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09 策

「……あっ」

 茶々はようやく自失から戻ってきた。

 治長の妄言に目もくらむ思いで激昂したまで、は覚えている。

 だが、自分を上回る怒りを千姫から感じ、そして呆然としてしまったらしい。

 気がついてみれば、千姫はすでにいない。

 今さら呼び戻してもと思ったが。

「……無駄か」

 豊臣という群れから、彼女は出て行った。

 仮に呼び戻せたとしても、家康と秀忠の首を取れなどという言葉に、いや、そもそも茶々の言葉に耳を傾けないであろう。

「わがこと、終わんぬ」

 何ということだ。

 自分と豊臣秀次が交わって、秀頼が生まれた……などという妄言で。

「そんなこと……あるわけがないというに……」

「さようです」

 治長むしろ平然と言い放った。

 信繁はというと、娘だというなほに対して「大儀」と声をかけていた。

 それはまるで――家来にでもいうような台詞だった。

「これは、何としたことじゃ」

 茶々は、治長と信繁が一芝居打っていたことを、ようやくにして悟った。

 というか、わが身に起きたことなのだ、それこそ、間違いようはずがない。

「えっ、えっ」

 秀頼はまだ不得要領な様子。

 茶々は、それが何だか可哀想で……不憫だった。

「秀頼」

「はい」

「そなたの父は太閤秀吉。そしてその父は、意地汚く、わがままで、ひとり占めが好きであった」

 そのような男が、おのが掌中の珠とする女を、他の男に抱かせるなど、あるわけがなかろうが。

 ……少なくとも、生きている限りは。

 茶々の意味ありげな視線を受け、治長はうなずく。

「このような不遜なおこない、許されることではございません。されど、今は危急存亡のとき。お許しあれ。そして、お急ぎください」

 気がつくとなほが、顔を剥がしていた。いや、顔のような仮面を剥がし、その下から、秀麗な男の顔が現れ出でた。そういえば、体躯もいつの間にか伸びていて、それこそ長身の男のものになっていた。

「才蔵、では、秀頼(ぎみ)を落ちのびさせるぞ」

「はっ、すでに間道へは佐助が先行しております」

 何が何だかわからない。

 なほだった才蔵は容赦なく秀頼の鳩尾みぞおちに拳をくれて、気絶させた。「御免」といっているが、後先が逆だ。

「かいつまんで話します、茶々さま」

 治長が耳打ちする。

 すべては、秀頼を落ちのびさせる策略である。

 まず、秀頼が秀吉の子ではないという話をする。それを千姫に聞かせる。千姫の侍女たちにも聞かせる。

 そうすることにより、徳川に「秀頼の父が秀次」という「新情報」をもたらし、その動きを停滞させる。

 つまりは、罠に落とすのだ。

「……こうすることにより、千姫さまにその話を聞くという流れが生じ、千姫さまに『豊臣の子と、諸共に死ね』と言えなくなります」

 治長がそう言うと、

「同時に、『豊臣への憎しみ』を共有することになった千姫さまは、家康と秀忠より、生かされるでしょう……向後も」

 信繁がそう受ける。

 ちなみに、信繁の側室・隆清院とその娘・なほは存在する。存在するが今は、隆清院の母、一の台の実家すなわち菊亭家のある京へ避難している。

 そしてなほと奈阿姫が似ているかというと、

「……まあ、少しは似ているでしょうな」

 とは、治長の言である。

 そして、「さあ、急ぎましょう」と告げた。

 治長と信繁の策の肝は、徳川の停滞――隙を作りだすことにある。

 その隙を利用して、秀頼を城から落ちのびさせ、秀頼の父が秀次であるという嘘に気づいた頃には、すでに城外遠くへという策だ。

徳川あちらには服部半蔵という異能がいます。半刻もてば、いい方でしょう」

 信繁は――どのような伝手をたどったのか、薩摩島津への渡りをつけて、秀頼を匿う方策を立てていた。

「では修理、あとは頼んだぞ」

「任せろ」

 治長は茶々の肩を抱いた。亡き主君の妻だが、それを指摘する者は、誰もいなかった。

「息災で、左衛門佐」

「……ああ」

 朋友同士は目配せを交わした。

 そのやり取りを見ていて、茶々は悟った。

 ああ、自分たちは死ぬのだ、と。

「申し訳ございません、茶々さま」

「茶々と呼べ」

「……失礼、茶々」

「修理よ、われらは死ぬのか」

「さようです」

 ここで秀頼と、茶々まで落ちのびては、目立つ。

 あの服部半蔵の目を誤魔化すのは、せいぜい秀頼ひとりが限界。

 「大坂城ここで死んだ」と思わせるには、これしかない。

「……千姫さまには、あとで左衛門佐の兄、真田侯(真田信之のこと)より、このことを伝えてもらいます」

「……そうか」

 茶々としては、秀頼の伴侶たる千姫が生きのびることは嬉しいが、妄言を信じたままということは、心残りであった。

「わが兄には、奈阿姫さまも預かってもらいます」

 信繁のそのひとことで、茶々には、何となく、千姫の説得がどうなるかわかった。

 おそらく、奈阿姫の助命歎願に際して、千姫に、「秀頼の父は秀次」というのは嘘と説くのであろう。

「茶々、これでよかろう」

 治長のその台詞は、まるで夫が妻に語りかけるようであった。

 いや、実際、夫婦だったのであろう。

 少なくとも、秀吉の死後は。

「みな、心ある者は左衛門佐につづくがよい」

「来ても良いが、極楽ではないぞ。城を落ちるまではける。そこからは、各々(おのおの)で、勝手に行ってもらう。むしろ、地獄かもしれん」

 信繁のその言葉に、山里丸にいる者たちは、ある者は信繁につづき、ある者は残りと、人それぞれであった。

 治長と茶々はそれを見送り、残った者たちを引き連れて、焼け残った蔵に入った。

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