1話 その職、秘匿につき
西暦2625年。その夏の日の出来事。
少年はビルの屋上で立ちすくんでいた。
視線の先――遥か下では、群衆が悲鳴を上げている。
広がる血溜まり。逃げ惑う市民。そして、それを傍観する自分。
『……さん!どうしたんですか!?』
少女の焦る声が耳元に届く。
(そんなの……分かってるよ。)
けれど。
「……怖い。」
――――――――――――――――――――――――
その二日前。
少年――東雲冬夜は、全自動二輪車の背もたれに深く腰を下ろし、いつもと変わらぬ帰り道を走っていた。
胸には「東日本国校」と刺繍されている。世界一安全と言われたこの国で、誰もが羨む学歴最上位校だ。
そんな我が国も、かつては暴動と反乱が日常に溢れた、最低レベルの治安だったらしい。そして混乱の末、日本は東西に分断され、中心には巨大な壁が築かれたという。
この国の最西端の壁を超えた先にあるのが、西日本帝国。教科書ではそう習ったが——その壁を生で見たことなんて、一度もない。
「おかえりなさい。」
「あ……ただいまです。」
僅かに詰まらせながら返す。「おかえり」と言ってくれる人間が、この世界に一人もいないことを、ずっと当たり前だと思って生きてきたから。
(おかえり……か。)
心の中で、フレーズは反芻する。
それには、彼の人生が大きく関わっていた。
彼はどこにでもいる“普通の高校生”──というには、少しだけ事情がある。
両親がすでに他界している。
それが「特別」とまで言えるかは分からない。が、彼の中に小さな違和感として沈んでいるのは確かだ。
そのため、誰かから「おかえり」という単語を投げかけられたことに、思わず深く考え込んでしまったのだ。
淡い茜色が空を染め、自分の影が長く伸びる。川を挟んで見えるビル群のネオンが、次第に存在感を増し始めてくる頃合い。
(……いつまでこんな日常が続くんだろう。)
一人の時間が訪れる度にそんなことを考えるようになったのは、ここ最近の話。
家に帰っても、それを迎えてくれる人はいない。ただ一人でご飯を食べ、風呂に入り、ベッドで眠る。
テストが近ければ勉強をし、約束があれば友達とゲームをするくらい。
実に変わり映えのない、退屈な毎日だった。
――だが、その退屈な毎日はここで終わりを告げる事になる。
「ん……?」
冬夜は二輪車のブレーキをかけた。前方の路地に、見覚えのある背中があったからだ。
「……レノか?」
伊賀見レノ――同じクラスの友達だ。175センチほどの背丈と綺麗な金髪が特徴で、冬夜にとってかなり仲の良い部類の一人でもある。
――この日、この国が世界一安全な国だという俺の中の常識は、完全に崩れ去った。
「てめぇ……逃げられると思ってんのか!?」
叫ぶ不良。後ずさるレノ。それに偶然遭遇してしまった自分。
舞台は整った――いや、整ってしまった。
二人の不良が、レノに詰め寄っていく。
レノの運動神経は良い方であるが、どう見ても不良二人のガタイには見劣りしていた。しかし、逃げる素振りは一切見せない。
それどころか――
(あいつ……今、笑った?)
彼の口角が、僅かに上がって見えた。いや、こんな状況で笑うなんて、見間違いかもしれない。
現に不良達は、そんなこと気にも止めずにレノへ向けて拳を振りかぶろうとしている。
流石にあの巨腕で殴られればひとたまりもない。
「おい、レノ!にげ……」
咄嗟に声をかけようとした、その瞬間だった。
"ぐわん"
そう表現するのが最適解と言って良いほどに、空間が歪んだ。それは――幻覚でも、比喩表現でもない。
「どけ。」
遅れて、レノの声が響いた。
たったその一言で、不良たちはピタリと動きを止めた。目は見開かれ、表情が凍りついている。それはまるで、生気の抜けた人形のようだ。
「これは……」
冬夜は思わず言葉を失った。
今まさに彼が目にしているのは氷漬けにされたかのように、ピクリとも動かず固まった不良達。そしてそれを、さも当然の如く見つめるレノ。
彼は固まった不良達へと歩み寄り、手を伸ばした。
「忘れてもらうよ。これが規則だからさ。」
そう一言だけ呟いて、レノは掌から淡い光を発した。それが不良達の頭に纏わりついていく。まるで意思を持っているかのように柔らかく動く不気味な光。
その光がゆっくり宙へ消えていくと同時に、彼らは腰から崩れ落ちた。
「……!」
それを見ていた冬夜は思わず息を呑む。友人だと思っていたそれが、人間には到底できない超人離れした現象を起こしているのを、この目に焼き付けてしまった。
滑らかな金髪を靡かせながら、何の戸惑いも見せずにその場を離れようとするレノ。声をかけずにはいられなかった。
「レノ、お前今の……」
冷や汗まじり、恐怖まじり。そんな声で、冬夜は言葉を発した。それに気がついたレノは、ゆっくりと振り返った。
「見てたのか、冬夜。」
レノが冬夜を鋭く睨みつけた。多分、蛇に食われる瞬間のカエルの気分はこんな感じなのだろうと、心が勝手に解釈する。
「お前がやったんだよな……?」
冬夜はおそるおそる一歩前へ近づきながら、レノへそう問う。レノの目つきは変わらない。ただ、その眼差しの奥底にはどこか後悔や虚しさがあるような気がした。
レノは苦渋の決断の末、一つの答えを絞り出した。
「悪いけど、これはルールなんだ。すまない……。」
謝罪と共に繰り出されたのは、レノの掌。この光景には見覚えがある。
「お、おい!何言ってんだよ!」
どれだけ心の底から叫ぼうとも、彼の表情は凍ったままだ。まるでこの響きが、全て届いていないように。
(お前……そんな顔する奴じゃなかっただろ……!)
俺の知ってるレノは、一緒にゲームで馬鹿笑いして、アホみたいなことして。いかにも、高校生らしい普通の男の子だったはずだ。
そんな彼が、世界の全てを知ってしまったような顔つきで、此方へと近づいてくる。
「この国を守る為なんだ。……お前の記憶、消させてもらう。」
レノはそう言って淡く光る掌を冬夜の方へ向けた。段々と光の強さは増していく。先刻、不良達に向けて放たれたあの光の矛先が、今度は冬夜の目前にまで迫っている。
確かに、今の今まで人生は退屈に満ちていた。何か特別なことが起きて欲しいと願っていた。この日常を変えてみたいとも望んでいた。それでも――
「俺の記憶を……勝手に決めんなよ。」
考えるより早く、口が先走っていた。その反抗に、レノは微かに動揺を見せる。
当たり前だ。友人に対して、真正面からぶつかったのは、高校生なってから初めてだった。
「それに……お前はただの男子高校生じゃなかったのか?それなのになんで……なんでそんな顔してるんだよ……!」
そう言って、こちらへ伸ばされたレノの手首をがっしりと掴み返した。勿論彼も抵抗の意思を見せるが、冬夜はそれに動じない。
「俺だって、友達にこんなことしたくないさ!でも……これはルールなんだ!!」
レノは再度冬夜へと手を伸ばす。
――それを見て決心した。
冬夜は押し寄せる掌を払いのけ、逆手で彼の頬を捉える。暴力はあまり趣味ではないが、今回ばかりは不可抗力だ。
そのまま拳を振り抜いて、レノはよろける……なんてことはなかった。
「なっ、動かない……!?」
冬夜の拳は、レノの頬に触れる寸前で止まっていたのだ。それは、まるで何かに全身を掴まれ、抑え込まれているような感覚。
実在する言葉で例えるのであれば、金縛りというのが一番近い。
どれだけ体を動かそうとしても、それが叶うことは一向に訪れなかった。
「サイキコネシスだ。見たものを操作できる超能力ってところだな。一瞬で終わるから、大人しくしててくれ。」
レノは静かに告げる。無抵抗となった冬夜へ三度目の正直。掌からは淡い光が漏れ始めた。
「大丈夫。記憶をほんの少し消すだけだ。また明日にはいつも通りゲームでもしてるさ……ごめんな。」
レノはそう言って申し訳なさそうに、冬夜目掛けて光を発散させた。紫色の光が冬夜を包み込む。
そんな彼の様子を、ただ黙って見ているしかなかった。
「俺とお前は……友達じゃなかったのか?」
どれだけ言葉を紡いでも、レノの表情が変わることは一切なかった。冬夜の抵抗もむなしく、視界は紫色の光で満ちていく。
そして、遂に冬夜の視界を完全に覆い尽くした。
──それだけだった。
「……え?」
レノが言葉を失う。彼は今、確かに冬夜へ光を放った。本来であれば、不良達のように記憶を奪われ、眠りにつくはずだ。
しかし、現状は違う。冬夜は目を開いたまま、平然と立っていた。
「嘘だろ?効かない……のか?」
レノは再度掌に光を集約させる。
しかし、結果同じ。紫色の光が消えても、冬夜は変わらずそこに立っていた。
「無駄だ。眠くもならないし、頭がぼんやりするとかもない。俺からしてみれば、何してんだって感じ。」
冬夜は真っ直ぐにレノを見据えた。
「どうなってんだろうな、俺。」
その発言にレノは諦めたのか、こちらへ向けていたその手をゆっくりと下げた。
彼はどうすれば良いのか分からず、その場で立ち尽くしている。それは、自分も同じ。
二人の間で気まずい沈黙が流れた。互いに口を開こうにも開けない、なんとももどかしいこの時間。
その静寂を割いたのは、どちらでもなかった。
「なんか騒がしいと思ったら……お前か。」
どこからともなく声が聞こえ、その発信源を探る。すると、レノの背後にある影が少しだけ動いた気がした。
男の発言に驚いたレノは、思わず振り返る。
「ふ……副隊長!?」
背筋を伸ばし、すぐさま頭を下げるレノ。それに対して「いいって」と軽く流す、副隊長と呼ばれる人物。
彼は何も言わず、数秒だけ冬夜を見た。
「……いきなりで申し訳ないが、コイツ……連れてっても大丈夫か?」
「まあ、別に殺したりしなければ好きにしてもらって構わないです……けど。」
そう言って道を譲るように捌けるレノ。その空いたスペースからずかずかとこちらへ詰め寄る男。
「おい待てよ、しかもいきなり──」
だがレノの時とは違い、冬夜は前に出ることができなかった。むしろ、無意識に一歩身を引いていた。
男はこらちへ視線を向け、淡々と告げる。
「記憶干渉を無効化できる一般人なんて、お前が"初めて"だ。それだけで十分だろ?」
その言葉が、妙に刺さった。
――俺は今まで、誰かに「初めて」と言われたことなんてあっただろうか。
退屈に満ちた平和な日常で、自分だけを見てくれる人間なんて居ただろうか。
この一言で、確実に冬夜の気持ちは揺らいだ。
「ま、詳しいことはあっちに行けば分かる。」
男はそう言うと、どこから取り出したのかも分からない手榴弾のようなものを足元へ投げた。
すると、球体は白い光を放ちながら、地面に音もなく円陣を広げていく。
「なっ……何だこれ──」
「大丈夫。ちょっと移動するだけだ。」
その言葉と同時に世界がぐにゃりと曲がる。視界が暗転し、耳鳴りが響く。地面そのものが斜めに傾いたかのような感覚に、冬夜は思わず膝をついた。
――テレポート。そんな非現実的な言葉が頭をかすめるが、現実に存在するはずがない。その考えは、何百年も前に不可能だと切り捨てられたはずだ。
だが、それが今まさに目の前で起こっている。
白光に耐えきれなくなった冬夜は思わず目を閉じる。
次の瞬間、鼻腔を満たしたのは金属の冷たさと、凍りつくような空気の匂い。
まさかとは思い、おそるおそる瞼を持ち上げる。
すると、そこにあったのは――先程までの路地の光景ではなかった。
天井は低く、照明は青白い。無機質なガラスに囲まれた、施設のような空間。扉までも透明に作られており、まるで見る為だけに存在しているような部屋だった。
「どこだよ、ここ……」
身体を起こして見渡すと、部屋の隅に人影が見えた。その人はどうやら、看守のように自分のことを外から監視しているみたいだ。
やがて、ガラスの向こうにいた人物が、扉を開けて入ってくる。黒曜石のような黒いスーツを着た女性。髪を後ろで束ね、手にはタブレットのような物を持っていた。
「東雲冬夜さんですね。ようこそ、紅影本部へ。」
「は……?」
こうして俺の日常は、唐突に終わりを告げることになった。もっとも、守るべき日常なんて、最初からなかったけれど。
ここまで目を通してくださり、ありがとうございました。
これは、私の最初で最後の長編作品となります。
ズバリ、最初にネタバレをします。この世界は、ある人物によって全てが作られた世界です。超能力も、世界観も、何もかもがそれに繋がっています。
私は物語を書く時、どうしてもその全てに意味を持たせたくなってしまいます。意味もなく「未来の人は超能力が使えます」というのは、しっくりこないじゃないですか。
なので、この先に出てくる重要そうなシーンは、全て繋がりがあると言っても過言ではありません。
例えば、初任務のターゲット......とか?これ以上は辞めておきましょう。
というわけで、爆弾級のネタバレをしてしまいましたが、それでもこの作品は十二分に楽しめると思います。
そんじゃそこらのSFファンタジーでで終わらせない約束を、私がしましょう。
ちなみに、情景描写が吐くほど苦手です。
なろう初心者なのでコメント機能があるのか分かりませんが、もしあるのでしたら是非お願いします!
※カクヨムでも連載中です。




