04 茶々
「千姫はどこに居る? 千姫はどこじゃ?」
山里丸にて。
この年、孫までいる四十代半ばの茶々は、だがその容色衰えず、この落城寸前の刹那においても、妖しい色気を放っていた。
その茶々が求める千姫──秀頼の正室──は、逆に十八歳にもかかわらず、もうその年齢の倍以上は老け込んで見えた。
千姫は、その腕の中に抱いていた、六歳の奈阿姫(秀頼の側室、成田氏の子)を離し、茶々に向かって一礼した。
「これに。義母上」
「おおそうか、そこにいたか千姫。これ、こっち来や」
茶々に差し招かれて、千姫は何事かと思ったが、次の瞬間、出て来た言葉に瞠目した。
「こなた……こなたは秀頼の正室ぞ。つまり『豊臣の子』じゃな? であれば今すぐ寄せ手の徳川勢に行って、帰って来たふりをして、祖父の家康と父の秀忠の首を取ってまいれ」
「は?」
その反問は、やめてくれという意味だったのだが、茶々は意に介せず、取ってまいれ取ってまいれと連呼する。
「母上、おやめを」
たまりかねた秀頼が口を出したが、茶々は、そなたは黙っておれと凄む。
「そなた、そなたのためではないか。この母が腹を痛めた子なればこそ、かように鬼のような真似を……」
発言の終わりはもはや言語にできないぐらいの叫び声だった。
秀頼は泣いた。このように、半狂乱になった母を見て、泣いた。
しかし、それでも、ここまで母を――豊臣家を追い詰めたのは、ほかならぬ自分なのだ。
誰をも責めようがない。
秀頼は、ぐっとこらえることしかできない。
ただ、千姫は別だ。
彼女に罪はない。
彼女は――そもそも、秀頼の従妹であり茶々の姪である彼女は、徳川家康が豊臣秀吉に屈した証として差し出された娘だ。
「母上、おやめくだされ」
秀頼は、肚の底から絞り出すように言った。
苦しみながらも、それでも真心こめて、言った。
茶々が振り向く。
その微笑みに、秀頼はおのが心が通じたのかと微笑み返そうとした。
が。
「黙りゃ」
笑顔のまま。
冷厳とした声で。
母は、子を拒絶した。
それなら、その微笑みは何だと問う秀頼の目に。
「そなたのためです」
と、笑顔のまま答える母親。
母親は、その笑顔を崩さず、なおも言う。
「妾は……妾が腹を痛めて産んだそなたを守るためになら、鬼にもなろう、何でもしよう」
その決然たる烈婦の言葉は、愛情か、妄執か。
いずれにせよ、そこまで言われては、秀頼としては下を向くしかない。
助けを求めんとして、周りを見渡すが、皆も、下を向いている。
うつろな表情をして、何の応えも無い。
ただ流されて、流されていくままに、この、栄耀栄華を誇る大坂城に生きて来て、流されるままに大坂の陣という渦に呑み込まれ、気がついたら今、死ななくてはならないという現実を突きつけられて、唖然と、そして悄然としているのだろう……この秀頼と同様に。
「この城にいれば大丈夫だと思っていた。この城に拠れば大丈夫だと思っていた」
有為転変は世の習いというが、それがまさかわが身にとは、誰も思わなかったのだろう。
それはそうだ。
豊臣秀吉という、天下を取った異能が築いた城だ。残した子だ。
誰が一体落とすというのだろう。
何が一体滅ぼすというのだろう。
「……みんな、そう思っていた。安心していた。安心していた、その油断を」
徳川家康という、もうひとりの異能が衝いたのだ。
気がついたら、そう、千姫という人質まで出されて、安心は油断になった。
秀頼自身ですら、千姫との間に愛情を育み、千姫もまた秀頼を愛してくれたが、それも家康にとっては「豊臣の油断」だったのだろう。
「すべては徳川家康という男の執念の賜物」
それに抗することの、何と虚しいことか。
誰しも、生き延びることは許されないだろう。
であれば。
「母上、ならば千姫だけは徳川に帰して下されや」
「ならん」
「母上」
「くどい! そなたを生かすためだと何度……」
「あいや、しばらく」
甲高い茶々の声は、落ち着き払ったその声によって遮断された。
場は、水を打ったように静粛となり、皆が、皆の目が、一点に集中する。
その声の主に。
「あいや、しばらく、しばらく。それならば手前が千姫どのを徳川にお連れいたそう」
「大野……修理!」
大野修理治長その人であった。




