〈一類 蒼い閃光〉
小雨が降っている。雨の音とクマゼミが鳴く音が合わさってより湿気が増しているような空気の中、春馬は歩き回っていた。
フィールドワークに出て、山を探してから既に三日が経っていた。めぼしい山は回ったが、どの山にも蒼灯籠の気配は無かった。記憶が戻ることにも期待したが、あれから新しい記憶は戻らない。
小さい頃に蒼灯籠を見た。その記憶のみが浮かび上がっている。なぜか前後の記憶は一切思い出せなかった。他の記憶とは違い、まるで自分が経験していないような、現実離れしたような思い出だった。
雨と蝉の音に記憶の遡及を遮られる。遠くの方では雷もゴロゴロと音を立て始めていた。やはり自分の記憶違いなのだろうか。確証が持てない記憶の中で、春馬は自信すら失いかけていた。
そのとき、春馬のスマホが周囲の音に負けないほど着信音を鳴らした。春馬が発信者を確認すると、菫からだった。
「時任です」
電話でも菫の声は重圧があった。『雲雀村伝説』の解析が進んできたので電話を掛けてきたようだった。資料の中で書かれていたあかき水について、分かったことがあるという。
「赤い水ではなく明るい水を意味している事が分かりました」
(明るい水……どういうことだ?)
他に分かった情報としてはヒイラギと名乗る英雄のことだった。下の名前は一度見たときは分からなかったが、他の文献も合わせて漁ってみるとトーマと書かれていた。ヒイラギトーマ、現代人の名前みたいだ。
(僕の名前は春馬。トーマはとうまとも言える、とう……冬?)
もし柊冬馬という人間がいるなら春馬と少なからず関係がありそうだと、春馬は考えた。しかし親戚でもそのような名前は聞いたことが無い。考えすぎなのだろうか、そう春馬が思っていると菫の声がまたハッキリと聞き取れた。
「では私はこれで」
電話はあっさり切れた。ツーツーという余韻に合わせて雨が音を立てているように、春馬は感じていた。セミも鳴きやんでいる。適度な音は春馬の思考を逆に捗らせた。
春馬暫く考え、唸っていた。
(夜の光と言えば月……)
それが最も引っかかっていた。本来であれば満月の日にホタルはあまり見られないと言われている。光によってコミュニケーションを図っているため、満月の光があるとあまり飛び回らないのは学者の中では常識だった。
春馬が唸ってしゃがみ込むと、何かが落ちる音がした。そして自分の足元から先の道を青い光が照らした。春馬がびっくりして振り向くと、そこには青いセロハンのついた懐中電灯があった。
(そうだ、これは)
茜がくれたものだった。青く透き通った光が春馬の行く先を照らしていた。
「青い光、ホタル……はっ!!」
雷鳴とともに春馬の中に1つのアイデアが注ぎ込まれてきた。
「そうか……そういうことなんだ! 僕は今まで何をしていたんだ。すべての可能性を探っていなかった!」
春馬歩き回りながら考えを整理した。その足取りは自信に満ちていた。雨に濡れることも気にせずに、春馬は思考を続けていた。
(満月にホタルが少ないのは月の光と同じ色だからだ! 青いならそれがない……)
ホタルの行うコミュニケーションは光を介したものである、これこそが盲点だった。光の色までは普段は考える必要が無かったからだ。春馬は止まってカバンから地図を取り出し、川以外ホタルが生息する条件を満たさない山を探した。
今まではホタルが居そうな場所ばかりを探していたが、それだったらすぐに蒼灯籠は他の学者にも見つかっているはずだった。見つかっていないということはホタルの生息地という条件とはずれた場所にいるのだと春馬は悟った。ペンで囲うと、まだ探していない山で条件を満たしているものが一つあった。
「ここだ!」
その後スマホで確認すると、今日が満月であると分かった。空を見上げると雲の合間から白い満月が覗いていた。春馬はさっそく向かおうとした。ちょうどその方角は茜のくれた懐中電灯の光が差した向きだった。
「(登る前には言ってください)」
茜の声が頭の中で聞こえた気がして、春馬は足を止めた。荷物をしまった後、スマホで連絡しようとしたがつながらなかった。月を調べたときはネットがつながったのに、たまたまだろうか。
春馬は茜の泊まっている宿の方向へ足を向けなおした。