「第十六話」【焦天灼地】
「【神縛りの鎖】」
一斉に錆びた鎖が放たれる。地を這うような二本、空から地へと向かってくる二本、不規則な軌道を描きながら向かってくる三本……計七本の鎖が。
直感的に当たれば終わりだと思った。
故に真正面から相手にするのではなく、避けることによりその場をやり過ごす。
今の私の頭はやけに冴えているように思えた。
いつもならば妹たちへの侮辱に対しての怒りでどうにかなっていただろうに、どういうわけかそれはそれこれはこれと考えを分けることができている。──事実、私は怒りながらも冷静であった。
「逃げているだけではなにも変わらんぞ!!!」
新たな虚空の”穴”を横目で捉える。そこから更に三本の鎖が顕れ、私を挟み撃ちにするように真正面と側面から迫ってくる。後方、前方、左方には鎖。残る右側は足場の悪そうな森の中だった。
八方への逃げ道はない。詰みだ。──ならば。
「【空舞】」
「っ!?」
一か八かの賭けに競り勝った私は、新たに空という逃げ道を獲得した。行き場を失った鎖同士が勢いそのままにぶつかり合い、絡み合う……その無様な様子を見下しながら、私は改めて自分の拳を握って、開く。
(やっぱり、段違いに強くなってる)
思考した瞬間に体が動く。いいや、思考よりも早い段階で身体が勝手に最適解を叩き出す。
何故? 身体の中をはち切れんばかりの霊力が循環しているからなのだろうか?
確かに痛みはある、苦しみもある、並の巫女ならば肉体が爆散するはずの状態で、私は今戦っている。
「……ああ、よかった」
だが自然と恐怖はなかった。むしろ。
「これでお前を殺せる」
久怨の眉間に皺が寄ったその瞬間、一気に空を蹴り飛ばし地面に突っ込む。直線上に立つ久怨の反応より早く、飛び蹴りは綺麗に突き刺さった。
「──かぁっ、くっ!」
舐めるな、とでも言いたげな顔だった。
彼女が指を結んだ途端に襲ってくる錆びた鎖。当たれば死ぬが、当たらなければどうということはない……すべて避けたうえで、再度睨みつける。
次は、必ず殺す。
「【犬神】ッ!!」
久怨の手の形が動物を模した。すると彼女の影から出てきたのは、巨大な三匹の犬……いいや、恐らくは犬の姿をした【犬神】であり、彼女に祟神にされてしまったのだろう。
三匹ともアイツの奴隷なのだろう。かつては威厳もあっただろうその御姿は醜く廃れており、理性も知性もかなぐり捨てて私に襲いかかってくる。
「邪魔」
ただ、飛びかかってくるそれに対して、姿勢を低くして潜り込む。
デカい懐に入り込むのは簡単だった。──後は、切っ先を突き上げるだけ。ぶしゅう。浴びる鮮血はどす黒く、しかし不快感は無かった。ただそれはあまりにも作業なように思えて、なにも感じない……亡骸を横に放り捨てる。
と、すかさず残っていた二匹が襲いかかってくる。今度は前と後ろ、挟み撃ちの形だ。
「退いて」
前にいた神の喉を切り潰す。そのまま片手でがっしりと掴んだ大きな体をぶん回し、背後の【犬神】に叩きつける……感触からして骨が折れた感じがしたが、まぁどっちも死んでいるだろう。
次はお前だ。
動かなくなった三匹から、アイツに視線を移す。
指が結ばれるよりも前に、鎖を出されるよりも前に、私はその懐に入り込んだ。隙だらけ、細い首。貧相な身体は、どこを触っても壊せるという確信があった。
(殺れる────)
「ヒナタァ!!! 呼吸しろぉぉっ!!!」
聞こえてきたカゲルの声に、水をぶっかけられたような、闇から光に引き戻されたような感覚を覚える。
その瞬間、私は我に返った。──猛烈な息苦しさと、全身に伸し掛かる激痛とともに。
「かぁっ、ぁ」
喉笛まで目前まで迫っていたはずの刃を握っていたはずの腕は、私の肺を抑えていた。想像を絶するほどの痛み苦しみは、冷ややかな俯瞰的な視点を以てようやく認知できる。
「はぁ、ぁぁ、ぁはぁっ……ぁぁ、ぁ」
なんだこれは、私は……今まで息をしていなかったのか?
莫大な霊力を身体に溜め込んでいたからなのか、それとも他の理由があるのかはわからない……ただ、あの全能感とともに訪れた力が関係しているのは間違いない。これがその反動だとするならば、納得できる。
いいや問題はそこではない。
今私の目の前には、まだ敵がいる。
(早く立て早く立て早く立て早く立て)
「くだらん」
痛み、地面、痛み。
息を吸い、吐いて、痛みの原因が素早い蹴りだということにようやく気づけた。
「あっ……ぁぁっ……!」
「アイツの【伏魔霊纏】の完成度はこんなものではなかった。出力も、疾さも……神化に耐えうる器ですらない。やはりお前は、ただの劣化だ」
仮にも、先程まで自分が圧倒していた相手から感じる圧ではなかった。
殺される。私もライカも、カゲルでさえコイツに殺される。
「とはいえ、だ。あの雷の巫女も、お前も結果的に私をここまで追い詰めたことは称賛に値する。──よって、徹底的に叩き潰す」
ぞわり。
背筋を氷でなぞられるような冷ややかさを覚えた私の眼に、耳に、鎖に束縛されながらもこちらへ叫ぶカゲルの姿が映り込んだ。逃げろ、殺されるぞ。……しかし、動けない私を見下しながら、久怨は容赦なく掌印を組み上げた。
「神域借用、複合展開──」
嫌な予感がする。
今すぐ逃げないと取り返しのつかないことになる気がする。根拠はないけど、確信に近いものを私は震える身体と共に抱いていた。
「──【永業奈落穴】」
呟きから、浮遊感を覚えるのは早かった。
(え?)
なにも、見えない。上も下も、右も左も急に消えた。何もかもがいきなり消えた。
ただ、浮遊感。これは下に引き寄せられているのか? いいや、足下に感覚がない、なにもない。……いや、そうじゃない! これは!
(落ちてる……!?)
納得すればそこからは早かった。この浮遊感は、落ちているときに感じるアレだ。
というか、どこまで落ちる? いいやなにもそこにはなにも見えない聞こえない。無限地獄を連想するかのような、いつまでも底が見えない奈落に今、私はいる。
そもそも先程までいた場所から、なぜいきなりこの落ち続ける闇の中に私はいる?
私だけではない。ライカも、カゲルもいる。まるで、まぶたを閉じて再び開けたら、見える世界が全て変わっていたかのように。──おい、まさか。
(神域……!?)
それは、神と呼ばれる存在が持つ固有の空間。
それは、その神が最も神としての力を発揮できる領域。
他の神の存在と威厳を減衰させ、逆に主である神の”権能”を強化するこの空間において、その神は理論上無敵の存在になる。強力な力を持つ神々でしか押し広げることができないと言われる力の証明であり、結界術の絶技である。
「どうだ? 私の神域は」
身動きの取れない落下中、囁くような声が耳に入る」
「……久怨」
「これはただ神々の神域を広げたのではない……それら全てを繋ぎ合わせ、そこに宿る怨念を絞り出す! これは、それらを濃縮した結果生まれた私だけの神域だ」
あり得ない、と私は戦慄した。
神域とはあくまで神のみが所持し行使することを認められる力だ。いかに大きな契約を神と交わしたとしても、巫女は”権能”を借り受ける以上のことは許されていない。仮にできたとしても、それは巫女側の肉体が耐えられないはずだ。はずなのに。
「コイツを展開するのに殆どの霊力と祟神の貯蓄を失ってしまった……が、これはお前への敬意だ。同時に明確な敵意であり、悪意であり、ここで必ず息の根を止めるという殺意だ」
逃げられない。私は、自らの死を静かに悟った。
神域の内側に閉じ込められた者は、例え神であろうが用意に抜け出すことはできない。神域を展開した神を倒すか、あるいは……だが、そのどちらも私には不可能だ。
「さぁ、言い残すことはあるか? この久怨の、数千年の恨み辛みが少しでも晴れるような負け惜しみを期待しているぞ」
殺される。
私はこれから、殺される。
「うぅぉぉぉぁぁぁああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
久怨の背後にて迸る雷鳴、閃光! 背中を向けている久怨の真後ろにて、ライカはその手に雷を握りしめていたのだ! やった、これなら。
「黙れ」
ザシュッ。
どこからとも無く顕れ錆びた鎖が、彼女の肩を浅く切り裂く。彼女の体から力が抜けていき、だるん……と。力なく背筋が丸まっていく。
「……起き、ろ」
……ように、思えた。
「たぁたぁりぃがぁみぃいいいいいいいっっっっっ!!!!!!」
「!?」
久怨が驚いたのも無理はない。白目を剥いた彼女はなんと、気を失った状態で攻撃を繰り出したのだ! 放たれる雷、慌てて身を翻した久怨はどうにか一撃を避ける。
「はぁ、はぁ……ここまでやるとは、な。だが終わりだ、貴様らはここで全員──」
避けた一撃の先は、神域が織りなす無限の闇ではなかった。
その手前。神をも縛る鎖によって自由を奪われていたはずの一柱が、その手足を自由なものとしていた。
「カゲル……!」
「──なんで、鎖が」
言いかけて、久怨はそれに気づいたのだろう。彼女が避けたライカの一撃が、その向こう側で拘束されていたカゲルを縛る鎖に直撃していたということを。
「──おのれぇ!」
現実を理解した彼女の顔は一気に青白くなっていき、すぐさま目の前にいる私を殺そうとする……が、既に私は彼の腕の中に収まっていた。逆転への功労者たるライカとともに。
「あね、き……」
「喋んなくていい。ありがとう……ありがとう……!」
久怨が睨みを効かせる中、私は改めて目の前の背中を見た。
「……ありがとな、ゆっくり休んでてくれ」
ああ、もう、どうあがいても勝ちだ。アイツは、絶対に怒らせちゃいけないヤツを完全に怒らせたんだ。──結ばれる、指と指。彼もまた、ライカの奮闘に報いるべく本気を示そうとしていた。
「黒曜神域、暗転展開。蝕甚出力最大……!」
「……っ!!」
久怨は鎖を呼び出し、放つ。今まで呼び出した鎖の数とは比べ物にならないほど大量で、四方八方から私たちを取り囲むほどの軍勢が……迫る。
それは彼女の本気の本気であり、同時にカゲルという存在への明確な恐れであることは、実際に彼女と戦った私にはよーく分かった。
防御も、迎撃を取る素振りすら見せず、ただ彼はその名を静かに告げる。
「────【焦天灼地】」
……地に、足が。
(着く)
それだけではない。そこの見えない奈落ではなく、大地がみるみるうちに広がっていく。水平線の彼方まで広がる荒野、見上げてもキリのないだだっ広い空。──しかし、それらは全て異形であった。
(痩せこけた、地面。血みたいな色の赤い空……それから)
太陽。しかし見上げても眩しくないという矛盾を兼ね揃えた其れが放っていたのは、単なる眩い光などではなくドス黒い闇であり、深い影である。
「黒い、太陽……!?」
これがカゲルの、【黒曜神】天翳日蝕神の持つ神域の姿なのか。
自分が契約した神でありながら、それでもなお悍ましいと思ってしまう。あれだけ親しく心優しい一面を見せておきながら、やはりその本質は光に相反する影であり、それが彼そのものだったのだ。
「かぁあああああげぇえええるぅぅぅううううううううっっッッヅヅッ!!!!!!」
黒い太陽が黒々燦々と燃え盛る中、激昂した久怨の攻撃はもう滅茶苦茶だった。ありえないほどの鎖を虚空から呼び出し、加えて無数の祟神を自分の影から引きずり出し……一斉に神域の主であるカゲルへと突っ込ませたのである。
「……久怨」
それらを数えるよりも前に、カゲルは天に握り拳を掲げた。
向かってくる軍勢に怯みもせず、ただ静かに……零した。
「お前はもう、自由になっていいんじゃねぇかな……ッ!」
言い終わると同時に、彼が天へと掲げた拳が一気に地面を殴りつける! その一撃は、こちらに突撃してくる祟神の軍勢を全て────なにも、起きない。
(……あれ?)
なにも、起きて、ない?
まさか不発か? 焦る私をよそに、カゲルはただ地面から顔を上げた。背中越しのその目線が少し高くて、空を見上げるようだったので、私も釣られてそっちを見た。
「……ウッソでしょ」
自分で言っておきながら、コイツならあり得ると思ってしまう。いや、それにしても滅茶苦茶すぎるだろ……だって、そんな、普通あり得ないだろ。
あの黒い太陽をそのまま、天から地に向けて呼び落とすだなんて!!!!
「【空亡】」
ただ彼はそう呟いた。
直後、大地は黒い太陽によって全て焼き尽くされた。




