夜が息を呑んで必死に堪えているその時だった。
「受験者3名……東雲冬夜、櫛谷氷、麗芽寧は隊長室へ向かうように。」
短く、淡々と。まるで通知のようにその言葉がスピーカーより放たれた。
冬夜は肩をピクリと揺らし、平静をどうにかして取り繕う。この室内で、たかが合格発表の発表という練習の練習みたいなものに反応していたら、明らかに自分だけ浮いてしまうからだ。しかし――
『冬夜さんどうしましょう……私、急に怖くなってきました!あぁ、落ちてたらどうしましょう!』
対照的に明奈は緊張しまくっていた。そんな彼女の言葉を聞いて、冬夜は思わず笑みを溢した。
(こっちが周りに合わせて頑張って作ってんのに……なんかいい意味で気が緩んだ、ありがと。)
そう返して冬夜はいよいよ席を立った。だが、そこで思いも寄らない事が起きる。
奥で座っていた銀髪の少年が、静かにまぶたを開いたのだ。宝石のような薄い青の瞳が、冬夜の体を突き刺すように睨みつける。
「何かあった?」
冬夜は敢えて強い言葉でその少年へと視線を返した。相手は見るからに年下。だからといって、下手に出ては舐められるだけだろう。なんといっても、ここは実力主義の世界なのだから。
ここは痛い目見てお引き取り下さい、そう言わんばかりに少年との睨み合いが続く。
『……冬夜さん。彼は今、あなたのことを評価している目をしています。お気をつけて。』
(あんまり、歓迎されてる感じじゃないけど……。)
そう溢しながら、銀髪の少年へと手を差し出す。
「一応名前だけ。俺は東雲冬夜、よろしく。」
もちろん返事はなかった。代わりに、銀髪の少年はやや身を乗り出すようにしてぽつりと呟く。
「君、試験ギリギリで駆け込んできたって人だよね。」
「えっ……あ、うん。多分、それが俺だよ。」
「なるほど。じゃあ、まだ“こっち側”に来るには早かったかもね?」
「……は?」
頭に血が上りかけた、その瞬間。
『冬夜さん、落ち着いて下さい。』
その一言で、ふと我に帰った。
そうだ、今の自分は一人じゃない。
明奈に背中を押してもらって、一緒に戦って、今この場に立っている。それは、誰かの言葉で、裁量で決めてもらえるほど安いものではなかったはずだ。
そう言い聞かせると、自分でも驚くくらい気持ちはすっと落ち着いた。
(おい明奈!何でこいつはこんな上から目線なんだ!?まだ自分が合格したとも限らないだろ!)
『まぁまぁ……。』
心の中でそんな不満を垂れ流す。すると、
「透って呼んで。多分、ここで会うのは何かの縁だろうけど……君とは長くは続かないと思う。」
さらりと言いながら、銀髪の少年――透はまた視線を逸らした。そこに、冬夜でも透でもない、第三者の響きが介入する。
「ま……まぁまぁ、二人とも落ち着いて。」
金髪の少女がそう言ってぎこちなく笑った。
「私は麗芽寧。コードネームは麗だよ。よろしくね。」
少女は冬夜の方へ手を差し伸べながら微笑んだ。冬夜はその手を取ろうとするが、直前でふとした疑問が頭をよぎる。
「ん?コ、コードネーム?」
コードネームという、漫画の中でしか聞き覚えのない言葉に冬夜は首を傾げた。
「そう!本名が知られたらこの世界じゃ危ないからって。冬夜くんが来るまでの時間で、先に入隊時のコードネームを決めておけって本部に言われててさ。」
「あーなるほど。ありがとう、助かったよ。」
冬夜は頷きながら麗の手を取った。
この流れで行くと、二人の合格はほぼ確実と言って良いだろう。これを踏まえて考えると、さっきの透の挑発が余計癇に障る。
「全然大丈夫だよ。また何かあったら聞いてね!」
彼女は明るくそう答えた。先程と同様、曇りなき満面の笑み。天気で表すなら快晴そのもの。
だが、冬夜から見たそれはどこか違和感があった。
(ずっと笑顔だけど……どこか変な感じだな。目が全然笑ってないような気がする。)
『……おそらく、“無理して明るくしている”のではないでしょうか?冬夜さんに対してではなく、この場に対してですが。』
「そんなところかな?あ……。」
言ってから気づいた。明奈へ脳内で念話しようとしたのを間違えて口に出してしまったと。
それに瞬時に反応したのは、麗の方だった。
「うん?今の会話はサイキッカーの方と?」
「あ、うん。サイキッカーの……明奈。」
「そっか……それで、いきなり声が出たりしたんだね。びっくりしたー。」
「ごめん。まだ慣れてなくて。」
「そっか!いいよいいよ、それならしょうがないよね。」
麗はうんうんと頷きながら、攻めたような言い方をしてごめんねと軽く手を合わせる。
『私と念話しながら他人と会話する事とか、この先よくあると思いますが……まぁ、冬夜さんならすぐ慣れると思いますよ。』
明奈も冬夜にフォローを入れ、この話題は終わり。誰もがそう思った――その時だった。
「……念話で喋ってるんですか?」
透が口を挟む。その表情は、軽く眉をひそめたように見えた。
「あ、あぁ。」
「慣れてなさそうだったから、すぐ分かりました。そういうの、いざという時の連携にも支障出ますよ。」
「そう……だよな。すまん。」
「……役立たずなら消えていくだけですので、別に大丈夫ですよ。」
吐き捨てるようでもなく、ただ当然のように言って、透は再び無言になった。わざわざ棘のあるような言葉を吐かれているのは、彼の表情を見るに冬夜も理解している。
同期のせいで自分に支障が出るのが相当嫌なようだ。
(でも……そこまで言わなくてもいいでしょ!!)
冬夜の必死の訴えに明奈も苦笑いで答える。
『まぁ、そうですね。ちょっと怖い……じゃなくてクールな方ですね。』
(あ、怖いって言った。角立ってるよ。)
『間違えただけですー。揚げ足取りみたいなことしないで下さい!そんなことより、早く隊長室に向かいますよ!』
こうして、3人は隊長室へと歩みを進める。
それぞれの歩調で。




