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「第十話」【水神】の神域へ

 ホカホカ白米、漬物、味噌汁。

 おまけに二匹の川魚を囲炉裏の火で焼き、たっぷりと塩をかけて頂いていく。


 「……宝石箱だった」

 『大袈裟だろ』


 人様が出してくれた食い物に対して何だその態度は。心の中でカゲルに対して怒りを飛ばしたが、ガン無視されて終わった。姿形が顕現していないからぶん殴れないのがとても歯がゆい。


 「改めて、ゲンさんを助けていただきありがとうございました。あの人は村の中でも水に詳しくてねぇ……米作りには欠かせない人なんです」

 「んっ、いえいえ! 巫女として当然のことをしたまでです」


 箸を置き、手を合わせる。


 「……ごちそうさまでした。とっても美味しかったです!」

 「そりゃあよかった。実はそれ、ウチで育てた米なんですよ」


 ああ、だから米俵を抱えていたのか。確かに窓から風に揺れる稲のようなものが見える。


 「秋になればね、あれが黄金色に輝くんですよ。それでね、風がブワーッと吹くとねぇそれはそれは綺麗なんです! いやぁ海みたいですよ、見たことないけども」

 「あはは。じゃあ、ご飯のお礼に祈りを捧げさせてください。豊穣を祈るのも巫女の仕事ですから」

 「……豊穣、ねぇ」


 なんだか含みのある言い方だった。陽気に見えたこの人の顔に、一店の墨が垂らされたような……そんな、曇り陰り。

 なにかある。私がそう確信したのちに事情を聞こうとした……その、瞬間。


 ぴしゃり!


 「!?」

 「っ……」


 髭面の男性の背後から、女の人が現れた。その姿はあまりにも貧相で、骨と皮だけのようなやつれ方をしていて、女性なのだろうと気づくまで暫くかかった。

 

 (やつれてる……?)


 なにか特別な気配や特徴があるわけではない。だが、その女性の顔やら生気やらはあまりにも希薄で、吹けば消えそうな弱々しい灯火のような風貌をしていた。──とすっ、と。前のめりに倒れ込む。


 「っ、おい! しっかりしろ!!」


 すぐに髭面の男性が受け止める。男性の焦り具合から察するに、多分この人たちは夫婦の関係なんじゃないかという推測をした。


 さて、駆け寄って分かるのはやはりこの女性の”細さ”だった。背中に触れてみてまぁ硬い、肉の柔らかさを感じないというのは、生き物に触れている気がしなかった。

 まともに食事を摂っていないのだろうか? 私のような客人にこんな贅沢な食事を出せるのだから飢えているというわけではなさそうだが……そんな考えを巡らせていると、その弱々しい手が私の手を素早く掴んできた。ぞくっ、と。背筋が一瞬ざわめく。


 「たすけて……ください」

 「え?」


 ぎゅっ、と。

 泣き腫らした女性の顔が、嗚咽混じりに言い放つ。

 

 「お助けください巫女様! 私の、私の息子が……”神隠シ”に遭ってしまったのです……!」


 ──”神隠シ”とは、それ即ち神による悪戯であり天罰でもある。

 気に入った人間、無礼を働いた人間など、理由は様々で神のみぞ知るものの、確かにそういった事件やら行方不明やらが発生するのは珍しくない。……そしてそれは、大抵の場合”手遅れ”である場合がほとんどなのだ。


 「お、おい……それは、どういう」

 「【水神】様の社にお参りに行ったら、いつの間にかいなくなっていて……探してもいなくて、きっと、お怒りに触れるようなことをしでかして、それで……あぁ」

 (【水神】!?)


 いきなりとんでもない大物の名前が出てきた。

 

 まず、この世界における万物は全て五つの要素の混ざり合いによって形作られている。木・火・土・金・水……これら五つを纏めて”五行”と呼び、またそれらを司る特別な五柱の神々のことを”五行神”と呼ぶのだ。──そして【水神】とは、その一角を担う神のことを指す。


 「雨が降らなくて、湖からの水も少なくて……」


 真っ赤になった目元が更に濡れる。顔面を抑えて泣きじゃくるその人の姿は、”手遅れ”だという事実を薄々察しながらもそれを聞きたくない、認めたくないと耳を塞いでいるようにも見えた。


 「このままじゃ稲が枯れるって夫と話していて……それで、あの子きっと」


 通常、巫女がこういった相談を受けた際、予めそういった旨を伝えておくのが定石だ。間違っても希望をもたせるようなことは言わない、言ってはいけない……それぐらい、知ってる。


 「……」


 髭面の男性は、静かに女性を抱きしめた。慰めるように、諦めるのを促すように、受け入れろと言わんばかりに優しく。……そこには希望も、気力もないように思えた。


 「お願いします……」


 私がこの人に言うべきことは決まっていて、それをさっさと言ってしまえばいいだけなのだ。


 「……ええ、任せてください」


 だからこそ、私は自分自身を追い込むような真似をする。


 「そのために、巫女わたしがいるんですもの」


 それらを乗り越えた先に、私が思い描く”立派な巫女”の姿があると信じて。






 ◇



 村の外れにある森の中を歩いていくと、その先には大きな湖があった。


 「……大きいなぁ」


 山から下ってきた水がここに溜め込まれ、それが川の水として村の畑に流れ込む……という話だったはずだ。だが、おそらく大量の水が流れていただろう跡こそあれど、肝心の流水はほとんど枯れ果てていた。


 湖の水が少ないわけではない。あまりにも妙で、不気味。

 ちらり、と。私は湖の前に設置されている小さな祠に目をやった。


 (まだ、大丈夫だとは思うけど……)


 話が通じるといいけどな、と。私は腰に差した刀の鞘を指で擦った。

 基本的に神という存在は人外であり、その知性や価値観もおおよそ人間が想像できる範疇を超えている。特に意味もなく友好的な善神もいれば、その逆も少なくない……そもそも神と言葉を交わすという時点で、相手方の神には相当な神格を要求することになる。


 つまるところ、人と神の意思疎通はかなり難しい。

 神格については”五行神”の一角であるから問題ないとは思うが、穏やかな心持ちの神であるかどうかは……完全に運だ。


 『お前もお人好しだよな。面倒事にわざわざ首突っ込んでいくんだからよ』

 「……」


 そんな分の悪い賭けの道連れにされようとしているってのに、なんだこの平然とした態度。コイツの神格はどんだけ高いんだろうなぁと改めて考えさせられる。


 「困った人がいたら助けるのは当たり前でしょ。ほら、アンタも腹括りなさいな」

 『へいへい。まぁ、いざとなったら俺が全部どうにかしてやっから、やりたいようにやればいいんじゃねぇの?』

 「はっ! まぁ見てなさいな、アンタに頼らなくたって今の私なら秒で息子さんを救出してやるわよ……時間計ってなさい? 震えさせたげる」

 『たのしみだなー』


 ムカつく。が、いざとなったら頼らなければならないのも事実だ。

 深呼吸。鼓動を落ち着かせてから、見据える。


 「……行くわよ」

 『おう』


 祠へと近づいていく。少しずつ、なんとも言えない”圧”のようなものが強くなっていく。

 御神体、即ちこの池に住まう【水神】はきっとあの中にいる。


 大丈夫だ、そんなに初めから身構える必要はないじゃないか。ただあの神様と話をして、息子さんを返してもらって……五体満足のまま村に戻るだけ。それだけだ。


 (落ち着け……落ち着け)


 近づく、近づく。地面を踏みしめ、小石を蹴飛ばし冷たい感覚とともに足元に違和感を覚えた。


 「え?」 


 足元に目をやる。そこには、足首にまで達するほどの水位の水が張り巡らされていた。


 「っ!?」


 顔を上げると私は、自分が湖の中にいることを理解した。

 いいや有り得ないだろう。だって私は確実に地面の上に立っていた、湖の中になんて入っていなかったはずだ。知らず知らずのうちに入ったのか? いやいやもっとあり得ないだろう。


 「……神域!」


 最悪の予想、最悪の想定が現実味を帯びてしまったようだ。

 私はいつの間にか【水神】の持つ神域に取り込まれてしまったらしい。見える景色も何もかもが違和感を放っていて、更に、更に足元を濡らす水があまりにも……強い! 水流が、意思を持って私を拘束している!!


 (やられた! 本体はどこに……っ!)


 刀の柄に手をかけ、あくまで冷静に全神経を研ぎ澄ます。──ぽちゃん。水面に落ちる一雫、その波紋が足元に伝わってきた。


 ──巫女よ、矮小なる人間の巫女よ。


 ぽちゃん、ぽちゃん。眼前に突如顕れた着物姿、人の形をしたそれは長く細い舌を垂らしながら、ゆっくりゆっくりと近づいてくる。──その手には、妙な威圧感を放つ錆びついた鉾が握られていた。


 ──私は契約を持ちかける。平和にして最良にして最善の交渉を持ちかける。

 「交渉……? じゃあ、アンタが攫った男の子を解放してくれないかしら」

 ──可能だ。加えて、貴様に危害を加えずに村を返すことも苦しからず。


 好戦的、ではないようだが油断なんてできるわけがなかった。

 それでもここまでの会話ができ、私からしてみれば万々歳の条件を今のところ出してくれている。……条件次第では、握りしめた刀を抜かないで済むかも知れない。


 「……んで? 水神サマのお望みはなぁに?」

 ──私の要求は唯一つだ。


 水面が震える。水位も、勢いも、あの神を中心に少しずつ増していく。

 まるで、脅しのために刃を首筋に当ててくるような。


 ──貴様が今契約している祟神。その首を置いていけ。

 「断る」


 交渉決裂。言葉はもう、必要ない。

 全霊を以て水を蹴り払い、その神の方へと飛び込んでいった。


 


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