「第二十七話」躊躇い
「──【巫剣・二重虹】……【巫剣・裏輪】ッ!」
最初は、心に穴が空いたような疑問だった。
単純に、どうして? なんで? 神に、巫女に、そして最愛の親友に対する、疑問。
「【巫剣・独楽嵐】ッ、【巫剣・大嶽割】ッッ!!!」
次に出てきたのは怒りだった。
一度火が着いてしまえばそこからは早かった。今まで信じてきた全てが一気に炎に包まれ、思い出は黒焦げの恨み憎しみへと姿を変えた……そして。
「【巫剣・秘燕】ッ、【巫剣・息吹天狗】【巫剣・落花時雨】ッッッ!!!」
怒涛の、涙の如き悲しみの雨。
荒れて、荒れて、吹き荒れて。もう晴れることなんてないと、二度と日の目を見ることなんてないと冷たく震えながら、ただただ叫んでいる。──助けて、と。
「うぉぉあぁああああああああああああああああああああああ!!!!!」
照らしてあげることは出来ないけど。
まだ赦してあげることは出来ないけど。
天国には連れて行ってあげられないけど。──終わらせてあげることなら、できる。
「……はぁ、はぁ。はぁ……ぁあっ」
そうして、気がついた頃には雨は止んでいた。
周囲には消えゆく祟神の死体。返り血を浴びに浴びた私の巫女服には最早きれいな赤も白も残っていなかったし、かといってそれが特別気になるわけでもなかった。
「……気は、済んだ?」
空は相変わらず青く晴れていた。……久怨は私を睨みながら、それでもなにかする気力もなくボロボロの両足でかろうじて立っていた。
終わりだ。
もう、彼女にできることはない。
「…………どうして」
穢れた霊力も、戦意も消え失せていた。
今の彼女には悔しさやもどかしさのようなものが見て取れる。……見れば分かる。だって彼女は、本気でその眼から血涙を流していたのだから。
「どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてぇええっっ!!!」
その場に蹲り、叫ぶ。
呻き、地団駄を踏み、奇声を吐き散らすその様は記憶の中の久遠とは似ても似つかなかった。思い通りにならないから、上手くいかないから感情を爆発させる子供のような。
「頑張ってるのに、私頑張ってるのに! お前の隣に立ちたいから、立っていたかったから……初めてできた友達だったから! 嫌われたくなかった、だからいっぱい頑張ったのに……その結果がこれか!? お前ですらない、完全な劣化でしかない子孫に殺されるのか、私は!? このまま終わるのか!?」
首を横に振りながら彼女は叫ぶ。その視線は私に向けられてはいるが、決して”私”自身に対してのものではなく……多分、その面影の向こう側にいるツバキに言っているんだと思う。
腕を地面に叩きつけるだけで、ぐちゃぐちゃになっていく。
今にも自らの血溜まりの中に沈んでいきそうな彼女は、うずくまった。
「……なんでだよぅ」
……ああ。
そっか、そうなんだ。
ずっと違和感を感じていた。彼女が振り撒く穢れ、邪気、呪いの気配が……どうにも全部全部怒りや恨みだけではないように思えたのだ。
「行かないで……一人に、私をしないでくれ……」
今ならなんでカゲルが、かつての親友を殺すという選択肢を取れたのかが分かる。……久遠の姿形をかたどったバケモノに憤慨したからでは、ない。彼女自身の視点の中で、そう考えてそうやって嘆いて恨むしかなかった彼女の心を、魂を、絶対に晴れることのない未練を、もう全部終わらせることで救ってあげようとしてたんだ。
目の前にいるのは、久遠そのものなんだ。
千年前から変わらず友達が、ツバキが大好きだったからこそ、ここまで怒ってるし悲しいだけの……私たちと同じ、人間だったヒト。
”たすけて”と言われている気がした。
なら、私が巫女としてすべきことは、ただ一つ。
「……」
せめて、一瞬で。
────────逆立つ鳥肌開く瞳孔鳴り響く顎関節収縮する喉奥。なだれ、こむ、不快感。
「!?」
後方へ飛ぶ刀を構える。
手が震えている。歯がガチガチと音を立てて痙攣している。
なんだ今のは。
なんだ、今のとんでもなく穢れた霊力の波動は。
久怨ではない。仮にカゲルだとしても、今までとは全く比較にならないほど桁違いの総量だった。顕現したのは恐らく一瞬なんだろうが、それでも穢れた霊力の残滓がまだそこら中に残っている……瞬きよりも僅かの間に、ここまでの穢れを撒き散らしたのか。
「っ!? ……いない?」
見渡して、今はもう”それ”がいないという事実に安堵する。
別格、という言葉でさえ足りないと思う。例えるならそうだ、今まで井戸の中にいた蛙が池の広さを知って……その直後に大海へ放り投げられるような感覚だった。
本当に神なのかどうかすら怪しい。
そもそもなんで今、一瞬だけ姿を顕した? 目的は? 能力は?
考えれば考えるほど恐ろしかった。カゲルという規格外の神を間近で見続けてきたが、あれを比較対象に出すことを”役不足”と思ってしまう……そんな自分の冷静で妥当すぎる推測が、たまらなく恐ろしい。
「う、ぁぁああああっ」
呻き声の方を見ると、そこには久怨が頭を抑えながら苦しんでのたうち回っていた。
さっきの神がなにか関係しているのだろうか? ライカの【雷霆】をモロに喰らい、身体の大部分を吹き飛ばされてもヘラヘラしていたアイツがあそこまで苦しんでいるのは気味が悪かった。
「ああぁぁああ! まっ、まがつ……やめろぉ! やめろぉマガツ!!!!!!」
マガツ?
それが、あの悍ましい神の名前なのか? ……聞いたことがない。
「わたっ、わた、わたしがわたしではなくなっていくぅぅううんんんぁあああああああああああ!!!!!!?!?!?!??!?!」
いや、そんなことはどうでもいい。
あの様子を見るにどうにも嫌な予感がする。早く久怨を楽にするためにも、首を斬ってやるのが正解だろう。
瞼を閉じ、深呼吸。
そして開く。……目に映る、異常。
(なに、あの植物……いや、宝石?)
元々久怨の体中に巻き付いている結晶のように透き通った植物……のようなもの。それが今、苦しむ久怨とは対照的にどんどんその図体を膨らましていき、それに伴い久怨の肉体は少しずつ痩せこけていく……霊力も、穢れも、全てが”あれ”に飲み込まれていく。
「……嘘、これ、まさか」
そして増していく、気配。
規模は小さい、内包する量も。
だが、これでは、これではあの悍ましい”なにか”と同じ気配ではないか!
感じる。あの植物からは、桁違いではあるが同じような気配を感じる!
──そのまさかさ。いやぁしかし君の力の一部とはいえ、元人間の私が片腕を貸し与えられただけでここまでになるとはねぇ……。
──あの神と契約した怨霊としての私の穢れは、あらゆる神の神格を穢し……祟神として堕天させる。そしてそれは、忠実な私の駒として片膝を付く。
こんな時に脳裏をよぎる、久怨のかつての発言。
彼女は言った。君の力……即ちカゲルの力と右腕を貸し与えられたのだと。
(”あの神”って、誰?)
久怨に力を与え、恐らく記憶の滅茶苦茶な改竄を行った黒幕。
そしてそいつは、カゲルから少なくとも片腕を奪うほどの実力者だということだ。……あの悍ましい気配の神ならば可能なはずだ。恐ろしいが合点がいく。
カゲルは言った。自分は、とある事情で今は全力を出せないと。
そして、私が見た記憶の中でのカゲルは全盛期そのものだった。──ここから導き出される答えは、ああ!
(”あの神”は、全力のカゲルとツバキを相手にしても死ななかった!)
この推測がどこまで現実と整合しているのかは定かではないし、私には知るすべがない。
だが分かることが一つだけある。それは、今この瞬間私の目の前で久怨から”生まれようとしている”ものの正体とそれが持つ脅威は計り知れないということだっ!!!!!
「──うぅぉぉぉぁああああああああああ!!!!」
殺さなければ。一刻も早く、あれが生まれる前に久怨ごと殺す!
死体も植物も一片たりとも残さない。あれを少しでも残してはいけないと私の直感が叫び散らかしているのだ! 今ここで、全ての霊力を以てアレを殺す!!!!
跳躍。【巫剣】を天に掲げ、そのまま全身全霊にて振り下ろす!!!
「【大嶽割】ィッ!!!!」
力いっぱい、振り下ろす。
久怨のうなじへ、無防備なうなじへ……刃、迫る。──結晶に包みこまれる。
(防がれた!?)
【巫剣】ですら切れない。焦る、焦る。いいや落ち着け!
言い聞かせれば言い聞かせるほど、【巫剣】の光は弱々しくなっていく。
(あああああ霊力が乱れていく! 疲れすぎた、霊力ももう殆ど残ってない!)
ここで決めなきゃ駄目なのに、あと一歩が踏み出しきれない。
腕力を込める。切れろ、切れろ……早く切れてくれ……!
「た」
咳き込むような声。
「た、すけて……」
「──」
久遠、だった。
血ではなく、透明な涙を流しながら、彼女は人間だった。……人間だったんだ。だから、どうしても躊躇ってしまって、それで。
(しまっ──)
パキィィィ……ィイン。
刃から力を抜いたその瞬間、急速に膨らんでいく結晶の生命の息吹に、吹き飛ばされた。




