「そこをひっくり返すから面白いんじゃない!」
ニシャプール様は、「リズンスター引退撤回!!!」というニュースを横目で見ながら、深々と溜息をついた。
「よかった、引退しないってことは死なないわよね。……大丈夫? 明日になって死んでたりしたら、私、トラウマになっちゃいそう」
「相手が100人いても単身1人で突入するくらい勇気はあるはずなんですけどね……」
俺がいちおう訂正すると、ニシャプール様は、怪訝そうな顔で首をひねった。
「それって勇気なのかしら……?」
「前の首領が集めた精鋭が全滅した件ですかね。ちなみにリズンスターが勝ちましたです」
「だから学ばないのね。理解したわ」
……やばい。家族の評価が落ちてると、なんだかそわそわするな……。よし、ここは、さっきのニシャプール様を見習って、いいところをなんとか挙げていこう!
「変身したお父さんは、10センチの鉄板をパンチ一発で貫くんですよ!」
「そんな力で怪人殴るのやめてくれませんかねぇ……」
「ちなみに私は鉄板なら1メートルでもぶち抜けるわけだけど、なんでかあいつに勝てなかったのよね……」
しみじみと言うニシャプール様の台詞が耳に入ってきた。……ん? なんか、今、単位が違ったような……え? 1メートル? メートル!?
「……ニシャプール様すごくないですか?」
「だって悔しいから。負けるたびにすっごく鍛錬して、新技もいっぱい開発して、絶対成功しそうな作戦も考えて。でもなんか勝てないの」
その後、「ごめん、いったん家に戻ってくれる? あいつのメンタルが心配だわ」という指示を受け、俺は自宅へ戻った。家出したばかりではあったが、俺も同感だった。
父と顔を合わせたので、「今のままのお父さんが大好き!」と言い続けると、死にたそうな目で見返された。何だ不満なのか。父さんはいったい俺にどうしてほしいんだ。
そして、次の土曜日。いつの間にか梅雨も明け、抜けるような快晴の日。もうすぐ夏休みを控えているだけあって、この日も、夏の盛りを思わせるような暑い日だった。
俺は、このところ家庭内に漂う非常にどんよりとした空気の切り替えを図るべく、父を引っ張って一緒に水族館に出かけた。大きな門をくぐり、長いエスカレーターで一番上まで登る。ふむふむ、ここから順番に降りていく、って形なんだ。
入口すぐに設置されていたアーチ型の水槽の中には、食卓にも並んでいるような馴染みのある魚が泳いでおり、父はそれをぼーっと目で追っていた。うん、着いた時点で知ってた。父が興味があんまりなさそうなことは。そうだよな、水族館にブランコないもんな。いや、いい。こうなったら、今日で水族館の楽しさを知らしめてくれる。
そして、俺が父の手を引いて暗い通路を進んでいると、角から、サングラスを掛けたニシャプール様がゆらりと現れた。イベントのスケジュールが手書きで細かくチェックされたパンフレットを掲げ、ニヤリと笑っている。寝不足で真っ赤に充血している目からして、おそらく父が自殺しないか心配で、たまらず来てくれたのだと思われた。
「ほら、もうすぐイルカショーが始まるわよ」
ニシャプール様が戦闘態勢でないからか、最近惨敗しているからかは分からないが、父も素直についていった。そうして、道中、父が何やらごそごそとニシャプール様に囁いた。ニシャプール様が、ニコニコの笑顔で俺を振り向く。
「ねえ莉名、イルカショーは前の席だと水が掛かるみたい! それも楽しそうだけど、濡れずに見たい? どっちかしら?」
……直接言え! いや、まあいい。
「あの、せっかくだから前で見たいです。ポンチョも買ってきました。これ、父の分です」
「いいわね! それ私も買ってきた! よし、最前列で見るわよ!!」
そして、俺たち3人は、ショーでイルカの跳ねた水がもろに掛かり、最前列でまとめてびしょ濡れになった。ぽたぽたと全身から水をしたたらせ、茫然としている父の横で、俺とニシャプール様は、顔を見合わせて噴き出す。
「何あれ! すごく上まで跳んだわよ! それにスタッフと泳いだり……。わたしも、モッちゃんと一緒にああいうことできるかしら? ていうか冷たい! ポンチョ意味ない!」
「いえ、意味はありそうです」
渡したのになぜかポンチョを被らなかった父は、服のまま水中に飛び込んだのと同じくらい全身ずぶ濡れになっていた。ていうかなんで被らなかったんだ。すごく自信満々で、さっきまで「こういうのは全然水なんて飛んでこないもんなんだ」って、ニシャプール様に言ってたじゃん。いや俺も直前まで同じことを思ってたけれども。
……言っちゃったからか。ニシャプール様にそう言っちゃったから、途中で被るなんてかっこ悪くてできなかったのか。
父は、水でぺたんこになった髪をかき上げ、ニシャプール様にぼそぼそと何か言った。
「えっと……。直接聞けば? まあいいけど」
そして、ニシャプール様はくるりとこちらに振り向いた。
「ごはん、何食べたい? 和食と洋食と中華だと、どんな気分?」
……通訳かな? あと俺の以前の質問をちゃっかりパクるな。
しかし、俺も次第に理解した。父も、何も言いたくないわけではないらしい。ニシャプール様が間に入れば、ちゃんと話してくれる。ニシャプール様は、この前の長電話で信頼を勝ち取ったらしく、父と(俺比だと)普通に喋れるようになっていた。ニシャプール様すごい。
うーん……この前の買い物のときはいちおう、俺とも話してくれてたのに……。なんだか後退してしまった感。まあいいか。
そして、俺が最後に土産店で、兄とマシロさんへのお土産を見ているときだった。父とニシャプール様の会話が耳に入ってきた。
「莉名が、俺に助けを求めてくれないんだ」
えっ? この状態でそんなこと言う? 俺の中では、父って助けを求める対象じゃないというか……。やってほしいこと一覧に入れたのも、せっかくだから正義の味方として1度くらいは助けてもらいたい、みたいな意味だし。
「そんなの当たり前よ。子供なんだから、こっちが気付けるように見ておかないと。かと言って、無理やり助けてって言わせるんじゃなくて……なんていうか、困ったときに相談できるっていう選択肢を持たせておく、っていうか」
意外にしっかりした答えを返したニシャプール様は、土産店を出た後、俺と父にもお土産をくれた。お揃いの、イルカのキーホルダー。
「ありがとうございます!」
「ふふふー、私も買ったもんね」
ニシャプール様は、同じキーホルダーを、ゆらゆらと揺らして自慢してきた。俺も、さっきひそかに買っておいた、イルカをイメージしたというサイダーを3つ差し出し、ベンチを指さした。
「あっちで座って飲みましょう!」
「あら、気が利くわね。さすが組織のNo.3ね」
そして、何か言ったわけではなかったけれど、父はあからさまに動揺していた。1人だけ何も用意していなかったからだと思う。やがて、何を思ったのか水族館の入場券の裏にさらさらとサインをして、俺たちにそっと差し出した。
「いちおう私、敵なんだけど。そんなのいらないわ」
「わたしも、家族からサイン貰ってもあんまりうれしくないかな……」
家に帰ると、父が再びそっと何かを差し出してきた。またサインかな?
……いや、丸い、えーっと、ボタン? 俺が父を見上げると、ぼそりと教えてくれた。
「助けてほしいときはこれを押せ。絶対に助けに行く」
おお、ニシャプール様のアドバイスをさっそく実行に移してくれたらしい。俺は、ポーチにボタンを入れ、おずおずと頭を下げて、小さくお礼を言った。むずむずして、なんとなく収まりが悪かった。
水族館にお出かけして以降、俺は、家と基地を往復することが多くなった。父からは止められなくなったし。そして、素体をコントロールする訓練を主にして、空いた時間は、怪人たちの戦闘記録を見ることが多くなった。なんとなく、父の正義の味方としての活動を、もっと知りたくなったのだ。
そうして今日も、俺は、ぺらり、と記録をめくる。
(1)イカ怪人
始めて完成した怪人。街の住民をイカしか食べられないようにしようと考え、洗脳電波をまき散らそうとした。リズンスターにキックで粉々にされる。最後の言葉は、「冥途の土産に、我が組織の目的を教えてやろう」だった。
(2)ネコ怪人
野良猫を調教して住民を襲わせようとしているところをリズンスターに発見され、多数の猫との協力プレイでリズンスターを追い詰めた。新必殺技をまともに食らい爆死。最後の台詞は「この数相手なら、いくらお前でも勝ち目はないだろう」。
(3)トラ怪人
ロボ相手の初めての殉職者。巨大化し、街で暴れ回るも、こんなこともあろうかと事前に作られていたロボに撃破され、死亡。最後の台詞は、「大きな物体が接近中だと? どうせレーダーの故障だ」だった。
うーん……イカ怪人の目的はそれでいいのか、とか、疑問は尽きないけれど。
さすが悪の組織というか、見事に死亡フラグを立てて死んでる人(?)しかいない。このドクターとかすごいもん。「私の最高傑作を見るがいい」とか言って最新の改造怪人を出してきて、その改造怪人が暴走して死亡。美しさすら感じる。というか、みんな死にそうな台詞ばっかり言ってる。これって社風みたいなものなのか……?
俺は、3人でおやつを食べているとき、その話を振ってみた。しかし、どうも要領を得ない。不思議そうな顔で、首をかしげる2人。
そこで、俺は思い切って、ある質問を投げかけてみた。
「死亡フラグ、ってご存じですか?」
「なにそれ」
「聞いたことないですねぇ」
2人は、即座に首を振った。……聞いたことが、ない? ニシャプール様はともかく、あの何でも知ってるマシロさんが?
もし、仮に。この世界にそういう概念が浸透してなかったとしよう。するとどうなる?
俺の脳裏で、「この至近距離からの砲撃ならひとたまりも……な、なんですって!?」と叫ぶニシャプール様と。「こ、こんなのあたしのデータにないです!」と言うマシロさんの姿が、くっきりと思い描かれた。
そして、もし。2人が、それが原因で、本当に死んでしまったりしたら。俺は……きっと、一生後悔する。だって、さっきの記録が教えてくれた。この世界では、そういう未来が、いくらでもあり得るんだって。
俺は、しばらく下を向いて悩み、ぎゅっと、膝の上で手を握り締めた。そして、勢いよく顔を上げる。……今が打ち明け時だ、と思った。
びっくりしている2人の顔が、目に入ってきた。いや、正確にはマシロさんはあんまり表情が変わらないから、驚いていたのは主に1人だけど。
「あの、聞いてほしいことがあるんです。――わたしの、前世について」
そして俺は、2人に、前世があるという話を伝えた。そして、そこで死亡フラグという概念があり、どうやらその法則(?)自体は、この世界でも生きているようだ、とも。
マシロさんは、珍しく感情が表面に出てきていた。明らかにドン引きしていた。
一方、ニシャプール様は、目をキラキラと輝かせて、俺を見つめた。まるで、宝物を見つけた小学生みたいな顔だった。
「じゃあ、じゃあ、私がリズンスターに勝てなかった理由ってそれ?」
「たぶんそうです。悪の組織って、少なくとも公式の戦いだと正義の味方に絶対勝てないんです」
「なら、最初の時点で負けが決まってるってことですか? 絶望しかないじゃないです?」
すると、ニシャプール様は嬉しそうに胸を反らせた。
「ふふ、そこをひっくり返すから面白いんじゃない!」
本気でそう思っている顔だった。マシロさんは、しばらく黙り込んだ後、呟いた。
「たまに、ニシャプール様のバカさがまぶしく見えますです」
「では、お2人に、死亡フラグとは何かということをお伝えします。今から言うことは、できるだけ、回避してください」
俺は、ホールの端に置いてあったホワイトボードに、背伸びしながら、キュッキュッと事例を書いていった。インキの匂いが鼻を突く。
「まず、危なそうな台詞はやめてってことですね。その、何か起こっちゃいそうな台詞っていうか……」
俺がさっそく言葉に困ると、2人は顔を見合わせた。
「危なそうな台詞って、どういう台詞です……?」
「誰でもいいから切りつけたいとか?」
ニシャプール様。それは危なそうじゃなくて、危ない台詞です。
「そういえば、幹部のあいつもいつも言ってた気がするわ。ナイフをペロペロしながら言ってて、『衛生観念どうなってるのかしら?』って思った記憶があるもの」
「いえ、ちょっと違って……ほら、『冥土の土産に教えてやる』とか、ああいうのが駄目なんです! どうしても言いたかったら、とどめを刺してから言ってください」
「それだと、土産にならなくないです……?」
「言いたいわよねぇ。いったい何が危ないの?」
俺は、言葉に困った。いったい何が危ないか。それは、その後の展開であり、流れである。どう説明したらわかってもらえるんだろう。
「例えば! 怪談の舞台になった怪しい洋館に入っていく地元の無謀な若者とか! サメがいるって噂の海の沖合でゆらゆら揺れる小さな黄色いゴムボートとか! もうこいつら絶対死ぬってやつがあるじゃないですか。アレと一緒です! 不幸を呼び寄せるんです!」
「聞いたことないですけどねえ。でも確かに危なそうな気はしますです」
そこで俺も言ってて気付いた。そうだ、自分のことってあんまり気づけないかも。
「ここはお互いチェックした方がいいかもしれませんね」
「他にはどんなのがあるんです?」
「例えば、相手の組織に出入りしてる内通者は死にやすいです。あと、敵対組織の身内とかも」
俺がそう言うと、ニシャプール様が、ハッと口に手を当てて、なぜか悲し気にこちらを見つめた。一方、マシロさんは、腕を組んで考え込む。
「まあそれは、一般的にもそうでは? 内通者が死にやすいなんて当たり前です?」
「いえ、内通してなくても、戦闘以外で仲良くし出す時点でもう駄目なんです。特に幹部で、女性とかだと最悪ですね。男のヒーローを庇って最後死ぬやつですよ」
「……へー、です」
マシロさんは、俺とニシャプール様を、ゆっくりと交互に見た。その目には、なぜか憐憫の情が浮かんでいるような気がした。……何その反応。
「でもそういえば、幹部って全滅が基本だったような。生き残ったの見たことないかも」
そうだ。悪の組織というのは、なぜか1対1の戦いを終盤まで繰り広げ、最終的には組織が崩壊していくというのが典型だった気がする。下っ端怪人が見逃されるパターンはたまにあれど、幹部はそういうのあったかなぁ……。
「ちなみに、ドクターはどうなんです? 正式なドクター役じゃなくてもかまいません」
マシロさんが手を挙げた。俺は再び考え込む。
「博士も死亡率ほぼ100%ですね。正式にドクターだろうがそうでなかろうが、だいたい惨たらしく死にます」
「相手ヒーローなのに、惨たらしく殺されるんです?」
それもそうなんだけど。よく考えたら、必殺技で四散させる時点で惨たらしいような……。
「けど、マシロさん。捕まえた怪人に注射して安楽死させるヒーローは嫌じゃありません?」
「確かに、なんか管理社会っぽいです……」
ともかくこれからも何度か死亡フラグについて勉強しようと伝えていると、俺の携帯がプルル、と鳴った。父さん? え? ニシャプール様と話したい?
「はいもしもし。……死ぬのやめた? 結構じゃない。うん、私が倒すまで絶対死なないこと。約束よ。よし、いい子ね。うん、いるわよ。元気にしてる。はいはい、夕飯までに帰るよう言っとくわ」
上機嫌なニシャプール様は、父にも優しい。
電話が終わった後、俺はニシャプールを見ながら口を開いた。
「ニシャプール様って、ほんとにお母さんみたいですよね。敵なのに……」
「首領みたいに病死で終わったんじゃ、なんかすっきりしないでしょ。リズンスターとは決着つけるって約束してるんだから」
「……病死? 前の首領って、病死したんですか?」
「え、ええ。寿命だったんじゃないかしら。お年だったし」
戸惑ったように答えるニシャプール様は、嘘をついているようには見えなかった。俺は、そのまま考え込む。
――首領が、病死して。悪の組織は壊滅し、平和が訪れたという。
……そんなことが、あり得るのだろうか?




