〈一類 狐者対談〉
蒼灯籠から生まれた少女、咲葵は仮面の男の後を追うことにした。男は森のさらに奥へ入っていった。バレないように追跡していたため、咲葵は仮面の男を見失ってしまった。
暫く辺りを探すと、男が遠くで座りながら作業をしているのが見えた。仮面はしていなかったが、白いTシャツにジーンズという服装が同じだったので同一人物だと分かった。
近づいていくと仮面を傍らに置いていたので本人だと確信し、咲葵は声を掛けた。
「すいません!」
「え? なんで俺が見えるんだ!? ってあー、なんだ仲間か」
咲葵には男の言っている意味が分からなかった。咲葵の理解が追いつく前に男は話し続ける。
「さっきは助かったよ! あれは俺一人だと出来なかったからさ! 変装使ってくれてありがとね!」
どうやら自分を他の人と勘違いしているらしい。そんなことあるだろうか?少女は疑問に思いながらも、話を続けることにした。
「あの! 仲間って何のことですか? 私気づいたら山にいて……」
仮面の男はポカンとしている。暫く考えた後、ようやく状況を理解したようだった。
「あーごめん、お面着けてたから君も狐者だと思ったんだけど、違う?」
狐者、どこかで聞いたことがある名前だ。頭の片隅で思い出しながら、仮面の男の発言を反芻していると、一つ引っかかることがあった。
「いや、そもそもお面なんて私してな……」
自分の顔を確かめようと触ると、何か硬いものに当たった。それも大きい。顔全体を覆っているようだった。少女が顔についている仮面を外して対峙すると、狐の顔だった。
「わぁ!!」
少女は腰を抜かすほど驚いた。驚いた拍子に自分が付けていた仮面を遠くに投げてしまった。
「ちょっと! それ代えが無いんだから大切にしないと!」
男は焦りつつ仮面を拾いに行ってくれた。男によれば、どうやら咲葵は狐者になりたてらしい。しかし咲葵はいまだに狐者の意味を思い出せずにいた。咲葵は男から面を受け取り、聞いた。
「そのさっきから言ってる狐者って何ですか?」
「狐者っていうのはお狐様に仕える人のことだよ。狐に者って書いて狐者」
文字を聞いてもピンとは来なかったが、お狐様という名前は親や村の人達から嫌というほど聞いた記憶があった。しかし咲葵は自分がお狐様に仕える存在になるのはあり得ないと感じていた。
「君が誰かは分からないけど、そのお面を被っていたなら狐者で間違いはないよ」
男は自分の仮面を拭きながら言った。どうやら狐者であることの証がこの仮面らしい。
(どうして私が狐者なんだろう)
咲葵は疑問を抱きつつも、ひとまずは目の前にいる男にいろいろ聞こうと考えた。
「君が誰かは分からないけど、」という男の言葉で、自分がまだ素性を明かしていないことに気づいた。相手は警戒している可能性もある。
「あ、私は水上咲葵です。すいません頭が混乱してしまって……」
嘘はつかないことにした。変に偽るとバレたときになにか言われるかもしれない。夕陽が仮面に差している男はより妖しく見えた。
「まぁそりゃそうだよね。いきなりこんな話されて理解できる方がおかしいよ」
理解がある人で咲葵はホッとした。男の名前は柊冬馬というらしい。思ったよりも話しやすいタイプで、咲葵は親近感が湧いていた。
「俺の知っていることは教えるよ」
冬馬は近くにあった岩に腰かけた。隣の岩にかかった落ち葉を取ってくれている。咲葵は礼を言って座ろうとする直前、あることを思い出して踏みとどまった。
「ありがとうございます。あ! そういえば今って何時ですか? 時計を失くしてしまって」
さっきからずっと夕陽が照っている。もうかなり遅いということが分かっていた。
「あっちの時間だと夕方の六時かな」
冬馬は腕時計を確認することもなく答えた。咲葵は焦る。まだ中学生、親にも遅れる話はしていない。早めに帰らなければ怒られることは明らかだ。
「すいません話はまた今度で!」
咲葵が急いで家に帰ろうとする。
「意味ないよ」
冬馬の一言で咲葵の動きが止まった。夕陽が雲に隠れる。チカチカした目を慣らしながら、咲葵は冬馬の発言の意図をくみ取ろうとした。
「え? あの意味がないっていうのは?」
「そのままの意味。君はもう人じゃない。会っても他の人には見えない」
咲葵は混乱した。人じゃない? さっきの狐者のことを言っているのだろうか。咲葵は冬馬に再度問いかけた。実際には問いかけるというより無理やり声を喉から押し出したような形だったが。
「君も薄々感じていたんじゃないか?」
咲葵の言葉をかき消すように、冬馬は大きく重みのある声で言った。咲葵が言葉を失っていると、冬馬が続けた。
「体の感覚が無いだろ? 足元をよく見てみなよ」
言われるがままに足元を見ると、少し浮いていた。地面に拒絶されているような浮き方だった。
咲葵はしゃがんで地面を見た。触ろうとしたが触れない。何回も繰り返す。動きも早くなっていくが、掴めるのは虚空だけであった。
「ね? 触れないでしょ? 君はもう狐者になったんだから」
冬馬の言葉だけが脳内に響いた。
(君はもう狐者になったんだから)
狐者……狐者……狐者……。知っていて知らない言葉が頭を駆け巡る。咲葵にはただそれを追いかけることしかできなかった。段々、自分が狐者になる前の出来事がよみがえってくる。そうだ、あの時……
「そんな……私まだ茜に」
咲葵の嗚咽の中に聞こえた茜という名前に、冬馬は聞き覚えがあった。
「茜? どっかで聞いたような」
「茜を知っているんですか!?」
茜、確かに聞いたことがある。冬馬は記憶を1つ1つ引っ張り出して確認した。
「そうだ、さっきまで春馬と一緒に居た人だ」
それを伝えた瞬間、咲葵はまた走り出そうとしたので、冬馬は慌てて止めた。もう行ってしまってからかなりの時間が経っていることを説明しても咲葵は行こうとしたので、冬馬は事実を告げることにした。
「もうそこにはいないよ。それに君は、その子と関わることは出来ない」
咲葵はただ茫然としていた。関わることができないという言葉の理解が出来ていないようだ。冬馬は咲葵が狐者であることを認識させるために、丁寧に説明をすることにした。
「2025年って聞いて馴染みがないでしょ?」
「え? 今は2020年のはずじゃ?」
咲葵の中にある最後の記憶は2020年のものだった。狐者になるには数年ラグが存在する。お狐様が言っていた。
まだ力が完全には戻っていないため、基本三年から五年、人によっては十年以上かかるらしい。咲葵は既に時間軸がずれたところにいることを冬馬は伝えた。
「君はその子と住んでいる世界が違う。喋ったり触ったりすることは出来ない。」
咲葵はただ落ち込んでいた。その様子を見て、冬馬は自分が死んだ後の春馬の様子と重ね合わせていた。
(この子になら言っても大丈夫)
その直感を信じて、冬馬は咲葵に自分がやろうとしていることを話そうと決めた。
「いや、一つ訂正しよう。触ったりは出来ないけど、喋ったりはできるかも」
「本当ですか!?」
「どうやら君の目的は俺と近いようだね」
咲葵が興味のありそうな素振りを見せたので、冬馬はもう一度咲葵に腰かけるよう促した。
「そこに腰かけて。話したいことがあるんだ」