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3話 適正試験

 朝。

 天井のスピーカーから流れる柔らかな電子音が、部屋の静寂を破った。


(目覚まし……みたいなもんか?)


 冬夜はそれに驚くこともなく、椅子に座ったままその音を聞いていた。こんな音が無くとも、既に目は覚めきっている。


「規則正しい生活リズムのおかげ」と言いたいところだが、本音を言うと――眠れなかった。

 

 期待と高揚感に駆られてか、寝ようにも寝付けなかったのだ。だが、勿論睡魔はきた。おかげさまで、机のノートは見るも無惨な姿へと変貌を遂げている。


(結構いったな……ほぼ読めないレベルだ。)


 黒一色へと大変身してしまったノート。

 

 その光景を見て、改めて今自分が立たされている場所を思い返した。

 

 紅影という正体不明の組織、突如見せられた超常的な現象、そして入隊試験。まるで夢の中のような非現実が、昨夜から今日にかけて現実になっている。


「……試験、か。」


 気だるげな身体を無理やり動かし、洗面所へと向かう。顔を洗い、冷蔵庫の中に予め用意されていた軽食を取る。


「ん?」


 朝食を取ろうとしていた冬夜は、視線を机へと写した。そこには昨日まで無かったはずの用紙が一枚、机の上に置かれていたのだ。


(……いつの間にか、誰か来てたってことか?)


「んー、どれどれ。」


 冬夜はその用紙を手に取り内容を確認する。試験についての案内らしい。内容はこうだ。


「この用紙を手に取った時点で、試験は開始しています。今から23時間30分20秒後、扉を開けて部屋を出なさい。なお、室内に時計はございません。10分間の前後までは合格となります。以上。」


「……は?」


 冬夜は目を細めて、もう一度紙面を読み返した。何度読んでも、意味は同じだ。時間感覚だけで、今この紙を見た瞬間から指定のタイミングで扉を開けろ、ということか。


「……鬼畜すぎない?」


 口をついて出たのは、呆れと困惑が入り混じった言葉だった。だが、冬夜はふと何かを思い出したように、すぐさま部屋を漁り始めた。


「俺にはスマホが――無い……あいつら私物没収しやがった……。」


 スマホで時間を確認しようとした冬夜。しかし、言うまでもなく対策済みであった。

 

 冬夜は改めて部屋の中を見回す。確かに、時計もスマホもなければ、外の明かりも遮断されている。


「どうやって数えりゃいいんだ……。」


 しかし、文面にははっきりと「この用紙を手に取った時点で試験は開始しています」とある。

 つまり、もう試験は始まってしまっているのだ。リズムがずれても、考えすぎても失敗する可能性がある。


 冬夜はもう一度、紙に目を落とした。


 ――今から23時間30分20秒後、扉を開けろ。時計はない。


「無茶すぎるって……」


 呟きながら、彼は再度部屋の中を見回した。窓もなければ電子機器の類いもない。壁掛け時計も、スマホの類も、何一つ。

 あるのは、ベッド、机、椅子、ドライヤーそして――食べようとした朝食と、小さなプラスチックの水差しと、コップが数個。


「何か……ないか……?」


 冬夜は脳に全てのリソースを割いて思考する。その際も、時間を数える事だけは辞めない。

 ありとあらゆる手段を模索して、視線を動かし続ける。頬を伝う汗。弾む心臓。時間が経てば経つほど、焦りは大きくなる。

 

 その時――視界の端に、小さな水差しが映った。半分だけ水が注がれ、淡い光がこちらへ向かって反射している。


 この光景に、冬夜は見覚えがあった。


(ん?これ、どこかで見たことあるような――)


 ぼんやりと滲む記憶。まだ自分が幼い頃、はるか昔の話だ。


 父――ハルキは、長身で凛とした人だった。厳しいけれど、決して声を荒らげることはなく、言葉を選ぶようにゆっくり話す、優しい父だった。


 脳裏に浮かび上がったその姿は、鮮明に彼を映しあげる。縁側に座り込む父と共に、庭を見ていた際の出来事だ。


『いいか、冬夜。』

 

 父は手にしたコップを隣に置き、コーヒーを注ぐ。味は、彼が生前気に入っていたブラック。その水面に波紋を作りながら、彼はゆっくりと口を開く。


『世の中には、役に立たないって決めつけられるものが山ほどある。だがな――』


 少しだけ笑って、冬夜の頭をくしゃりと撫でる。


『全ての事象において、最後の最後まで自分で価値を決めつけるなよ。無駄だと切り捨てた瞬間に、それは本当の価値を見逃しちまうからな。』


 幼い冬夜は意味を理解できず、ただ頷くだけだった。

 正直なところ、何故そんな言葉を急に言い出したのかは、今になっても分からないままだ。

 

 それでも、その時の言葉が今の自分の道筋を照らしているのも、また事実。

 

 冬夜はふと机の上にあった水差しを手に取ってみた。冷たい水が、半分ほど注がれているだけ。


「水……。」


 手の中でコップを傾けると、水は静かに、しかし確実に流れる。その動きを見て、冬夜の脳裏に、ある考えが浮かんだ。


「これ……測れるんじゃないか……?」


 彼は急いで水差しの中身を満たす。そして、机の下に本を挟んで僅かに傾ける。その上に、先ほどの水差しをそっと置き、その水が常に出続けるように、風呂場のシャワーを伸ばして水を汲み続ける。


 時計が無く、日差しも見えない空虚な部屋。だが、自分の意思で「時間」を掴む術は、確かにここにあった。


 いよいよ、冬夜は心の中でカウントを始める。


(1、2、3――)

 

 ――コップの中の水が満水になるまでに要した時間は、9分53秒だった。満水になったコップの水を流す行為も含めると大体10分。


 もちろん多少の誤差はある。それでも、何も無いよりは幾分マシだ。

 試験内容を見てからこれに映るまでの時間だけがどうしても曖昧だが、これは大体3分と仮定することにした。


 水が満水になる度に、流し切って元の水差しの下にコップをセットし、また流す。その繰り返し。


 ――気がつけばカウントは一8回目に差し掛かっていた。


(……これで約3時間か。大丈夫だ、集中力はまだ切れてない。)


 冬夜の額にはじんわりと汗が浮かぶ。けれど目は鋭く、意識は一点を見つめ続けていた。

 水を注ぎ、流し、また注ぐ。無機質な時間に、自らの心拍をぶつけて計っているかのよう。


 疲労はもちろん蓄積していく。水を流さない一0分間は猶予があるにせよ、勿論気は抜けない。


 ――カウント90回目。冬夜の予測が正しければ、ここで、5時間経過となる。

 

 ここで牙を向いてきたのは睡魔だった。


 瞼が今まで味わったことのないような重さをしている。一瞬でも気を抜けば、そのまま眠ってしまいそうだ。


 頬にペンを刺したり、耳をつねったり。できる対処法全てを実践し、コップに全意識を集中させる。


 数えて、注いで、また数えて――


 やがて、冬夜の睡魔が限界を突破してきたころ。


(最後の一回……だよな。)


 冬夜は目を閉じ、数を数えた。呼吸と鼓動を合わせ、ただ、心で「時」を感じ続けた。


 ここにきて手が震えてくる。

 もし計算が狂っていたら? 数え間違えていたら?

 そんな嫌な予感が脳内を駆け巡る。


「間違ってたら、全部水の泡……か。」


 震える手を無理やり押し込み、深く呼吸をした。今更迷っても仕方がない。


 そして――


「……今だ。」


 立ち上がり、再度深呼吸を一つ。そして、躊躇わずに部屋の扉へと手をかける。


 ガチャ――


 軽やかな音とともに扉が開いた。


 目を細めながら、冬夜はゆっくりと足を一歩踏み出す。 長い孤独と静寂の中で数えた時間。その全てが報われる瞬間だった。


 静かな拍手の音がその場に響いた。


「……正確な判断力と集中力。面白い。」


 そこにいたのは、厳しい眼光を持った白髪の老人。


 試験官――紅影の隊長、暁だった。

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