第11章 ― 新たな罪
夜の風が校舎の屋上を冷たく撫でる。
ひかりは粗いコンクリートの床に膝を抱えて座り、意識の霧の中で目を覚ます。
どうしてここにいるのか、記憶は砂のように手のひらから零れ落ち、指先には乾いた血がこびりついていた。
「……ここ……?」
小さく、震える声。
街の灯りが遠くに瞬く中、隣にはりんが腰掛け、無邪気に足をぶらぶらさせている。
彼女の微笑みは柔らかいが、胸の奥に冷たい違和感を残す。
この夜、ひかりは自分が何をしたのか――そして誰を傷つけたのか――理解できないまま、恐怖と罪悪感に押し潰されそうになる。
夜の風が校舎の屋上を冷たく撫でる。
ひかりは、粗いコンクリートの床に膝を抱えたまま目を覚ました。
頭の奥が重く、意識は霧の中にある。
どうやってここに来たのか、記憶の欠片は手のひらから零れ落ちる砂のように消え去っていた。
指先に触れた感覚が、奇妙な冷たさを伝える。
目を下ろすと、爪の間には乾いた血がこびりついていた。
思わず息を呑む。手を洗いたくても、体が震え、足は床に釘付けになったように動かない。
「……ここ……?」
声は小さく、震えながらも屋上の空に溶けていった。
見上げると、金網越しに街の灯りが瞬き、遠くの車のライトが川のように流れている。
静かで平和な景色――それに反して、胸の奥は不安で押し潰されそうだ。
ふと、隣を見ると、りんがいた。
フェンスの縁に腰掛け、足を無邪気にぶらぶらさせながら夜空を見上げる。
まるで、ここが遊び場であるかのように振る舞うその姿は、不気味なほどに自然で、異世界からの訪問者のようでもあった。
「おはよう、ひかり」
りんの声は柔らかく、穏やかで、けれども胸の奥に小さな凍りつくような違和感を残す。
ひかりは視線を合わせられず、ただ爪にこびりついた血を見つめる。
「私……何をしたの……?」
震える声は、問いかけではなく、懺悔のようだった。
血の意味を、行為を、誰を傷つけたのか――理解できず、しかし本能的に恐怖を感じている。
りんは微笑みながら、肩をすくめる。
「大したことじゃないよ。ただ、誰かが君を見すぎただけ」
ひかりは眉をひそめ、言葉を探す。
「……でも……血が……私の……?」
「君のせいじゃない。少し、学んだだけ」
りんはあくまで淡々と、しかし絶対的な存在感で告げる。
「学んだ……?」
ひかりは体を震わせ、声がかすれる。
「誰を……傷つけたの……?」
りんは少し顔を傾ける。
「まだ生きてる。安心して」
「でも、私……覚えてない……」
「それでもいいの。覚えていないことも、君の一部だから」
胸の奥で、理性と感情が衝突する。
自分が何をしたのか覚えていない。
けれども、失われた時間の重さ、指先の感覚、そしてりんの存在が、すべて答えを知っている。
「……怖い……どうして……」
ひかりは膝を抱え、顔を伏せる。
「怖い? そうだね。でも怖いだけじゃ、誰も変えられない」
りんの言葉は、遊び心を帯びていながらも、確実に現実を支配している。
翌朝、校舎は不穏な空気に包まれていた。
くろがわが職員室前に立ち、緊張した声で生徒たちに説明する。
「昨夜、学校近くで事件が発生しました」
複数の生徒に嫌がらせをしていた男性教師が、夜間に襲撃されたという。
幸い命に別状はないが、精神的なショックは計り知れない。
ひかりは息を呑み、視界が揺れる。
屋上の感覚、血の記憶、記憶の空白――すべてがつながり、彼女を責める。
「あおい……偶然……だよね……?」
声は弱く、震えている。
あおいはひかりの肩に手を置き、短く答える。
「偶然かもしれない。でも……なんだか違う気がする」
ひかりは血の感触と罪の意識に押し潰されそうになりながら、静かに立ちすくむ。
「……どうして……こんなことに……」
「あの夜のこと……思い出せないんだね……」
あおいの声が静かに重なる。
夜の屋上と日中の校舎――二つの時間が重なり、ひかりの心に深い影を落とした。
りんの存在は、まだ彼女の内部に潜み続けていることを確信させる。
「……これから……どうなるの……」
ひかりは小さく呟き、背後で微かに揺れる影を感じた。
翌朝、学校は不穏な空気に包まれ、くろがわが事件を報告する。
ひかりは息を呑み、屋上の記憶、指先の血、失われた時間がすべてつながる感覚に襲われる。
「あおい……偶然……だよね……?」
小さな声は震えながらも、すでに答えを知っている。
偶然ではない――ひかりの胸に暗い影を落とすりんの存在は、まだ彼女の内部に潜んでいる。
今日も、誰も知らない夜の秘密が、静かにひかりの心を締め付けていく……。




