第80話 ブランカとの出会い
「こんな時間にこのような場所で会うとは奇遇ですね。仕事の効率の良いあなたには珍しく残業でもしていたのですか?」
「い……いや。ちょっと夜中に急にこの階層にある『風鈴軒《ふうりんけん』のラーメンが食べたくなりまして……」
「ああ。そういえばあなたは無類のラーメン好きでしたね。『風鈴軒《ふうりんけん』のラーメンは私も大好きですよ。次の予定まで多少の時間はありますし……。腹ごしらえに我々もご一緒させてよろしいでしょうか」
「勿論ですよ。ですがブランカさんの方こそ今日はこのようなところでどうしたのですか。確か1週間程前にビルルンテの街へと立っていたはずでは?」
「ええ……。ですが急遽こちらの本部の方で予定ができましてね。地下の馬車を利用して戻って来たのですよ。ここまでのエリアへの立ち入りが許可されていない者達に不自然に思われないよう普段は地上の馬車を利用するようにしているのですがね。各街や要所に直通で繋がっているこちらの馬車を利用する方が移動時間が短縮できた何かと便利なのですが」
「なる程……そうだったんですね」
「はい。では『風鈴軒《ふうりんけん』へと向かいましょうか」
レイノスさんに憑依して立ち入り禁止エリアの調査をしている最中に不意にブランカと遭遇してしまった私。
レイノスさんに憑依した状態である為この階層にいること自体を咎められることはないのだが、あまり長く行動を共にするとボロが出て私が憑依しているとまではバレなくても疑わしく思われてしまうやもしれない。
なるべく早く会話を切り上げたいところだったのだが、先程確認したフロアマップで記憶にあった店とレイノスさんが無類のラーメン好きであることを思い出してブランカを誤魔化す為に咄嗟に口してしまったことが災いしてなんとこれからブランカと共に食事を取ることになってしまった。
強い不安を抱えながら私はブランカとその連れの者達と共に本当は1度も行ったことのない『風鈴軒《ふうりんけん』の店へと向かって行く。
「ああ。そういえばまだレイノスさんに2人の紹介をしていませんでしたね。こちらウィンドベル村を出ての任務の際にはいつも私の同行をして貰っているベンとディックです」
「ベンだ。よろしくな」
「ディックです。教団内におけるあなたの良い評判は色々と伺っていますよ、レイノスさん」
「こ……こちらこそよろしく」
ブランカの連れの2人はベンとディックと謂うらしい。
ウィンドベル村ではなかったがブランカの話しぶりから察するにブランカは2人をかなりの腹心として重用しているようだ。
この2人ならレイノスさんでは立ち入りの許されなかった地下11階への立ち入りも許可されているかもしれない。
上手くこの2人のどちらかに憑依することができれば地下11階へと行くことができるだけでなく親しい関係にあるブランカから情報が引き出せるやもしれないのだが……。
「いらっしゃいっ!。何名様で?」
「よ……4名でお願いします」
「おっ!。誰かと思ったらレイノスさんじゃないかい。こんな夜中にまた家のラーメンが食べたくなったのかい。あんまり夜遅くに食べてばかりいると体に悪いってまた奥さんに怒られちまうよ」
「そう仰らずにこの店自慢のラーメンを振る舞って下さいよ、店主。レイノスさんも我々も夜遅くまでの勤務のおかげで空腹で死にそうなのですから」
「おおっ!。こりゃ驚いたっ!。まさか教団の最高幹部でいらっしゃるブランカ様でご一緒に参られてるとは。こりゃ気合を上げてお出しする品を拵えななりませんな」
「期待していますよ、店主。……さてと、では皆それぞれ好きな物を注文しましょう。我々はこの後も若干の仕事が残っていますのでレイノスさん以外はお酒はなしでお願いしますよ」
店に案内された席へと着いた私達はそれぞれの食べたい品を注文する。
私は塩ラーメンと天津飯を注文した。
最高幹部として気前が良いところを見せたいのかこの場の会計は全てブランカの奢りにしてくれるそうだ。
暫くして皆の注文した品が席へと届けられた。
「はいっ!。こちら味噌ラーメンと炒飯のお客様っ!」
「あっ、それは私の頼んだ品です」
「どうぞ、ブランカ様。店長がブランカ様にお出しするということで滅茶苦茶気合を入れて厨房で調理してましたよ」
「はははっ。それは味の方がどうなってるか楽しみですね。……うーんっ!。味噌のコクがあっさりとした出汁に良く馴染んでスープは最高ですね。麺も弾力があって食べ応えがある」
「はいっ!。こちら塩ラーメンと天津飯のお客様っ!」
「あっ、それは私です」
「レイノスさんは塩ラーメンですか。こってりよりあっさりしたスープの方が好きなのかな」
「う……美味いっ!」
ブランカを誤魔化す為に咄嗟に思い付いた店の名前を出したことで来ることになったこの『風鈴軒《ふうりんけん』だが、思いの外絶品の料理が出されてきて思わず声に出して感想を述べてしまう。
肉体を得たことで霊体となって以来約8年ぶりの食事にありつけたということもあったのだろう。
口の中一杯に広がる味わい、食べ物が喉を通る感覚が私の食欲を際限なく刺激し、気付けばはしたなく思える程の仕草で私は出されてきた料理にがっついてしまっていた。
「はははっ。どうやらレイノスは相当お腹が空いていたようですね。とても気持ちの良い食べっぷりだ」
「腹が減ってるのは我々も同じですよ、ブランカさん。明日からの任務に備えて我々もしっかり食べておきましょう」
「ええ。今日は私の奢りですから皆他にも食べたいと思うものがあったらどんどん注文していいですよ」
「あっ!、では私は焼き餃子とニラレバ炒めを追加でっ!」
「ぶっ!。いくらなんでもそれは食い過ぎなのでは、レイノスさん。ブランカさんの奢りだからといって調子に乗って頼み過ぎると痛い目を見ますよ。ここ店主お残しに対してはかなり厳しいですからね。前に私の知り合いでそれで店を出禁にされた人もいますから」
「し……心配しなくてもお腹はかなり減ってるので大丈夫ですよ。あとデザートに杏仁豆腐もお願いします」
ディックが色々と言ってくるが私は構うことなく追加で注文を行う。
解放された私の食欲が止まることなど最早ないことだった。
レイノスさんの肉体の健康に関しては非常に悪いことをしてしまっていると思うが満腹になるまで食べる程度ならまぁ大丈夫だろう。
「ふぅ……ご馳走様でした」
「うぅっ……お腹が苦しい。レイノスさんにつられて俺まで食い過ぎちまったぜ」
「しっかりしてくださいよ、ベン。まだ時間には余裕がありますし少しゆっくりしてから店を出ましょうか。ベンとディックには引き続き私の護衛をお願いしなければならないのですから。元々警備が厳重な教団の本部の中で護衛など必要ないと思われるかもしれませんが1か月程までにここより大分上の階層ですが地下5階で結構な侵入者騒ぎがあったようですからね。しかもその侵入者と思われる人物の特定にはまだ至ってないようですから」
「外部からの侵入者とは考えられませんしやはり我々の中に裏切り者がいるということなのでしょうか……。そのようなことがあっても我々としてもブランカさんのお傍を離れるわけにはいきません。ところで今回ブランカさんは地下11階にどのような御用があるのですか?」
「私と同等の幹部の連中とちょっとした会議をね。その後ベンとディックも同じ地下11階の馬車で移動する予定ですので馬車乗り場の待合室の中でも休んで待っておいて下さい」
「まさかっ!。何時何処から侵入者の襲撃があるやも分からぬというのに我々もなるべく傍で待機させて下さいっ!」
「では会議を行う部屋の扉の前で待っていて下さい。ちょっと長くなるやもしれませんので了承しておいて下さいね」
「畏まりました」
「べ……ベンさんとディックさんも地下11階への立ち入りが許可されているのですか?」
「ええ。私の護衛を任せている2人には教団において私やアズール達に次ぐ地位が与えられているので……。レイノスさんももうじき地下11階への立ち入りが許されるようになりますよ。地下11階にはこの地下10階より更に便利な設備がいくつも整備されていますから楽しみにしておいて下さい。残念ながらこの『風鈴軒《ふうりんけん』のような美味しいラーメン屋の店はありませんがね」
「そ……そうなのですか。それは確かに残念ですね」
やはりブランカの連れであるこのベンとディックも地下11階への立ち入りを許可されているようだ。
クロイセン神父の話ではこの本部に張られている霊の侵入を防ぐ結界はその場所を通り抜ける際に反応するものであって、一度内部に侵入してしまいさえすれば憑依を解いても霊体となった私が結界の影響はないということらしい。
但し結界のまた外に出る際や、恐らく階を隔てるごとに新たに結界が張られている可能性が高いのでそこを通り抜ける際にはまた何者かの肉体へと憑依する必要があるということだ。
つまりこの場でレイノスさんの肉体から憑依を解き、新たにベンかディックのどちらかに憑依することができれば地下11階へと立ち入りも可能になるということだが、マスターの『注射器魔法』の魔法なしで果たして上手く憑依することができるものか。
ブランカの側近を務める人物ともなればその精神力も尋常ではなく私の憑依に対して相当な抵抗をしてくるはず。
また憑依する現場を外の者に見られるわけにもいかず何処か密室で2人切りになれるような場所に移動しなければならない。
どうにかベンとディックに誰にも見つかることなく憑依する方法はないかと考えながら私はブランカ達と共に『風鈴軒《ふうりんけん』の店を出て行った。
「では我々はここで……レイノスさん」
「はい。ブランカさん達はこの後も勤務があるようですがあまりご無理をなされないように……。それから1か月前に現れたという侵入者に関してもくれぐれもお気をつけて。最高幹部の1人であるあなたにもしものことがあったらメノス・センテレオ教団の一大事ですから」
「心配せずともブランカさんのことなら俺達が必ず守り通してみせるぜ、レイノスさん。だけど超が付く程の仕事好きなブランカさんに無理をさせないようにするのはいくら俺達でもちょっと難しいがな」
「確かに仕事は好きですが私は無理をしていると感じたことなど1度もありませんよ、ベン。ではそろそろ行きましょう」
「さようなら、ブランカさん。それからベンさんとディックさんも……」
結局ベンとディックに憑依する手段を見出せないまま私はブランカ達を見送った。
ブランカに疑われることなくやり過ごせたのはホッとしたがこのままではマスターへの手土産に十分と謂える情報を得ることはできない。
安堵と未練が混ざった複雑な心境で私は遠ざかっていくブランカ達の姿を見つめながら『風鈴軒《ふうりんけん』の店の前で立ち尽くしていた。




