第14章 ― 探偵の真実
夕暮れは、真実を曖昧に包み込む時間だ。
光と影の境界が溶け合い、心の奥に隠されていた声が、そっと浮かび上がる。
守るために生まれた存在と、守られることを恐れる心。
この教室で交わされる言葉は、救いになるのか、それとも新たな亀裂を生むのか――
ひかりはまだ知らない。
選択が、もう逃れられないところまで来ていることを。
夕暮れの光が、窓からゆっくりと差し込む教室。
ひかりは机に座り、手を握りしめたまま呼吸を整えていた。
体の奥には、りんの存在が静かに潜んでいる。
心の中で、どちらが主導権を持っているのか、答えは見えなかった。
扉が静かに開き、くろがわが入ってくる。
その動きは落ち着いていて、しかし、部屋の空気が一瞬で変わるほどの存在感があった。
「ひかり、座っていいかな?」
声は柔らかいが、全体に力強さがある。
ひかりは小さく頷く。
胸の奥で、緊張と恐怖が交錯する。
くろがわは席の前に座り、静かに言葉を紡ぐ。
「君の正体は、ほぼわかった」
ひかりは目を見開く。
「……正体……?」
声に震えが混じる。
「過去に、似たようなケースを見たことがある」
くろがわは机に肘をつき、視線を落とす。
「人格の分裂、抑圧されたトラウマ……一部が他を守ろうとして、でも制御できない」
その言葉に、ひかりは小さく息を漏らした。
「誰も傷つけたくない……」
ひかりの声は、か細く、しかし真剣だった。
「あの夜のこと……全部私のせい?」
くろがわは静かに首を振る。
「いいや、君だけのせいじゃない。問題は、君の中の別の存在――りん――が、君を守るために行動していることだ」
ひかりは眉をひそめる。
「守る……? でも、誰かを傷つけた……」
「その通り。でも、りんの意志は君を守るためだけに動いている」
くろがわは、そう言いながらも、目を細めて観察する。
部屋の中の空気が微かに揺れる。
ひかりの視線が、水の入ったボトルに映る自分の姿に留まる。
そこに、りんの影が現れた。
「信じたら……彼が私たちを壊す」
ひかりの体は硬直する。
りんの声は冷たく、しかし、まるで囁く風のように耳に届く。
くろがわは静かに言う。
「信頼してくれ。君が自分を守る力だけでは足りない。僕が助ける」
「でも……りんが……」
ひかりは言葉を詰まらせ、視線を伏せる。
「君が恐れていることも分かる。でも、ここで逃げてはいけない」
くろがわの声は優しいが、圧力を伴う。
「僕を信じれば、君も、りんも傷つけずに済むはずだ」
水のボトルに映るりんが、微笑む。
「信じたら……すべてを失う」
その表情は美しく、しかし氷のように冷たい。
ひかりは心の中で、叫びを上げる。
誰を信じればいいのか――自分自身? それともくろがわ? それともりん?
「ひかり、答えを急がなくていい」
くろがわは穏やかに、しかし確実に言う。
「選ぶのは君自身だ。でも、今逃げることはできない」
ひかりの心臓は速く打つ。
冷静に考えようとしても、りんの存在が胸を締め付ける。
あの夜の屋上、血の感触、消えた時間――すべてが頭の中でぐるぐると回る。
「……わからない……誰を……信じれば……」
ひかりの声が小さく揺れる。
くろがわは少し顔をしかめ、しかし、手を差し伸べることはせず、静かに見守る。
「信じるとは……選択することだ。恐怖や罪悪感と向き合うことだ」
くろがわの言葉が、ひかりの耳にゆっくりと染み込む。
りんの影は水のボトルから消え、しかしその冷たさは心に残る。
ひかりは手を膝に置き、深く息を吸う。
目を閉じる。
「……やっぱり、怖い……でも……誰も傷つけたくない」
くろがわは静かにうなずく。
「その気持ちがあるなら、君は一歩を踏み出せる。僕がいる」
部屋の空気が少しずつ、重苦しい静寂から、わずかに安堵を含む緊張へと変わった。
教室を出たあと、廊下にはすでに夜の気配が忍び寄っていた。
窓に映る自分の姿を見つめながら、ひかりは胸に残る重みを確かめる。
答えは出ていない。
信頼も、恐怖も、まだ心の中で絡み合ったままだ。
それでも、逃げなかった。
それだけが、今のひかりにできた唯一の選択だった。
静寂の奥で、りんは何も語らない。
だが、その沈黙は終わりではなく、次に訪れる決断の前触れのようでもあった。
夕闇はすべてを飲み込みながら、
ひかりを、次の夜へと導いていく。




