「ここに、お父さんにやってほしいことを書きなさい」
ニシャプールさんは離れながらにして俺の家の様子を確認できるらしい。どういう原理なんだ……?
「情報処理局で培った技術よ。撮影係も向かわせたし」
「技術っていうか、ニシャプール様の能力ありきですけどね。……あ、映りましたです」
映った画面の中で、父はいつものように顔をしかめ、朝ご飯を食べていた。というか、俺がいなくてもしかめっ面なんだ。ちょっとそれに安心する。
一方、ニシャプールさんは大いに憤慨していた。バンバンとテーブルの縁を叩いている。いつも叩いているのか、テーブルにはよく見ると細かい罅がいくつも入っていた。
「なんて不快な顔で食べるの……作ってくれた人に謝りなさいよ」
「あれは冷凍食品なので、作ったのはたぶんお父さんです」
「じゃあ自分に謝れ! ……でも変ね。確かに、あんまり心配してる感じも……」
「あ、出かけていきましたです」
父はスーツに着替え、外に出て行った。おそらく、いつものお仕事(公園のブランコの上でゆらゆらと揺れる作業)に向かったのだと思われた。
「あなたを探しに行ったんじゃない?」
「スーツで、です?」
確認したいことがあったので、ニシャプールさんにお願いしてみる。
「わたしの部屋に行ってみてください。階段上がって、そっちの角曲がって左です」
すると、ぐらぐら、と画面が揺れ、移る景色が変わり始めた。おお、頼んでみるものである。撮影係と言っていただけあって、移動可能なんだ。
「何この家。この基地の半分くらい大きいんだけど。何人いるの?」
「わたしとお父さんとお兄ちゃんの3人です」
「すっくな! 少ない! ……あれ? お母さんは?」
「わたしが小さい時に亡くなったらしいです。写真がないので、顔も分かりません」
俺が何気なく言った言葉を聞いて、ニシャプールさんの表情はぴしりと固まり、マシロさんはゆっくりとニシャプールさんを振り返った。
「あーあ、ニシャプール様……あーあー」
「……ごめんなさい。軽率だったわ」
「いえ、気にしません。……あ、ここです」
閉まったドアには、「莉名」と無機質なネームプレートが貼ってある。 見慣れた、俺の部屋だ。いや……俺の部屋、だった。
「入れますです?」
「密閉されてなきゃいけるわ。よっと」
一瞬暗くなったかと思うと、部屋の中が映し出された。
「置き手紙、してきたんです。……ほら、やっぱり見てないみたい」
机の上の手紙は、置いてきた時のままだった。 父は、俺と関わろうとしないから、部屋にも入ってこない。机に置いてある写真立ての中では、若い父と、前世を思い出す前の俺が、きらきらした顔で笑っている。
「……ま、帰ってきたら読むんじゃない? 私たちも朝ご飯にしましょ。あなたも一緒にどう? 缶詰ばっかりじゃ味気ないだろうから」
「わたしも食べていいんですか?」
「だって、1人だけ端っこでいられると逆にこっちが辛いもの」
「……あの! せめてわたしも手伝っていいですか?」
すると、振り返ったニシャプールさんは、どこか優しい笑みを浮かべた。
「なら、さっさと寝袋を片付けることね」
朝食は、卵焼きとアジの干物とごはんとお味噌汁だった。地下の調理スペースには小さなガスコンロと炊飯器があり、かろうじて人が暮らしている感が漂っていた。鉄骨むき出しの梁に吊るされた蛍光灯がじじ、と音を立てている。
ニシャプールさんはなんと卵を片手で割れるらしい。俺が尊敬の目でニシャプールさんを見つめると、彼女はその後5個連続で卵を割って、マシロさんに怒られていた。
「そんなに怒らないでよ。悪かったから。……じゃあ、いただきます。あなたもほら、食べるときは、いただきます、よ」
俺も、そう言われて手を合わせる。誰かと一緒に食べるのは、久しぶりだった。 ニシャプールさんが、魚の骨をお箸で綺麗に外しながら尋ねてきた。
「リズンスターの娘ってのは聞いたけど、そういえばあなた、名前は?」
「都倉莉名、です」
「じゃ、莉名って呼ぶわ。ともかく、リズンスターが心配してたら帰るのね? ま、今日も戻らなきゃさすがに気づくでしょ」
その日、父は、結局遅くまで帰ってこなかった。帰宅後、父は、俺の部屋の前まで来て、何度かノックをした後、肩を落として去っていった。 それを見て、ニシャプールさんは、何度も地団太を踏んだ。
「さっさと開けなさいよ! で、手紙読め!」
「娘が食べてないのに気づかないんですかね?」
今思ったんだが、これ、俺が普段使ってる靴を玄関に置いてきたのも関係してる気がする。いや、家出するなら丈夫で歩きやすい靴の方がいいかと思ってつい……。
家出4日目。全く同じ光景が繰り返され、ニシャプールさんは呆れたように口を開く。
「あいつ、戦いすぎて情緒が壊れちゃってるんじゃない? 私が昔カブトムシの幼虫飼ってた時もあれほど無関心じゃなかったわよ? ていうか、なんで冷凍食品しか食べてないの……」
「普段はわたしがごはん作ってましたから」
「……は? あなたが? その年で?」
「はい。5歳から作ってました。お父さんは家事が苦手なので」
そういえば、今って兄は強化合宿中だっけ。兄は冷たいけど会話が完全にないわけではないので、いればここまで事態が長引くことはなかった気がする。
一方、ニシャプールさんは、口に運んだものが食べる直前で実は食品サンプルだったことに気付いた、みたいな怪訝な顔で、何度か首をひねった。
「……マシロ! ちょっと来て! なんかこの子、変なこと言ってる……」
ニシャプールさんが、少し離れたところで作業をしていたマシロさんを呼ぶと、マシロさんは白衣をパタパタと翻し、駆け寄ってきてくれた。
「はいはい。なんですか?」
「この子ね、5歳からリズンスターの食事作ってたんだって」
「……は?」
「掃除と洗濯もわたしの役でした。でも、それはわたしがやりたいって言ったからで……」
「……マシロ……この子の家、正義の味方なのに闇が深いの……」
「道理で、片付けとか洗い物とか、慣れてるなと思ってましたです」
家出5日目。昨日と同じ。もはや、ニシャプールさんの表情には諦めが浮かんでいた。マシロさんは、もはや画面を見ようともしなくなっていた。
「あいつ、どこに何しに行ってるの? ちょっと追跡してみようかしら」
「あ、止めた方が」
「なにそれ? ひょっとして機密? なら追いましょ!」
父は、公園のベンチで座ってぼーっと空を眺めていた。あ、ブランコで揺れるのはやめたんだ。
何組もの親子連れが父を見て、そそくさとその場を離れていく。さすがに公園で昼間から空を眺める不審者が正義の味方だという発想には至らなかったらしい。あと多分、父には全くもって全然関係ないと思うけれど、公園の入口あたりには「不審者に注意!」という真新しそうな看板が立てられていた。
ニシャプールさんは、両手で頭を抱えながらテーブルに突っ伏し、疲れたような声で呟いた。
「なんか見てて辛くなってきたわ……いたたまれないっていうか。探す気配もないし……結局、見ても何してるかは全然わからないし……」
「まあ、そうだろうなって思ってました」
すると、ニシャプールさんは、なぜか顔を真っ赤にして怒り出す。
「莉名も怒りなさいよ! 私もね、あいつが戦いで忙しいとかなら、こんなこと言わないわ! でも見たでしょ!? 今のあいつより、噴水の亀の方がよっぽど活動的だったわよ!?」
「きっと、戦わない生活が久しぶりすぎて、どうしていいかわからないんですよ。あと、わたしとどう話していいか、とかも」
すると、ニシャプールさんはじたばたと足踏みした。顔もくしゃくしゃになっているので、けっこう本気で怒っているみたいだ。 「もう! もう!」みたいなことを言っている。
「……仕方ない、です」
「仕方なくない! 娘が悪の組織の本拠地に監禁されてるのに、気づきもしないって! バッッカじゃないの! 娘が大事じゃないのかしら!? あなた、腹が立たないの!?」
「そんなこと言っても困らせるだけです。ほら、あたしたちは関係ないんでしょ、行きましょ。あと監禁とかしてませんから。いつでも出て行っていいです」
ニシャプールさんはマシロさんに襟首をつかまれ、ずるずると引っ張られていった。
――「腹が立たないの!?」というさっきのニシャプールさんの言葉が耳の奥に響く。
正直、怒りは全くなかった。最初は確かにちょっと凹んだけど、今は「まあでも、そうだよな」という感じ。だって、生まれ変わったら№1ヒーローの娘だったなんて……。冷静に考えると、なぁ。さすがにありえなくないか?
正義の味方の家族(仮)として働くのはけっこう楽しかったし。途中で放り出されたとしても、今まで育ててくれてるわけだし、そこまで問題ないような気も……。
そのとき、ニシャプールさんが、カッカッ! と足音高らかに戻ってきた。
そして、苦々しい顔で、キッと画面の父を睨みつける。くるりと振り向いたニシャプールさんは、俺に紙とペンをぐいっと押し付けてきた。
「ここに、お父さんにやってほしいことを書きなさい。私が何とかしてあげる」
それを聞いて、追いかけてきたマシロさんは、じろりとニシャプールさんを睨みつけた。
「何で手伝うんですか? そろそろはっきり言いますけど、意味わからないです」
「だって腹立つじゃない! 人の組織ぶっ潰しといてあんな駄目人間になってるなんて……首領も浮かばれないわよ」
「いや、幸せでもそれはそれで腹立たないです? 全然共感できなかったので、あたし手伝いませんから」
「……マシロ……」
マシロさんの不参加を聞いて、なんとニシャプール様は泣いた。
子供みたいにぐすぐすと部屋の端で膝を抱え、しばらく落ち込んだ後、突然はっと嬉しそうな顔をするニシャプール様。その目は真っ赤だった。そして、嬉しそうにマシロさんにタタッと駆け寄ってくる。
「マシロ聞いて! 私、すっごくいいこと思いついちゃった!」
「すごく嫌な予感しかしませんが、なんです?」
「この子、私たちの組織のメンバーにしましょ!」
俺とマシロさんは思わず顔を見合わせた。マシロさんもポカンとしている。
「……なんで2人ともびっくりしてるの? 両手を上げて喜びなさいよ」
「いや、なんでそうなるのって疑問しかないです」
「だってこの子が仲間になったら、手伝っていい理由になるでしょ? 例えば、マシロが困ってたら、私、何でもするもの!」
「…………。あたし、子供を真剣に勧誘してるニシャプール様を見てると涙が出てきそうです。ほら、あなたも悪の組織に入りたくなんかないでしょ?」
マシロさんが、嫌そうに、俺をつんつんと突っついてくる。お前が断れ、というメッセージがその指先から伝わってきた。
俺は、改めて考えこむ。
別に俺って正義の味方の娘じゃないから入ってもいい、のか……? 悪い人たちじゃなさそうだし。それに、俺って行くあてもない上、今日の食事にも困ってるくらいだもんなぁ……あ。
そこで、俺は前に見た勧誘文句を思い出した。――「もれなく3食美味しいごはんつき」。
「いえ、ぜひ入らせてください!」
「えっ」
マシロさんが、大きく口を開けた。は? は? みたいなことを小さな声で言っている。ニシャプールさんは、腰に手を当てて笑い、大きく胸を張った。
「さっそく入団式しましょ!」と叫んだニシャプール様は、どこからか取り出したマントをはためかせ、ニッコニコの笑顔でこちらを振り向いた。そして俺は無事に幹部バッジを授与される。ちなみに幹部バッジのシステムも、入団式も、さっきニシャプール様が思いついて導入したものらしい。すぐ忘れるんで即廃止になると思います、とはマシロさん談。
「あらためて、ニシャプール団へようこそ! 私が首領のニシャプールよ。で、莉名はNo.3ね。これは縁起のいい数字なの。なんたって、前の組織で生き延びた幹部はNo.3だけなんだから」
「元No.3でしょ。それにその理屈で言うとNo.1とNo.2は死ぬんですが」
「それで、こっちがマシロ。組織ではドクターの補佐をしてた子よ。私の部署にもよく顔を出してくれてたの」
マシロさんは、ぺこりと、下がってるかどうか判別が難しいくらいに頭を下げてくれた。ちなみに今はフェイスシールドは被っていない。入団式は正装で! とニシャプール様に言われ、渋々ながらに外していた。あれは正装じゃないらしい。
素顔のマシロさんは、柔らかい口元と鼻筋のすらりとした、ショートカットの美人だった。ただ、アンバランスなほど丸い大きな瞳が、無機質にこちらをじっと見つめている。なんだかゲッソーとかスライムを思い出させる、デフォルメされたみたいな目だった。
「マシロです。改造手術に興味があったのに結局手伝わせてもらえなかったことを、未だに根に持っています。で、よく顔を出してたって件ですが……ニシャプール様が変なことしないように見張っておけと密命を受けていましたです」
「初耳よ!?」
ニシャプール様はショックを受けたらしく、マシロさんをプルプル震えながら見つめた。
一方、マシロさんは、ふう、とため息をつき、俺を見て、少しだけ笑った。
「まあでも、こうなったからには、よろしくです。2人だと、悪の組織って感じはしなかったですから。ま、3人でもしないですけどね」
おお。マシロさんは反対派だと思っていたが、歓迎してくれるみたい。ちょっと嬉しい。
ニシャプール様は、入団祝いだと言って、ジュースを入れたコップを3つ用意してくれた。ニッコニコに笑いながら腰に手を当て、ニシャプール様はコップを掲げる。
「ということで、あなたの加入のおかげで、新生ニシャプール団もようやく船出の時を迎えたってわけ! 歓迎するわ! これで我が団も安泰ね!」
その瞬間、壁に掛かった時計がボトッと落ちた。ホールにどこからか黒猫が現れ、「にゃー」とだけ鳴いて、姿を消した。
「えー、コホン。私が首領のニシャプールよ。まず、組織の理念と目標を発表するわ」
ガシャン! パリン!
「悪の組織たるもの、全員笑顔を忘れないこと……なんか壊れなかった?」
「棚に置いていたニシャプール様愛用のカップが粉々になっただけです。続けてください」
「え? 落ちたわけじゃなかったわよね? そんなことある?」
「……なんだかさっきから不吉ですね……」
すると、ニシャプール様もマシロさんも、あんまりピンと来てない感じの顔だったので、俺は口を閉ざした。
ニシャプール様は、愛用のカップが粉々になったことを一瞬悲しんだものの、「まあいいわ!」と言い、満面の笑みでコップを手に取った。切り替えが早い。
「えーっと、理念だっけ……理念……? ……あ! 友達を大事にすること! なんたって、ここにいる私たちは、友達で仲間なんだから!」
「学級目標です?」
「あとは、あとは……生きてる間に私の銅像が建てられるくらい、有名になること!」
理念に困ったらしいニシャプール様からは、早くも個人的な野望が語られた。
「だいたい、銅像になるのって死んだあとじゃないです? 殉職しても、作成期間考えると2か月くらいは欲しいところです」
「えっ……死んだとして、そんなすぐ銅像建てる? なんか逆に死を悼んでないみたいな感じしない? ハチ公だって、死後2か月で銅像建てられたら微妙な気持ちになると思うわ。ほら、こき使われてる感みたいな」
俺はなんとなく、スマホをポチポチして調べてみた。……あ。
「ニシャプール様、銅像建てられたときに、ハチ公ってまだ生きてたらしいですよ」
「あれ存命中に建ったの!? 駄目、やっぱり複雑よ! 銅像はなし! ニシャプール団は銅像禁止!」
ニシャプール様の二転三転する銅像論に対し、マシロさんがあっさりとけりをつけた。
「わかりましたです。ニシャプール様が死んだらわんさか建てますので、死なないでください」
さて。俺は悪の組織に入団したお祝いにと、父にやってほしいことを紙に書くことになった。書いたことを、ニシャプール様とマシロさんが実現させてくれるらしい。
少しわくわくしてしまう。どうも、俺も体に引きずられるときがあるというか、普通の家族として過ごしたいと強く感じるときも、ないわけではないのだ。あ、でも大事なことを忘れてた。
考え込んだ俺に、ニシャプール様が優しく声を掛けてきた。
「どうしたの? いっぱいあるなら、いっそ全部書いちゃいなさい」
よく考えると、普通の家族って枠だと俺は外れるか。兄と父だけが家族らしいから。とすると……。「体に気を付けてほしい」くらいしか書くことがないな……。
しかし俺が、「体に気を付けて、元気でいてほしい」とだけ書くと、ニシャプール様はくしゃくしゃっと顔を歪め、マシロさんは黙って天を仰いだ。いったいどんな感情なんだ。




