第4話 初めの一歩
『大学の卒業式出る? もし来れたら卒業式終わりにA棟入口で待ってる』
私はメッセージを開くことなく画面を閉じる。卒業式かぁ。
あのメッセージが来て以来、気づいたらリビングのソファで、クッションをこねくり回していることが増えた。もう土曜だし、どうしよ。
「真優さん、明日お時間ありますか」
うおっ、びっくりしたぁ。俊さんに後ろから声をかけられたみたい。
「明日、ですか?」
返事に迷っていると、ソファに腰を下ろした俊さんが先に口を開いた。
「そういえば、大学の卒業式はこの時期でしたよね。もしかして、明日は卒業式でしたか?」
「あー、そうなんです、けど」
私は持っていたクッションに目を落とす。
よくわかったなぁ。そんなピンポイントで当ててくるなんて、エスパー?
「出席されるなら、その日送迎しましょうか。ここからだと少し遠いですし、ちょうどその方面に用事があるので」
「いえっ、送迎は大丈夫です。そのっ卒業式は出ないつもりなので」
そう口に出して、私はすぐに後悔した。
勢いで言っちゃったけど、卒業式に出ないなんて普通じゃないって思われたかも。でも、途中から人と関わらないようにしてたから、みんなに会っても気まずいだけだし。それに――。
頭の中で言い訳を考えていると、意外な反応が返ってきた。
「じゃあ、これから少し付き合ってくれませんか」
え?
車に乗せられ、やってきたのはインテリアショップだった。
何故にこんなところに?
「真優さんが生活する上で必要なものを、買っておこうと思いまして」
「ええっ。そんな、悪いです」
「従業員の職場環境を整えるのも雇用主の役割ですから」
そう言って歩き出した俊さんに、私は慌ててついていく。
寝具、テーブル、椅子、クッション…………。
「真優」
突然呼ばれた名前にビクッとする。気づいたら俊さんが真横に立っていた。
うわっ、ち、近っ。
「どどど、どうしたんですかっ」
私は咄嗟に距離を取る。
「いえ、ずっと呼んでいたんですが。無心で触ってましたけど、そんなに気に入ったなら買いますか?」
そう言った俊さんの視線は、私の手元に向けられていた。どうやら、私はクッションを触りながらボーっとしてたらしい。
「えと、見てただけなので、大丈夫です」
私は持っていたクッションを急いで元の場所に戻し、俊さんと店内を回った。
「そろそろ帰りましょうか」
気づけば買い物は終了していた。
ほとんど記憶ないんだけど。時空歪んだ?
車に乗り込み、移り変わる景色を助手席から眺めていると、突然、四年間慣れ親しんだ風景が目の前に広がった。
「あの、こっちって」
俊さんの方へ顔を向けると、一瞬目が合った。
「バレてしまいましたか。大学には、来たくなかったですか?」
「そんなことは、ないですけど」
表情から意図をくみ取ろうとするも、横顔だけではよくわからなかった。私の困惑を察したのか、俊さんが口を開く。
「ここ最近、ずっと考え事をしていたようなので。それに今日もほとんど上の空でしたし。答えを見つけるきっかけになればと思ったんですが、ここではなかったですか?」
私は目を見開く。
「合ってます、けど、どうしてわかったんですか」
卒業式の話はしたけど、あれだけでわかったのかな。やっぱりエスパー?
「それくらい、真優さんを見ていればわかりますよ。一緒に生活していますしね」
でも、最近引っ越してきたばかりなのに。
私の疑問は解消されないまま、俊さんは話を進めた。
「気分転換くらいにはなりましたか? ずっと、同じところで考えていたら、見えるものも見えなくなりますから」
もしかして、今日の買い物も私を連れ出すためだったのかな。
「お気遣いいただいて、申し訳ないです。でも、どうすればいいのか、答えは出なくて」
私は居たたまれなくなって窓の外に目をやる。気づけば大学からは遠ざかっていた。
「真優さんは、今、どうしたいですか」
そっと寄り添うような、優しい声が聞こえた。
「どうすべきかではなく、どうしたいかで考えてみても、いいんじゃないでしょうか。正解なんてありません。自分の気持ちを大切にしてあげてください」
「私は……」
どう、したいんだろう。
その先を言えずに黙ってしまっていると、助け舟が出された。
「もし難しかったら、これだけは避けたいと思うことを考えて、そうならないように行動するのも一つの方法だと思いますよ。……どちらにせよ、この先会えなくなってしまっても、後悔のないように」
最後は独り言のように呟いた俊さんの横顔は、どこか寂しげに見えた。
家に帰ってからも、言われた言葉が頭を回っていた。
私は、今、どうしたいんだろう。
スマホを手に取り、ロック画面に表示されたままの、あのメッセージを見る。
ずっと連絡をくれてたのに、未読スルーしてたこと、謝りたい。でも、その理由を聞かれたとき、私はちゃんと答えられるのかな。大切な人だからこそ、否定されたらと思うと、勇気が出ない。
もう一度、俊さんの言葉を反芻する。――これだけは避けたいこと。
それは、やっぱり……。
次の日の朝、リビングのソファで本を読んでいる俊さんに、私は声をかけた。
「俊さん、やっぱり今日、送迎頼んでもいいですか」
発せられた声が思ったよりも小さくて、自分でも驚く。
よくよく考えたら、送迎をお願いする時点で弱気だったかも。決意が揺らいだときのために、初めから逃げ道を断っておく作戦だったんだけどな。
小さい声は俊さんには届いていたようで、「よろこんで」と柔らかな微笑みを向けられた。そのおかげで、今度はいつもの声量が出せた。
「あの、近くで降ろしてもらうだけでいいので。俊さんの用事が終わったら連絡ください」
そう言うと、俊さんは小首を傾げた。
「用事? ……ああ、用事はすぐに片付くので、卒業式が終わったら連絡ください。それより、早く行かないと始まってしまうんじゃないですか」
俊さんは持っていた本を机の上に置き、立ち上がろうとする。それを遮るように私は急いで言葉を発した。
「あの、そのことなんですけど、卒業式に出てみんなと会う勇気はまだなくて。でも一人だけ会いたい人がいるんです。その人から、卒業式が終わったら会わないかって言われてて」
励ましてもらった手前、どう思われるか不安だけど、これが今の私の精一杯だから。ちゃんと向き合えるかは、正直自信がない。だけど、傷つけたままにするのは嫌だから。
「そう、だったんですね。すみません、早とちりしていたようで。じゃあ、僕は部屋にいるので、行くときに呼んでください」
俊さんは、私の言葉を飲み込むようにそう言うと、ソファから立ち上がった。部屋から出ていくのを見送っていると、ドアの前で立ち止まり、こちらを振り返る。
「ちなみに、会いたい相手はどんな人なんですか」
いつもより低い声が耳に届いた。その質問の意図を捉えきれないまま、私は口を開く。
「えと、小学校の同級生で、中高は別だったんですけど大学で偶然再会して、また話すようになった人です。学部は違うんですけど、仲良くしてくれて。大切な人なんです」
俊さんは私の言葉を聞き終えると、「そうなんですね」と言い残して、リビングから出ていった。
どうしてそんなこと気になったんだろう。それに、初めと比べるとだいぶテンション下がってた気がしたけど、私、変なこと言ったかな。
うう、緊張してきた。
俊さんにA棟の近くで降ろしてもらい、内心ビクビクしながら入口付近へ向かうと、すでに人影が見えた。
けど、あの人なのかな。いつもと雰囲気違う気がするけど。
私が進むのを躊躇っていると、人の気配を感じたのか、その人は顔を上げると、私の方へ走ってきた。
え、――だ、誰っ⁉ え、待って、すごい笑顔でこっちに向かってくるんだけどっ。あ、私じゃなくて、後ろに誰かいるパターン? そう思い、後ろを振り返っても誰もいない。いや、むしろいてくれたほうがよかったっ。ど、どうしようっ。
「真優! 久しぶり! 来てくれてありがとう!」
わわっ、私のこと知ってるっ⁉ けど、私は知らないよっ⁉
「ええと、どちら様ですかっ⁉」
「あ、そうだった。今、男装してるんだった。ごめんごめん。紛らわしい恰好しちゃって。奏だよ。あれから心配してたんだ。メッセージも未読のままだったし、大学でも見かけなかったから。でも、真優が生きててよかった!」
明るくて優しい声と、ニカっとした笑顔は、奏ちゃんそのものだった。
走ってきた男の人が奏ちゃんだったとか、男装してるとか、いろいろびっくりすることはあるのに、その言葉と笑顔で、目の前が滲む。
こんなに心配してくれてた友達を、私は失うところだったんだ。自分が傷つくのが怖くて、逃げてばかりで。
申し訳ないやら、ありがたいやらで涙が溢れて止まらない。
「ごめ、なさい。……私、自分、のこと、ばっかりで、……返事、もしなくて」
「あぁー、ごめんごめんっ。全然気にしてないから。でも、連絡止めちゃったら、今度こそ真優と疎遠になっちゃいそうで嫌だったからさ。私が勝手にしてたことだから。真優の負担になってたなら、ごめんね」
そう言いながら奏ちゃんは私を抱きしめる。頭をポンポンと撫でられながら、私は首を横に振った。
「謝るのは私のほう、だから。本当、に、ごめんなさい。……それと、ありがとう」
泣き止むまでずっとそうしてくれていた奏ちゃんの温かさで、感情を抑えるのが余計に難しくなってしまった。
ううっ、目が痛い。
私たちは近くのベンチに移動して桜を眺めていた。私が鼻をかみ終えたのを見て、奏ちゃんが話し始める。
「あのね、私地元で就職したから、なかなか会えなくなると思って、どうしても今日会っておきたかったんだ。この恰好したのも、真優に言っておきたかったからで」
そっか、奏ちゃんも悩んでて。
「奏ちゃんなら、何にだってなれるよ。どんな奏ちゃんでも私は好きだよ」
くぐもった声で私が答えると、奏ちゃんは怪訝な顔をこちらに向けた。
「んん? 別に男子になりたいわけじゃないよ?」
え、違うの?
瞬間、風が吹き、桜が舞う。
花びらが地に着くのを待ってから、奏ちゃんは口を開いた。
「この格好してるのはね、私、大学四年間、男装バーでバイトしてて。どう思われるか不安でずっと黙ってたんだけど、真優には言っておきたいなって思ったからなんだ」
晴れ晴れとした表情で話す奏ちゃんの横顔は、すごくかっこよくて、輝いて見えた。
「そうだったんだ。私、てっきり性別変えたいのかと」
「あはは。それでも好きでいてくれるんなら、私はいい親友を持ったよ」
私は、奏ちゃんからその単語が発せられたことが、ただただ嬉しかった。それと同時に、自分がどうすべきなのかも、わかっていた。
目の前の満開の桜を見上げるも、すぐに地面の花びらに目を落としてしまう。
奏ちゃんも不安だった。それでも、私に言ってくれた。
私、も、ちゃんと、言わなきゃ……。
その思いが強くなるにつれて、唇を噛む力も強くなる。
目の前がまた滲んでくる。
「私、は」
声が震える。
「言わなくていいよ」
私を真っ直ぐに見る奏ちゃんが目に映る。すべてを見透かされているような気がした。
「これは私の自己満足で言っただけだから。真優が言いたくなったら、そのとき教えて?」
優しく響く声に、ただ俯いて頷くことしかできなかった。そんな自分が無性に恥ずかしくて、私は唇を噛み締めた。
「ねえ真優、また、会いたいって言ってもいい?」
「うん。ちゃんと連絡も返す」
「あはは、期待してる。でも無理のない範囲でいいよ」
屈託のない笑顔で、そう言ってくれた奏ちゃんが、私には眩しかった。――相手を思いやれる強さが。信じられる優しさが。
奏ちゃんと別れた後、俊さんに連絡しようとスマホを取り出していると、どこからともなく本人がやってきた。
「俊さん、どうしたんですか」
「用事が早く終わったので、近くの駐車場にとめてきたんです。僕がけしかけた手前、心配で様子を見に来たんですが、必要なかったみたいですね。恋人役を引き受けておきながら、抱き合う仲の男性がいたなんて知りませんでしたから」
そう言った俊さんは、明らかに意図的に作ったような微笑みを浮かべ、目も笑っていなかった。
わあ、俊さんの笑顔が黒いんだけど。王子様スマイルの欠片もないよ。魔王降臨かな。
「って、男性じゃないです。あの子は女の子です! 訳あって男装してただけで」
「男、装? ……女の子。そう、なんですか」
俊さんは目を見開いた後、しばらく自分の中で腑に落としているようだった。
よくわかんないけど、誤解が解けたみたいでよかった。俊さんから出てた黒いオーラも消えたし。それにしても、どうしてそんな誤解なんか。
「私が男性と抱き合うなんて、ありえないですよ」
「……へぇ。じゃあ、僕とも、ありえないですか?」
あれ、また、様子が。
俊さんの目に光がなくなり、口元の片端が引き上げられる。
「恋人役なら、それくらいできないと怪しまれると思いますけど?」
先ほどの黒い笑顔を携えて、挑戦的な視線が向けられる。
ああ、完全に失言だった。どうしよう、魔王を元に戻す方法なんて知らないよ。でもこのままも困るし。この状況を乗り切るには、もうこれしか――。
私は覚悟を決めて、俊さんの腰にそっと腕を回した。
「今日はありがとうございました。俊さんがいなかったら、私、自分を守るのに精一杯で、大切な人を傷つけたままにするところでした」
腕を放し、精一杯の笑顔で感謝の意を表明してみた。
これで許してっ。
「い、行きましょうっ」
私はすぐさま歩き出す。
うわぁぁ、恥ずか死しそう。やってるときより、その後のほうが恥ずかしいかもしれない。顔見れないな、これ。
ズンズン歩いていると、少し冷静になってきて、駐車場の場所を知らないことに気づいた。俊さんに聞こうと振り返ると、少し離れたところをゆっくりと歩いてきていた。
「すみません、先に行っちゃってました。駐車場ってこっちで合ってますか?」
「はい、合ってます」
口元を手で覆いながら返事をした俊さんは、地面に視線を落としたままだった。
あれ、全然こっちむいてくれない。
「もしかして、本当にするとは思わなくてびっくりしたんですか?」
「いや、それもありますけど、真優さんの笑顔、初めて見たなと思って」
え、そっち?
からかうつもりで聞いたのに、あっさりと返事が返ってきて拍子抜けしてしまう。
「私、今までそんなに笑ってなかったですかね」
でも確かに、俊さんの前では涙を我慢してるときが一番多いかもしれないな。
「やっぱり今の、忘れてください」
俊さんはそう言って、桜を見上げながら私より少し前を歩いていった。
そんな俊さんを不思議に思いながらも、私も眼前に広がる桜並木に目を移す。ほぼ満開に咲いているその中に蕾を見つけ、自然と顔が綻んだ。
「私、もっと自分から人と関わろうと思います」
逃げるんじゃなくて、向き合いたい。
「じゃあ、今度のパーティー頑張りましょうね」
「あ……、完全に忘れてました」
前言撤回。嫌だよー、すでに逃げたいよー。
読んでくださってありがとうございましたけのこの土佐煮って美味しいですよね




