〈四類 友はさき立つ〉
茜は中学で雲雀村に転校してきた。しかし転校を繰り返している茜には、友達を毎回作っても別れてしまうことがストレスだった。友達を作るのが面倒になった茜は、雲雀村の学校で誰にも話しかける事は無かった。もちろん友達はできない。
(でも咲葵が話しかけてくれて、私は変われたんだ)
授業が終わり、夕陽が照っている中ヒグラシだけが元気に音色を奏でていた。
「いやー、今日の授業も退屈だったなぁ、理科の先生話長すぎ!」
咲葵は制服で窮屈そうに伸びをしながら笑って言った。茜も笑いながら口をそろえた。
「ほんとにそうだよね! 寝ようとするときに限って気づくし! もう嫌になっちゃう」
茜が雲雀村に来てからもう三年が経った。茜と咲葵は親友になり、いつも一緒に過ごしていた。
「ふふっ」
「どうしたの?」
茜には、咲葵がどうして急に笑ったのか分からなかった。咲葵は笑いながら続けた。
「いや、茜変わったなぁと思って! 転校してきたときはビビりまくってたのに」
「そんな昔のこと言わないでよぉ! まぁ咲葵のお陰ではあるけどさ」
あの後の学校生活は咲葵のお陰でとても充実したものとなった。咲葵はその性格から人気者だったが、茜のことを一番に考えてくれた。茜にはそれが嬉しかった。茜が咲葵に心の中で感謝していると、咲葵が言った。
「私たちずっと親友だもんね!」
そう言う咲葵は笑顔だったが、目の奥を見ると何か言いたげな顔であった。
「うん! ずっと一緒に遊んでたい! でもなんで急にそんなこと言い出したの?」
茜が尋ねると、咲葵は言いづらそうに口火を切った。
「……えっと実はね、私茜にまだ言ってないことがあるんだ」
もちろん誰にでも人に言っていないことくらいあるだろう。秘密があることを言ってくれるだけでも茜は嬉しかった。
「そうなの? 私で良ければ話して! もちろん言いたければでいいけど」
「茜だから言いたいと思ったの」
咲葵は真面目な顔になって、話し始めた。茜は静かに聞いていた。
「私の苗字ってみずがみでしょ? どうしてみずかみじゃないのか気にならなかった?」
「うん、実は気になってた。みずかみって読む人が多そうだけどなんでかなって」
確かにずっと気になっていたことである。ただ、水上でみずがみと読む人もいるのでそこまで気にはならなかった。しかし咲葵の場合は、元々は違う苗字だったらしい。
「本当は水に神様でみずがみだったらしいんだよね」
水神、かなり珍しい苗字だ。雲雀村はずっと昔からお狐様を祀っている。咲葵の家もお狐様に関係する家系として代々役割を果たしてきたらしい。お狐様については茜も気になっていた。
ここまで多く銅像があるのは今まで見たことが無かったからだ。
「そうなんだ。確かに狐の像が沢山あるなぁって思ってた!」
「ね、あちこちにあるもん」
伝説によればお狐様は人魂を使うことができ、水神家は増えすぎた人魂を消火する役割があるという話だった。その話に基づき、水神家は代々お狐様を信仰してきたのだ。
「でもそれ馬鹿らしくない?」
「まぁね、科学的根拠もないし。あんまりそういうのって信じられないや」
茜も咲葵も理科や数学を得意としていた。その思考も理系寄りで、意味の無さそうな風習などには興味が無かった。
「でしょ? それでね、私のおじいちゃんがそれに反抗して水神家じゃない人と結婚したらしいの! かっこよくない?」
「それは素敵だね! でもその後大変じゃなかった?」
咲葵が親から聞いた話だと、非難も多く大変だったらしい。それによって水神家の本家から離され、水上と名乗るようになったのだという。しかしその後、咲葵の親が苦労して元の繋がりに戻した、ここまでが話の一セットだった。
「でも私、それは間違ってると思う」
咲葵の目は真剣だった。祖父がせっかく切り開いたものをまた接着剤のようにくっつけて蓋をした親を、咲葵は腹立たしく思っていた。
「でもこういう話すると親に怒られるんだよね」
咲葵はうなだれていた。学校の授業でもお狐様の信仰についてはある程度ならったので、茜もその気持ちは理解していた。
「まぁ確かに難しい問題だよね。人によって考え方も違うし」
信じる人が悪いわけではないことは分かっていたが、やはり身内にいるかどうかで観念は異なる。茜は咲葵との状況の違いを理解した上で、どのように話しかければいいか迷っていた。
「そうなの。でもそれってさ、逆に言えば私も自分の考えを持っていいってことでしょ?」
「確かに! そうとも言えるね!」
咲葵はお爺さんのように、言いなりにならずに自分で道を切り開いていきたいことを話した。
茜は少し心配になった。まだ高校生の咲葵がそれを実行するにはかなりの苦労が伴うからだ。
咲葵にはなるべくつらい思いはしてほしくない。茜は自分の心配している点を言ってみることにした。
「でも咲葵まだ高校生だし、親だって説得するの難しくない?」
咲葵によれば、今の状況でも一つだけ方法があるとのことだった。それは水神家の戒律を破るということだった。
茜は戒律を破るという意味がよく分からなかったが、とにかく咲葵が大きな決断をしようとしていることは理解した。
咲葵によれば、今二人のいる場所の近くの山を登った先に水神家の神社があるとのことだった。そこでは大きな石が祀られており、それは水神の御石というらしい。水神家の力の源と言われており、触れてはいけないと昔から言われている。
茜も転校してから間もないころ、そこに行ったことがあった。狛犬ではなく狐がおり、水神の御石には近づけないよう規制線が張られていたことを覚えていた。
「でしょ? でもそんなの間違いだと思うんだ。私、あの石に触って間違っていることを証明したいの!」
もし咲葵が触って何も起こらなければ、今までのことは間違っていたことになる、というのが咲葵の主張だった。
「え? でもそんなことしたら怒られちゃうんじゃ……」
「それでもいいの! 私はそれでもこの伝統を無くしたい!」
咲葵の目はまっすぐだった。その目は茜ではなくその先、未来を見越していた。
「自分を変えたいの! それで……茜についてきてほしいなって思って」
咲葵が今まで茜に何も話さなかったのはそれが原因だった。茜は焦った。まさかここで自分が関わるとは思わなかったからだ。
咲葵は親友だ。これは何があっても揺るがない。しかし茜には咲葵が絶対に正しいという確証が持てなかった。なにより、自分自身が怒られるのが怖かった。
「わ、私? でもやっぱり……良くないんじゃ。咲葵の気持ちは分かるけど……」
茜は動揺しながらも咲葵を諭そうとした。言葉に詰まっている所にさらに咲葵が追い打ちをかけてくる。
「入口まででいいの! 付いてきてくれるだけで安心するんだ! 茜は親友だし!」
「確かに私と咲葵は親友だけど、でも……」
茜はどうやって返せばいいのか分からなかった。二人の間に沈黙が流れる。初めてのことだった。五秒ほどだったが、茜にはとても長い時間に感じられた。
「なーんてね!」
「え?」
咲葵の顔を見ると、また笑顔のいつもの咲葵だった。
「ついてきてほしいってのは嘘だよ! 茜がそういうの嫌いって知ってるし! 元々一人で行く予定だったの!」
「え? でも……」
その顔はどこか無理をしているように見えた。言葉もいつもより早い。茜が心配していると、それを感じたのか咲葵が続けて言った。
「あ、でも私が帰ってくるのを待っててほしい! 帰ってきたら自慢したいし!」
「……分かった!私ここで待ってる! 終わったら一緒にアイス食べよ!」
「ありがとう! じゃあ行ってくるね!」
咲葵は手を振りながら軽やかな足取りで山の方へ向かって行った。夏なのでまだ陽は落ちていない。足場が見えなくて危険になることは無さそうだ。茜も一度行っているので、神社に向かうこと自体はそこまで危険ではないことは分かっていた。
「うん……大丈夫だよね、きっと」
ずっと鳴いていたヒグラシの声が茜にはとても恐ろしく聞こえた。
茜は近くのコンビニの前でずっと待っていた。しかし日が暮れても咲葵が帰ってくる事は無かった。コンビニの店員に促され、茜はその日家に帰った。翌日、警察や地元民含め皆で捜索が行われたが、咲葵が見つかる事は無かった。
咲葵の親はただ怒っていた。水神の御石から咲葵の指紋が見つかったからだ。咲葵の心配よりも家の心配をする咲葵の両親に茜は腹が立った。しかし本人たちに言うことは出来なかった。
そこから茜は文転し、民俗学の勉強を始めた。民俗学を全て学べば、すべては存在しないことが証明できると考えたからだ。大学受験に合格した後に上京し、今に至る。
(でももし、伝承が正しかったら咲葵に会いたいな)
「茜さん、ずっとそこにいたら風邪を引いちゃいますよ?」
里穂が手伝いを終えて戻ってきた。茜はハッと我に返る。
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもないです! そういえば春馬先生、雨大丈夫でしたかね?」
茜は話題を逸らした。
「蒼灯籠、本当に見つかるのか少し不安になるんです。狐者にも会えるのか……」
「会えますよ。柊先生ならきっと見つけてくれます!」
里穂のその言葉は自信に満ち溢れていた。その言葉は茜の不安を拭った。ちょうどそのとき、雲の隙間から日が差した。天使のはしごが上空に見える。
「私もそんな気がしてるんです。あ、雨やんでますね」
「本当ですね。あ、虹!」
里穂の指さした先には大きな虹がかかっていた。茜が見とれていると里穂が笑いながら言った。
「もし柊先生が見たら虹色の虫の話とかしてきそうですね」
その言葉に茜もつられて笑ってしまう。
「それ、前に言ってました!」
「やっぱり。あ、そろそろまた手伝いに戻りますね!」
何から何までやってもらいっぱなしである。茜が何かしましょうか?と聞くと、お客様ですからゆっくりしてくださいと返された。自分と違って親切心の塊のような人だなと茜は感心する。
「ありがとうございます」
里穂は玄関の方へ向かった。茜は虹のかかる空を見上げながらポケットを触った。何度も触ってしわが出来ている。
すると手伝いに行ったはずの里穂がすぐに戻ってきた。なにやら焦っている様子である。
「茜さん! 柊先生の書き置きが!」
里穂によればさっき見たときは無かったためちょうど今さっき置いた可能性が高いとこのことだった。
「本当ですか! 見せてください!」
小さな紙だった。丁寧な仕事を心掛ける慎重な里穂だからこそすぐに気づけたのだろう。そこには「山が分かった。これから行ってくる」とだけ書かれていた。
「あの、里穂さん」
「分かってます。行ってきてください! ここで待っていますね!」
茜は里穂に感謝を伝え、急いで荷物を持って山へ向かった。茜を見送った後、里穂はメモを物色していた。メモの裏を見ると、山の場所が書かれてあった。
「茜さんこれ見てたのかな?」
里穂は首をかしげて、宿に戻った。