「……フラグ? 何ですそれ?」
三者面談後。
なんと誘拐の主犯であるニシャプール様が白昼堂々姿を現したとあって、俺は家から出ることを即刻禁じられた。
部屋には兄が常駐するようになってしまったし、部屋から出るときも、怖い顔をした兄がどこまでもついてくる。今も俺のいるトイレのドアを挟んだ向こう側には、兄がいるはずだ。10歳の妹のトイレを出待ちする7歳上の兄とかどう考えても絵面がヤバいので、ごめんとしか言いようがない。
しまったな……。買い物に行ってくるとでも言って、また基地に行こうかと思ったが……このままだと兄もついてきそうな勢いである。うーん。
俺は、振り返り、背後を見た。トイレの上の方には小さな窓がある。あそこからなら脱出できそう。俺は、いつもぶら下げているポーチに向かって、そっと声を掛けた。
「モッちゃん、あそこからわたしを連れていける?」
すると、キュー、と鳴き声を上げながら、モッちゃんがもそもそとポーチの中から這い出してきた。ぶるぶると震え、羽をゆっくりと広げる。というか、ポーチの中は相当に窮屈だったんじゃ。これからはリュックを背負うことにせねば。
そして、モッちゃんは、俺の袖と襟に頭を突っ込み、何やらごそごそと動き始めた。ちょっとくすぐったい。何やってるんだろ。
しかし、顔を上げたモッちゃんの口には、発信機が2つ、くわえられていた。なんと。さすがニシャプール様の腹心だけあって、できる部下だった。
そしてモッちゃんは、しがみついた俺を乗せ、モッちゃんはもぞもぞと壁を這い上り、トイレの小窓から空へ向かって舞い上がる。
まばゆい太陽の光に、一瞬、目がくらんだ。そして、ぱたぱたという羽音と、ふわりとした浮遊感。下を見ると、地面がどんどん遠ざかっていく。……いや浮いてる!? 普通に飛んでる!? モッちゃんって人1人乗せて飛べるの!?
そして無事に基地に戻った俺。
ニシャプール様とマシロさんは手を広げて迎えてくれた。モッちゃんも、ニシャプール様に頭を撫でられ、御満悦にキュッキュッと鳴いている。
「あれ? 莉名も何かご機嫌じゃない?」
「モッちゃんとの空の旅が楽しすぎて」
実際、最初の方は怖くてがっしりとしがみついていたけれど。ぱたぱたというのんびりした羽音と、モッちゃんのふわふわの手触り、空から見る景色などは、とても楽しかった。
まるでミニチュアみたいに眼下に広がる街の建物と、足元に小さく見える道路、そこを行き交う点々みたいな人の姿。
「莉名、ひょっとしたらモッちゃんと相性いいのかもね。あとで素体検査してみる?」
「素体検査って何ですか?」
「怪人とか正義の味方って、素体と適合して、自分だけの姿に変身するわけだけど。みんな変身できるわけじゃないの。素質がある者は一握りだし、変身できる姿は決まってる。それを調べるのが、素体検査。才能はだいたい遺伝で決まるし、リズンスターの子供だから、素質はあるはずよ」
ああ適性検査か。俺が前されたやつじゃん。でも俺って「素質なし」だったんだよなぁ。あれから俺の扱いが変わってしまったので、結構なトラウマとなっている。まあ、2人は素質がないからって俺への対応を変えたりはしないだろうけど……。
「そういえば、ニシャプール様って何の怪人なんですか?」
確か、マシロさんは「虫系怪人だ」みたいなことを言ってたはず。虫、虫かぁ……。種類によってはちょっと聞くのが怖いかもしれない……。
すると、ニシャプール様は、少し腰の引けた俺を、じろりと睨んだ。
「何を考えてるか丸わかりね。残念でした、私はコマユバチよ」
「こまゆばち? ってどんな虫なんですか?」
「ハチの一種で、もともとは、特定の虫に卵を産み付けて、その死体を操るらしいです。まあ、ニシャプール様は、素体を含めた無機物全般を操れますですが」
マシロさんが補足してくれた。……なるほど……。確かになんか悪の組織っぽいし……最終的に絶対退治されそうな能力だ。言わないけれど。
……ん? 無機物全部? ……全部!? それってヤバくない?
するとニシャプール様は、なぜか悩ましげな表情で、深々と溜息をついた。
「操るなら死体が一番いいんだけど、正義の味方って、だいたい死なないじゃない? 操れないじゃない? そうすると、無機物で頑張るしかなくて」
俺の生物学の知識が、「死体であろうと生物は有機物であるはずなのに、なぜ無機物を操れるのだろう」と疑問を囁いてきたが、辛うじて別の質問を口にする。
「やられた怪人を操るとかはしなかったんですか?」
「やられた怪人って、なぜか全員爆発するから、死体も残らないの」
「なぜか」
「そう。ドクターも頭抱えてたわ。そんな機能ないはずなのにって」
確かにそれは怖いだろう。だって、理由は分からないけど爆発するってことだろ? 不発弾よりたちが悪い。
ニシャプール様は、困ったような顔で付け加えた。
「それに、怪人って、みんな私の同僚だったから……。なんか嫌じゃない? 同僚の死体を操るのって。……こう、安らかに眠らせてあげたいというか」
そして、マシロさんも、珍しく褒めているのが分かる口調でニシャプール様を振り返る。
「でも、無機物全般操れるのは凄いですよ。一瞬、ロボも操ってましたですもん」
ロボとは、巨大化した怪人に対抗するために、正義の味方が作り出した巨大兵器の名である。いくつかの補助マシンが合体し、複数の正義の味方が乗り込んで操縦する。あれを操れるなら、もう無敵なんじゃ……?
しかし、ニシャプール様はがっくりと肩を落とした。
「突破されたけどねー。ぜったい勝ったと思ったんだけど……」
「意思に目覚めたロボに支配を打ち破られるという熱い展開だったです」
真面目な顔で補足してくれるマシロさん。ああ、そういえばそんなことがあったような……。あれニシャプール様だったんだ。
ニシャプール様は、負けたときの記憶が蘇ってきたのか、部屋の隅で膝を抱えながら、ぶつぶつ不満を述べ始めた。
「熱い展開とか言わないで。あの後、ロボに踏みつぶされたし」
「なんで生きてるんですかね? 『私の支配からは絶対逃れられないわ』とか直前に言ってたから、余計に哀れだったです」
「フラグってやつですね」
俺も補足してみたけれど、マシロさんは不思議そうに首をひねった。
「フラグ? 何ですそれ?」
……あれ? 知らない? 何でも知ってるマシロさんが?
さて、落ち込んでいたものの、しばらくして復活したニシャプール様は、俺に満面の笑顔で命令を下した。相変わらずの切り替えの早さだった。
「じゃあ、じゃあ、リズンスターに次のことやらせましょ! えーっと、次は、『一緒に買い物に行く』だって!」
「せっかく来たばかりなのに、また家に帰さないといけないやつじゃないですか。追跡されてここに来られたら、全滅ですよ」
「じゃあ、しばらくここで遊んでから帰る? なんかピリピリしてそうだものね」
ピリピリさせているのは、行方不明になりまくる俺のせいなので少々コメントはしづらかったが、頷かせてもらった。うん、ちょっと家の雰囲気が普段と違って落ち着かないのは確かだから。あと、トイレの前に放置してきた兄が怖すぎるのもあった。
「それに、追跡されたとしても、いいわ。今のあいつに負ける気が全くしないもの」
ふふん、と言い切るニシャプール様。そういえば、俺も聞いてみたいことがあった。
「この前、お父さんに何で勝てたんですか? 圧勝でしたけど」
「あんなのに負けてたまるか」
「いや、意地で勝てるものですか? だって5戦5敗だったんですよね?」
俺が重ねて尋ねると、初めて、ニシャプール様は真面目な顔で考え込んだ。そして、ふっと顔を上げる。
「なんかね、これまであいつと戦った時って、変だったの」
「変?」
「肝心なところで力が抜けるっていうか。でも今回はそれがなかったから……。正直、ぶっ飛ばしたときは気持ちよかったわ」
「なんでそのままとどめさしてこなかったんです?」
マシロさんが文句を言うと、ニシャプール様は困ったように眉を下げた。
「だって、あんなのでもいちおう団員の父親だし……私、部下の家族まで皆殺しとかそういう冷酷な首領を目指してるわけじゃないから……」
「……莉名さんの入団認めたの、やっぱり考えた方がよかったんじゃないです?」
その後、せっかくだからもう一度やってみようと、俺の素体検査が行われた。ぺたぺた、と何やら機材をお腹や腕に沢山貼り付けられ、ラボの手術台に横たわる俺。上から照り付けるライトがすごくまぶしい。
横では、わくわくした表情でこちらを見つめるニシャプール様と、画面を無表情のままで見つめるマシロさん。やがて、マシロさんが口を開いた。
「素質ありです」
「ありだって! 聞いた!?」
「聞きました!!!!」
素質あるじゃん!!!! なんだったんだよ素質ないって!
「ちなみに虫系です」
「虫だって! お揃いね!」
……虫系!? どどどどどうしよう。にょろにょろしたのとか、カサカサ動くあれだったら……。
どうか、どうかそれ以外でありますように!! ま、まさか……。そういうヤバげな虫の能力だったから、素質がないみたいに言われたのか……? あれはまさか、基地のみんなの優しさだった……?
俺は、真剣に神に祈った。さっきまでの、「素質があったらいいなぁ」くらいに軽く考えていた時とは段違いの危機感だった。こんなに真剣に祈ったのは、前世を含めても、受験の合格発表のときくらいしかない。
そして、画面に向き直っていたマシロさんが、くるりとこちらを向いた。その顔は、気の毒なものを見つめるような、面白そうな物を見つめるような、正直言って何考えてるのか全然わからない表情だった。
ニシャプール様も、ごくり、と固唾をのんで見守ってくれた。えっと、それで? 俺はいったい何の虫なんでしょうか……?
「ハチノスツヅリガ、だそうです」
「はちのすつづりが……?」
えっと、つづりが、ってことは、「蛾」? あっよかった。俺は本気で胸を撫でおろす。隣で、ニシャプール様も、「だからモッちゃんと仲が良かったのね」と納得した顔をしていた。
「確か、世界で一番耳のいい生物だったです。あと、ビニール袋や廃棄物を食べるとか」
ほうほうなるほど。マシロさん知恵袋はなんでも知ってるなぁ。
俺が感心していると、知りたくなかった豆知識まで追加された。
「ちなみにがっつり害虫です。特に幼虫は、ミツバチの巣箱を荒らすので農家の方々からは目の敵にされてます。あと、魚釣りの餌にも使われますね」
「幼虫ってつまりわたしじゃないですか……」
「まあ、莉名さんは人間なので関係はないかと。でも、蜂蜜を食べるのは注意した方が良さそうです。素体に本人が影響を受けることもありますから」
あっさりと話を締めくくったマシロさんは、俺の全身に付けられた装置を、カチカチと手早く外し始めた。ニシャプール様もニッコニコの笑顔でこちらを見つめている。
「すごいすごいすごい! じゃあ、後で素体の使い方を教えてあげる!」
そしてテンションの上がったニシャプール様は、記念を残そうと言い出し、俺はニシャプール様とその場で記念撮影を行った。ラボの手術台から上半身を起こした俺に抱き着き、思い切りピースするニシャプール様。
俺も一応合わせてピースしておいたが、うまく笑えていた自信はない。事実、マシロさんが見せてくれた写真の中の俺は、眉を下げ、困ったように笑っていた。
「そういえば、マシロさんはなんの怪人なんですか?」
「あたしはそこまで怪人の素質はなかったのです。本格的な変身はできませんよ」
「マシロの変身も後で見せてもらう? 可愛いわよ!」
「えっ見たいです!」
俺とニシャプール様がわいわいと盛り上がっていると、マシロさんはじとりと横目で俺たちを見てきた。あっいかにも乗り気じゃなさそう。
「勝手に決めないでほしいのです。変身なんて見せませんよ」
「お願いマシロ! 莉名の参考になるかもしれないし!」
「マシロさん! 今週の献立、マシロさんの好きなものにしますから!」
すると、マシロさんは意外にもあっさり頷いた。献立に釣られたとかではないと思う。……たぶん。
「普通なら見せませんが、まあ、莉名さんの頼みなので特別に見せてあげるのです」
マシロさんはホールに戻り、俺に向き直った。
……変身って、どんな姿になるんだろう。想像の中では、マシロさんは人間大の猫になり、にゃーっと俺にじゃれついてきていた。可愛い。マシロさんは性格的に猫だと思う。何となく。
しかし、しばらく待ってみたけれど、マシロさんは人間のまま。眉をしかめ「んー」と何やら唸っている。そ、そんなに変身って大変なの……? 頼んだの悪かったかな……。
そして、マシロさんがなおも目を閉じてうんうんと力んでいると、ポン! と軽い音が不意に鳴った。同時に、マシロさんの頭の上に、白い帽子がちょこんと乗る。
黒いつぶらな瞳と、小さなくちばしのついた帽子だった。
顔文字で言うと(・▴・)みたいな。えっかわいい。
「あたしはシマエナガ怪人なのです」
「マシロさん!!!!! その帽子ちょっと触らせてもらっていいですか!? ちょっとでいいので!!!!」
「莉名さんの目が怖いので嫌なのです」
マシロさんの周りでぴょんぴょんと飛び跳ねる俺。しかし、悲しきかな、背の差により帽子には一向に手が届かなかった。でもあれ絶対ふわふわだと思う。触りたい。具体的には3時間くらい。……あれ? よく考えたら、触らせてもらえないのは当然なのか……?
「シマエナガって確か冬の鳥でしょ? なんで寒いの苦手なのよ」
「ニシャプール様だって、ハチなのに蜂蜜以外も食べてるです」
俺の頭上で、2人が喋っているのを聞きながら、俺は秘かに決意した。俺の変身は、マシロさんみたいな可愛い感じを目指そう。絶対!
「ほら、力の使い方を教えてあげる。リズンスターのやつに、成長したところ、見せてやりましょ!」
「……はいっ!」




