2024/07/25
イデアが月を見上げている姿に、レウは目を奪われていた。
満月に照らされた銀色の長い髪が、夜風に吹かれてふわりと広がっていた。
「まだまだ先は長そうですね」
レウの方へ向き直り、イデアはその場に腰を下ろしながら言った。レウもそれに倣ってその場に座る。
「百階、まであるんだよね。今はまだ、えーと」
お互い向かい合って座っているが、その視線は交わっていない。イデアはレウの方を見ているが、レウはイデアを直視できずに地面を見ながら喋っている。
「十階です。本当に百階なのかはわかりませんが、まだ一割しか進んでませんね」
小さく溜め息を吐いたイデアに、レウは申し訳無さそうに呟く。
「イデア一人なら、もっと早く進んでるよね」
戦うことに慣れてきたとはいえ、レウがイデアの足を引っ張っていることは明白だった。そもそも、まだ十三歳のレウが来るべき場所ではないのだ。
「そう思うなら二十階の"泉"で帰ってください。あなたのような子供が来るところじゃないのは、もう痛いほどわかったでしょう」
そう言うとイデアは地面に仰向けで寝転がった。今日はここで休むことにするのだろう。
「子供も大人も関係ないって。あんな化け物相手じゃ、村の大人達だってションベン漏らして逃げるよ」
レウも少し移動してイデアの横に、少し距離を離して横になる。
二人は並んで月を見上げていた。
レウは横に首を向けてイデアを見る。月を見ているイデアの横顔に、再び目を奪われそうになる。
イデアは、これまでレウが出会った誰よりも美しい顔をしていた。そしてその整った顔立ちに不釣り合いな、一対の歪な角が左右のこめかみの辺りから伸びている。
「一階でションベン漏らして泣いていた人が言うと説得力ありますね」
イデアは淡々と無表情のままそう言った。レウの顔がすぐに真っ赤になって、身を捩ってイデアに背を向けた。
「それはもう言わないでよ…仕方ないじゃんあんなの、ほんとに死ぬとこだったんだし…」
いじけるようにぶつぶつと呟くレウの姿を、イデアは横目で見ていた。
「突っ込まれるような隙を見せるからです。そろそろ寝ましょう。この階には"彼等"は居ませんので」
イデアはそう言って目を閉じた。
「あ、うん…おやすみ」
レウもまたそう返して目を閉じた。
先程イデアに言われ、二日前にイデアと初めて出会った時の自分の情けない姿を思い出してしまった。
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尻餅をついて後ろにずりずりと後退し、壁に背をつけて涙と鼻水を飛ばしながら、言葉も通じない怪物に命乞いを繰り返す。
漏らした尿で濡れた尻が地面につけた跡の横を歩いて、イデアはレウの前に現れたのだった。
「大丈夫、じゃないですよね」
イデアはレウに声を掛けながら、怪物を一撃で爆散させていた。
「立てますか?」
イデアに差し出された手を、震える両手で縋るように掴んでから、レウは自分の手が漏らした尿で汚れていることに気がついた。
イデアは変わらぬ無表情のままで、気にしなくて良いですよ、とだけ言った。
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再び顔が紅潮し、忘れたいと言わんばかりにレウは頭をブルブルと振った。
フッと小さく笑う声がした気がして、レウはイデアの方を振り返る。イデアはレウに背を向けていて、その顔は見えない。
(笑ってるとこ、見たことないな)
横になってから、段々と疲労感が身体のあちこちにじんわりと滲んできた。
(あぁ…疲れたなあ、すごく、眠たい)
レウの意識はゆっくりと眠りの中に溶けていった。