2024/07/28
「さて、何から話せばいいか」
まだ少し焦げ臭さが鼻を突く研究室で、右足の焦げた男が目の前の二人に向き合っている。
「サンドイッチ食べます?私ちょっとコーヒー淹れてくるね」
あまりに不思議なことが突如山積みになった現状に父が固まってしまっていることを見て、少女は気を使ってなるべく普段通りの空気に戻すよう切り出した。
「お気遣いありがとう。だが結構だよ、ジェシカ」
名乗ってないはずなのに名前を呼ばれ、ジェシカは驚いた顔で謎の男を見た。
「驚かせてしまったな、すまない。とりあえずもう一度座ってくれないか。あぁ、もちろんアルバート博士のことも知っている。実はあまり時間がなくてね、君達の時間で言うと」
男は早すぎず遅すぎない、それでいて口を挟む隙のないペースで止まることなく話し続け、左腕につけている腕時計を確認した。
「九日と十七時間といったところだ。おおよそだがね、それまでに私はこの場所から立ち去らないと君達にも危害が及んでしまう。そうだ、名乗っていなかったな、私はジョン。火星から来たジョン、のジョンだ」
「あー、ジョンさん」
ようやくアルバートが口を開く。もはやこのジョンという男に説明を委ねた方がいいとは彼も思っていたが、すべて主導権を握られているのも危険かもしれないと判断したからだった。
「ジョンで構わない、なんだねアルバート博士」
ジョンはわざとらしく見える大袈裟な手振りをしながら答える。
「あぁ、ジョン。聞きたいことは山ほどあるんだが、まずは…そうだな、なぜ僕たちの事を?どこかで会ったか?」
「君達に会ったことはない、だが、アルバート博士とジェシカには会っている。なんと言うんだったか、トイプードル、ポメラニアン、ダックスフンドでもない。どうやら言語回路に損傷を受けているらしい、ダルメシアン、コーギー、マルチーズ」
「マルチバース!」
犬のパレードを遮り、ジェシカが叫ぶ。
「そうだそれだ、マルチバース。多元宇宙だとか、私はその辺り興味が無いのだが、とにかく、別の君達とは知り合いだった」
「そこの私達ってどんなでした?お父さんは?すごい科学者?自分でスーパーパワーの研究したりスーツ作ったりしてる?私は?」
俄然興味を示したジェシカが矢継ぎ早にジョンへ質問する。
「ジェシカ。僕ももちろん興味があるが、彼はそんな話をするために来たんじゃない」
アルバートはジェシカを嗜め、ジョンへ向き直って続ける。
「目的が知りたい、僕たちのところへ来た理由は?」
「見ての通り私は人間じゃない、いや、正確にはもともと人間だったんだが、ほとんど改造し尽くして機械だらけでね。サイボーグというのか」
ジョンは自らの腹部に刺さったままの腕を指差しながら言った。
「どう見てもこの時代の、あぁ。この世界の、技術じゃないな」
頭を抱えるアルバートと対照的に、ジェシカは目を爛々と輝かせて言った。
「修理したいのね!」
「概ね正解だよお嬢さん。より正確に言うなら、さらにアップグレードをしたいのだよ」
その言葉に、アルバートがゆっくりと顔を上げる。
「ちょっと待ってくれ、僕の専門は遺伝子工学だぞ」
「勿論知っているさアルバート博士。史上最悪のマッドサイエンティストの。あぁいや、こっちのあなたは違ったな、失礼」
ジョンの言葉にアルバートの顔から血の気が引いていく。マッドサイエンティストの響きに喜んだジェシカも、その様子を見てはしゃぐのをやめた。
「あぁ、なんてこった」
項垂れるアルバートにジョンが言う。
「ここまで良心が残っている君には言いにくいな。向こうの君なら喜んで引き受けるようなお願いだったんだがね」
下から睨みつけるように、恨めしそうにアルバートが吐き捨てる。
「君の身体に僕の研究を組み合わせろと言うんだろう。ほとんど機会と言ったな、残っている人間の部分を、今度は動物のDNAで強化しろと」
その言葉にジョンは手を叩いて立ち上がった。
「やはり同じアルバートだな、話が早くて助かる。すまないがすぐにでも頼みたい」
「お断りだ、さらに別の僕にでも頼んでくれ。それこそ君の世界の僕に頼めばいいじゃないか。さぁ、帰ってくれ」
うんざりした様子で手を払うアルバートに、ジョンは言いにくそうな様子で告げる。
「あぁ、出来ることならそうしたいんだが、彼はもう…」
「あぁクソ!死んでやがるのか!」
初めて見る父の悪態に、ジェシカは目を丸くしていた。