「第二十八話」最後の一撃
宙に放り出されたにも関わらず右に、左に……いや、上に落ちているような感覚さえある。
あの衝撃で頭に強い衝撃を受けたからだ。平衡感覚が狂った今、落下の方向さえも近くできない……ただ一つ分かるのは、今も私は地面に落ち続けているということだ。
海面だろうが地面だろうが、このままでは落下死だ。
(【空舞】を……早くっ……!)
平衡感覚が戻るのを待っている暇はない。
取り敢えず足に力を込め、残り少ない霊力を回す!
「【空舞】ッッ!!!」
空を蹴り飛ばし、私の身体はどこかしらの方向へと吹っ飛ぶ。
落下の勢いは多分これで殺せた。海に落ちれば死ぬが、地面に落ちることができれば……ドサァッ! 硬い感触に体中が叩かれ、転がる……そして、止まる。
なんとか地面に落ちることができたみたいだ。
骨は折れてない。怪我も、奇跡的に無い。──ちくり。口のあちこちに、鋭い痛み。
「……うっ、おえっ」
口の中に入っていたものを唾と一緒に吐き捨てる。口の中が切れてしまったのか血の味がして、吐き出した唾液と血溜まりの中にあるそれは……なんか、キラキラしてる。硝子か?
いや、違う。
これは、水晶だ。久怨を内側から吸収していた、”あの神”の権能かなにかが生み出した代物だ。その証拠にほら、僅かに穢れた霊力が漂っているのを感じる。
「……っていうか、これ」
土と岩で形作られた地面。私は自分が今立っている大地がそうであると勝手に思い込んでいた。……だが、現実はそうではなかった。
見渡す限り、輝き、輝き、透明な輝き!
なんと先程まで岩と土で形成されていた孤島の全てが、透き通る水晶としてその存在そのものを変化させていたのだ。……そのどれもが、穢れた霊力を帯びて。
(権能だとしても、範囲も効果も規格外すぎる。神域でもないのに物質の性質そのものを変化させるだなんて……)
これで本体そのものは完全に顕現していないのだから恐れ入る。あんなデタラメな力を持った神がこんな滅茶苦茶な権能を振り回そうものなら……ああ、考えるだけで鳥肌が立つ。
……というか、さっきから気になっていたのだが。
なんだ、この変な霊力の”流れ”は。
どこか一点に集まっている。いや、これは……吸い上げられている? 海も、空も、大地からも。──自然と、とある方向に目が向いた。
「……なに、あれ」
球根。
そう表現するにはあまりにも抵抗も違和感もあるものの、そう言い表すより他に適切な言葉が思いつかない巨大な水晶。
吸い寄せられる霊力の全ての終着点であり、最も強い穢れと”あの神”の気配を放つ違和感のカタマリ。水晶という無機物にも関わらず脈動するそれが”生きている”のは日を見るよりも明らかだった。
加えてアレに霊力を吸い取られた部分から穢れが広がっていき、どんどん、どんどん……それはもう、植物がより良い栄養を求めて奥へ奥へと根を張るように。
そして、私は直感から確信した。
巫女として、ではない。最早この大地に生きる生物の一員としての本能が警鐘を鳴らしている……”あれは、決して生まれてはいけないものだ”と。
あと、分かるんだ。
あの中に、久怨がいる。
「……ぁ」
止めなければならない。
一歩を踏み出す。だが次の瞬間には、私は水晶と化した地面に額をぶつけていた。
(身体に、力が……入らない)
霊力の枯渇以外にも、単純にもう身体が限界を超えていた。
肉体も魂も疲弊しきったこの状態であの球根を破壊できるのか? 刀は宙に放り出された時に何処かへ吹っ飛んでしまったぞ?
いいや無理だ、どうやっても壊しきれない。アレがこの星から吸い上げている霊力を、一撃で全て消し飛ばすぐらいの火力じゃないと。
アイツがいれば。
でも、アイツはもういない。
「……うっ、うううっ」
切り替えていた、一旦頭の隅に追いやって踏ん張った。
その結果がこれだ。久怨は”あの神”によって得体の知れない”球根”に変えられ、大地も空も海も穢れに侵され始めて……私は、道半ばで地べたに倒れ込んでいるだけ。
その上、カゲルは死んだ。
私を巫女にしてくれた神様。私を信じてくれた、託してくれた神様。
なに一つ、応えられない。
「ううっ、くそっ……動けっ、動いてよぉ……」
”球根”の侵食は止まらない。命もそうでないものも、全てを穢れた水晶として取り込んでいき……やがてあの根は節操なく海を超え本土に辿り着くだろう。
そうなれば、国が終わる。
図らずとも久怨の思い通りに、彼女の罪として……全部呑み込まれる。
私はそれを止められない。
頑張れば手が届く位置に立ち会っていながら、なにも出来ずに滅びを待っているしかない。
無力、無能、無価値。
落ちこぼれ。
いいのか? それで?
懐にしまっておいた刀が、”必ず帰ってこい”と託された一振りの約束が、私に問うてきた。
「……よく、ない」
呻く気力があるなら肉を動かせ。
拳を握るだけの力があるなら踏ん張れ、身体を起こせ。
まだ終わってない。まだ抗える、まだ変えられる。
失敗したならもう既に零点だ。なら、これ以上の失点は許されない。
「うぁっ、ううっ……」
もう上がらないと叫ぶ腕を、動かす。
骨と肉の境目が分からないと震える両足で地面に立つ。
吸って吐くだけで痛む肺で、深呼吸する。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁぁぁぁあぁっ……」
ほら、まだ動ける。──まだ、舞える。
「──でぇえりゃあああああああああああああっっ!!!!」
目の前で膨らみ続ける厄災の種に向かって走り出す。
刀身は蒼くない。もうただの刀だ、親父から託された刀だ。
(削ってでも、倒す)
水晶の地面を走る。痛みを無視する、魂を振り絞る。
(……手を、出すな)
そうだ、激しい感情は魂を震わせる。
故に怒る。彼らの安寧を脅かす全てに。
「私の、家族にッ!」
溢れ出す霊力。即座に【空舞】を叩き出し、遥か空の彼方へと飛び上がる。
今の私にはもう腕力も、それを補うだけの霊力もない。あの硬い水晶の奥に閉じ込められている久怨を……あの球根の心臓部ごと叩き切るためには、重力による落下速度を利用するしかない!
「……っ、ぅ」
このカツカツの霊力で【伏魔霊纏・巫剣】ができるとすれば、一瞬。
ならば刃が触れるその瞬間、全ての霊力を注ぎ込んで叩き切る!!!
(刃を立てろ、構えろ! 早く腕を上げろ……!)
一撃。私に許された最後の抵抗は、やはり大上段の構えから放つ剣技である【大嶽割】が相応しい。──だが、握力も限界だった。落ちる際の気流により、構えた刀の太刀筋が左右にブレまくる……もう柄を握り締めているのが精一杯だった。
ああ、駄目だ。
刃を身体の芯に合わせられない。
(……なんの、これしきっ!!!)
構える。できるできないではなく結果を無理矢理にでも引き寄せる。
気流に耐えながら、落ちる、落ち続ける。……否が応でもこの一撃で全てが決まる。
……見える。”球根”の周囲から、なにかがこっちに向かってくる!!!
(球根の触手!? ヤバい、今ここで下手に迎撃したら……)
そんなことをすれば一瞬で霊力が尽きる。無論、刀を握り締めていられるかどうかさえ分からない。──なら耐えるしかない。霊力による防御も、満身創痍の身を捩った回避も使わずに。
──死んだら、ぶっ殺してやる。
──いかないで、ください。どこにも、どこにも。
──私は、お前を信じているからな。
(……っぅ)
ごめん、みんな。
そう呟く余裕すら許されない。ああ、迫る。無数の透明な触手が────。
「【天喰】ッッヅッヅ!!!!!!!」
地から放たれる黒い火柱。水晶の触手は焼き砕かれ、爆発……なにが起こった? いいやそんなこと考えるよりも、あの黒い炎を見るよりも明らかだ、ああ!
「カゲル……!」
「【焦天灼地】!」
彼は片腕を失っていた。不完全に組み上げた掌印により広がる彼の禍々しい神域は、揺らめきながらもしっかりと広がる……そう、私を中心に、外敵から守るように!!!
「ごふっ……」
「カゲ……」
「が”ま”う”な”ぁ”あ”っ”!”!”!」
血反吐。叫び。……前を見ろと、彼らしく背中を押してくる。
なんて残酷なのだろう。黒い太陽を振り下ろす拳は、大地に向けて迅速に炸裂する……彼は、私になにも言わせてくれない。言ってやりたいことも、言いたかったこともまだまだたくさんあるのに。
まぁ、でも。
……しょうがないか。
「────ありがとう!!」
力無く空に吸い込まれていく彼に背を向け、私は空を蹴って更に真下へと加速する。
地上は黒く焼き焦がされていた。カゲルが放った【空亡】により水晶装甲の大部分を破壊された”球根”は、その心臓部たる彼女の上半身を覆いきれていなかった。
千載一遇。剥き出しの絶好機。
これを逃せば全てが無駄になり、飲み込まれる。──強く、より強く柄を握り締める。
(お父さん、力を貸して!)
巡る記憶。想起される思い出の数々。
この期に及んで惜しくなったか? 覚悟と刃を鈍らせるには至らなくとも、やはり名残惜しいし、申し訳ない。……それでも、私は。
落ちる、落ちる。
心臓部を守ろうと必死に再生する水晶装甲。──だが、こっちのほうが疾い!!!
「────ッ!!!」
刃を握る。持てる限りの握力、残った霊力の欠片をかき集めて在るだけ全部を刃に託す……怒り、悲しみ、使命感! 高揚する感情により、刃は再び蒼く灯る!!!!
「────────【大嶽割】──」
瞬時に展開される水晶の壁。足掻く、生命の、抵抗。
「退けぇええええええええええええええええええええっっっ!!!!!」
刃、突き刺さる!
通らない? いいや押し通す! 押し切るッッ!!!!
──ビシッ。
割れ、砕け散る水晶。
阻む壁はもうどこにもない。──目の前には、終わらせるべきヒトがいる。
(久遠)
目が合う。最後の最後、私の顔を見つめている。
彼女は地獄に行くだろう。沢山の人を殺して、神を穢して……輪廻転生を踏み倒し弄んだ。それは許されることじゃないし、私だってまだ赦してない。
──そんな顔、してたんだな。
それでも、まぁ。……いつか赦してやってもいいとは、思えるよ。
──ひっどい、顔だなぁ。
刃を伝い、押し斬る感触が流れ込む。
硬い、柔い、硬い。……そして、振り切った。
直後、視える世界全てを白光と衝撃が包み込む。
それでも、脳裏にこびりついた笑顔を忘れることは出来なかった。




