「もしそうなら、リズンスターが行くべきは滝でなくて病院なのです」
1月2日。正月飾りもまだ片付かないホールの真ん中で、俺とマシロさんは正座させられていた。暖房の効いていない床は冷たく、足の裏にじんわりと冷気が染みてくる。ニシャプール様は腕を組んで、失敗した新兵をどうしようか考えている鬼軍曹のように、俺たちの前を行ったり来たりした。
「まずマシロはしばらくの間、禁酒ね」
「昨日、なにかありましたです?」
「今決めた。やっぱり永久に禁酒ね」
「横暴なのです……!」
マシロさんは、隣に座っている俺の袖をくいくいと引っ張ってきた。そして、耳元で小声で尋ねてくる。
「昨日、あたし、なにかしてしまいましたです?」
「べ、別に何もなかったですよ? 確か、目玉焼きに何を掛けるかって話をしてたような。ちなみにわたしはお醤油派です。でも、塩もいいと思いますよ」
「こら! そこ、こそこそしない!」
そして、ニシャプール様は、次に、俺の前でピタリと止まった。そして、下からじっと覗き込んでくる。
「莉名は……我慢してることない? 昨日のこと、覚えてる?」
二日酔い(?)でズキズキと痛む頭を押さえて、俺は目線を下げた。覚えてるかと聞かれると、全部覚えている。でも、それはとても認めづらいことだった。だって、昨日の俺は、無限大にめんどくさい人間だったから。
「ニシャプール様、どうかわたしを殺してください」
「別にそこまでじゃなかったわよ!? でも、昨日の莉名の話を聞いてると、やっぱりリズンスターとの関係は、もう少し何とかしたいって思うのよ」
そして、ニシャプール様がごそごそと取り出したのは、俺が以前書いた、父にやってほしいことリストだった。項目の隣には、赤いペンで書かれた〇と×が並んでいる。
〇 体にいいのでもっと野菜を食べてほしい
〇 夜更かしせず、夜は7時間以上寝てほしい
〇 家族に顔を合わせたら、せめて挨拶してほしい
〇 週に1日は休みを取って、ゆっくり体を休めてほしい
× 三者面談に出てほしい
× 気が向いた時でいいので、わたしを見て、困ったように笑う癖をやめてほしい
× 一緒にご飯を食べてるときに、たまに味の感想を言ってほしい
× 半年に一度は一緒に買い物に行って、献立の相談に乗ってほしい
〇 一年に一度でいいから、一緒に遊びに行ってほしい
× 一生に一度だけでいいから……わたしが困ったときに助けてほしい
うーん……。5勝5敗。辛うじてイーブンである。しかも、俺が人質に取られている前提でこれだからな。フラットな条件では全敗であろうことが、容易に想像できた。
「リズンスターの駄目なところばっかり見たから、またいいところを探して見ればどうかしら?」
「お父さんのいいところってどこですか?」
「そりゃ……強いところとかじゃないの」
「ニシャプール様に惨敗してました」
「……1勝5敗だから! まだ負け越してるから! もう! なんで私があいつのフォローしないといけないの!」
ニシャプール様は、ガリガリと頭をかきむしると、ホールの隅から、テレビをズルズルと引きずってきた。そして、ポチポチとチャンネルをいじり、ぱちりと画面をつける。
古びたリモコンのボタンを押すと、ブラウン管テレビのような音とともに画面が切り替わる。映し出されたのは、整然とした正義の味方の作戦基地。
画面の中では、白い蛍光灯の光が天井から降り注ぎ、緊張感のある空気が漂っていた。画面の中では、いつも通りの無表情で、父が何やらてきぱきと周囲に指示を出している。ご丁寧なことに、右上には「LIVE」と表示されていた。……というか、今日は仕事に来てるのか……。
「ね、ほら。職場では尊敬されてそうじゃない?」
「つまり、その鬱憤を家で晴らしていると」
「莉名、もう蜂蜜抜けてるわよね? たぶんお酒と同じよね?」
『残りの幹部は、ニシャプールのみですが……どこに隠れているのやら』
白衣を羽織った50歳くらいの男性が、渋い顔でスクリーンを眺めている。その隣で、眼鏡をかけた若い女性が、大きく肩を揺らして溜息をついた。
『ニシャプールを倒さないと、リズンスターも安心して眠れませんものね。まさか、コマユバチの怪人だったなんて』
白衣の男性が、重々しい顔で頷いた。
『それにしても、どうしてまだ生きてるんでしょう。確実に3回くらいは死んだはずなのに。最終決戦でも基地に回収したはずの死体が消えてたんでしたっけ?』
「ほら! ほら! 私がライバルだって言ってる!」
「そうは聞こえなかったのです」
でも、ニシャプール様が正義陣営に認識されているのは確かみたいだった。それにしても、三者面談に現れたり水族館に行っていたのに、全くキャッチされていないらしい。正義の味方の情報共有がなってなさすぎる。父のせいな気もする。
『けど、リズンスター、最近顔色いいですよね。戦闘の数値もどんどん上がってるし。今ならニシャプールにとどめを刺せるはずなんですが……』
それはたぶん、よく寝てるし野菜も食べているからだ。ニシャプール様、ライバルがあなたのおかげでどんどん強くなってます。
『確かに……奴は、組織が壊滅してから目立った動きもなく、息を潜めているからな』
そして、父までが、真面目な顔をして言い出したのを見て、ニシャプール様は、何とも言えない顔をした。「呆れた」と「理解できない」を足して2で割ったみたいな顔だった。
でもこうして見ると、仕事中はまだマトモっぽいな……。いや、それっぽく作ってるだけか? なんか表情が虚無っぽい。
「リズンスターって、定期的に記憶喪失にでもなるのかしら」
「よく笑わずに言えますです」
『ニシャプールが莉名さんと会ってしまえば、おそらく、莉名さんは3秒と生きていられないだろう。卵を植え付ける苗床に最適だからね。そうですよね、リズンスター』
あ、この人ら、脅迫動画のこと知らないんだ。たぶん見てる人と見てない人がいるんだろう。
一方、ニシャプール様はそれを聞いて両手を振り回し、分かりやすく憤慨した。
「全く失礼しちゃうわ。いい苗床がいたら3秒で産卵するって。私はサケか! まるで、理性が全くないみたいじゃない!」
サケにそんな習性があるのかとか、産卵と理性が関係あるかはともかく、うん、今回は怒ってもいいと思う。
しかし、そこで初めて、父は何かを少し迷った。困ったような表情も浮かべている。……あ。さすがに、色々話を聞いてもらっているニシャプール様への罪悪感が芽生えたと見える。できることなら、もう少し手前で芽生えてほしかったところだが……。
『まあ、ニシャプールも誰彼構わず卵を産み付ける奴ではないでしょうから、大丈夫だと思いますがね』
「なんでかしら、いちおう庇ってくれてるんだと思うんだけど、すっごく複雑だわ……だって、相手によれば3秒で産み付けるみたいじゃない……」
『でも、莉名ちゃんって本当に聞き訳がいいですよね』
あ、俺の話だ。聞き訳がいい子は親に脅迫動画を何度も送りつけたりはしないと思うのだが、このスタッフの人達は知らないみたいだし。にしても、何の話だ……?
『リズンスターには娘がいない、ってインタビューであえて言って、ニシャプールに狙われにくくするなんて。莉名ちゃんの了解がないと、とてもできませんから。家事もお手伝いしてるみたいですし、本当にいい子ですよね!』
「待て待て待て。何か今、変なこと聞こえたわよ? なんて?」
『快く了解してくれたんですよね? リズンスター、どうやって説明したんですか?』
他のスタッフからキラキラした尊敬のまなざしで聞かれ、父は困ったように笑いながら、それでも真剣な顔をして言い切った。
『もちろん、莉名の身の安全を考えてのことだと、俺自身も心にもないことを言うのは辛いんだと、何度も伝えて分かってもらったさ』
マシロさんとニシャプール様が、同時に俺を見つめた。「えっそうなの?」って顔をしている。いや初耳です。
……うーん。うーん? そんなこと言われた? いつ?
「そんな話がないのにああ言ってたらとんでもない嘘つきよね。滝に打たれに行くべきだわ」
「……ひょっとして……」
「言われてた? なら、それはそれでいいんだけど」
記憶の引き出しを何度も開け閉めしてみたが、あの言葉を聞いた覚えはやっぱりない。せいぜい、何か言いかけて、それを飲み込んだ父の顔が脳裏に浮かんでくるだけ。あれか? あれが説明だったのか?
「わたしの方を見て、何か言いたそうな顔はしてました。でも、結局何も言わず、わたしから顔を背けて去っていくばかりで。でも、お父さんの中では、あれがわたしにちゃんと説明したことになっているのかも」
「もしそうだとするなら、リズンスターが行くべきは滝でなくて病院なのです」
ニシャプール様は、しばらく父を信じられないものを見る目で眺めた後、さっきの「やってほしいことリスト」を手に取り、何やら書き加えた。
〇 体にいいのでもっと野菜を食べてほしい
〇 夜更かしせず、夜は7時間以上寝てほしい
〇 家族に顔を合わせたら、せめて挨拶してほしい
〇 週に1日は休みを取って、ゆっくり体を休めてほしい
× 三者面談に出てほしい
× 気が向いた時でいいので、わたしを見て、困ったように笑う癖をやめてほしい
× 一緒にご飯を食べてるときに、たまに味の感想を言ってほしい
× 半年に一度は一緒に買い物に行って、献立の相談に乗ってほしい
〇 一年に一度でいいから、一緒に遊びに行ってほしい
× 一生に一度だけでいいから……わたしが困ったときに助けてほしい
× 正直に自分の罪を告白する
……5勝6敗。ついに負け越した。父の勝ち越しの日は、まだ遠そうである。
いや、まあわかるよ。「結局莉名に言えなかった」ってみんなに言い出せなかったんだろう。だって職場では、父は絶対的なヒーローだから。
一応は納得している俺のそばで、ニシャプール様は真顔で呟いた。
「あいつ、やっぱり悔い改めさせないと駄目よ。どうしてやろうかしら」
「また脅迫動画送ります?」
「いえ、きっと『どうせ無事に戻ってくる』とか思うだけなのです」
確かに。これが初めて送られてくるならともかく、俺って何度も家に戻っちゃってるもんなぁ。「野菜を食べろ」とかで脅迫動画を消費してしまったのが悔やまれる。
うーーーん。どうせ無事に戻ってくる、と思われるのが駄目なわけだから……。無事じゃなければいいのか? どうせフィクションだし。
「思い切ってわたしが死んじゃう動画を送るとかどうですか? それとか、『わたしに父親はいませんよ』って真顔でメッセージを送るとか。油断してるお父さんもきっと悔い改めるんじゃ」
「悔い改めるっていうか、情緒が粉々に破壊されるんじゃないかしら……? あいつ死なない?」
しかし、マシロさんは少し考え、そっと首を振った。
「悪くないですが、最終手段にしたいですね。その内容なら1度しか送れません」
「まず演技でも嫌よ! 無理やり殺すなんて!」
「じゃあ、無理やりじゃなくて、心中するみたいな……?」
「その方向性で行くなら、よっぽど迫真の演技が必要なのです。さすがに無理でしょう」
色々案は出たが、なかなか纏まらなかった。
「私、そんなの見た時のリズンスターが心配だわ……大丈夫?」
「さっきの感じだと隠蔽されちゃうかもしれないですね。基地の人みんなにも見てもらうとか?」
「さっきから莉名が積極的で怖いわ」
「ま、いきなり心中とかさすがに難しいので、いくつか他の方向性の動画も試作してみましょうか」
「他の方向性、ですか?」
「要は、リズンスターに悔い改めさせたらいいんですよね? 簡単なのです」
かくして、さっそくマシロさん監修のもと、とある動画が作成された。
* * * * * * * * * * * *
(無音のまま、動画が始まる)
朝の薄い光。
踏み台の上に立つ、小さな女の子。
流し台いっぱいの食器を、丁寧に洗っている。
1枚ずつ、泡が残らないよう、何度も。
袖がずり落ちる。
一瞬気にして、口で軽く引き上げ、また懸命に洗う作業に戻る。
洗濯機の前。
女の子は、カゴ一杯の重たい洗濯物を抱え、少しよろけながら投入口に押し込む。
入ったのを確認して、ほっと小さく息をつく。
干し場。
女の子は、洗い終わった洗濯物を一枚ずつ干している。
干し竿は高く、女の子は背伸びをして「よいしょ」と言いながら、指先で洗濯ばさみを止める。
全て干し終わると、女の子は手早く戸締りをして、ランドセルを背負って出かけていった。
画面が切り替わる。
放課後、学校から帰宅した女の子は、掃除機を持ち、広い家の全ての部屋を、隅から隅まで掃除し始めた。掃除機が重いのか、時折転びながら。
画面が切り替わる。
夜の台所。
女の子は、3人分の食器を並べ、位置を揃える。広い食堂には他に誰の姿もなく、寒々とした空気が広がっている。
台所には、コトコトと何かが煮込まれている大きな鍋と、踏み台の椅子。
流し台の脇には、大きな弁当箱が2つ並んでいる。
そして、一通り家事を済ませた女の子が、疲れたようにソファーに座り込んでテレビをつけ、パッと顔を輝かせた。
「……お父さん! お父さんだ!」
『そういえば、娘さんはこの場に呼ばれていないのですか? 平和が訪れたのですから、公の場に姿を現しても良いと思うのですが……』
「早く帰って来ないかなぁ……」
『――私に娘はいませんよ。子供は、ここにいる「ハイランドリール」だけです』
「……え?」
テレビを茫然と見つめる、女の子の後ろ姿だけが映される。
そして無音のまま、画面は暗転する。
* * * * * * * * * * * *
「こんなのでしたっけ? いえ、流れは合ってるんですけど……。わたし、あんなに転びませんし……『よいしょ』とかも言いません。早く帰って来ないかなぁとかは思ってないし、昔ならともかく今はあの程度で疲れたりもしないです」
「いいのです。演出です」
「でもこれで、何か変わります? 普通の私の1日じゃないですか」
「普通じゃないのです」
「え、でも」
「普通じゃ、ないのです」
一方、出来上がった動画を見たニシャプール様は、なんと泣いた。
しかし、その後で泣き止んだニシャプール様から、ある疑義が提示される。
「これはまずいかもしれないわ……タイミングによっては死ぬわよあいつ」と腕を組んだニシャプール様の判断により、すぐに動画を送りつけるのはいったんストップがかかる。
かくして、父にダメージを与えすぎず、かつ悔い改めるような、ちょうどいいぐらいの動画の作成が開始された。難題であった。
「全部あいつが見るわけじゃないんだから、どんどん意見出していきましょ!」というニシャプール様の鶴の一声で、いくつも動画の案が出された。俺も、「家出して雨の中を1人さまよう」「悪の組織の基地に拉致されて怯えながら冷たい床で眠る」などの演技をノリノリで行った。まあ作ったからって全部見るわけじゃないもんな。うん、大丈夫大丈夫。
ちなみにニシャプール様が「全部あいつが見るわけじゃないんだから」と言った瞬間、食器棚に並んでいるカップが全て粉々になるという怪現象が起こった。そして食器棚は、「呪われているのではないか」という疑惑が強まったため、倉庫の奥深くに封印されることとなった。怖い。




