第81話 ベンに乗り換え
くっ……このままブランカ達を見す見す行かせるしかないのか。
『風鈴軒』の店の前から遠ざかっていくブランカ達を見つめながら私の中で歯痒い感情が強くなっていく。
ブランカ達に地下11階へと下りられたらもう終わりだ。
二度とベンとディックには憑依できず現状私が地下11階へと向かう為の唯一の術が失われてしまう。
一応他に地下11階への立ち入りが許されている物を探す手段もあるがそう簡単に見つかるとも限らない。
むしろ探している間に制限時間が来てしまう可能性の方が高いだろう。
思い切って無理やりベンとディックへの憑依を試してみるか……いや。
眠った状態のレイノスさんにマスターの『注射器魔法』の魔法により憑依した時ならともかく、意識のある相手では憑依する際に激しい抵抗に遭いブランカや周りの者達にすぐさま異変が起きた事を感じ取られてしまう。
それでは例え憑依できたとしても全く意味がない。
何処か他の者達に見られることのない場所で憑依する相手と2人切りになれるような状況でなければ……。
「うっ……ヤバい。やっぱりさっき食べ過ぎたのか急に腹が痛くなって来やがった。俺ちょっと店に戻ってトイレを借りて来ていいですか」
「はぁ……だから食べ過ぎは控えた方が良いと言ったではありませんか、ベン」
「好きに頼んでよいと言ったのは私なのですからあまりベンを責めないであげて下さい、ディック。時間ならまだ余裕がありますのでどうぞ行って来て下さい、ベン」
「ありがとうございますっ!、ブランカさんっ!」
こ……これはチャンスかもしれませんっ!。
大慌てで『風鈴軒』の店へと引き返してトイレへと駆け込んで行くベンの姿に焦燥に駆られていた私の意識が一気にざわめき立つ。
レイノスさんからベンに憑依を乗り換えるなら今しかない。
そう直感した私は急いでベンの後を追い自身もトイレへと駆け込んで行った。
「も……もれるぅーっ!」
私がトイレへと入るとちょうど一番手前の便房へと駆け込むベンの後ろ姿が見えたところだった。
ベンが便房の扉を閉めた後で私は我々以外に他の誰もトイレにいないことを確認した上でトイレの扉を内側から施錠し、まずは他の者達がトイレへと入ってこないようにした。
その後ベンの入った便房の隣の便房へと私も入り、その便房の扉も施錠する。
そして便座に座った状態でレイノスさんから憑依を解き元の赤ん坊の霊の姿へと戻ったのだった。
「よし……。予定通り憑依が解けた後のレイノスさんは意識を失った状態となっているようですね。クロイセン神父で訓練を行った時はその後1時間程は意識が目覚めることがなかったですからこのままこのトイレの中に居て貰いましょう」
クロイセン神父の言った通り一度中に入ってさえしまえば例え結界の中であっても霊体の状態で自由に行動できるようだ。
レイノスさんに関しては申し訳ないが目が覚めるまでここにいて貰おう。
目覚めた直後は戸惑うだろうが私に憑依されていた時の記憶はないはずだから特にマスターや私に疑いを持つことはないはずだ。
「ふぅ……うぅー……」
「ベンの奴は便を気張るのに夢中になっているようです。便意で意識が乱れている今なら憑依もし易いはず……」
霊体へと戻ったことで私は宙に浮いた状態で障害物をすり抜けて移動できるようになった。
仕切りをすり抜けてベンのいる便房へと入った私は必死に便を気張っているベンへと憑依を仕掛ける。
「うぅっ!。な……なんだ……何かが俺の中に……ぐあぁぁぁーーーっ!」
私に意識を乗っ取られまいとベンは必死に自らの気を保ち私の憑依に抗おうとする。
このように声を上げて暴れられてはトイレの外の客達にこの場で起きている異変に気付かれかねない。
私は自身の霊体に残された力を最大限に振り絞ってベンの体を奪い取る。
「……よし」
クロイセン神父で行った訓練の成果もあって私はマスターの『注射器魔法』の魔法なしでも無事ベンの肉体への憑依に成功した。
両手の平を見つめながら握って開いてを繰り返し少しずつ憑依した肉体の感触を確かめていく。
動作の感触も先程までレイノスさんに憑依していた時と変わりはなく、私は早速ベンに憑依した状態でブランカ達の元へと合流しに行こうとしたのだが……。
「ぐっ……お……お腹が痛い。どうやらベンは食べ過ぎで相当お腹を下してしまっていたようです。これはもう少しトイレに篭ってからでないとブランカ達の元に向かうことはできません」
ベンに憑依した私はその肉体の腹痛と便意をも引き継いでしまいすぐにはトイレから出ることはできなかった。
あまり時間を長く掛け過ぎると心配になったブランカ達が様子を見に来るやも限らない。
しかし憑依が成功している以上はどうとでも言い訳が利くはずだ。
便意を引きずった状態では今後の行動にも支障が出ると判断し、出す物をしっかりと出し切った後に私はブランカ達の元へと合流した。
「お……お待たせしました」
「お腹の方はもう大丈夫なのですか、ベン。そういえばレイノスさんもあなたの後を追ってまた店の中で入って行ったようでしたが……」
「あ……ああ。どうやらレイノスさんも食べ過ぎたせいでちょっとお腹を壊してしまったみたいです。わた……俺の後でレイノスさんもすぐトイレに駆け込んできて多分まだ篭ってる最中ですよ」
「そうですか……。心配ですが我々の方もそろそろ時間が押してきました。お腹を壊した程度ならご自分で何とかされるでしょう。では我々は地下11階へと向かいますよ」
「了解しました」
レイノスさんとは普段の口調や態度が大分違うが私はどうにか疑われない程度にベンを演じブランカの後をついて地下11階へと向かって行く。
階段を下りて行くとこれまでと同じく非常に広々とした空間が広がっていたのだが、先程の『風鈴軒』のような店やその他の設備もあまり見当たらなくどことなく殺風景だった。
この階層へと立ち入りが許可されている者達の数が少なくそれ程設備を必要としないということなのだろうか。
「2人はここで待っていて下さい。会議にどれ程時間が掛かるかは分かりませんが多分1時間も掛からず戻って来ると思いますので」
地下11階の他よりも少し重厚と思える扉へとブランカは入って行き、私とディックはその扉の前で待っているようにと指示された。
ブランカの側近に憑依したと謂えど最高位の幹部達の会議には参加させて貰えないようだ。
私はどうにかブランカの後に付いていくことはできないかと試みようとしたのだったが……。
「な……なぁ。この前の侵入者のこともあるしやっぱり俺達もブランカさんに付き添って行った方がいいんじゃないか?」
「何を馬鹿なっ!。ここから先はブランカさんやアズールさん、それからアイシアちゃんの3人しか立ち入りを許可しないとヴェント様から直々に命令されたのを忘れたのですかっ!。ヴェント様直々の命令を破ったとなれば降格処分どころか教団から追放される可能性だってあるのですよっ!」
「あ……ああ……そうだったな。ちゃんと分かってはいるがブランカさんやそれこそ我らがヴェント様の身にもしものことがあってはと思ってな」
「心配せずとも我々の警備の目を掻い潜ってこの扉の先に潜むことができる侵入者などいはしないでしょう。例の侵入者騒ぎがあったのもここより遥か上の地下5階の階層ですし……」
思い切ってディックに提言してみたがやはり駄目だった。
それにしてもまだ8歳になったばかりの私に転生したLS2-77まで立ち入りが許されていようとは……。
やはりこの先が『味噌焼きおにぎり』に所属する【転生マスター】達の密会の場所となっているに違いない。
見たところこの扉の先には霊の侵入を防ぐ為の結界は張られていない。
っということはここで再びベンから憑依を解けば霊体となった状態でブランカの後を追い先へと進むことができるというわけだ。
しかしすぐ側にディックの目がある以上この場であからさまにベンからの憑依を解くわけにはいかないのだが……。
「い……痛ててててっ……」
「んん?。どうした、ベン」
「い……いや。さっきの食べ過ぎのせいでまた腹が痛くなっちまって……。悪いがまたちょっとトイレに篭って来ていいか」
「はぁ……全くしょうのない奴だな。あそこの通路を右に曲がった先にトイレがあったはずだから早く行って来い」
「あ……ああ。済まんがちょっとの間待っててくれ」
先程の『風鈴軒』での食べ過ぎを利用して私は上手くディックと別れてトイレへと向かうことに成功する。
腹痛でトイレに篭るとなれば暫くは戻って来ずとも不審に思われることはないはずだ。
憑依を解いた私はレイノスさんと同じように意識を失った状態のベンを便座に座らせて放置しブランカの入って行った扉の先へと向かって行く。




