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「第十二話」”流れ”

『全く、本当に無茶苦茶なやつだなお前は』


 眼の前に薄墨色の巫女服を着た女が立っている。

 不満げであっても幸薄そうなのは変わらない。じゃらじゃらと握りしめた鎖を揺らしながら、ふぅ、と。わざとらしく大きなため息を聞かせてきた。


 『折角張った結界を片っ端から斬り伏せられては、私はお前の土俵に上がるしかないじゃないか。お陰で苦手だったはずの白兵戦が今や主力になりつつあるよ……やれやれ、私、まで野蛮になってしまいそうだ』


 ああ、いつもの厭味ったらしいお説教の始まりだ。

 『私』はそれを聞くふりをしながら視線をそらし続け、あー早く終わんないかなとボーっとしていた。


 ……知らない。

 私は、この女を知らない。いや、似ているような奴に会ったことはあるが……それでもこんな会話をした覚えはない。


 奇妙な感覚だった。自分の感覚として、自分の記憶としてこの状況を体験しているにも関わらず、これら全てが”自分のものではない”とか”他人のものである”とか、そういうのが簡単に分かってしまう。


 これは私の知らない記憶だ。

 では、これは誰の記憶だ?


 『……なぁ』


 ようやく言いたいことを全部吐き出してくれたらしい。いつもの口調に戻った彼女の呼びかけに対し、『私』は自然と視線をそちらに向けた。


 『なんで、あの時、殺したんだ?』


 そこにいたのは、『私』の知らない彼女。

 そこにいたのは、私の脳裏に焼き付いているあの女。


 薄汚く、醜く、純粋な人間と呼ぶにはあまりにも穢れすぎていて、輪廻転生の円環から爪弾きにされているであろうほどに……黒ずんだ魂。


 殺してやる。私がそう叫ぶよりも先に、『私』が彼女からの問いに対する答えを行動によって示す。


 抜刀。それに次ぐ華麗な太刀筋。

 容赦無し、手加減無し、躊躇無し……ただ一点の曇りもない必殺の一太刀を前に。


 ──ひどい。


 今にも泣き出しそうな、顔。

 それを最後に、私の意識はぷつんと途切れた。




 ◇



 「……そんな顔、しないでよ」


 自分自身の寝言で起きた。視界から入ってくるぼんやりとした青が空だと気づくまで暫く掛かるほどには、私は寝ぼけているらしい。


 変な夢だった。が、どんな夢だったのかは全く覚えていない。

 ただなんとなく嫌な夢だったということと、とんでもなくヘンテコな夢だったんだろうなってことは、わかる。……その証拠に、知らない誰かの悲しげな表情が頭の裏っ側にこびりついてやがる。


 「うっ……?」


 むくり。取り敢えずゆっくりと身体を起こすと、ズキリと身体のあちこちから痛みを感じた。──その瞬間、電流の如き勢いで私の脳内が冴え渡っていった。


 「ッ、【水神】!!」


 そうだ、私はさっきまで戦っていた。

 あの静かで、足元に水が張り巡らされた偽りの【水神】の神域にて。


 取り敢えずここは神域ではないとは思う。私がまだ五体満足のまま息をしていて、見える景色がきちんと現実のものであるから……ここは、安全だ。


 だが、それだと一つの疑問が生じる。

 どうやって私は、あの絶望的な状況を脱したのだろう?


 (自力でどうにかした? ……いやいや、全く覚えてないしそもそも私一人じゃアレはどうにもできないでしょうが)


 神域の対処法は主に二つ。

 一つは神域の主である神を倒すこと。もう一つは、こちら側も更に強く練り上げられた神域を展開することによって既に展開されている神域を侵蝕、上書きすることである。


 前者は言わずもがな、後者に関しては人間である私ができるわけがない。

 ここから導き出される答えは、ただ一つ。


 「……くそっ」

 

 なにが”私の力だけで”だ。

 自分の力で祟神を一体倒していい気になっていたんだろうが、結局は助けて貰ってるじゃないか。


 情けない。

 なんて、口先だけの人間なんだろうか。


 「──そうやって自分を卑下するのは、周りから見ても気分の良いものではないと思うだよ」


 声が聞こえる。

 誰だ? 俯いていた顔を上げると、そこには……違和感のある、しかし見覚えのある顔が、パキパキと音を立てながら燃え盛る焚き火の前にしゃがみ込んでいた。


 「……ゲンさん?」


 なんでこの人がここにいるんだろう。

 っていうか、傷とかは大丈夫なのか? 見たところ包帯やらなんやらの痛々しい感じは見えないし、なんだか健康体そのものにしか見えない。

 

 「気分はどうだべ? 痛いとこはなか? 寒いなら、こっち来て温まるといいべ」

 「えっあっ、その。……かなりマシには、なってます」

 「そらぁよかっただよ。池で溺れてたから助けたのは良かったものの、ぜーんぜん動かねぇもんだから、てっきり死んじまったかと思ったべ」


 いやぁよかったよかった。

 ケラケラと笑うゲンさんの中に、私にはなんというか、なんとも言い難い違和感があるように思えた。


 『……へぇ、なるほどね』

 (カゲル? どうかしたの?)


 いきなり私の内側で一人合点をしたような声を漏らす彼に、私は心の中で問う。


 『なに、今まで納得できてなかったことにようやく納得できたってだけだ』

 (はぁ? どゆこと?)

 『簡単な話だ。──ヒナタ。今回の俺は、お前をあの水の神域から助けてない』

 「えっ?」


 思わず声が出て、口を両手で塞ぐ。


 (まさか、ゲンさんが……?)

 「どうしたんだべ? まだ体、痛むべか?」

 「い、いえ。大丈夫です」


 ゲンさんは不思議そうな顔で焚き火を木の棒で突っつき、新しい燃料として落ち葉やら木の棒やらを放り込む。

 温かい。びしょ濡れになった巫女服が、少しずつ乾いていく。


 (……まさか、ね。あるわけないよね、そんなの)


 ふと浮かんだ”もしも”をさっさと切り捨てた私は、両手を燃え盛る焚き火に近づける。温かい。冷え切った身体が、外側からゆっくりと温められていく。


 もうこの際、なんでゲンさんがここにいるんだとかそういうのはどうでもいい。

 とにかく今は休むのが最優先だ。一刻も早く万全の状態を作り出し、あの優しい夫婦の息子さんを助けなければ。


 「あれま、薪がなくなっちまったべ」

 

 ゲンさんがあちゃーと頭を抱えながら、周囲に林立する木々を見つめる。

 

 「新しいの、村から持って来にゃぁいかんべなぁ……」


 嫌そうな顔。無意識なのか、片手で腰をさすりながら大きなため息をついている。

 ここからあの村までは随分な距離があったし、それは私でも数時間はかかるほどだった。ゲンさんのような若くないおじさんにとってそれは、往復するだけでもひどく疲れるに違いない。


 「よっこいせ。いたた……巫女様、少しここで待っててほしいべ。新しい薪をすぐに持って来るだよ」


 ちらり、焚き火から目を逸らす。

 周囲には、いい感じに木々が林立していた。


 「あっ、あの!」

 「ん?」

 「周りに木があるので、それを少し切って燃やすのってどうでしょうか? ほら、私ってばちょうど今刀持ってますし!」

 「ええ? いえいえ、恐れ多いべそんなこと」

 「いいんですっ! ほら、座っててください」


 そんなに腰を痛そうにしている中で、無理に親切を通されても申し訳なさが勝ってしまう。私はゲンさんを半ば無理やり焚き火の近くに座らせて、そのまま木の方へと近づいていく。


 (よく燃えそうなの……ん、これでいっか)


 これを切ったらもう一度神域に行こう。

 私は鞘から刀を抜き、適当に呼吸を合わせ……まずは、その細い枝一本に対して適当な斬撃を振るった。──振るって、太刀筋は止まった。


 「……は?」


 突き刺さって、いる? 刃が、枝の表面に少し食い込んだだけで、止まっている。

 今ので斬れなかったのか? ただの木が? 私の、剣技だけなら親父の墨付きの斬撃が?


 「んぁ? 巫女様どうしたべ? 斬れねぇべか?」

 「い、いえ! すみません、今……斬りますっ!」


 もっかいやろう。刃を優しく引き抜き、再び木と対峙する。

 呼吸を整え、今度は少し強めに……振り下ろす! ガッ、ぎぎっ。金属音と、軋むような音と感触が伝わってきて、私は焦りとともにほんのりと不機嫌になりつつあった。


 「なによ、これ……」


 斬れない。どうやっても斬れない。

 あの戦いでの疲れが残っているとはいえ、ここまでやって一本も断ち切れないのは異常だ。太さにして私の指が二本分ぐらいの枝を、私の斬撃が断ち損なうだなんて。


 (ってか、この枝……いや、ここにある木ってもしかして)

 「あー巫女様? いいだべか?」

 「っ、なんですか」

 「もしよければオラがやるべ。こう見えてもそういうのは得意分野なもんで」


 初めこそ自らの意地が許すわけ無いと断りかけたものの、こんなことにムキになっている暇なんてないことに気付かされる。そうだ、私はちゃんと身体を休めないといけないんだ。

 ゲンさんには悪いが、代わってもらおう。


 「……分かりました。刀、使います?」

 「ああ、ありがたいべ。お借りしますだ」


 刀を丁寧に受け取ってきたゲンさんの手は、痩せ細っているし弱々しい。

 途中で投げ出した私が言うのもなんだが、本当にこの人で大丈夫なんだろうか? 変な構え方をして、またどこか痛めでもしたら申し訳が立たない。


 それに、巫女でもないゲンさんにこの木の枝を斬れるわけがない。


 「あの、やっぱり」


 ふっ。鋭く、風が鳴る。

 からんからん、と。なかなかに太い木の枝が、振り下ろされた刃の切っ先に落ちてきていた。

 

 「……え?」

 「ふぅ」


 切った。

 あの枝を、簡単に切り落とした。


 ほんのりと霊力を帯びた、あの木を!


 「ひゃあ、よく斬れる刀ですな。オラみたいなのでも簡単に斬れちまっただよ」

 

 私よりも綺麗で、無駄がなくて、最小限の動きで最大限の”斬”を放ったその人は、今も穏やかに刀身を見つめていた。

 いや、違う。それだけじゃない。

 だってこの人の斬撃には、しっかりと霊力が伴っていたのだから。


 「……いや、いやいやいや!!! なんで当たり前のように霊力が使えるんですか!?」

 「ん? ああ、実は生まれつきそういう才能があるらしくて……剣技についてはちょっと昔に武士として刀を持ってたもんで。若い頃はこんなことばっかしてたもんです、懐かしいべなぁ」

 

 まぁ、巫女様みたく祟神に通じるような代物じゃないですが。

 そう言ってゲンさんは、切り落とした木の枝を拾って焚き火に投げ込んだ。


 (……きれい)


 眼の前で燃え盛る焚き火が、ではない。

 私はあの斬撃を、霊力を伴った無駄のない一閃に脳を焼かれていた。親父が”剛”の剣を振るうのであれば、ゲンさんはその真逆に位置する”柔”の剣であった……まるで、変幻自在に流れ込む水のような。


 「ところで巫女様。霊力の扱いとか、もしかして苦手だったりするべか?」

 「……えっ。あっ、はい」


 ぼーっとしてた。いけないいけない。


 「なはは、図星みたいだべな! ……剣技は文句無し。差し出がましいかもしれねぇけど、霊力を用いた剣術のコツ、良ければお教えするべよ?」

 「……! お、お願いします!」


 願ったり叶ったり棚からぼた餅。思わず立ち上がる私を、ゲンさんは優しく笑いながら見上げていた。──差し出される、貸していた刀。


 「簡単なことだべ。霊力の”流れ”を意識するんだべ」

 「な、流れ……?」

 「霊力とは、魂が放つ力そのもの。出したり引っ込めたりするもんじゃあない、常に肉体を漂い、循環している。……オラたちにできるのは、その流れや勢いを指し示すことだけだ」


 言っていることが急に分からなくなった。循環? 指し示す? かたすぎる?

 

 「要するに、だ。巫女様」

 

 ゲンさんは私の手を握り、棒立ちの私に刀を返してきた。


 「霊力は”自分の中”だけにあるものじゃない。この世に生きる全て……あらゆる存在が持ち、放っているってことだべ」


 脈打つその手の感触の中に、激しく流れる血流以外の何かを感じた。

 それは激しく、けれど規則正しく、私の中に流れる”それ”とは一線を画すほどに整然としていて、目には見えない差というものを……そして、霊力の”本質”を悟らせる衝撃であった。


 「──そういう、ことなの」


 流れる、循環、指し示す、かたすぎる。

 私の霊力は、いいや霊力という概念そのものに対するこれまでの認識は、あまりにも狭かった。


 身体が理解する。霊力とは何なのかを。

 そしてそれは、少しずつ頭の中に形作られていき……言語として具体を模していく。


 「……」

 「呑み込みがいいなぁ。教えること、もうなくなっちまっただよ」


 ケラケラと笑うゲンさんは、優しく握ってくれていた手を離す。

 それでもしっかりと、あの激流のような感覚は拓いていた。……今なら、分かる。あちこちに立つ木々の”流れ”が、物静かな大小様々な石の内側にて廻る”渦”が、私自身の身体の中を駆け巡る”息吹”が。


 「やるべきこと、まだあるべ?」

 「……うん」


 足りない欠片を受け取った。心臓が欠けていた生物に、ようやく血の脈が高鳴りだす。

 

 「やるべきことを、果たします」

 

 私はゲンさんに頭を下げ、踵を返し、再びあの湖へと……足を、踏み入れていった。

 



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