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第92話 黒インク

 「信仰の内容はちょっと変わってるけどやっぱりテネリタース教団にいるのは善良な人達ばかりだよ。ラナリー達なんてここに来る前は滅茶苦茶酷い環境の孤児院で暮らしててテネリタース教団に来てようやく平和な日々を送れるようになったっていうのに……。そんな人達の居場所を奪うような真似をするなんて本当に辛いよっ!、クロイセン神父っ!」


 「ああ……だが我々にはどれ程辛い使命であろうとやり遂げなければならない理由があるだろう。テネリタース教団の人々には悪いが正面からメノス・センテレオ教団に立ち向かう術がない以上仕方のないことだ。それにどの道君が今回の工作任務をこなさなかったところでメノス・センテレオ教団の連中がテネリタース教団の殲滅から手を引くことはないだろう」


 「そ……それはそうかもしれないけど……」


 「それからヴァン君。今の私はクロイセンという名でもなければ神父という役職を与えられてもいない。我々以外の者はいない場とはいえちゃんと侵入中の名で呼び合うよう心掛けておこう」


 「そ……そうだね。ごめんなざい、セルファンさん」


 今回の任務に当たって僕達クロイセン神父の隊の皆は全員身分を偽造してテネリタース教団へと侵入していた。


 偽装した身分の僕の名はヴァンスカル・アンディエドだからヴァンという呼称は変わらない。


 共に侵入している他のメンバーについてはクロイセン神父がセルファンさん、クラースさんがアランさん、他の2人もそれぞれ偽造した身分のものへと呼び名が代わっていた。

 

 今はティアリス城内で見つけた比較的人の出入りの少ない1室でクロイセン神父と侵入中の現在の互いの状況について話し合っているところだ。


 そんな僕達の元に新たな人物がゆっくりと部屋の扉を開けて姿を現す。


 「あっ……リーンツェルさん」


 僕達の元に如何にも頭の切れそうな鋭い顔立ちした長い金髪の男性がやって来た。


 彼はリーンツェル・マイトラスと謂い、5年も前からテネリタース教団に侵入している僕達クロイセン神父の隊のメンバーとはまた別の内通者だ。


 今回の任務に当たる前アズール・コンティノアールことSALE-99からは侵入後はリーンツェルさんのサポートを受けなるべく指示に従うよう命じられていた。


 SALE-99の命令に従うのは嫌だけどリーンツェルさんは頭が良い上に人柄も誠実でそれなりに信頼のおける人物であるように感じられた。


 テネリタース教団内での工作任務を支障なくこなす為にもリーンツェルさんのサポートをしっかりと受けるのが得策だろう。


 因みにリーンツェルさんの身分も侵入する際に偽造したもので本名についてはまだ聞かされていない。


 「今日はヴァン君に渡す物があって来ました。どうぞこれを受け取って下さい」


 「これは……」


 この場にやって来るなり僕はリーンツェルさんから黒色の液体の入った小瓶を渡される。


 どうやら只の黒インクが入っているだけのもののようだが、恐らくこれを使ってテネリタース教団の信者達に黒い涙を流せさせろということなのだろう。


 ティアリス城への私物の持ち込みは全て入念なチェックが行われる。


 只の黒インク程度ならチェックを受けたところで羽根ペン等他の筆記具と一緒に持ち込めば特に怪しまれることはないだろうが、黒い涙を流させる工作を行った後に涙に黒インクが混入していると教団の者達に発覚した際に僕が黒インクを持ち込んだという履歴があれば疑いが掛けられる恐れがある。 


 そうなることを避ける為にテネリタース教団への潜伏期間が長く、チェックを逃れる為のルートも知り尽くしているリーンツェルさんがこうして僕の元へと秘密裏に届けて貰ったというわけだ。


 「これを僕の『注射器魔法シリンジ』の魔法でテネリタース教団の信者達の涙腺に注入して黒い涙を流させさせればいいんだね」


 「はい。ですができれば信者達だけでなく、テネリタース教団が布教活動行う際にその場に集まる一般の人々にも黒い涙を流させて欲しいとのアズール様からのお達しです。布教活動の際は一般の人々も交えて涙を流す儀式を催すはずですからね」


 「なる程……確かにその方がテネリタース教団の悪評をより広めることができそうですね。逆に信者達だけに黒い涙を流させても教団内でもみ消されてしまうだけでしょう」


 「ええ。テネリタース教団の信者達が黒い涙を流す場面を見せつければそう簡単にもみ消すことはできないでしょうが、やはり一般の人々にも直接黒い涙を流させた方がより強いインパクトを与えることができるでしょう。只涙に黒いインクが混じっていただけと判明したところで実際に自分達の身に害が及ぼされたと感じた大衆達からの非難を止めることはできません」


 リーンツェルさんとクロイセン神父の言う通り、僕達メノス・センテレオ教団によるテネリタース教団への武力行使の正当性を得る為には一般の人々にも黒い涙を流させるのは必須の条件と謂えるだろう。


 それくらいのことをして悪評を広めなければ大衆からの支持を得ることはできない。


 しかしそうなると儀式の前に一般の参加者達の涙腺にも黒インクを注入しておかなければならないことになる。


 しかし儀式の始まる直前では気付かれずに注入を行うのは難しい。


 できれば泊りがけで布教活動に赴く際、夜皆が寝静まっている間に工作を済ませてしまうのが望ましいだろう。


 っとなると作戦を決行する日をなるべく慎重に選ばなければならない。


 布教活動の予定を入念に確認し、作戦決行に最適な日を3人で相談して決めたところで今日の僕達は解散した。

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