「異教徒だー! 改宗させてやるですー!」
それからまた、しばらく経って、季節が巡り。木枯らしが吹き抜けるようになったころ。
マシロさんが外出中、ニシャプール様とお喋りしているときに。以前から気になっていたことを聞いてみた。気になるというか、俺自身の課題というか。
「マシロさんの表情がなかなか読めないです。たまにわかる時もあるっちゃあるんですが……」
「マシロは、いい子よ?」
「それは知ってますが……そういえば、フェイスシールドかぶらなくなっちゃいましたけど。どうしたんですか?」
ていうか、あれはいったい、なんだったんだろう。ファッションにしては奇抜すぎるような……。
しかし、その答えは、帰ってきたマシロさんが、あっさりと教えてくれた。
「あれは、温度調節の機能がついてまして。地下だと寒いので、かぶってたのです。あたし、寒がりなので」
「今はかぶらないんですか?」
早いもので、もう、いつのまにか12月になっていた。今日も外では、身を切るような冷たい風がびゅうびゅうと吹き抜けている。その影響で、地下はあり得ないほど冷え込んでいた。事実、今も、俺とマシロさんは、こたつに潜り込んでお話している。
マシロさんは、相変わらず、考えていることの読めない顔で、そっと目線を外した。
「まあ……いいんじゃないですか。気が向いたらかぶりますです」
あとで、ニシャプール様が教えてくれた。初めて会ったときの俺が、「何考えてるかわかりにくい」って顔をしてたので、せめて表情が分かるようにと、マシロさんはフェイスシールドを脱ぐようにしてくれたんだって。
「ね? いい子でしょう?」
「……はいっ!」
俺はそれ以降、冷え性のマシロさんにと、レモン系のハーブティーを常備するようになった。マシロさんは、気に入ってくれたらしく、くすぐったそうな顔をして飲んでくれる。誰だこの人の表情が分かりにくいとか言った奴は。
ニシャプール様とマシロさんがどうして一緒にいるようになったのかも気になったので、そちらも聞いてみた。なんでも、入団したてのマシロさんに、組織の施設を案内してくれたのが、ニシャプール様だったんだって。
……意外だ。いや、てっきり逆というか、迷子になって泣いてるニシャプール様をマシロさんが案内したとかそういうのかと……。
「マシロ、あのときもフェイスシールドかぶってたもんね。みんな遠巻きにしてたから、私が声を掛けたのよ」
「自前だったんですかあれ」
「悪の組織だから、キャラが立ってないとダメだと思ったのです」
つーん、と目を閉じて静かに主張するマシロさんは、すごくかわいかったけど……うん。自己主張の角度が急すぎる……。ロフトの階段かな?
「そのとき私は広報部長に異動させられたばっかりだったの。何もする仕事がなくて、基地の中をふらふらしてたら、食堂にフェイスシールドかぶった人間が黙って座ってるんだもん。びっくりしたわ」
「よく考えたら、脱がないと食べられないことに気付いたのですが、すぐに脱ぐとキャラがブレるかなって」
「マシロさんのそのキャラへのこだわりなんなんですか」
まあでも確かに、ニシャプール様は、そういう人がいても気にせず案内はしてくれそうな、そんな信頼はあった。俺の視線を受けて、ニシャプール様は自信満々に胸を張る。
「その点で言うと、私はキャラがはっきりしてるもの。……そう、切れ者というね!」
「まあ、一部を除いて同意しますです」
そして、年末。この日もまた、身に染みるほどの寒さの日だった。冷蔵庫のように凍てついた基地のホールで、俺たちはいつものようにコタツに籠城し、夜までずっとテレビを見ていた。息を吐くたび、口元から白い霞が立ち上る。
……もうすぐ年が、変わる。俺は、テレビを眺めている2人の顔を、なんとなく見つめた。ふふっ、と思わず笑いが零れる。だって、今年の夏前に知り合ったばかりなのに、もう、この2人がいない生活なんて、想像できない。
ニシャプール様が、視線を感じたのか、俺の方をちらりと振り向いた。その首には分厚いマフラーが巻かれており、コタツから出た上半身は、毛糸のベストでがっちりとガードされている。
マシロさんはさらに重装備で、カーディガンの上に着る毛布を羽織り、毛糸の帽子、耳当て、これまたしっかり巻かれた分厚いマフラー。
数日前、いたずらでマシロさんの首筋に冷たい手を入れたニシャプール様は、その後、泣くまで叱られていた。おそらく春の訪れがやってくるまで、マシロさんのことはより丁重に扱う必要があるだろう。
そのまま、コタツのテーブルの上を、何となく眺めた。うん、必要なものはすべて揃っている。みかん、ニシャプール様が広告で折ってくれたゴミ箱、おせちの重箱、日本酒の瓶とおちょこ。……ん? 日本酒……? おとそじゃなく?
「じゃ、年越しそば茹でてきたから、食べましょ。ほら、食べるときは、いただきます、よ」
「いただきますのです」
「いただきます」
ジャンケンの結果、ニシャプール様が負け、コタツを出て、3人分のそばを茹でてくれた。別に食べなくてもいいじゃないかと言った俺とマシロさんに対し、「年越しそばがないと年越しができない」と主張したので、まあ、責任を取ってもらおう。
ちなみにジャンケンの時のマシロさんは、明らかにガチだった。反則にならない程度の後出し、心理戦による揺さぶりなども駆使し、勝ちにいくことしか考えていない目をしていた。
「「「あけましておめでとうございます」」」
0時を回り、俺達は頭を下げ合った。どうか、今年がいい年になりますように。
「そういえば、莉名ってリズンスターたちと過ごさなくてよかったの?」
「父も兄も、職場の忘年会と新年会が続けてあるそうなので……」
ニシャプール様は、自分で聞いておきながら、もうあんまり興味なさそうにミカンを剥き始めた。というか、こっくりしながら目が半分閉じているので、寝てるなこれは……。
俺は、タイミングを見て、すーすーと寝息を立て始めたニシャプール様を持ち上げ、寝床に運んだ。ニシャプール様との特訓の成果か、変身しなくても、人1人くらいなら軽く持ち上げられるのである。布団の中にはモッちゃんが先回りしていて、布団をいい感じの温度に温めてくれていた。まさしく忠臣の鑑であった。
そして元日。よく寝たことで元気が充填されたのか、ニシャプール様は朝からご機嫌だった。いや、まあわかる。新年ってなんかテンション上がるよね。そして、ご機嫌なニシャプール様は、日本酒の瓶を取り出し、おちょこにとくとくと注ぎ始めた。
「なんか新年は飲んでも許されるって風潮あるわよね? ないなら私が作るわ!」
「莉名さんがいるのに飲み始めるのはどうかと思うのです」
「あ、大丈夫ですよ。わたし、お酒けっこう飲んでましたし。日本酒も嫌いじゃないので」
「……ん? ああ、前世か……」
一瞬、咎めるような目でこちらを見たものの、ニシャプール様は、すぐに納得したように瓶に視線を戻した。今でも信じられないことなのだが、俺の前世について、ニシャプール様の中では、完全に事実として確定しているらしかった。マシロさんはまだ半信半疑って印象。
というか、俺はかつて父に前世があると告白したわけだが、今考えるとアレは信じてなかったのでは……? なんか、思い返すと反応的にそんな気がする。 「ここ一緒に見に行ってみないか?」とか言ってカウンセリングのチラシ渡してきたもん。俺は家事が忙しくて断ってたが……。
「じゃあ、酒好きの莉名にはこれ!」
ドン! と俺の目の前に置かれたのは、細長い瓶に入った蜂蜜だった。手に取り、ひっくり返して成分表を確認してみる。うん、蜂蜜だ。蜂蜜酒とかでもない。
「莉名はハチノスツヅリガだから、きっと蜂蜜を飲んだら酔っぱらえると思うの!」
「まあ、可能性としてはあり得ますですが……」
「わたし、せっかくだから飲んでみたいです! お正月ですし!」
正月だから、という言葉で、大概のことが許されるような気がしてくるのはどうしてだろう。ともかく俺達は、乾杯した。俺は蜂蜜、残りの2人は日本酒。
「お2人は、お酒強いんですか?」
「弱くはないわ」
「ニシャプール様からは、あまり飲まないように止められてますです」
えっ意外。マシロさんってなんか強いイメージがあったけど、そうでもないらしい。でもまあ、1杯だけ、1杯だけ。
「――あはははははは!」
誰かが笑っていると思ったら、マシロさんだった。顔を赤くして、嬉しそうにけらけら笑いながら、ニシャプール様の肩をバンバンと叩いている。……ちょっと目を離した隙に、完全に出来上がっておられる……。
「マシロ、それ何杯目?」
「何杯目だと思いますです?」
「5杯目よ」
「わかってるなら聞くなです!」
バゴン! と後頭部に強烈な張り手をくらい、ゴッ! とニシャプール様がコタツに額を激しく打ちつける。やばい、マシロさん、お酒が入るとフィジカル系だった。
赤くなったおでこをさすりながら、ニシャプール様はマシロさんを軽く睨んだ。
「飲みすぎよ、マシロ」
「注いでくれたのは誰です?」
「私が3杯、莉名が2杯よ」
「じゃあ、責任の内訳は? です」
「まあ……責任って言うなら私が10割かしらねぇ……! ていうかずっと思ってたんだけど。その『です』っていうの、キャラ作りでしょ。今も無理やりくっつけてたじゃない」
「かしら、とか素面で言う人に言われても、ちょっと困るです」
ねー、と言いながら、マシロさんは俺の頬っぺたをつんつんと指でつついた。あっよかった、いちおう叩く相手は判別してくれてるらしい。それにしても、いつもが嘘みたいにニッコニコである。俺と違って生粋の童女のような、誰にも愛されるであろう、曇りなき笑みだった。
「そうなんですよ。問題はそこです」
俺が、おちょこをコタツのテーブルにコトリと置くと、ニシャプール様はびくりと身を震わせた。……あれ? 俺っていつの間にか日本酒飲んでた?
「違うわ。おちょこの方が気分が出るだろうからって、私が渡したでしょ」
「ああそうでしたか。では」
ぐびぐび、と俺はおちょこの蜂蜜を飲み干し、とくとくと自分でお代わりを注いだ。ニシャプール様が、おずおずと何やら提案してくる。
「あの、莉名もね。ちょっと飲みすぎだと思うの」
「蜂蜜って飲みすぎとかあるんですか?」
俺から蜂蜜の瓶を取り上げたニシャプール様をちょっと睨むと、ニシャプール様はあわあわと焦った。
「いや、わかんないけどね。でも、ちょっと良くなさそうというか」
「最初の方に『もっと飲んでいいのよ』って言ったじゃないですか」
「そうだそうだ、ですー。ニシャプール様は言葉に責任を持てー」
ニシャプール様が、何やら騒いでいるマシロさんの頭を押さえてコタツに押し込むと、マシロさんはそのままコタツの中でもぞもぞとし始める。それを呆れたような目で見下ろし、ニシャプール様は再びこちらに向き直った。
「言った、言ったけどね。で、莉名は何を怒ってるの?」
「お父さんがわたしに冷たいのって、わたしが子供らしくないからでしょうか」
「そんなことないと思うわ!」
「でも、冷たいですよね?」
「…………」
ニシャプール様は、そっと、でも明らかに目をそらした。
「じゃあ、ニシャプール様は、どう思います? まず、冷たいか冷たくないかで言うと、どっちですかね?」
「うんと、あたしはね、冷たいと思うです!」
コタツから顔を出し、マシロさんが1票を投じてくれた。俺も冷たい派なので、既に2票が投じられたことになる。早くも過半数である。最大与党である。
俺はニシャプール様へ、うやうやしく手を差し伸べた。
「ニシャプール様。今ならあなたも与党になれます。さあ、こちらへ」
すると、ピッピッと、ニシャプール様は、眉間に盛大に皺を寄せたままスマホを操作し、誰かに電話を掛け始めた。
『どうした、何かあったか?』
「あなたの家庭での責任が私に飛んできてるの。どうにかしてくれる? というか、あなたの娘、酒癖悪いわ」
「あ、直接聞けってことですね。一理あります。ちょっと貸してください」
俺は、ニシャプール様からスマホを奪い取った。電話の向こう側は、新年会のはずなのに、しんと静まり返っている。ふーん、まだ始まる前なのかな? 思わず、くすくすと笑いが漏れてしまう。
「お父さん、あけましておめでとう。ところで、今って何してるの?」
『今は職場の新年会だ。すまないな、一緒に過ごしてやれなくて』
「お父さんの同僚の人(※兄)に聞いたらね、職場の新年会って明日なんだってさ。……で、もう1度聞くね。お父さんって、わたしのこと、どう思ってるの? やっぱり邪魔? 新年も嘘ついて顔を合わせたくないくらいだもんね」
『…………ブツッ』
「あ、切った。もう、電話にはリダイヤルがあるって知らないのかな?教えてあげなきゃ」
「莉名さん莉名さん。リダイヤルって最近聞かないですよー」
マシロさんがニコニコしながら、ぺたっと頬をくっつけてくる。あ、しっとりしてる。あったかい。
「お父さんが今電話切ったのって、(1)その通り、わたしのことが邪魔だから(2)話したくもなかったから(3)なんて答えたらいいか分からなかったから、のどれだと思います? わたしはギリギリ(3)だと思いますが、それはそれで大人としてどうかなって」
すると、困ったような顔をしたニシャプール様が俺からスマホを奪い取り、再びどこかに電話した。しばらく相手は出なかったようで、1分以上鳴らしていた。あ。出た。
「リズンスター!! あんたもう、直接ここに来なさい!!」
『俺は今、新年会で忙しい。お前ら酔っ払いの相手をしている暇はない』
「そんな静かな新年会があるか!!」
『俺たちは粛々とした雰囲気を重んじるんだ。だから忙しいし、絶対にそこには行けない』
「嘘つけ!!」
「ていうか、ニシャプール様って、お父さんの連絡先、いつの間にか知ってたんですね」
「えっうん、だって莉名が熱出したときとかに連絡しないといけないでしょ。だから水族館行ったときに聞いたの」
俺がじとりとした目で見つめると、ニシャプール様は怪訝そうな顔でこちらを見返してきた。後ろ暗いところが全くなさそうな顔だった。なんだか悔しい。俺はそっとミカンに手を伸ばす。
「もう少し恥じらうとかしてくださいよ。まるでうちのお父さんが異性として問題外みたいじゃないですか」
「あなたリズンスターにどうなってほしいのよ。それに私、リズンスターとそういう関係になるくらいだったら死ぬわ」
「死ぬ」
ニシャプール様の顔を見つめると、真顔だった。1ミリも笑っていない。マネキンみたいに表情を動かさないまま、ニシャプール様は頷く。
「うん。刀で首を切って自害する。だってマジで無理だから」
「わたしはこんなにニシャプール様が好きなのに、親子になってもらえないんですね……」
「なら養子に来なさい。許すわ」
「御意」
「急に莉名が侍に……」
俺は、ニシャプール様の膝の上にそっと座った。娘なので。そして、ニシャプール様の膝の上に乗ったまま、くるりと振り返る。その目を、正面から見上げた。
お酒も飲んでるはずなのにいつもと様子が変わらないニシャプール様は、困ったように眉を下げていた。何に困っているのか。状況を整理すると、俺が膝の上に座っていることが原因だと思われた。
「わたしは娘だけど、義理だからこんなことしちゃ駄目ですか? ニシャプール様は、血の繋がりがないと家族とは認められないタイプの人ですか?」
「いや、そういうわけじゃないけど……なんか嫌な話の詰め方してくるわね」
『娘をよその家にやる時がこんなに早く来るとはな……』
「なんであんたもちょっと前向きなのよ。ていうかまだ電話切れてなかったんかい。ほら、莉名。せっかくだからパパにメッセージ!」
「今まで掛かったお金はまとめて請求していただけたら、わたしが成人したらお支払いします」
「そういう事務的な話はやめて! 関係を残しておきたくなくて清算したい、みたいに聞こえちゃうから!」
『……わかった……莉名がそうしたいなら……』
そこで、マシロさんがコタツの中から足をぐいぐいと引っ張ってきたので、俺もコタツの中に頭を突っ込んだ。おお、頭があったかい。あと、赤い光がちょっとまぶしい。
「莉名さん莉名さん、目玉焼きには何かける派ですか? 正解以外を答えた場合は異教徒なので、心して答えるです。ちなみにあたしは塩派です」
「わたしはお醤油派ですよ」
「異教徒だー! このっこのっ。改宗させてやるですー!」
マシロさんが目を輝かせながら身体ごと近づいてきた。おでこ同士をぴとりとくっつけたかと思うと、そのままぐりぐりと擦り付けてくる。……おお、確かに塩もいいかも、って気分になってきた……。
一方、コタツの外では、まだニシャプール様が電話と何やらお話していた。
「震え声で頼むのやめてくれる? そういう話は私を挟まないでやって? っていうか、ぶっちゃけなんでそんなに冷たいのよ。大事ではあるんでしょ?」
『それは……』
「うん、それは? 言ってみて?」
ニシャプール様が、とても優しい声で聞き返した。俺もついつい耳を傾ける。コタツの中だろうが関係なく、よく聞こえた。どうも、鍛錬をしていることが原因か、最近どんどん耳が良くなっている気がするのだ。
そして、父は、しばらく沈黙した後、口を開いた。
『……ほぼ全て、お前のせいだ』
「責任転嫁にも程があるわ!!!」
ニシャプール様の大声は、俺でなくとも聞こえたらしく、マシロさんが、「ん?」という顔でそちらに頭を動かした。




