「あなたも悪の組織の戦闘員になりませんか?」
さて、父の話を総合すると、悪の組織のアジトの入口があると思われる場所は、この辺りだが……。やらかしたかもしれん……。
歩き回って既に3時間。どこか浮ついた気分だった俺は、ふと現実に戻された。俺は、雨がぽつぽつと降ってきた灰色の空を見上げ、早くも反省していた。
「だって、子供に見つかるようなところに、入口なんてあるはずないもんなぁ」
というか、悪の組織のアジトの入口ってどういう場所にあるんだ……? 俺って事務方というか現場には出てなかったからなぁ。前世の日本には悪の組織なんてなかったし。
雨が本降りになってきたので、とりあえず、目についた公園の中にあった、柵で囲ってあるコンクリートの山みたいな遊具の中に雨宿りで避難する。「立ち入り禁止!」とペタペタと貼り紙が貼ってあったが、当然無視した。だって俺は、もういい子をやめたのだ。立ち入り禁止がなんぼのもんじゃい。
遊具の中は意外と広く、湿った空気がよどんでいた。床のコンクリートはひんやりとしていて、座るとすぐにお尻が冷えた。水と土と、古びた鉄のにおい。雨音は遠くなり、代わりに心臓の鼓動が耳に響く。雨はすぐに本降りに変わった。生ぬるい湿気が肌に張りついて、気づけば前髪が額にべたっと貼りついていた。
……そのときだった。
ふと、お尻に、何やら固い謎のでっぱりが当たった。俺はもぞもぞと位置を変えて、さっきまで座っていた場所を見つめてみる。すると、目立たないように床と同じ色に塗られていたものの、小さな取っ手のようなものがあった。
おそるおそる、その取っ手に指を入れ、そっと持ち上げてみた。すると、床の一部がそのまま持ち上がり、黒い穴と、下に伸びる鉄のはしごが、目に飛び込んできた。
……えっ? いやいや。……えっ何これ?
はしごは錆びついていて、1段降りるごとにみしみしと鳴った。真っ暗な空間。頼りになるのは、手持ちの小さなライトだけ。はしごを降りきった先には、幅の狭いコンクリートの通路が続いていた。
空気は重く、じめっと湿っていて、どこか生ぬるい。壁にはパイプが這い、ところどころに点検用の古びた機器。薄く響く水の滴る音が、どこか遠くから聞こえる。
俺は、背中に汗がにじむのを感じながら、そっと足を進めた。
歩くうちに、コンクリートから鉄板の床に変わった。少しだけ下り坂になっていて、進むごとに空気が冷たくなる。途中、左手に置かれた、埃をかぶった洗濯機のようなものが目に留まる。無造作に置かれているけれど、配線が異常に多く、周囲に警告シールまで貼られていた。
これだ、と直感で分かった。
手をかけると、意外なほど軽く開き、その奥にはさらに細い通路。登って、曲がって、また下りて。道は複雑に入り組んでいて、まるで迷路のようだった。
途中、壁に落書きのような文字があった。
《←幹部棟 ↑倉庫 →訓練場》
「幹部棟……!」
一気に現実味が増した。本当に、ここは――。
それ以上考える前に、ふと前方に小さな明かりが見えた。揺れる、温かみのある光。その向こうに、人の話し声が聞こえてくる。はっきりとは分からないが、どうやら女性が2人。笑い声が、ほんの少し混じっていた。
俺は、息を殺して壁に身を寄せ、そっとその先を覗いた。
そこは、コンクリートに囲まれた広いホールだった。天井には配管と蛍光灯。壁には乱雑に貼られた図面。あちこちに段ボールやモニターが積まれ、その中心にいるのは――。
金髪の派手な女性と、白衣にフェイスシールドを被った、たぶん女性。2人揃って、何やらパソコンの画面を覗き込んでいる。
まるで、現実感がなかった。けれど、確かにここは、「それっぽい場所」だった。まるで子供のころに描いた、秘密基地の完成形。
そして俺は直感した。ここがきっと、父がかつて「壊滅させた」と言っていた、悪の組織の残り火なのだと。
ホールの端には大きめのコタツが置いてある。……いや、悪の組織にコタツは……あれ? どうなんだろう。ひょっとして違う? 俺の直感外れ? 俺はそっと耳を澄ませてみる。
金髪の方が、しばらくパソコンの画面を見て、首をかしげた。
「……うん、あなたも悪の組織の戦闘員になりませんか、と。もれなく3食美味しいごはん付き! どう? 何か書き忘れたことない?」
すると、白衣の方も口を開く。
「昨日公開したのは肝心の連絡先が書いてなかったですからね。連絡先、連絡先」
「あ、そうだ。即幹部登用! 明るく楽しい職場です! とかどう?」
「採用されてすぐ幹部とか、ブラック臭やばいのです」
「だって私達以外は全員死んだし……補充しないと困るでしょ」
あ、やっぱりそうだ。俺は少し身を縮めた。しかしそれがかえって良くなかったらしく、足元で、じゃりっと瓦礫が音を立てた。 ……まずい。
2人は、お喋りをやめ、周囲をきょろきょろ見回した。
「……あ。ニシャプール様、あそこに誰かいるのです。ひょっとして、上のロックかけ忘れたんじゃないです?」
すると、金髪がしばらく考え込んでいたかと思うと、ぱあっと顔を輝かせた。たぶん名前はニシャプール様。変な名前。
「……ひょっとして応募者じゃない!? よく来たわ。熱意に免じて採用よ! 私の直属の部下にしてあげる! 新生ニシャプール団へようこそ!」
「場所も公開してないのに応募者来るわけないのです。若すぎるし。てか新しい組織に自分の名前しれっとつけるのやめてください。後で話し合って決めるって言ったじゃないですか」
「応募者じゃないの? じゃあ誰? 近所の子供……が迷って来れる場所じゃないはずよ。あれ、でもなんか見たことあるような……」
金髪の方が、あごに指を当て、ふむ、と首を傾けた。一方、白衣の方は首を振った。
「あたしは記憶にないのです。お友達ですか」
「いや、直接じゃなくて、写真? 確か、幹部会議で配られた資料で見た。説明があったはずだけど……。頑張って寝なかったはずなのに、何1つ覚えてないの。不思議よね」
「いえ、どこで見たか思い出せただけで、ニシャプール様的には100点なのです」
「そう? あれ、マシロ、私のことバカにしてない?」
「気のせいなのです。褒めに褒めちぎってます」
「わたし、リズンスターの娘です」
話が進まなさそうなので、自分で名乗ることにした。いちおうまだ娘って言っても許されるんじゃないだろうか。ちなみに「リズンスター」とは父の正義の味方としての名前である。
そして、その名前を聞いて、ニシャプールさんはガタガタと震え出した。逆に、全く動じていないのが隣の白衣の人。スモークの入ったフェイスシールドで表情分からないけど。
ニシャプールさんは青い顔で、隣の白衣さんの腰のあたりにがっしりとしがみついた。
「私達を殲滅しに来たってわけ……!? なんで生きてるのがバレたのかしら!?」
「そりゃ堂々とネットで求人募集してたら、バレるのは当たり前なのです。正直、これ大丈夫なのかなって思ってたのです」
「やる前に言え! こ、こうなったら戦うしか……!」
「いえ、殲滅とかしません。ちょっと内緒でお願いしたいことがあって」
すると、ニシャプールさんはとても不思議そうな顔を浮かべた。そして、ひそひそと白衣さんと作戦会議を始める。でも、ホールが静かなせいか、丸聞こえだった。
「正義の味方が悪の組織にお願いしたいことって何かしら……?」
「娘だからって正義の味方とは限らないんじゃないです?」
考え込んだ白衣さん、たぶん名前はマシロさんがフェイスシールドを被った顔を上げた。そして指を立てる。 すらりとした白い綺麗な指だった。
「あたし達に街の人間を襲わせて、正義の味方が追い払う、みたいな提案ですかね? ほら、平和になっちゃったら、正義の味方ってただの強い人ですし。悪がいればずっと感謝されますから」
「悪どい! まぎれもない悪だわ!」
再びガタガタと震えるニシャプールさん。さっきより揺れが激しい。というか、名乗ったのに全然話が進まない。俺は再び首を振った。
「あの、全然違います。わたしもここにいさせてほしいんです。端っこの方でいいです。家出してきたので」
「……家出なのです? 正義の味方が、ですか?」
「わたしは正義の味方じゃないです。今日から悪い子なんです」
「いや、家に帰りなさいよ。リズンスターのやつも心配するでしょうに。ここって夏は涼しいけど冬は寒いの。電気代がかかるから冷暖房も禁止よ。スイッチ入れたら怒るからね」
ニシャプールさんの言葉が、胸の奥の、何かに少し引っかかった。父が、俺を、心配する? 果たして、本当に、そうだろうか? 家族じゃないのに?
「心配なら、しないと思いますよ」
「……ん? ごめんなさい、なんて?」
「だから、お父さんは心配なんてしません。むしろ、わたしが出て行ったことが分かったら、喜ぶと思います」
すると、ニシャプールさんは、それを聞いて眉を寄せ、なんだか困ったような表情になった。横のマシロさんが、ニシャプールさんを、つんつん、とつつく。
「追い出しましょう。ていうか殺しちゃいますです? 明らか敵です。ていうか仇ですよ」
「仇じゃなくて娘でしょ? それに私はね、子供は殺さない主義なの」
「そんなこと言ってるから左遷されるんです」
「失礼ね。栄転よ」
ファサッと長い金髪をかき上げ、ニシャプールさんは胸を張った。ふふん! という声が聞こえてくるかのようだった。その隣で、マシロさんは、呆れたように続ける。
「首領補佐から情報局長が? 首領補佐ってNo.3じゃないですか。で、今の仕事って要は戦況把握と広報です? 広報って、序列下から数えた方が早いくらいです」
「首領が言ってたわ。広報こそが組織の屋台骨なんだって。お前には世界一の屋台骨になってほしいって頼まれたから、私も受けたのよ。きっと私の眠ってる才能を見抜いたのね」
「さっき募集のやつ作ってたの見て、この人、心底才能ないなって思いましたですけど」
「……マシロってさ、私のこと嫌い?」
「いえ、敬愛していますです」
「あの、それで……ここにいても、いいですか?」
2人の会話がいつまで経っても終わらなさそうだったので、俺は再び声をかける。すると、どこか物憂げにニシャプールさんは頷いた。
「あー、まあ……好きにしたらいいわ。帰りたくなったら帰りなさい」
「ニシャプール様? 正気です?」
信じられない、みたいな雰囲気で、マシロさんが隣を振り向く。
一方、ニシャプールさんは顔を赤くして、ダン!ダン! と足踏みを始め、今度は分かりやすく怒り始めた。
「だって! あんなに小さいのに可哀想じゃない! 聞いた? 心配なんてしないんですって。あいつ正義の味方としては優秀でも、親としてはてんで駄目だったのね。最低。がっかりだわ」
「だからって、ここにいさせるのはおかしくないです?」
……まずい。このままだとマシロさんに流されて、ニシャプールさんが意見を変えてしまう気がした。
俺は腰を直角に折り曲げ、ニシャプールさんに勢いよく頭を下げる。前世で、俺のミスで取引先に大損害を与えたあの時を思い出せ!
「ニシャプール様、お願いします! 置いてください!」
「ほら聞いた!? リズンスターの娘が、あいつのライバルである私に様付けしたわよ! なんて気分がいいの! あなた見どころあるわ! ずっといていいわよ!」
「ライバルっていうか、ニシャプール様ってリズンスターに5戦5敗ですもんね」
ぼそっとマシロさんが注釈を入れる。しかし、ニシャプールさんはめげなかった。
「5回も戦って生き延びてる私を褒めなさい」
「それは真剣にすごいと思いますです。どうやったんですか?」
「内緒。ま、頭の出来が違うってやつ?」
ニシャプールさんは、自分の頭を指さして、くるくると回した。どうでもいいけど、あのジェスチャーは、頭がいいという意味では決してないような……。
「ニシャプール様の頭の出来が違うとは、あたしも常々思ってましたです」
「ふふ、そうでしょ! もっと褒めなさい!」
そのとき、俺の脳裏に、1つの可能性が浮かび上がった。5回も生き延びている、見逃されている敵といえば、心当たりがある。
「ひょっとして、お父さんとの戦いで死んだふりしてた人って、ニシャプール様ですか?」
すると、ニシャプールさんの肩が、ぴくりとはねた。そして、不自然なほどにこちらから視線を逸らす。すると、マシロさんが興味深そうに尋ねてきた。
「死んだふり、ですか?」
「お父さんが言ってました。死んだふりしてる奴がバレバレすぎて面白いから見逃したって。あれ、ニシャプール様のことだったんですね!」
ニシャプールさんは、もはやしゃがみ込んで俺に背を向けていた。両手で耳をふさいでいるようにも見えた。マシロさんが、深々と頭を振り、そんなニシャプールさんをじっと見つめる。
「なるほど、頭の出来が違う、ですか。感服いたしましたです」
「……バカにしないで! ちゃんと根拠もあるんだから! 正義の味方とばったり会った時、死んだふりすれば襲われずに生き延びられるって聞いたもの!」
「言いにくいんですが、ニシャプール様。たぶん正義の味方とクマを混同してます」
すると、ニシャプールさんはしばらく黙った。そして、誤魔化すように急に大声を張り上げる。しかし、その声はだいぶ上ずっていた。
「ま、まあ、ともかく! 小学生の家出でしょ? なら夜になれば帰るわよ。100回以上家出したことある私が言うんだから間違いないわ。ほっときましょ」
「……えぇ……まあ、ニシャプール様がいいなら、いいですけどねえ……」
そうして、2人は再びパソコンに向き直った。……どうやら、受け入れてもらえた、らしい。
俺はホールの端の方に、シートと寝袋を広げた。ホールには、時折、パイプの中を水が流れるような音が響いていた。地上とは違う冷たさが、床からじわじわと這い上がってくる。ニシャプールさんが、パソコンに向かったままで、大きな声で注意してきた。
「ああ、そうそう!私達のことを誰かに言えば、ニシャプール団から永久追放だからね!」
「あの子メンバーじゃなくないです? それ抑止になります?」
その日はそのまま、寝て過ごした。雨に濡れたせいか少々寒かったが、久しぶりに、ゆっくりと眠れた。
そして朝起きると、俺の寝袋には見慣れないふわふわの毛布が掛けられていた。
翌日。
毛布を返そうと声を掛けたところ、マシロさんは怪訝そうに首を振り、ニシャプールさんは「毛布って何? 食べ物かしら?」と目が泳いだ状態で答えてくれたので、綺麗に畳んで、ニシャプールさんの椅子に掛けておいた。いつかお礼をしなければ。
しかし、さらにその翌日。寝ている間にまた毛布が掛けられていたので、俺は少々困った。
これはニシャプールさんが愛用しているものみたいだし、やはりホームセンターに買い物に行くべきか……? 缶詰も補充に行きたいし……。
その時、そわそわしながらニシャプールさんが隣にやってきた。 しゃがみ込んで膝を抱え、俺の方をそっと覗き込んでくる。その顔には、どこか心配そうな表情が浮かんでいた。
「ね、どうして帰らないの? リズンスターのやつも心配するんじゃない?」
「お父さんは、わたしがいないことにも気づいてないと思いますよ」
というか、まだ家に帰ってきてない可能性すらある。それが、俺たちの家の日常だった。
すると、黙って立ち上がったニシャプールさんは、どこからか大きなテレビを引きずってきた。
「まだ使えるはずよ。あいつの様子見てみましょ」
すると、マシロさんも、やれやれといった感じで首を振り、近づいてくる。
「なんだ、ほっとけって言ったじゃないですか。結局、協力するんです?」
「なんかね、知らない人が同じ空間にいるのって思った以上に気になって……。昨日も明け方まで眠れなかったもの。マシロはいいわよね。5分で寝てたし」
「寝られないとか今更言われても……あたしもニシャプール様とずっと一緒です?」
「マシロはいいの。だって友達だから」
「…………あ、そうですか。ならさっさと確認しちゃいましょう。見られますです? リズンスターの家ですよ?」
すると、ニシャプールさんは、頬に手を当て、「ほほほ」と言いながら、自慢げにニヤリと笑った。顔が整っているからか、そんな表情も様になっていた。




