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5話 背中を押して

――翌日。これは、とある街頭インタビューの一節。


「いきなり失礼します。昨日、特に変わったことはありませんでしたか?」


 黒いスーツに身を包んだ女性が、30代ほどのサラリーマン風へ、淡々と言葉を投げかける。


「えっと、変わったことですか……?」


 男は視線を泳がせ、記憶を手繰るようにわずかに顎へ手を添えた。やがて、思い出したように口を開く。


「ああ……銃で撃たれる夢を見た、くらいですかね。いや、でも……」


 言葉が途中で濁る。自分でも説明しきれない、そんな戸惑いが滲んでいた。


「ただの夢、って感じでもなくて。ぼんやりしててあんまり覚えてないんですけど、でも妙に生々しくて。ほら……」


 男は苦笑まじりにシャツの裾をつまみ、腹部を見せる。


 そこには、薄くではあるが――確かに、弾痕を思わせるような痕が残っていた。


「傷跡、みたいなのがあるんですよね。」


 軽く言うその声音に対して、あまりにも不釣り合いな痕跡だった。女性はそれを一瞥し、わずかに息を吐く。

 

「まだ初心者だし、しょうがないか。」


 小さく、誰にともなく溢す。


「私、何回レノに使い回されれば良いのよ……」


 そう言って、女性は目の前の男の体を紫色の光で包み込んだ。

  

 ――試験開始から一時間が経過した。


『おかしいです……平和すぎます!』


 耳元で焦りを滲ませる明奈の声。だが、視界に広がるのはどこまでも穏やかな日常。

 

 信号は青に変わり、人の波がゆっくりと横断歩道を渡る。

 カフェのテラスでは笑い声が弾み、子どもが風船を手に駆けていく。

 遠くで鳴る救急車のサイレンさえ、この距離ではただの環境音に過ぎない。


 冬夜と明奈は、まだ一つも任務を達成できていなかった。

 

 それもそのはず。明奈の未来予知が、全くといっていいほど反応しないのだ。

 

 犯罪の“未来”が、どこにも存在しない。


 未来予知――大気を舞う原子の動きから、対象の行動を事前に読み取る能力。その為、未来が見えると言っても、精々数秒程度だ。

 そのため、犯罪の予兆が多少見つからなかったとしても、それは許容範囲として割り切るしかない。しかし、今回ばかりはいくらなんでも見えなさすぎる。


 別のサイキッカーからの通信によれば、他の組は既に任務を終えて、本部へ帰還しているという。


 二人の空気に、焦りだけが募っていく。


「まーじで何も起きねぇ……。」


 冬夜はビルの屋上を駆け抜け、次のビルへと飛び移る。

 街中を、ただ闇雲に走り回る。けれど現実は非情だった。


 どこまで行っても、事件なんて起きない。


 いや、当然といえば当然だ。ここは東日本帝国。犯罪発生率は世界最低の、平和という言葉をそのまま体現したような国だ。


『この国、治安が良すぎるのも考えものですね……!』


「それは褒めて良いのか悪いのか……いや、良いか。」


 とはいえ、このまま何の成果もなく試験が終われば、待っているのは脱落と記憶消去。


 冬夜の頭に冷たい汗が滲む。


 幸い、スーツの身体能力強化のおかげで体力の心配はなかった。ビルからビルへ、まるで映画のアクションシーンのように、人間離れした動きを繰り返す。

 

 走っても走っても疲れ知らずの体。初めこそ「これスゲー!」と興奮していたが、今はもうそれどころではない。


『冬夜さん……やっぱり融合率0だと、私の予知だけじゃ限界があります。』


「まぁ、そりゃそうだよな。」


 未来予知にも、勿論融合率は関係してくる。

 

 仮に融合率が100%であるならば、その超能力はたとえ冬夜を介していたとしても、自分の体から発せられる能力のように自由自在に扱える。

 しかし、これが反対の0%の場合。その能力は自由自在どころか、発動するだけで一苦労――そんなレベルまで下がってしまうのだ。

 

 融合率0%。前代未聞の数字。


 今になって、それがどれほどの足枷だったのかを痛感する。実際、冬夜自身もうすうす感じていた。

 

 ――最初から、自分にセンスなんてなかったと。


「ごめんな、明奈。」


 小さく呟き、駆ける足を緩めた。


『えっ!?な、何がですか!?』


「いや……元から思ってたんだ。俺、ここにいるべきじゃなかったんじゃないかって。」


 空は高く、雲は薄い。

 どこまでも穏やかで、残酷なほど平和だった。


『そ、そんなことは……』


「たまたまマインドハックが効かなくて、たまたま試験で隊長に認められて。それで、たまたま君みたいに優しい子とパートナーになれただけの、ただの一般人なんだ。」


 “たまたま”という言葉が、胸の奥で鈍く沈む。


 ビル風が強く吹き抜け、制服の裾がばさりと鳴った。


 明奈は何も返せない。

 誰にも見えない個室のモニターの前で、ただその瞳だけが揺れいでいる。


「……ありがとな。こんな俺と、楽しくやってくれて。」


 視線を落とし、冬夜はビルの縁に腰を下ろそうとする。

 足元には、はるか下の道路。豆粒のような人影。


 その瞬間。


『……です。』


「ん?」


 ノイズ混じりの小さな声。


『そんなの……絶対にイヤです!』


「お、おお……」


 思わず耳を押さえる。

 今まで聞いたことのない声量。震え。必死さ。


 穏やかな少女の輪郭が、一瞬で塗り替えられる。街は相変わらず平和なのに、この屋上だけは別の温度を帯びていた。


『ただの一般人でもなんでも……ここにいることが事実なんです。それがどんな間違いだったとしても、貴方は今、この場に立っている。』


「明奈……。」


『それに、私は冬夜さんがパートナーだったから、こうして前を向けている。最初にちょっと躓いちゃっても、諦めようなんて思わなかった。だから――』


 僅かに震えた声が、まっすぐ耳に届く。


『絶対二人で合格して正式な隠者になりますよ、相棒!』


 静かな沈黙のなかで、通信越しの少女が声を震わせながら、真剣に言葉を紡いだ。

 

 それを断ってまで、俯いている理由なんてない。


「ごめん、そうだよな。現場にいる俺がこんなんじゃ、守れる平和も守れない。」


「それじゃ、最後の最後まで突っ走るぞ!」


『はい!!』


 弾む声。

 さっきまでの重さが嘘のように、胸の奥が軽くなる。


 ――その時だった。


「……ちょっと待てよ?」


 足が止まる。再び走り出そうとした勢いが、胸の奥で引き留められた。鼓動とは違う震えが、内側から広がる。


 無意識に振り返った。

 

 遠くに連なるビル群。ガラス張りの外壁が西陽を反射し、無機質な光を放っている。


 何も変わらない風景。


 けど確かに――あの方向だ。


「なんか、変な電波みたいなの飛んでないか?耳障りっていうか、心ざわり?胸のあたりがビリビリする。」


 空気は静かだ。

 車の音も、人の声も、いつも通り。


 だが自分の内側だけが、微弱なノイズに晒されている。


『えっと、特に何も?未来予知にもこれといった反応はありませんが……』


 明奈の声は落ち着いている。

 彼女の能力が沈黙しているなら、本来そこに異常はないはずだ。


 それでも、胸の奥のざわめきは消えない。


「俺さ、小さい頃に大怪我したらしいんだよ。」


 視線はビル群から離さない。


「その時の手術で、体の中にマイクロチップみたいなもんを埋め込まれたって、親父から聞いたことがあってさ。」


『マイクロチップ?』


「あぁ。もしかしたら、それが何か拾ってるのかもしれない。理屈は分からないけど……でも、引っかかるんだ。」


 胸の奥が、わずかに熱を帯びる。


 偶然かもしれない。

 思い込みかもしれない。


 だが、勘ではない。

 “反応”だ。


 明奈は数秒、黙った。


 彼女の側では、モニターに無数のデータが流れているはずだ。未来予知は沈黙。警告もなし。


 普通なら、信じる理由はどこにもない――けれど。


『それなら……冬夜さんを信じるしかないですね。』


 決意を含んだ声。

 未来よりも、理屈よりも。


 きっと、この賭けを外せば時間的に次のチャンスは残っていない。それでも彼女は、自分の予知より冬夜の勘を信じることにした。それなら、かける言葉はたった一つ。


『私"達"の全部……貴方に委ねますから!』


 その言葉が落ちた瞬間、胸のざわめきが一本の線になる。冬夜は、ゆっくりと口角を上げた。


「あぁ、任せとけ!」

 

 彼は腰から取り出したボムを右手に構えた。スーツが増幅させる身体能力を存分に活かし、都市の中枢、違和感の元凶へと向かっていく。

 

 その方向へ近づく度に鼓動が高鳴る。明確な敵意も気配もないのに、肌が粟立つという今まで感じたことのない違和感。


「超能力準備!頼むぞ、相棒!」


『えっ、対象判別できてませんよ!?』


 突然の冬夜の言葉に戸惑いながらも、明奈はすぐに超能力を発動する構えに入った。冬夜の手から赤い光がじわりとあふれ出す──これが、超能力。


 だが、明奈の脳内には疑問が渦巻いていた。


『……あの、どれでいきましょう?』


 最初に説明したように、サイキッカーの超能力にはいくつかの種類がある。

 サイコキネシス、マインドハック、ヒール、その他諸々。状況に応じて最適な能力を使い分けるのが常識だ。


 なのに冬夜は、どれを使うか一切指示しなかった。


(どうして……?)


 一緒にいた時間は短いが、少なくとも彼は勢いだけで状況を判断して指示するような人ではないことだけは彼女でも分かっていた。だからこその、疑問。


 しかし、冬夜はゆっくりと息を吐きながら答える。


「ごめん。何が起きるのか、俺にもまだ分からない。だから……俺を信じて待っててくれ。」


 明奈の不安を読み取った上での、静かな確信。


『分かりました。絶対に、冬夜さんを信じます。』


 その一言が空気に溶けきる前に、事態は動いた。


「明奈、未来予知!」


 ──冬夜の呼びかけと同時、明奈の意識が一気に研ぎ澄まされる。


 そして、彼女の視界は数秒先の因果を捉え始めた。


 いつもと同じ空、いつもと同じ景色。――だが、その中に紛れ込む、一つの異分子。


『み……未来予知できました!冬夜さん、隣のビルの真下──見えますか?あそこの警備型AIです!』


「ど、どれだ!?」


 冬夜は慌てて下を見下ろす。だが、警備型AIは複数体。その中から特定するのは難しい。現在稼働中のAIだけでも十数体は確認できた。


 警備型AI──都市警備に導入され始めたばかりの、次世代型自律システム。太陽光と蓄電で24時間稼働する、機械仕掛けの街の守護者だ。


 まさか、そんなAIが暴走するなんて──。


『まずい……時間がありません!あと10秒で、そのAIが人に発砲します!あ、あと8、7――良いから急いで止めてください!』


「ちょ、10秒って!てかあと5秒くらいか!?どこだ、どのAIだ!?」


 冬夜はそう言って、すぐさま行動に移ろうとする。本来であれば、隠者によって簡単に制圧される任務かそれ以下にすぎない事象。


 だが、その予知は──狂ってしまった。


 乾いた破裂音が、空に響き渡る。


 だが、それは決して清々しい音ではない。宙を舞う赤い飛沫。その場にいた誰もが、その音の意味を理解する。


 ――これは銃声だ、と。


「じ、銃……声……!?」


 路上に倒れ込む一人の男性。30代前後だ。身体からは赤い液体が流れ、近くには8頭身ほどの無機質な塊──警備型AIが堂々と立ちはだかっていた。


 その指先からは、微かに煙が上がっている。


『なっ……冬夜さん!今すぐ下へ!』


 明奈の叫びが、耳元で激しく響く。しかし、冬夜は言葉を返すことができなかった。


 足が……動かない。


『冬夜さん!?』


 人が目の前で倒れている──血を大量に流しながら。周囲の人々は悲鳴を上げ、逃げ惑っている。全部現実だった。


「……い。」


 喉の奥から漏れた声は、誰にも届かないほど小さく、震えていた。


 頭が真っ白になる。目の前の光景が現実味を帯びない。手足は鉛のように重く、指先の感覚すら曖昧。ただ、その場に立ち尽くすことしかできなかった。


 ──目の前で、人が撃たれた。


 紅の液体が、ゆっくりと地面に広がっていく。


『冬夜さん、どうしたんですか!』


 焦る声がインカム越しに届いた。しかし、うまく返事ができない。


「……怖い。」


 ようやく絞り出した言葉。それは、まるで誰かに助けを乞うような、弱い声だった。


『……!』


 それを聞いて、彼女は黙った。言葉を紡ぐことができなかったからだ。


 無理もない。これが現実なんだ。自分はこんな状況で動けない。ただ怯えて、何もできないまま突っ立ってる。


 ──何のために来たんだっけ。俺を信じてくれって、言ったのに。それでも、そんなの全部綺麗事だ。

 所詮、死がこんなにも近くにあるなんて思っていなかった奴の台詞にしかすぎない。


 血。銃声。倒れた人。逃げる群衆。恐怖。


 早く誰か助けて――いや、俺が助けなきゃいけないのか。でも、足が動かない。


 息が苦しい。心臓の音がやたらとうるさい。


 このままじゃ……強引に記憶を消されて、これまでのことは全部なかったことになる――いや、自分の場合は記憶が消えないかもしれないから殺されるかもしれない。


 その方が、楽に思えてしまう自分がいた。


 そう考えていた時だ。


『冬夜さんなら大丈夫ですよ、絶対に。だって、私の相棒ですもん。』


 その言葉は、不思議なほどまっすぐで、優しかった。


 責めるわけでも、急かすわけでもない。ただ、まるで隣に寄り添うように、そっと包み込んでくれる。


 ──私の相棒ですもん。


(そっか……一人じゃないんだ。)


 まだ心は震えている。全然勇敢じゃない。息を吐けば喉が詰まりそうになるし、膝も言うことを聞かない。


 泣きたい。逃げたい。苦しい。それでも――


「もう……両親みたいに、誰かが死ぬのは嫌だ。この記憶が消えるのも、嫌なんだ。」


 涙が溢れそうだった。しかし、それ以上に強く込み上げてきた感情があった。


「それでも……やっぱり怖い。」


 怖い。それは変わらない。でも。


「だから……背中を、押してくれないか。」


 一歩踏み出す勇気が、どうしても自分の中だけじゃ足りなかった。そんな彼を一人前にする最後のピース。


『もちろん。この先、死ぬまで一緒ですよ!』


 相棒の声。


 ──大丈夫。ひとりじゃない。


 震える手を、ぐっと握りしめる。


「……お、おぅ!」


 冬夜は膝に力を込め、ビルの縁に立つ。


 次の瞬間、


 「こうしちまえば……もう、後戻りできない!」


 そう叫んで、子鹿のように頼りない足取りのまま──ビルから、飛び降りた。


『とっ、冬夜さん!?』


「後は頼むぞ、明奈!」


 空中で風に煽られながら、冬夜は右手に構えたボムを握りしめる。


「やるしかない──いや、やるって決めたんだ!」


 冬夜はAI目掛けて思い切りボムを投げた。


『ちょ、冬夜さん!?ボム投げちゃったんですか!?』


「分からん!!もうどうにかなれ!!」


『え!?あの感じ、多分当たりますよ!?ていうか当たります!!』


 驚きと焦燥の入り混じった明奈の声がインカム越しに響く。


 しかし、肝心の冬夜は目を瞑ったまま落下中。自分が何をしているのかも、これからどうなるのかも何もわからない。計算していたとか、予知をしたとかそんな大層なものではなく、ただ全力でボムを投げただけ。


『もうっ……しょうがないですね!』


 明奈は深く息を吸い、すぐさま能力を発動する。


『ヒール&マインドハック発動!!』


 負傷者には癒しの緑の光が、周囲の目撃者には紫の光が広がり、記憶を優しく塗り替えていく。


 ──そして次の瞬間、爆音が響く。


 ボムが命中し、赤白い閃光がAIを包むと同時に、冬夜の身体も爆風に呑まれていく。


「うわっ……!」


 爆破の範囲内に巻き込まれた瞬間、視界が白く塗り潰され──


 そして気がつけば、冬夜は仮想空間の中に立っていた。


 広がる青空。どこまでも続く都市。だが、そこに存在するのは――一体の機械仕掛けの巨体と、自分のみ。


「ここは……?成功したのか?」


 戸惑いながらも、冬夜は立ち上がる。周囲に人の姿はない。あるのは、静かにこちらを睨む機体だけだった。


『冬夜さん、無事ですか?』


「まあなんとか。……それより、あの人は?」


『負傷は腕だけ。ヒールをかけたので命に別状はありません。周囲の方々の記憶も、私が適切に処理しました。大丈夫です。』


 明奈の声が、落ち着いた調子で響く。その声に、胸の中で安堵が広がった。


「それなら良かった。……けど、ずっと助けられてばっかだな、俺。」


 冬夜は苦笑し、目の前のAIへと目を向ける。


「けど──今は、心置きなくやり合えるってことか。」


 まだ手は震えている。それでも、力を込めて。


 誰もいない仮想空間の都市。その一角。

 人知れず、その戦いは幕を開けた。

 


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