第89話 罪を犯す覚悟
テネリタース教団への工作任務に就く為、ウィンドベル村を出立した僕はテネリタース教団の本拠地から一番近いとされるクラージュゲリエの街にあるメノス・センテレオ教団の拠点へとやって来ていた。
現在の時刻は夕方6時頃。
拠点内にある食堂で僕はクロイセン神父と共に夕食を取っている最中だった。
「それでテネリタース教団っていうのは一体どんな宗教組織なの、クロイセン神父」
クロイセン神父も僕と共に今回のテネリタース教団殲滅作戦に参加している。
クロイセン神父も僕と同じで今のところはメノス・センテレオ教団内での信頼を高めるのが一番の目的だ。
僕がヴォルンにかまけている間も積極的に活動していたクロイセン神父は既に僕の上司に当たる地位にまで登り詰めていた。
5人で編成された僕達の隊の隊長を務めるのがクロイセン神父だ。
他のメンバー達は現在この場にはおらず自室で自由に過ごしているのではないだろうか。
「ティアリスという神を信仰する規模は小さいが何千年も昔から存続している教団だよ。現在の教皇はシオン・アフェクシアという女性が務めているようだ。ここから東のティアリステッラという街はテネリタース教団発祥の地であり、代々本拠地として受け継がれ街の中心にはティアリス城という巨大な城が建っているらしい。あまり大々的な布教活動は行っていないようだが、それでも救世の泪杯の教義に惹かれた数多くの信者達がティアリステッラへと集っていると聞く」
「救世の泪杯って……一体どんな教えのことなの?」
「救世の泪杯……別名サルヴェイション・ティアーズ・グラスともいう彼等の信仰の中核となる教義なんだが、人が流す涙には最も神聖な力が宿っているものとし、世界中の人々が流した涙が神の用意した杯を満たした時に世界の救世が行われるというものだ。その教義からテネリタース教団は皆で毎日のように涙を流し、信者間同士で器へと注いだ涙を飲み交わす儀式なども催しているようだ」
「えっ……自分のならともかく他の人が流した涙を垂らして飲むの……」
「そうだ。その神秘的な教義や習慣の為か信者の大半を女性が占めているらしい」
「そ……そりゃ清楚な修道女さん同士が互いの涙を飲み交わしてる光景をイメージしたら神秘的に思えるけどさ……。それにそこらにいるオッサンめいた人なんか混じってるところを想像したら一気に地獄と化すよ。多分その辺の空気を読んで女性の人ばっかり集まって来てるんだろうね」
「異教であるとはいえ他の者達の信仰に対しそのような偏見に満ちた印象を抱くのはあまり関心できないな、ヴァン君。性別や身なりではなく心で行うのが信仰というものだよ。例えば今君が想像していたような……。身なりの汚らしい年配の男性であっても心の底から感動して流した涙ならそれは何物にも代えがたい程清らかで美しいものだ」
「そんなこと言われても家庭の事情に教団に入ってる僕にはまともに宗教を信仰してる人の気持ちなんて分からないよ。それにじゃあクロイセン神父は……あそこにいる筋肉ムキムキのムスケルさんが真剣にトレーニングをしてかいた汗なんかを飲むことができるの?」
「えっ……な……涙ならともかく汗はちょっと……。まぁ、確かにその信仰をしていない人にとっては受け入れがたい習慣なのかもしれないな」
「ほらぁ~、やっぱりそうじゃない」
「ゴホンっ!。そんあことより、ヴァン君。話を真剣にし直すけどまだ子供の君が今回のような作戦に参加して本当に良かったのかい?」
「勿論だよ。今ある情報だけじゃ不足だしもっとメノス・センテレオ教団内での僕達の立場を上げなきゃってクロイセン神父も言ってたじゃない。今回のような作戦こそ自分の功績を稼ぐ絶好の機会じゃないか」
「だが私の知る限りテネリタース教団はメノス・センテレオ教団のように不正な行いに手を染めてはない。只信仰が違うだけで特に罪を犯したわけでもない善良な者達をその手に掛ける覚悟が君にはできているのかい?」
「一応はね……。でも正直に言えばなるべく相手を傷付けずに済ますことができればとは思っているよ……」
「そうか……。厳しいことを言うようだがそんな甘い考えでいるなら今すぐこの作戦から辞退した方がいい。敵に情けを抱くような様をアズールやブランカに見られでもすれば君だけでなく同じ部隊にいる私の信頼まで失い兼ねないし私にとっても迷惑だ」
「うっ……」
クロイセン神父に正論に僕は動揺した様子で言葉を詰まらせる。
この間の対魔王アークドー軍部隊への参加に関しては僕達人間側と明確な敵対関係にある相手だった為、命を奪う程の行為であっても特に抵抗は感じなかった。
BS1-52君からウィンドベル村襲撃の真実を聞くまでは魔王アークドー軍に対し赤ん坊だったアイシアを殺された恨みを抱いていたこともあったし、そもそも戦場に出て来るのは互いに命を奪い合うこと覚悟した者達だけだ。
だが今回のテネリタース教団殲滅作戦においては決してそのようなことはない。
信仰する思想が違うというだけで僕達に何ら危害を加えていない相手に対し、一方的な武力による弾圧を行うなど僕の良心が咎めないわけがなかった。
テネリタース教団側の方も異教の者達に対し武力行使を行っているということであれば話は変わってくるのだが。
しかしそんな僕とは違って一神教を信仰するメノス・センテレオ教団の僕以外の信者達は信仰の異なる者達を攻撃することに何ら抵抗を感じている様子はない。
普段は温厚で優しい性格をしているはずの人物でさえも信仰の異なる者に対しては明確な敵意を露わにし、今回のような作戦も肯定する者ばかりだ。
それは僕のソウルメイトであるPINK-87さんとMN8-26、RE5-87君も同じである。
当初RE5-87君が異教の教団の者達を虐殺していたと聞かされた時は洗礼の儀により操られていたものと思っていたが、今回の作戦へと就く際に『テネリタース教団の奴等を1人残らず皆殺しにしてやろうぜ』と僕に声を掛けてきたからどうやらそういうわけではなかったらしい。
そんなメノス・センテレオ教団の信仰に精神を支配されたRE5-87君の姿を見せられ僕はとてつもない憤りを感じていた。
本来のRE5-87君なら絶対にそんな残虐なことを口走るどころか心に思ったりもしない。
まして実際に行動に起こすなんてあり得ないことのはずなのに……。
自分達の目的の為の他の転生中の魂を平気で蝕む真似をする『味噌焼きおにぎり』の連中に対し僕の怒りは頂点に達していた。
しかしその『味噌焼きおにぎり』の連中を打倒す為に僕はこれから連中と全く変わらなぬ行いをすることを強いられることなる。
そのことへと葛藤からか僕は僕の為を思って諭そうとしてくれているクロイセン神父に対し意地の悪い態度で食い下がってしまうのだった。
「確かに自分がどれだけ甘いことを言ってるかっていうのはちゃんと分かってる。だけどそう謂うクロイセン神父の方はどうなの?。信仰が違うだけで何の罪を犯したわけでもないテネリタース教団の人達を傷付けることに何の負い目も感じてないわけ?。それともやっぱりミーズ・ニーズ教団もメノス・センテレオ教団と同じで信仰の異なる者達の命なんてどうなってもいいと思ってるわけなの?」
「しっ!。周りの目もあるのだからあまりこのような場でミーズ・ニーズ教団の名を口にしてはいけないよ、ヴァン君。だけど君の疑問は最もなことだからこれだけはハッキリと答えておく。我々ミーズ・ニーズ教団はメノス・センテレオ教団のように決して信仰の異なる者達に対し一方的に武力行使を行ったりはしない。勿論向こう側から仕掛けてくれば話は変わってくるが……。我々の教団の信者達の誰もが信仰の異なる者であっても同じ人間として尊重し、共に神による救済を受け入れようと考えていると誓って言える」
「けどクロイセン神父はこれから罪もないテネリタース教団の人々を傷付けようとしているわけじゃないか。それがメノス・センテレオ教団からの命令でありミーズ・ニーズ教団としてではないなんて言い訳をするのはズルいよ」
「確かに私も本当は君と同じでなるべく相手を傷付けずに済ますことができればと思っている。けれど私には自分の使命を全うする為そのような甘い考えを完全に捨て去る覚悟も既にできているのだ。誰の犠牲も出さずに全ての人々を救うことができるは神だけだ。しかし神は1人で全てを全うしようとする者になど決して応えてはくれない。自身の無力さを知り……その上で自身のできることを全力で全うした者にのみ神は微笑んでくれるのだ。全ての人間が自身のできることを全力で全うする覚悟ができた時にのみ神による救済がこの世界全てに齎されるのだから」
「クロイセン神父……」
「だから私も君がその自身の無力さを知った上で尚自身のできることを全力で全うできる者になってくれることを願う。我々の工作が上手くいき、テネリタース教団殲滅作戦が決行された際には君の心に多大な傷を負わせることを承知の上で残酷な命をも下させて貰うから覚悟しておいてくれ」
「分かったよ……クロイセン神父」
言葉を強くして言い迫るクロイセン神父に僕も重みを込めて言葉を返す。
罪もない人々を傷付ける……。
ましてや命を奪うような真似なんて本来なら絶対にしたくはない。
だけどそんな僕の軟弱な心にクロイセン神父の言葉は大いな感銘を与えてくれた。
1人で全てを全うしようとする者などいらない――自身の無力さを知った上で尚自身のできることを全力で全うできる者こそ必要だ――全ての人間が自身のできることを全力で全する覚悟ができた時にのみ神による救済が行われる。
正直なところ【転生マスター】である僕が他の転生中の魂の言葉に感銘を受けることなんてほとんどない。
それどころかあんまりキザな台詞を言われると『何言ってんだこいつ』っと呆れて馬鹿にしたくなってしまう。
そんな風に見下した考えを持つのは良くないことだとは思うんだけど、【転生マスター】として常に人生の経験が豊富である状態がついついそんな驕った感情を抱かせてしまうんだ。
けどそんな僕に対してでもクロイセン神父の言葉は胸の奥深くまで突き刺さった。
きっとクロイセン神父にはさぞ高貴な魂が転生しているのだろう。
今の僕が全力で全うしなければならないこと……。
それは転生中の魂にとって一番大事な存在であるソウルメイト達の救出だ。
PINK-87さんもMN8-26もRE5-87君も完全にメノス・センテレオ教団の教義に心酔し切ってしまっていて、更には洗礼の儀によりいつでも連中の思いのままの操り人形にされてしまう状況にある。
例え自身が如何なる罪を犯すことになろうと皆のことは必ず救い出してみせなければ……。
そう改めて僕はこの場で覚悟をし直した。
「おいっ!。飯食いながら何辛気臭い顔してんだよ、お前等」
「あっ……クラースさん」
これからのことに関して真剣な態度に話し合う僕達の後ろからクラースさんが話しかけてきた。
クラースさんはクロイセン神父を隊長とした僕達を含めて5人いる内のメンバーの1人だ。
年齢は30代後半ぐらいだろうか。
クロイセン神父より少し若い程度だが、あまり聖職者らしい雰囲気はなく、パーマの掛かった黒髪から受ける印象も相まって軽薄な態度が目立つ男性だ。
僕に対してはともかく上司にして年上のクロイセン神父にしても軽々しくお前等と口にしていた。
「クラースか……。ちょっとこれからの任務についてヴァン君と色々と話をしていてな」
「なんだ。まだ作戦が始まる前だってのにクロイセン神父から説教を食らってたのか、ヴァン。飯の最中だってのにそりゃ災難だったな」
「クロイセン神父の説教ならちゃんと自分の為になるからいくら食らってもOKだよ。なんならクラースさんも今ここで食らっていってみる?」
「そうだな。ヴァン君よりお前の軽薄な態度の方がよっぽど問題だ」
「げぇっ!、そりゃ勘弁だっ!。折角の飯時だってのにこりゃとっとと退散させて貰うことにしよう」
軽薄な態度で話し掛けて来たクラースさんはまた軽薄な態度を取って僕達の元を去って行った。
態度は軽薄だけど意外と情に深いところもあってクラースさんはとても親しみやすい人物だ。
クラースさんと別れた後食事を済ませた僕達はそれぞれの部屋へと戻って行く。
僕達の工作が上手くいった暁にはヴェント達によるテネリタース教団の殲滅作戦が容赦なく決行されることになるだろう。
テネリタース教団に潜入中の僕達もそのまま殲滅作戦に加わる手筈となっている。
果たしてこの僕に本当に罪もない人々を手に掛けることができるのだろうか。
表面上は強く決意を固めたつもりでいた僕だったが、そのような葛藤を完全に消し去ることなど到底できてはいなかった。




