「第二十二話」記憶④
走る、走る。
もうすぐ着く、もうすぐ会える。
「はぁ、はぁ」
走る、走る。
誰にも会わない。建物も畑もあるのに、人っ子ひとりいなかった。
走る、走る。
巫女が何人か倒れていた。絶望から、安堵したような顔をしていた。
焦る、焦る。──辿り着いた。
『……なにが、あったの』
地獄と化した村一帯には死体が散乱していた。
巫女のものと、恐らくはこの村の住人だったのだろうが、その臓物は民家にへばりついており、激臭に蝿がたかり続けている。……脳裏をよぎるのは、友の安否であった。
『久遠!』
大丈夫、大丈夫だ心配ない。
アイツは強い。そんじょそこらの巫女とは比べ物にならないぐらい強い。私の隣りに立つことができるぐらい強い。だから死んでない、だから殺されてない。
『私よツバキよ! どこ、どこにいるの!? アンタがいるの分かってんのよ……早く返事してよ! ねぇ!』
だから、諦めるな。
だから、死体の中にいる顔をいちいち確認するな。
だから、頼むから”もしかして”を考えるのをやめてくれ。
(なんで、こんなことに)
そりゃあ、私に充てられる任務は全部が全部危険なものばかりだ。私は強いから、誰よりも強いから……んなこた分かってる、分かってるんだよ。
だから、私はアイツに任せたんだろうが。
アイツの強さを知っていたから、アイツにしか出来ないと、託せないと分かっていたから。──本当はちょっとだけ不安だったくせに、無理かもしれないと思ってたくせに。
(違う)
アイツは弱くない。私と同じぐらい、対等に強いんだ。
だからアイツは私の隣に立てる。戦える、だからこんな任務なんてへっちゃらなんだ。
『久遠、あぁ……久遠、くおん……!』
前が見えない。
転がっているのが死体なのか、それとも未だ虫の息のまま苦しんでいるどっかの誰かなのか、それすらも全くわからない。──浮遊感。つま先が引っかかって、地面に顔面から倒れ込む。
『……くおん』
だめかも知れない。そんなこと、走ってる途中から分かっていた。
あのボロボロの巫女は、仲間の肩を担ぎながら歩いていた巫女は、私を見て安心していた。私という、圧倒的確定勝利がやってきたことによって。
──じゃり。
足音。こっちに近づいてくる。
これをやった祟神のものか? ……いや、これは人の足音だ。なぜか分からないがこれはあんな穢らわしいようなものじゃない……ああ、そうだ。そうに違いない。
こんな地獄で生きていられるのは、アイツしかいないじゃないか!
『──久遠!!』
革新と喜び、そして脱力を伴う安堵とともに起き上がった。
そこにはやはり見覚えのある人影が、沈みゆく夕日を背に立っていた。しかしその佇まいは既にボロボロで、ぴちゃ、ぴちゃ……なにか液体のようなものを体中から垂れ流していた。
満身創痍なのは見るからに明らかだった。
だがそれよりもやはり、私にはまず大きな喜びがあった。
『よかった……生きててくれて。待ってて、今そっちに行くから……ぁ、ぇ』
抱きつこうと飛び出した。
ボロボロだろうが死にかけだろうが、まず最初に抱きしめてやろうと思っていた。
でも、私の足は止まった。意識的に、いいやむしろ無意識の内に。
『……久遠? えっと、それ……』
目の前にいるのは久遠そのものだった。ボロボロだけど、それでも彼女だ。
それでも、私は、彼女が握りしめているそれが、気になって気になって、仕方なかったんだ。だってそれが、私には。
『なに、持ってるの?』
死体に見えたから。
いや、間違いだ。これはきっと見間違いだ。
さっきたくさんの死体を見たからだ。うん、きっとそうだそういうことなんだそうに違いない。
『……あ』
──違うよ。
そうじゃないことぐらい、分かってる。……それに、大体察しがついてしまった。
この村全体、特に殺された村人や巫女たちの死体に僅かに残っている霊力は一切穢れておらず、まず祟神のものではなかった。そして私は、この質の霊力を何度も何度も受けてきた。
分かってる。知っている。
この村で起きた悲劇の真実も、これから私が巫女としてしなければいけないことも。
でも、そんなことできやしない、したくない。
なぜこんなことをしたのか、そんな動機とか善悪とかの問題ではない。私にとって彼女はかけがえのない唯一で、これからもずっとずっと隣にいるんだ、代わりなんているわけがないんだ。
だから。
そんなことをするぐらいなら、いっそ。
『……つば、き』
最低だな、と自分で自分を卑下しつつも、この選択を後悔することはないだろうと思った。……やれるところまでやってやるさ。最強である私達二人が、罪を背負ったままどこまでやりたい放題できるのか、その果てを見つけるのもまた一興だ。
これでいい。
これしか、ないから。
『……うん、大丈夫。友達だもんね、私とアンタは……だから、一緒に』
『ごめ、ん……たの、んだ』
首でも絞められたのかと思った。
それが錯覚だと気づいた頃には、既に私の中で覚悟が決まっていた。──柄を握りしめ、飛び込み……振るう。
すとん。
柔い、硬い、最後に通り抜けるような柔らかさとともに、私は彼女を飛び越えて着地した。……背中になにか、生温かいモノがぶしゃぶしゃと降り掛かってくる。
ありがとう。
地面に転がったなにかから、そう聞こえた気がした。
周囲には奇妙な静寂だけが残っていた。私は暫く刀の柄から手を放せないまま、徐々に失われていく背中の返り血の温もりを時間をかけて感じていた……それが乾いて、温もりなんて消えて、巫女服のただの染みに変わって。
ああ。
親友を、殺したんだなって。
『……ありがとう』
正しかった。ただ、それだけに縋り付いている。
間違いを犯そうとした私を、道を踏み外してでも親友と地獄に落ちようとした馬鹿な私を、アイツは容赦なく突き飛ばしてきた。突き飛ばして、自分だけ潔く地獄に落ちていった。
『ありがとう、ありがとう。ありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうばかやろうバカヤロウ馬鹿野郎馬鹿野郎馬鹿野郎”馬”鹿”野”郎”ッ”ッ”ッ”ッ”!!!!!』
刀を地面に叩きつける。乱雑に幼稚に人間としての感情の奔流のままに。
『なにがあったんだよ、なんであんなことになったんだよ……なんで私を置いてくんだよ、なんで私にこんな、こんなキツイことさせるんだよふざけんなよ畜生……!』
私は、友達のために怒ることも出来ないのか。
敵がいない。目の前に、ぶっ殺して晴らすための仇がいない。そんなことをしても意味がないのに、なにか……なにもかもに怒りが募っていく。──それ以上に、喪失感で動けない。
『なんでだよぉ……ぁあ、ぁぁぁぁあん』
”もしも、私がちゃんと任務を受けていれば”
”もしも、私が一緒に来ていれば”
”もしも、もっと早くに仲直りできていれば”
膨らんでいく”もしも”と、乖離していくタラレバと現実。
なにをどうやって足掻いても、もう時間も友も戻ってこない。
私は殺した、たった一人の親友を。
これ以上、人殺しとしての罪を重ね続ける前に……彼女自身の最後のお願いとして。
『あぁ、ああぁぁぁ……ああぁぁぁぁぁあぁあああああああ……』
私は正しい。今この場において、誰よりも正義に殉じた。
私情を捨て、心を捨て、人情を捨て、親友を殺して。ああ。
『……クソが』
バケモノだ。




