第1話 腹黒男子との出会い
いつも通りの時間に起きて、ぼさぼさの長い髪を手で整える。吸い込まれるようにリビングのこたつに入り、スマホを見ていると、お母さんがやってきた。
「おはよう、お昼すぐに食べる?」
「うん」
「今日は大学ないのよね」
「うん」
「授業は二月の初めまでだったわよね」
「うん」
「じゃあ、お見合いでもしてみない?」
「う……ん?」
うっかり肯定してしまいそうになるのを堪え、スマホから顔を上げる。
「今なんて言ったの?」
私の耳も、とうとうおかしくなった? なんか、お見合いって聞こえたんだけど。
「お見合い、してみない?」
お母さんのにっこりとした表情に、私の顔が引きつる。
ああ、残念なことに私の耳は正常だったみたい。
「実はね、おじいちゃんがいつも通ってる喫茶店で、常連さんと意気投合しちゃったみたいで。お相手はその方のお孫さんなんだけど。おじいちゃんにお願いされて、お母さんも断り切れなくて。一回だけでいいから会ってみない?」
え、むり、むりむり、むりむりむりっ! 知らない人とお話なんて、今の私には無理に決まってるよっ。それに、お見合いなんて早過ぎるよっ。まだ二十二歳だよ? もうちょっと平場で挫折してからでいいよ。
断ろうと口を開きかけて、別の考えが頭をよぎった。
それとも、将来のことをちゃんと考えろっていう遠回しな警告なのかな。お母さんには色々と迷惑かけてるから。
お母さんを上目で見ると、にっこりとした表情を浮かべたまま、私の返事を待っているようだった。
とりあえず、一旦話だけは聞いて、その後やんわり断わろう。
「えーっと、相手の人の写真とか、ないの?」
「写真? そういえば、貰い忘れてたわ」
うっかりしてた、とでも言うように、お母さんは目を見開いた。
いやいやいや、お見合いするかどうかなんて、写真が九割じゃないの? 写真がなかったら、抵抗のしようがないよ。
「でも、すごくかっこいい人だったわよ」
あ、写真は見てるんだ。でも、かっこいいかどうかは正直どっちでもいいんだけど。
「怖そうな人だった?」
私の質問に、お母さんは目線を上に向けた。
「そうねぇ、顔が良すぎてむしろ怖いかもしれないわね」
さっきからそればっかりだよ。だけど写真しか情報がないから、しょうがないのかも。
「でも真優も発光具合では負けてないから、自信もって。相手の人は周りがキラキラしてたけど、真優は発光してみえるくらい色白だから」
それはひとえに、ほぼ外に出てないからだよ、お母さん。励ますどころか傷をえぐってるから。
反応のない私をよそに、お母さんは続けた。
「それにお見合いって言っても、懇親会みたいなものだし、そんなに身構えることないわよ。気分転換だと思って行ってみたらどう? 外に出るのは大学に行くときだけだし、ずっと家に籠っててもしんどくなるだけよ。たまには家族以外の人とも話してみたら?」
うっ、それを言われるともう手詰まりだよ。今まで何も言ってこなかっただけで、やっぱり思うところはあったんだなぁ。
私はこたつ布団を顔の半分まで引き上げた。前方から感じる視線に耐えかねて、私は口を開く。
「お見合い、するよ」
渋々承諾すると、お母さんの顔が輝いた。
「よかった、実はもう日付も決まっててね。二月の初めの土曜なんだけど」
その発言に私は言葉を失う。
え、それって元から私に拒否権なんて、なかったってこと? もしかして乗せられた?
お母さんが嬉しそうに、なにやらしゃべっているのを、私はただただ呆然と見ているほかなかった。
知らないところで話は進み、あっという間にお見合い当日。三日ぶりの昼間の日差しを浴びながら、私は立ちすくんでいた。
お母さんが送ってくれたのはいいけど、いかにも高級そうなお店に着いたんだけど。本当にここで合ってるんだよね?
突っ立っていても太陽の眩しさに浄化されるだけなので、日陰を求めてお店の中に入る。受付で名前を言うと、部屋まで案内してもらえた。どうやら完全個室のお店らしく、その雰囲気に圧倒されている間に部屋に到着していた。
き、緊張するっ。大丈夫、落ち着けー、私。一時的に異世界転生しただけで、これが終われば平穏な日常生活に戻れるからっ。戻ったら漫画読めるからっ。
意を決してふすまを開けると、中には既に人がいた。
「お、お待たせしてしまい、すみません」
私が咄嗟に頭を下げると、優しそうな声が聞こえてくる。
「いえ、僕が早く来すぎただけですから。お気になさらないでください」
頭を上げると、緩くウェーブした髪にスーツ姿の、大人の雰囲気を漂わせた男性が座っているのが見えた。
え、待って待って、お母さんはすごくかっこいい人だって言ってたけど、これはなんていうか、二次元から出てきたんですか?ってくらいの、整った顔立ちをしておられるのですが。
立ちすくんでしまいそうになる足を何とか動かして、席に着く。
「澤村俊といいます。今日は、来てくださってありがとうございます」
そう言って上品に微笑んだ顔は、アニメに出てくる王子様キャラのようだった。
ひょえぇ。こ、こんな、今まで出会ったことのない世界の住人と、何を話せばいいのっ。と、とりあえず、私も名前を言わないとっ。
「えっと、斎藤真優といいます。よろしくお願いします」
軽く会釈をして顔を上げると、こちらを見ていた澤村さんと目が合った。澄んだ瞳に見つめられて、咄嗟に目を逸らしてしまう。
「以前からお話したいと思っていたので、お会いできて嬉しいです」
明るい声で告げられたその事実に、私は視線を戻した。
「えっ、澤村さんが会いたいっておっしゃったんですか?」
てっきり、この人も私と同じで、無理やり参加させられたんだとばかり思ってたんだけど。
「はい、そうなんです。ご存じなかったんですね」
ご存じないですぅ。知ってたらお見合い受けなかったよぉ。もしかしたら、お母さんが言ってたのかもしれないけど、お見合いが嫌すぎて、ろくに話も聞かずに来たから。
「あ、あの、どうして、私に会いたいなんて思われたんですか?」
どこで血迷ったんですか?
「斎藤さんのことを偶然見聞きした際に、可愛らしい方だなと思いまして」
顔色を変えず、さらっとそう言った澤村さんに、私は目を丸くする。
よくそんなこと面と向かって言えるなぁ。でも、どうしよう。私に好感をお持ちだとは思ってなかったから困ったな。お断りしなくちゃ。……でも、私から断って角が立つのも嫌だし、相手のほうからお引き取りいただく感じが一番いいんだけど。
どうしようかと思案しているうちに、澤村さんの声が聞こえてきた。
「とりあえず自己紹介をしましょうか。僕は会社員をやっていまして、二十八歳になります。趣味は本を読むことですかね。なので、休日は家で読書をしていることが多いです。斎藤さんにもお聞きしてよろしいですか?」
「え、は、はい。えと、大学生で、この三月で卒業予定です。二十二歳です。趣味は……お菓子作り、です。休日は、家にいることがほとんどです」
あー、噓ではないけど、だいぶ上澄みだけ掬ってお出ししてしまった。本当の自分を知られてどう思われるのかが怖くて、つい。
そこまで思って、妙案が浮かんだ。
そうか、ダメなところを知ってもらったら、きっと澤村さんのフィルターも外れるはず。
私は、スカートの上に置いた手に力を込め、さっきは掬わなかった真ん中辺りを一気に取り出す。
「あ、あの、お菓子作りが趣味って言ったんですけど今はそんなにしてなくて。それに、大学がない日は部屋に籠って深夜まで漫画やアニメを観てだらだらしてて」
はあはあ。早口で話したら息が。でも、どうだっ。こんな、嘘ついてた上に、だらしがない子なんて、やめといたほうがいいですよっ。
私は手に力を込めたまま、澤村さんの反応を待った。
「そうだったんですね。熱中できることがあって、素敵だと思います。それに、本当のことを話してくださって嬉しいです」
へあっ、なんでそうなるの!? だめだ、全然微動だにしてないよ。上品な微笑みを浮かべたままだよ。なんなら私のほうにダメージが。自分のダメさに向き合わされて、しかもそれを赤の他人に晒すなんて、とんだ自傷行為だよ。でも、今後の心の平穏のためには、今、身を削らないとっ。
私はスカートを握り、心の奥の沈殿物を無理やり取り出す。
「あ、あのっ、さっき、大学卒業予定って言ったんですけどっ、就職先、まだ決まってなくて。このままじゃ、ニートまっしぐらなんです。その、就活で、挫けてしまって。このままじゃダメなのは、わかってるんですけど、どうしても、動けなくて」
勢いがよかったのは初めだけで、だんだんと声が小さくなっていくのがわかった。わかっていても、どうしても声は小さいまま。震える声を押しつぶすように唾を飲み込む。
「それに今は、あんまり人と、関わりたいとは思えなくて。大学に行く以外は、ほとんど家に籠ってて。大学でも、誰ともしゃべってなくて。なのでこんな……社会から外れる未来が見えてる人間なんて、やめたほうが、いいと思います」
ああ、自分で言ってて虚しくなってきた。もう何もかも投げだして帰りたい。
しだいに下がってしまった視界には、ぼやけた机が映っていた。視界が揺れる。零れ落ちそうになるものを必死に我慢していると、澤村さんの声が耳に届いた。
「辛いことを思いださせてしまったようで申し訳ありません。そんなに自分を傷つけないでください。あなたを困らせたかったわけではないんです。実は、お見合いというのは名目で、業務に適切かどうか見させてもらっていたんです」
――え?
私は驚いて顔を上げる。
「家政婦として、僕の家で働いていただけませんか」
――――へ⁉
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