〈三類 時任家当主〉
急な山道を登り、車は中腹で止まった。茜はつくづく歩きじゃなくて良かったと思った。
「着きましたよ。足元に注意してください」
里穂が二人を先導する。茜は里穂に話しかける。
「本当に山って感じですね。どんな人が住んでるんですか?」
「私と同い年の女性が一人ですね」
里穂は茜よりは年上だが、それでも若い。茜は驚いた。
「それ結構危険じゃないですか? こんな山の中で」
里穂によればそういう人らしい。
(まぁ今の時代そういう人がいてもおかしくないか。もっと珍しい人なら隣に……あれ?)
茜が隣を見ると春馬が見当たらない。どうせまた虫だろうと茜が思っていると、春馬が駆けてきた。
「見てみろ。このナツアカネ婚姻色が出てるぞ!」
どうせまた虫だった。
「なんでそっちのアカネはすぐに出るんですか!」
突っ込みを入れながら一行は進んだ。車では奥まで行けないためかなり歩いたが、山ということもあって気温はちょうどよかった。
「ここです」
里穂が口を開いた。瓦の屋根、昔ながらの一軒家という感じだ。
「ここまで来て言うのもなんですけど、あまり期待しないでくださいね。それと覚悟も……」
「覚悟? さっきも言ってましたけど、どういうことなんですか?」
急に扉が開いた。
「うるさい!!」
三人が固まる。周囲のセミも一斉に鳴きやんだ。一匹だけ遅れた蝉が睨まれる。視線に耐え切れなくなり、ジッと鳴いて飛んで行った。
静かになったところで、家主と思われる女性が三人の方を向き直す。
「静かにしてください。資料の整理で忙しいんです」
女性の言葉には重みがあった。着物を着こなしており、姿勢がとても良い。里穂と同い年というのは間違いではないように感じたが、年齢以上の威圧感があった。
「はぁ…またあなたですか。数を増やしてもあなた達に渡す資料はありません!」
女性は里穂を責めた。茜と春馬はただ見ている事しかできなかった。茜は二人の動向を。春馬はナツアカネを。
「またって……それにこちらのお二人はその件ではないですし」
二人の間に気まずい沈黙が流れる。膠着状態が続いていると、春馬がナツアカネを逃がして歩きだし、家主の前に立った。
「お狐様と蒼き光の文献を探しているんだ。あるのか?」
あまりに突然の問いかけに女性は戸惑っている。不意を突かれた様子だ。
「な、なんですかあなたは……誰なんですか?」
今度は逆に家主が問いかける。家主の最初の勢いはそぎ落とされていた。
「僕は柊春馬だ」
「ヒイラギ……」
春馬が自分の名前を言った時、家主は固まった。柊という名前に驚いたようだ。その隙を突いて、春馬が畳みかける。
「僕が答えたんだからそっちも返事をしてくれ」
「分かりました、それでは素質があるかを試させていただきます」
試す。春馬たちにはその言葉の意味が分からなかった。
「もしあなたが時任家の求めるヒイラギなら、惜しみ無く協力をしましょう」
「いや、僕はたまたま名前が同じだけで……」
春馬の言葉を無視して、家主は家の中へ向かった。暫くして、一冊の本を持って出てきた。
「これはヒイラギの伝説を見た者が記したという文献です。ここには英雄であるヒイラギの特徴が載っています」
春馬がその本を受け取ろうとすると、家主は手を離さずにこう言った。
「この文献を見ずにヒイラギの言動の特徴をいくつか言い当てることができれば、当主として協力しましょう」
無理な話だった。茜が持ってきた資料の絵から、ヒイラギの見た目が自分と似ていることは知っていた。しかし『雲雀村伝説』の断片にはヒイラギの言動については一切載っていなかった。春馬は助けを求めるように茜と里穂の方を見た。
「他の人と協力しても構いませんよ。まぁ意味はないでしょうけどね」
その考えを見透かすように、家主は言った。春馬は家主から少し離れたところで二人に問いかける。
「(どうする?)」
「(ひとまず沢山の男の人に当てはまる特徴を言えばいいんじゃないですか?)」
里穂は慎重に広い条件から当てはめていく方法を提案した。
「(いや、でもわざわざ問題にするんですよ? 普通の特徴なわけなくないですか?)」
一方茜は里穂とは対照的に、大胆に攻める手法を提案した。どちらも一理ある。
「(いっそのこと先生の親族の特徴言っちゃうとか! 兄弟とかいないんですか?)」
「(僕は生まれてこの方一人っ子だし、父親や祖父の特徴が当てはまるとも思えないよ)」
春馬が困惑していると、急に頭の中にイメージが沸き上がってきた。それは資料で見た絵からの連想というわけではなく、映画のフィルムの一部が頭に入り込んでくる感覚だった。
「一人称は俺で、歩くときに重心が偏る癖がある。機械工学が得意で明るく、リーダーシップに溢れている。少し天然なところもある」
思考を整理する前に口が勝手に動いた。まるで何かに操られているような感じだった。
「え? どうしたんですか急に、機械工学なんてこの時代にないですよ!」
「いや、これは口が勝手に……」
「当たりです……まさかここまで答えられるとは思っていませんでした」
茜と里穂の驚きは家主の驚きに遮られた。
「天然という情報は書かれていませんが、そのほかの情報は概ね合っています」
家主によれば、機械工学という言葉はここには書かれていないが、からくりの話が好きな人物という記述があるとのことだった。
家主は三人の元へ向かい、咳払いをした後声を掛けた。
「先ほどのご無礼をお許しください。時任家の家訓に基づきご案内させていただきます」
時任家、それがこの家を所有する一族の名前だった。
時任家の家訓とはヒイラギの名を持つ者が来たら試し、その結果次第で協力するというものだった。英雄と同じ名、素質を持つ者が訪ねてくることにはとても大きな意味があるらしい。
「申し遅れました。私は……」
家主の女性の名前は時任菫。時任家で雲雀村の伝承を管理する家系の末裔らしい。この年齢で当主というのだから驚きだ。
「それではご案内いたします。どうぞこちらへ」
「あ、ありがとうございます!」
菫が里穂の方へ目線を向ける。たった数秒の出来事だが、里穂にはとても長い時間に感じられた。
「あなたもお連れの方ですので入ることを許可します」
「あ……」
里穂はなんとかして言葉を絞り出そうとしたが、出なかった。菫は三人を家の中へ案内した。
外観からも分かったが、二十代の女性が一人で住んでいるとは思えないほど広い家だった。延々と続くように思える廊下を菫、春馬、茜、里穂の順で進んでいった。
「先生もすごいですけどあの人も凄いですね…里穂さんのお知り合いですか?」
茜は前にいる二人に聞こえないように里穂に問いかけた。
「えぇ、まぁ。お見苦しいところを見せてしまってすいません……」
里穂はシュンとしている。役場の仕事とはいえ里穂はあまりに親切だったので、茜はその様子にむしろ人間らしさすら感じた。茜は里穂と菫の仲の悪さに心当たりがあった。
「あの、もしかしてギスギスしてたのって……」
「そうです。村おこしの関係で」
村おこしの案の一つとして、資料館の発展、充実は大きなノルマであった。役場は時任家に資料の提供を求めたが、返事はNoであった。新人の里穂は説得係に駆り出されたのである。
「彼女とは小学生から幼馴染だったんですが、今はこんな関係になってしまって」
どうやらもともと知り合いだったため里穂に白羽の矢が立ったらしい。
「こちらです」
菫がふすまを開けると、多くの資料が床に散乱していた。
「お狐様の中でも他の生物との関連する伝承はここに」
春馬は待ってましたと言わんばかりに資料を読み始めた。里穂もそれに続く。茜は菫に気になっていたことを聞いた。
「あの、菫さんは蒼き光について聞いていることってありますか?」
「そこまで多くはないのですが……私が知っていることはお話しさせていただきます」