第95話 惨劇の幕開け
「それで……我々に対し工作を行っている者について何か分かったのですか?、ナミュラス」
僕達一般の信者の立ち入りは許されていないティアリス城の地下の一室。
青みのある灰色の煉瓦に覆われた冷たく厳かな雰囲気の漂う空間でテネリタース教団の教皇であるシオンがある男と会話を行っていた。
若く凛々しい顔立ちをしたその男の名はナミュラスと謂い、テネリタース教団が擁する護衛部隊、アイリッド騎士団の団長を務めている。
シオンからの信頼も厚く、テネリタース教団に潜入する前にSALE-99からもナミュラスには注意するよう言われていた。
騎士として相当な実力者というだけでなく知謀にも長けているようで、今はシオンから調査を命じられていた僕達の工作の件についての報告を行っているようだ。
「各地の布教活動の人選を限定して調査した結果、儀式の参加者が黒い涙を流す現象が発生した際に常にその場にいた人物を数名にまで絞り込むことができました。更にその者達の詳しい身元を割り出した結果衝撃的な事実が明らかになりました」
「衝撃的な事実ですって……。それは一体……」
「三月程前に我々の教団に入信したヴァンスカル・アンディエドですが、本当の身元の名はヴァン・サンクカルト、メノス・センテレオ教団の教皇ヴェント・サンクカルトの実の弟であることが分かりました」
「な……何ですってっ!。あの神の子の実の弟が我々の教団にっ!」
「ええ。人々に黒い涙を流させるなど我々の信仰を愚弄する断じて許しがたい工作を行っているのはその者とみて間違いありません。あとヴァン・サンクカルトの他にまだ4名程のメノス・センテレオ教団の内通者が潜り込んでいるようです」
「そうですか……。内通者を送り込んだ上にこのような工作を行うとはメノス・センテレオ教団の目的はやはり……」
「我々に対する武力行使を行うのに世間の人々を納得させるだけの正当性を得る為でしょう。既にメノス・センテレオ教団の教皇ヴェント・サンクカルトがユーカンシア陛下に直接対面し我々の殲滅を申し出たという報告も入っております。メノス・センテレオ教団の者達が攻め入って来る前に何としても内通者を捕えユーカンシア陛下の元に差し出さなかれば」
「ええ……。ですがとても純粋で思い遣りのある涙を流していたと思ったのにまさかあのヴァンがこのような真似をしていようとは……」
どうやら人々が黒い涙を流した際にその場に赴いていた信者達を調べることで僕やクロイセン神父達がメノス・センテレオ教団から潜入して来ていることがバレてしまったようだ。
自分達の無実の証明の為に僕達を捕えてヴァリアンテ王国の国王に差し出そうとナミュラス達が向かって来る。
そんなこととは知らずに僕は寮の自分の部屋でラナリー達との会話を楽しみながら普段通りの時を過ごしていた。
テネリタース教団に潜入して以来ずっと仲良く接してくれていたラナリー達であるが僕が裏切り者であると知ったら一体どんな反応をするのだろうか。
僕がテネリタース教団に対してしたことを考えると絶対に許してはくれないだろうな。
一番気掛かりなのは裏切り者であると知ったラナリー達が僕に対して攻撃を仕掛けてこないかということだ。
そうなれば僕も自分の身を守る為反撃せざるを得ないし、まだ僕と同じ子供である上に友達と謂えるくらい仲良くなった皆を傷付けてしまうかもしれない。
更に僕でなくともヴェントやSALE-99達がメノス・センテレオ教団の信者達を率いてテネリタース教団に攻め入って来た際には彼等の手に掛かって命を落としてしまう可能性すらある。
ヴェント達『味噌焼きおにぎり』の連中だけでなく相手が異教徒である以上は他のメノス・センテレオ教団の信者達も例え子供であっても少しでも敵対する構えを見せた場合には容赦することはないだろう。
子供とはいえテネリタース教団に深い恩義を感じているラナリー達だ。
中でもとりわけ気の強いラナリーは自分達の教団が攻撃を受けたとなれば敵わないことを承知でヴェント達に立ち向かって行ってしまうに違いない。
テネリタース教団を陥れる為にあれだけのことをしておいて虫のいい話かもしれないのだが、どうにかラナリー達だけでも危害が及ばずに済ませられないだろうか。
「失礼するよ」
「あっ、ナミュラスさん。アイリッド騎士団の団長さんが私達子供の寮なんかを訪れてどうしたんですか?」
「ちょっとヴァンに用があってね、ラナリー。部屋にいるのかな、ヴァンは」
「いますよ。今呼ぶからちょっと待って下さい。お~いっ!、ヴァンっ!。ナミュラスさんがあんたに用があるってっ!」
「えっ……」
自分のベッドに横になってのんびりと本を読んでいた僕だがラナリーの言葉を聞いてハッとする。
ナミュラスと謂えばその洗練された実力でテネリタース教団を守護する誉れ高いアイリッド騎士団の団長を務める者だ。
そのような人物が一体僕に何の用なのだろうか。
ナミュラスの名を聞いた瞬間から既に僕達がメノス・センテレオ教団の内通者であることばバレたのではないかという不安が僕の脳裏をよぎっていた。
「ぼ……僕に用って一体何ですか?、ナミュラスさん」
「ああ、ヴァン。実はこの前の運動会での君の活躍ぶりを見て騎士団に入ってみないかと誘いに来たんだよ。大人顔負けの運動能力をしていた君ならきっと騎士団でも通用する実力を秘めていると思ってね。もし良かったらこれからちょっとしたテストを受けてみないか?」
「は……はぁ……」
「アイリッド騎士団の団長を務めるナミュラスさんから直々の誘いを受けるなんて凄いじゃないっ!、ヴァンっ!。是非テストを受けさせて貰いなさいよっ!」
1週間程前にテネリタース教団主催の運動会が開かれた。
自分で言うのも何だが確かにその運動会での僕の活躍ぶりは群を抜いていたと思う。
これまで散々修行を積み重ね、ベル達の力で自身の肉体を細胞レベルで強化することのできる僕は既に一般の人達ではまともに太刀打ちできない程の身体能力を手にしていた。
そんなこともあってナミュラスからの誘いに対してもそこまで違和感を感じていなかったのだが、ナミュラスの付き添いとしてすぐ隣に立つリーンツェルさんが意味深な表情で僕に視線を送っている。
その表情からやはりこの誘いは只事ではないと感じたその次の瞬間……。
「はぁっ!」
「……っ!、リーンツェルっ!」
「えっ……」
突然リーンツェルさんが剣を抜きナミュラスの首元に向かって振るう。
それに反応したナミュラスもすぐさま剣を抜きリーンツェルさんの剣を受け止めた。
先程まで普段通りの平穏な雰囲気の漂っていた僕達の部屋に剣身のぶつかり合う痛々しい金属音が響き渡り殺気で満ち溢れる。
そんな光景を前にラナリー達は事態がまるで飲み込めず呆然とした表情で立ち尽くしていた。
「リーンツェル……。まさかお前もメノス・センテレオ教団から送り込まれていた刺客だったとはな……」
「リ……リーンツェルさん……。これは一体……」
「既に我々が内通者であることはナミュラス達にバレていますっ!、ヴァン君っ!。今すぐこの場から退避して下さいっ!」
「わ……分かったけど一体何処から退避すれば……」
「くっ……はあぁっ!」
リーンツェルさんの指示に従ってこの場から退避しようとする僕だけど部屋の入り口はナミュラスによって塞がれてしまっている。
窓から脱出しようにもここは5階で無傷で飛び降りるのは不可能だ。
狼狽える僕を見兼ねてリーンツェルさんが道を切り開こうとナミュラスに向かって果敢に剣を振るう。
しかし如何にリーンツェルさんと謂えどアイリッド騎士団の団長を務めるナミュラスに単独で立ち向かって敵うはずがなかった。
「ぐはぁぁっ!」
「リーンツェルさんっ!。うおぉぉーーっ!」
ナミュラスの剣に薙ぎ払われたリーンツェルさんが僕達の寮の部屋のベッドへと叩き付けられる。
ヴェント達『味噌焼きおにぎり』の連中が支配するメノス・センテレオ教団の一員であるとしても現在の僕にとってリーンツェルさんや他の信者達は大事な仲間だ。
今も自分達の教皇ヴェントの実の弟である僕を本気で守ろうとナミュラスに立ち向かってくれたしこのままリーンツェルさんがやられるのを黙って見てはいられない。
僕はすぐさまメルクリオ注射器を用いて『水剣』の剣をその右手に構え果敢にナミュラスへと斬り掛かっていった。
「うおぉぉぉーーーっ!」
「はあぁぁっ!」
「ちょ……ちょっとヴァンっ!。あんた一体何やってんのよっ!」
「ヴァ……ヴァン君……」
「な……何がどうなってるんだ……」
ナミュラスと激しい剣戟を繰り広げる僕の姿を見てラナリー達が戸惑いの声を上げている。
ナミュラスと戦う僕の姿を見ても尚ラナリー達には未だに僕がメノス・センテレオ教団から潜入してきた敵であるなどとは想像もできなかったようだ。
「ほぅ……これは中々の腕前だ。やはり神の子ヴェントの弟、ヴァン・サンクカルトというだけのことはあるな」
「くっ……」
「えっ……神の子ヴェントってあのメノス・センテレオ教団の教皇の……。その弟ってことはもしかしてヴァンは……」
「こいつこそが我々の儀式で人々に黒い涙を流させる工作を行っていたメノス・センテレオ教団からの潜入者だっ!、ラナリーっ!。危ないから君達はできるだけ下がっていなさいっ!」
「そ……そんな……。まさかヴァンが……」
ナミュラスの言葉を聞いてようやくラナリー達も少しが事態が飲み込めて来たようだ。
しかしそれでもつい先程までルームメイトとして仲良く過ごしてた僕が敵であったなどとは信じられない様子でナミュラスの指示に従って退避することすらできずにその場で立ち尽くしてしまっている。
そんなラナリー達に危害が及ぶことを危惧してだろうか。
ナミュラスはより強く剣を振るって一気に僕を仕留めに掛かって来た。
「ぐあぁぁぁーーーっ!」
流石はアイリッド騎士団の団長を務めるナミュラスだ。
少し本気を出して剣を振るっただけで容易く僕を薙ぎ払ってしまい、そのまま僕はリーンツェルさんが倒れているのとは別のベッドへと叩き付けられてしまった。
こっちもメルクリオ注射器に収容してある50トンの水をフルに活用した現在の僕が誇る最強強度の『水剣』の剣で立ち向かっていったのにやはり剣の腕前には相当な差があるようだ。
「くっ……」
「(マスターっ!)」
「(しっかりするなのっ!、LA7-93っ!。僕達にはPINK-87達を助け出すっていう重大な使命があるのにこんな『味噌焼きおにぎり』の連中でもない奴に負けていられないなのっ!)」
「(負けていられないなのっ!)」
「(くっ……。わ……分かってるよっ!)」
ベル達には強気な態度で返していたが正直この時僕はナミュラスとの間に埋めがたい力の差を感じていた。
少なくとも剣での戦いには勝ち目がないだろう。
『自律稼働型注射器』等で遠距離戦を仕掛けようにもここでは空間が狭すぎて距離の取りようがない。
何とか立ち上がったはいいがナミュラスに対抗する手立ての思い付かない僕は只敵意を込めた視線を向けることしかできなかったのだが……。
「ふっ……どうやらこれまでのようだな」
「くっ……」
「馬鹿が……。俺達はそう簡単にやられたりしないんだよ」
「何っ!」
「えっ……」
為す術なく立ち尽くしていたその時ナミュラスの背後から聞き覚えのある軽薄そうな男の声が聞こえて来た。
軽快に話し終えると同時にその男から何かの魔法が撃ち放たれて来たのか、背中から青白い透明のエネルギー弾を受けナミュラスは部屋の入り口から中へと吹っ飛ばされる。
部屋の中に倒れるナミュラスに代わって入り口の前に姿を現したのは僕達と共にテネリタース教団に潜入していたメノス・センテレオ教団の仲間である……そう。
この前の工作活動を行った時に僕に洗礼の儀を使うという予想外の行動を取ったあのクラースさんだった。
「ぐおぉぉーーっ!」
「ク……クラースさんっ!」
「何してるっ!、ヴァンっ!。俺達の素性がバレた以上こんなところに長居していられねぇっ!。モタモタしてねぇでとっととズラかるぞっ!」
「わ……分かったっ!」
「うぅっ……」
「さぁっ!、リーンツェルさんっ!。今の内に早くここから離れるよっ!。苦しいだろうけど頑張って立ってっ!」
「ちょっと待ちなさいよっ!、ヴァンっ!」
「……っ!」
傷を負ったリーンツェルさんを連れてクラースさんと共にこの場を後にしようとする僕だったが、不意にラナリーから声を掛けられ思わず立ち止まってしまう。
ラナリー達のことは今でも友達と思っているけどこうなった以上もう僕は皆とは一緒には居られない。
それどころかこれからはメノス・センテレオ教団とテネリタース教団に所属する者同士敵対し合うことになる。
「本当にあんたはメノス・センテレオ教団から送り込まれた刺客だったってわけ……。私達を陥れる為の工作も全部あんたの仕業だったの……」
「うん……」
「そう……。それじゃあずっと私達のことを騙してたのね」
「ごめん……ラナリー……皆。でも僕にも色々と事情が……」
「この裏切り者ぉぉーーっ!」
「ラ……ラナリーっ!。くっ……」
僕が裏切り者であると知ったラナリーが血相を変えた様子で僕の首元へと掴み掛かって来た。
自分達が騙されていたこと……。
何より友達だと思っていた僕が自分達の大事な居場所であるテネリタース教団を陥れようとしていたことが余程許せないようだ。
「のうのうと友達面しといて私達の教団を潰そうとしてたなんてぇぇーーっ!。あんたなんか死んじゃえばいいのよっ!」
「うっ……ラ……ラナリー……」
怒りを露わにしたラナリーが物凄い力で僕の首を絞めてくる。
とても子供とは思えない程の力で本気で僕のことを絞め殺そうとしているようだ。
しかしとはいっても所詮ラナリーは何の訓練も受けていない只の子供。
メノス・センテレオ教団の一員として既に実戦経験もある僕に敵うはずがなかった。
「きゃあっ!」
必死に掴み掛かるラナリーを引き剥がしそのまま床へと投げ飛ばす。
かなり力を抜いたつもりではあったのだが、床へと倒れ込むと同時に痛ましい悲鳴を上げるラナリーの姿を見てとてつもない罪悪感が胸の内から込み上げてくる。
その光景に耐え兼ねた僕は再びリーンツェルさんを連れてクラースさんと共に早々とこの場を去って行く。
「ごめん……ラナリー……皆。それじゃあ……」
「うっ……この裏切り者……」
「ヴァン君……」
「ヴァン……まさかこんなことになるなんて……」
この場を去って行く僕の背中にラナリー、ターナ、トドの悲しみと怒りと入り混じった視線が突き刺さる。
こんな形で皆と別れることになってとても心が痛むがこうなることはテネリタース教団に侵入し初めて皆と出会った時から分かっていたことだ。
そう自分に言い聞かせて皆への思いを振り切り、皆の方を振り返ることもなく僕はティアリス城からの脱出を目指して走り続けた。
「くっ……そう簡単に逃がすと思って……っ!。な……なんだっ!、これはっ!」
「(………)」
立ち上がると共にすぐさま逃げ去って行く僕達を追おうとするナミュラスだが、自身の足が氷漬けにされ地面にへばりついていることに気が付く。
凄まじい冷気を放つその氷はダイヤモンドのような硬さでナミュラスがどれだけもがいても決して剥がれ落ちることはない。
ナミュラスの足を氷漬けにして足止めしてくれたのは勿論霊体として僕に付き従ってくれているアイシアだ。
僕達が逃げ切るまでの時間を稼ぐ為僕が指示するまでもなくアイシアが気を利かせてくれた。
「くそっ!。一体いつの間にこのような魔法までっ!。この氷を解かすには火属性の魔法で対処するしかないかっ!」
流石由緒ある騎士団の団長を務めるだけあってナミュラスは剣の腕前でなく大抵の属性の魔法をある程度使いこなすレベルまで習得しているようだ。
とても強固に思えたアイシアの氷が火属性の魔法により見る見るうちに解け出していく。
拘束から解放されたナミュラスは再び僕達を追おうとするのだが……。
「大変ですっ!、ナミュラス様っ!」
「何だっ!。今私はシオン様から重大な任務を仰せつかっているのだっ!。用件があるなら早く言えっ!」
「それが……メノス・センテレオ教団の者共が我がティアリス城へと攻め込んで参りましたっ!」
「何だとっ!」
僕達を追おうとするナミュラスの元に突如として届いた凶報。
僕達にとって吉報だがなんとヴェント達が軍勢を率いてこのティアリス城へと攻め込んで来たのだ。
僕達には何の知らせも届いていなかったがどうやら僕の工作が功を奏して無事ヴァリアンテ王国の国王からテネリタース教団殲滅の許可を得ることができたらしい。
敵の本拠地の真っ只中からどうやって脱出したものかと頭を悩ませていた僕達だがヴェント達が来てくれたのならなんとかなりそうだ。
ヴェント達襲来の知らせは城内で慌てふためくテネリタース教団の信者達の会話を通してすぐに僕達の元にも届き、僕達はヴェント達との合流を目指して移動を開始していく。




