「今のニシャプール様、正義の味方みたいです」
『他の世界からの召喚は、これまで2度試みた。1度目は10年前。そして、2度目は今日だ。1度目は何の不具合か、何も起こらなかったが……今回、ある者の力を借りて実現することができた』
すごく親切に教えてくれる首領の話に耳を傾けながら、マシロさんがちらりと俺を横目で見た。うん、俺も同じこと思った。なんでこの世界に来たのかって、ずっと不思議だったけれど。実は呼ばれて来たらしい。
「えっと、うん。夢が叶ってよかったわね。それで?」
『だから、これから世界を滅ぼそうと思っとるんだ』
「それは困るわ! この世界は、ニシャプール団が征服するんだから!」
そして、ニシャプール様は、帰ってきたばかりだというのに、モッちゃんに乗って再び颯爽と飛び出した。場所は、聞こえる音を俺がマシロさんに伝え、マシロさんが地図と照らし合わせて特定した。
俺は、マシロさんと一緒に、コントロール室で、ニシャプール様の様子を見守った。どうやら首領は山の方にいるらしく、景色からは人工物の数がどんどん少なくなっていく。
そして、山奥にたたずむ静かな湖のほとりに、ニシャプール様は降り立った。湖には、澄んだ鏡のような水が、静かに広がっている。魚が飛び跳ねているのか、ばしゃん、と遠くの方で水音が時折聞こえた。
『……ここ?』
「はい。さっき莉名さんが聞いたというサイレンは、この湖の奥のダムのものです。ですから、近くにいるはず……」
『いたわ』
「はやっ」
ニシャプール様が向いた先には、確かに、年配の老人と、大きな兜と鎧で武装した巨人が立っていた。あれが召喚されたという越界災害か。
というか越界災害が目立ちすぎてる。越界災害は2階建ての家くらいの背の高さがあり、兜の奥から、光った目でこちらをじろりと睨んでいた。そして、大きな剣を持っていて、さっきのバッタくらいなら一振りで真っ二つにしてしまいそうな迫力があった。
『もう。首領、なんでこんな山奥にいるのよ』
『ククク、悪の組織といえばダムだからのう……! ニシャプールよ。わざわざ殺されに来るとはご苦労なことだ。冥土の土産に教えてやるが、この越界災害は絶対に倒すことができん! 本体に辿り着けんからのう……。召喚に関わった者以外、決して認識できない仕組みとなっておる』
首領が、ゆさゆさと肩を揺らせて笑った。あ、でもやばいぞ。なんか今、「冥土の土産」って言わなかった? よく見ると首領が立っているのは越界災害のすぐ足元、ちょっと位置を変えるとプチっといってしまいそうな、実に危険な配置であった。
ニシャプール様も同じことを感じたのか、首領に大声で叫ぶ。
『首領ー! そこ危ないわよ! 踏みつぶされちゃう!』
『カカカ、的外れな心配だ。越界災害は召喚者がいないと、この世に居続けられん。つまり、完全に我がコントロール下におか』
プチッ、と音がした。ズシン、という重い音も。そして、首領が立っていた場所に足を踏み下ろした越界災害は、ゆっくりとニシャプール様を見つめる。ニシャプール様も怒ったような顔で睨み返した。
『気に食わないわね。お年寄りは大事にしろって教わってないの? ……あら? でも、首領がいなくなっても消えないじゃない……』
そのとき。
パチパチパチ、と。
場違いな音が、湖畔に響いた。
ゆっくりと、一定のリズムで鳴る拍手。
濡れた岩肌に反響し、不自然なほどよく通る。
『……誰?』
ニシャプール様が、視線を巡らせる。
拍手は、森の奥から聞こえていた。
がっしりとした体格の男が、木の陰から、拍手をしつつ現れる。
観劇でもしているみたいに、穏やかな笑みを浮かべていた。
『いや、見事だったね。元首領を見事に倒してみせるとは』
『倒してないわ……見てたら勝手に踏み潰されたのよ』
そして男は、うやうやしく一礼した。
『さて、久しぶりだねニシャプール。消えない理由は簡単だ。私が越界災害の召喚者だからだよ』
『あの、いきなり出てきたけど、あなた誰……?』
『……』
男は黙って顔に手を当て、天を仰いだ。
しばらく、その場を謎の沈黙が支配する。
困っているニシャプール様を見かねたのか、マシロさんが助け舟を出した。
「ニシャプール様。その人は、前の組織の相談役です」
『え? そうだった? だって相談役って会議に出てこなかったし……首領の友達よね、確か』
「違います」
俺は思わず口を挟む。なぜなら、知っている相手だったからだ。
「その人は、お父さんの上司……正義の味方の司令官です」
男――司令官は、笑いながら胸元に手を当て、軽く一礼した。
『さて』
そして、再び笑う。
『悪役も揃ったところで、続きを始めようか』
『えっと、結局、誰なの……? 相談役なの? 司令官なの?』
『……』
それから、ニシャプール様が状況を理解するのには、15分ほどの時間がかかった。
『えーっと、つまり、あなたは正義の味方の司令官なのに、うちの首領と通じてて』
『そうだね』
『司令官だから、越界災害が暴れても当分この場に正義の味方は来ない』
『そういうことだ。ロボの格納庫の凍結を解くのには、早くても1週間は掛かる』
『……え、どうして?』
ニシャプール様の質問の意味は分かる。「なんでこんなことしてるの?」だ。すると、司令官は少年のように嬉しそうな顔で笑った。
『悪がいなければ、正義も存在しないからさ。この世界には、もっと強い悪が必要だった』
『…………そう』
あ。ニシャプール様が理解を諦めた。いや俺にもよく分からないけど。すると、マシロさんが補足してくれた。
「ほら、平和になっちゃったら、正義の味方ってただの強い人ですし。悪がいればずっと感謝されますですから」
『なんて悪い奴なの……!!!』
『言い方ってものがあるだろう……。もう少し私の美学も汲んでくれないかな』
『ともかく。私がここでこいつを倒せばいいのよね? ねえ2人とも。終わったら、一緒に温泉にでも行きましょうか。きっと楽しいわよ』
優しい笑みでこちらに微笑むニシャプール様。……なんで急に、そんなこと言うんだ。それじゃ、まるで……。
「ニシャプール様! 早く戻って!」
『大丈夫だってば。さっきのバッタ見たでしょ? あれより小さいじゃない。私が勝つところを見てなさい!』
……ニシャプール様は、その後、善戦した。
水をウォーターカッターみたいにして越界災害を鋭く切り裂いた後、岩をドリルみたいに地面から何本も突き上げて串刺しにした。
しかし、「さすがにやったかしら?」と呟いた瞬間、越界災害が口から吐く炎に真っ黒焦げにされた。
煤だらけになったニシャプール様の口から、ぽふ、と大きな煙が上がる。
俺とマシロさんが声にならない悲鳴を上げると、映像の中で、越界災害が、ニシャプール様の前までゆっくりと歩いてくる。
そして、大きな剣を振りかぶり、目にも止まらないスピードで袈裟切りに振り下ろした。……音はしなかった。
目の前で剣を振り切った越界災害を、ニシャプール様は不思議そうな顔で見上げる。
不意に、ずるり、と。ニシャプール様の上半身が斜めにずれていき、ぐしゃり、と音を立てながら、ゆっくりと地面に滑り落ちた。
「あーびっくりした。やっぱり勝てないわねぇ」
モッちゃんが持って帰ってきたニシャプール様の遺体がむくりと起き上がったので、俺とマシロさんは、悲鳴を上げて抱き合った。
だって、上半身と下半身切り離されてたのに。プ、プラナリア? ニシャプール様って実はプラナリア怪人だったの?
「ど、どうして生きてるんです? 傷もないし……」
「え? 死んだふりver.6よ。あいつもまだまだね。リズンスターだったらあの後3発くらい必殺技叩き込んでるわ」
「意味が分からないのです……とっとと説明してくださいです……!」
マシロさんが珍しく動揺している。というか、ニシャプール様が戻ってきたときは俺と同じく死にそうな顔をしていたので、喜んではいると思う。
「つまり、私は、素体を操れるわよね?」
俺とマシロさんはそろって頷く。それで?
「つまり、危なそうなときは、私の形の素体で戦って、本体の私は地下とかに隠れてるの。細い線みたいな素体でつながってはいるんだけどね。だから、戦ってる部分が倒されても、私は無傷よ。操ってる人形が壊された、みたいな感じ」
あ、だからモッちゃんは逃げる途中で1回地面近くに降りたのか。あれは本体を拾うためだったらしい。
「良かった……ニシャプール様が、絶対、死んじゃうと思って」
「それよ」
ニシャプール様は、俺の方へぐるりと振り向いた。
「あいつ、強さだけだと、私のちょい上くらいだと思うわ」
「そ、そうは見えませんでしたけど……」
正直、猫とライオンくらいの差があったように見えた。だって正直、途中から全く歯が立ってなかったもん。
「なんか、また変だったの。力も全然入らないし。変な台詞言いたくなっちゃうし。あれって莉名が前に言ってた危険な台詞でしょ?」
「あ、いちおう自覚はあったんですね」
よかった。唐突に温泉行きたくなったのかと思った。というか、俺もそうだったな……。ニシャプール様を必死で引き留める台詞しか出てこなかった。
考え込んでいると、ふと、1つの仮説が浮かぶ。
「フラグって、つまり逆なのかもしれません」
「どういうことかしら?」
「そういう運命が待っている者は、自然とそういう台詞を吐く、みたいな。台詞が運命を引き寄せるんじゃなく、運命が台詞を引き寄せるみたいな……?」
すると、ニシャプール様も、考えながら頷いてくれた。
「両方あるのかもね。つい言いたくなっちゃったし、言ったら力抜けたもの」
「じゃあ、まるで運命が最初から決まってるみたいじゃないですか。あたし、そういうの好きじゃないですね」
その気持ちも分かる。つまりニシャプール様は、越界災害に絶対に勝てないってことになってしまうんだから。
その後、モッちゃんが偵察に行ったところ、湖のほとりでうずくまったまま、越界災害は動きを止めていた。司令官は、木にもたれかかって何やら本を読んでいる。
「ニシャプール様の攻撃も直撃はしていましたから。ダメージを回復するためにいったん活動を停止しているものと思われますです」
なら、回復すれば、動き出す。そのあとは?
「たぶん、山を下りて街を破壊するわね。……なら止めましょ。お抱えのパン屋が壊されたらたまったもんじゃないわ」
「……勝算は? です」
「あるわよ。ルール自体を書き換えられないなら、その条件の中で戦うしかないわ」
自信ありげに微笑むニシャプール様。何か作戦があるらしい。そんなニシャプール様に、俺はおずおずと1つの提案をしてみた。
「お父さんに助けを求めていいですか? あと、司令官が敵だって伝えたいんです」
「えー。死んでもやだ。そんなことしたら、莉名、ニシャプール団を追放だからね。それに、司令官が悪者なんだから、出撃なんてできないでしょ」
「ならまずそれを伝えないと……! 」
「いきなり司令官が敵なんて言っても、信じてもらえるわけないのです」
ニシャプール様が、しみじみと呟いた。
「あらためて、なんて悪い奴なのかしら……」
「お父さん、正義の味方じゃないですか。なら、ああいうのにめっぽう強いと思うんです」
しかし、ニシャプール様は断固拒否の構えを崩さず、最後まで首を縦に振ってはくれなかった。最後には、両手でバッテンを作られて拒否された。
「絶っ対! 嫌よ!! それに、あんな弱い奴なんて頼りにならないわ!」
倉庫で、武器を選んでいるニシャプール様を、マシロさんが、心配そうに見つめている。刀、剣、槍、などなど。手に持ってはうーんと首を捻り、背負った巨大なリュックにぽいぽいと放り込んでいく。既に、リュックからは何本もの刀や剣の柄が飛び出していた。
あの感じだと、ニシャプール様は俺を連れて行ってくれないだろう。よし、ああ言ってこう言って、こうだ!
俺は、戻ってきたニシャプール様を捕まえ、考えていた台詞を一気にぶちまけた。
「向こうがちょい上ならわたしとニシャプール様がいれば勝てます子供だって言うかもしれませんけどわたし前世がありますからもう大人ですというか勝手についていきます!」
「ち、ちょっと待って。ごめん早すぎて何言ってるかよくわからなかったわ」
俺は、何度もニシャプール様に訴えた。1人では間違いなく負けるだろうこと。連れていってほしいこと。連れていってくれなかったら勝手についていくこと。
困ったように腕を組んでいたニシャプール様は、やがて、しぶしぶながらに頷いた。……やった!
しかし、それを見て収まらなかったのはマシロさんだった。マシロさんは、「莉名さんが行くなら自分も行く」と主張し始め、ニシャプール様は、ますます困った顔をした。
「よし、わかったわ。まず、マシロと話をする。私の部屋に行きましょ」
そして、ニシャプール様は、マシロさんと一緒にホールから姿を消した。俺は耳に意識を集中させる。今の俺には、ニシャプール様の部屋で2人が話している声が、ここからでもよく聞こえた。
* * * * * * * * * * * *
「なんで、マシロも行きたいの? 戦いに向いてないって分かってるでしょ」
「ニシャプール様、さっき倉庫でリュックに入れたもの、見せてくださいです」
「刀? 剣? どれよ?」
「……爆弾です。正義の味方が攻めてきたとき用の、自爆して基地を埋めるための爆弾、最初に入れてましたですよね」
「入れてないわ」
「いいじゃないですか、あたしたちがやらなくても。誰かが退治してくれますです」
「マシロ、ほら、これ見て。もっと近くに来て、ほら」
「なんです?」
* * * * * * * * * * * *
続いて、ばったんばったんと何かが暴れるような物音が聞こえてきた。例えるなら、誰かを無理やりに縛ってベッドに叩き込むと、あんな音がするのではないか。
そして、ニシャプール様は、私室から神妙な顔をして出てきた。しかし、俺は気が気でなかった。だって、今の話が本当なら、きっと……。
「マシロは基地で待っとくって!」
「ニシャプール様、爆弾ってなんですか」
俺の頭の中で、イマジナリーマシロさんが、『どストレートに聞きますですね』と呆れたように言った。
「あー……聞こえてたの? ま、作戦に必要なのよ」
「作戦?」
「言わないわ。言っちゃうと失敗しそうだもの。さ、行きましょ」
そして、俺の背を押して、外まで出てきた時だった。ニシャプール様が、「あっ!」とわざとらしい声を上げた。何やらごそごそとリュックを探っている。
「ごめん、忘れ物したわ。ちょっとここで待ってて」
すまなそうに俺の頭を撫でるニシャプール様。何度もビデオ撮影の時にニシャプール様の演技を見た俺には、それが真っ赤な嘘であることが分かる。また、嘘を言って置いて行くことを、ニシャプール様がすまないと思っているのも。
ニシャプール様が姿を消してから10秒後。俺はスマホを取り出した。まず、父に電話、と。ニシャプール様も約束を守ってくれなかったからお互いさまである。
『ただいま電話に出ることができません。発信音のあとにお名前とメッセージを……』
とりあえず、越界災害が現れたこととその場所、司令官が敵なこと、ニシャプール様が向かったこと、あとは……。
いってきます、と。
そして、俺は空に飛び上がった。空からの方が、きっと音は追いやすいはずだ。
やがて、ニシャプール様は、基地の別の入口から出てきてモッちゃんに飛び乗った。俺もそっと後を追う。ぱたぱたと、頭上で帽子がはばたく羽音だけが、規則正しく響く。
そしてニシャプール様は、山の湖の、越界災害の少し手前で降り立った。モッちゃんに手をひらひらと振って別れを告げた後、歩き出す。
ニシャプール様が近づくと、湖のほとりでうずくまっていた越界災害は、カッと目を開いた。その強烈なプレッシャーに、思わず息が詰まった。ニシャプール様を大型の猫類とするなら、越界災害はそれとは全く違うもの……例えるなら、人里離れた山の上で見上げる夜空のような、圧倒的な存在感。
いや、負けるな。行け。
ニシャプール様が、そばに降り立った俺の方を振り向いた。もう隠れる必要はない。ここまで来たら、強制的に帰される心配はない、はず。
ニシャプール様は、目を吊り上げて怒った。本気で怒っているらしく、びりびりとしたプレッシャーが全身にぶつかってくる。俺は、ひるまないようにお腹に力を入れて、じっとニシャプール様を見返した。
「なんで来たの」
「次は連れていってくれるって、言いました」
「…………」
一瞬、ニシャプール様は、目を閉じて迷った。たぶん、ここから一緒に動くリスクと、追い返して別行動になった時のリスクを天秤にかけている。目の前で、もう越界災害は動き始めていた。視界の端で、司令官がそっと姿を隠す。
考え込んでいたニシャプール様は、ぱちりと目を開けた。そしてバチン!と両手で両頬を勢いよく叩く。
そして、少し微笑んで、身を翻した。
「ついてきなさい。弟子であるあなたにも、私が勝つところを見せてあげる」
「はいっ!」
越界災害がこちらを一瞥すると、ニシャプール様(本体)が地中からずるずると引き出された。俺の体も、ふわりと宙に浮きあがる。ニシャプール様の不死身戦法の種はバレてしまっていたらしい。
ニシャプール様が透明の翅を広げ、俺も帽子の羽でぱたぱたと羽ばたく。宙に舞う俺たちを尻目に、越界災害は地面から動かない。
「ほら、莉名は私の背中に掴まりなさい。莉名には攻撃の1つも届かせやしないわ」
腕を広げて俺を庇うニシャプール様の背中は、今までで一番、広く感じた。おずおずとしがみつくと、暖かい。風に揺られて俺の顔をくすぐる長い金色の髪からは、ふわりと甘い匂いがした。
「今のニシャプール様、正義の味方みたいです……」
「今すごくぞわっとしたわ。絶対やめて。恥ずかしくて死ぬから」
真顔で振り向き、ばっさりと切り捨てるニシャプール様。よっぽど正義の味方と呼ばれるのが嫌らしい。……うちの父はずっとそう名乗ってるんですが……。
「じゃ、莉名には援護をお願いするわ。訓練の時にやってたあれ、いける?」
「え? ま、まあ。練習でやってたあれですよね」
「あれ」とは、俺の音を操る力を付与し、武器の破壊力を上げようというものである。この技を試しに使ってみたところ、ニシャプール様の操る刀は超振動ブレードと化し、やすやすとチタン合金の的を切り裂いた。でもあれって実験としてやっただけで……。
すると、ニシャプール様はニヤリと笑った。
「……そういうやつの方が、成功するんでしょ?」
「えっ、そのっ、ちょっと、そこまで信じてもらうと怖いっていうか!」
「駄目だったとしても、莉名のせいじゃないわ。どっちにしろ、普通の刀じゃあいつの剣に勝てなさそうだし。さ、行きましょ」
いきなりとんでもない重責が課され、俺の手はぶるぶる震えた。しかし、ニシャプール様の刀には無事に超振動が付与されたらしく、フィィィィィ、と高音を立て始めた。どうか、俺の手の震えが移っただけとかじゃありませんように。
「近くにいないと超振動も解けちゃうんだったわね。莉名はそのまま、私の背中に全力でしがみつきなさい。1秒でも気を抜くと、死ぬわよ」
「でも、力抜けちゃうんですよね? だったら、武器を強化したところで……」
「そうね。まず、勝てないって前提を崩す必要がある。……そのためには」
ニシャプール様は、そこで、意味深に笑った。
「あいつに落ちてきてもらう必要があるわね」
ニシャプール様は、越界災害の真ん前に降り立った。しかし、こうして目の前で見上げると、サイズの差がとんでもない。巨大怪獣の前に出撃する戦車の気持ちが、今なら分かる気がした。
そして、何を考えたのか、ニシャプール様はそんな越界災害に向かって、フランクに話しかけ始めた。
「さっきはどうもありがとう! ところで、私を見て、どう思う?」
「小さい」
ばっさりだ。というか越界災害って喋るんだ。
しかし、ニシャプール様はめげなかった。んー、と何事か考えて、あごに指を当てる。
「じゃあ、私とあなたが戦ったらどうなるかしら?」
「我が勝つ」
「え? そう? ……絶対に?」
「我とお前では、力の差がありすぎる」
ふむふむ、とニシャプール様は大きく頷いた。腕を組んで、「なるほどね」とか言ってる。納得しないでくださいニシャプール様。
「つまり私は小さいし、力の差があるから戦わなくても勝てると分かる、ってこと?」
「そうだ。お前、なかなか物分かりがいい」
しかし、そこでニシャプール様は困ったように首をかしげた。
「……あら? 今、私、なんて言ったっけ? 最近忘れっぽくて……」
「お前は小さくて弱いからこちらが勝つ。戦わなくとも分かる、と言った」
やろうとしていることが、わかった。越界災害に負けフラグな台詞を言わせて、力の差をなんとかしようとしてる……! ニシャプール様以外は実行しようと思わない、ちょっとバカバカしい作戦だと思うけど、どうなんだ……?
「お前なぞ、我からしたら羽虫みたいなものだ」
「いいわ! そういうのもっと!」
そして、しびれを切らしたのか、越界災害が踏み込んで放った剣の一撃を、ニシャプール様はしっかりと受け止めた。そして、フィィィィン、という高音を立てて振るわれたニシャプール様の刀は、越界災害の鎧と兜を切り裂き、大きく傷を刻む。
――何度目か分からない衝突だった。
切り裂いて、また同じ距離に戻る。
ニシャプール様の背中が、荒い呼吸で揺れている。呼吸しているということは、まだ生きているということだ。俺はそっと背中に頬を寄せ、それを実感する。
ニシャプール様の超振動ブレードは確かに越界災害を切り裂いたけれど、越界災害も火を噴いたり、兜の角から電撃を放ったりと多彩な技で応戦した。
俺も超音波メスをニシャプール様の背中から撃ちまくった。的が大きいせいか、3割は当たった。
しかし、このままだとまずい。
至近距離でずっと戦っているニシャプール様がまだ元気そうなのはさすがだけど、決定力不足というか……。
「……あら?」
ニシャプール様が真上を見上げ、身を翻して、一気に100mほど飛び退がった。……今までで一番大きく距離を取った……? 越界災害もつられたように空を見上げる。そして、俺も。
空の彼方が、きらりと光った気がした。
……いや、気がする、じゃない。何か来る。
次の瞬間。大気を震わせて、越界災害目掛け、極大の雷が落ちた。雷は、越界災害が振り上げた剣をへし折り、鎧を貫いて胸に大穴を開け、一瞬後、目もくらむような大爆発を起こす。地を震わせ、空間全てを音が埋め尽くすかのような爆音がとどろき、離れたこちらまで、音と衝撃の波が押し寄せるのが、辛うじて見えた。
ニシャプール様は、辛うじて衝撃波に逆らわないようにくるりと回って受け流す。音で耳の奥がびりびりと震え、ほとんど何も聞こえない。そんな中でも、ニシャプール様の呟きは、なぜか良く通って聞こえた。
「――さすがよ、マシロ」
今の、雷じゃなくてマシロさんの衛星照準のリニアガンか……! 閉じ込められてたはずだけど、脱出できたらしい。どことなく、ニシャプール様に対する怒りも感じる一撃だった。
もうもうと上がる爆炎と煙を見つめたあと、ニシャプール様は俺を振り向いた。
「莉名、飛べる? 今のうちに逃げなさい」
「えっ? でも……今のでもう決まりじゃないですか?」
「まだよ」
「まだ……?」
ニシャプール様の表情は、真剣そのものだった。風に煽られた髪の毛はばさばさに乱れ、煤にまみれた顔でも、目は意思の光を宿して輝いている。俺は場違いにもその顔を、これまでで一番、綺麗だと思った。
「悪い奴っていうのはね。倒されたら巨大化するものよ」
その言葉を証明するかのように、煙の向こうから、巨大な影がゆらりと立ち上がった。……大きい。30メートルくらいはある。
――煙が晴れる。そこにいたのは、さっきまでのそれじゃなかった。
体は変質し、異様に細く長く、脚も腕も倍近く伸びていた。触手のような指先が地面を這い、背中から突き出た骨のようなものが、空を裂いてゆく。傷口からは光のような黒が漏れていた。
ニシャプール様が一人、間髪入れずに突撃する。
目にも止まらぬ速度で踏み込み、鋭く蹴り、何度も斬りつける。
――でも、通らない。
このままじゃ……。
俺も近寄ろうとしたが、剣の風圧だけで吹き飛ばされ、くるくると宙を舞っては地面に落ちることしかできなかった。
本気で、祈った。
……俺がちゃんと、大人だったら……。ニシャプール様も、皆も守れたのに。
俺は、手探りでポーチを探した。そして、ポーチの中にずっと入れていた、丸い手触りのものをそっと取り出す。……父が以前くれた、ボタンだった。だって、言ってたじゃないか。助けが欲しいときは、これを押せば、来てくれるって。
祈るようにボタンを押した。カチリ、と固い音が鳴る。
しかし、それだけだった。
……いや。
次の瞬間、世界に光が差した。
誰かが、俺の前に立っている。よく知っている誰かの、知らない背中だった。
「――俺の娘に、手を出すな」




