表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
上書きした世界で、また巡り会えたら  作者: 小谷杏子
第一章 ポップシャワー
7/39

第七話

「はー、なるほどねぇ。それでアイスパンケーキに」


 こころが感心深げに言った。ポップコーンとからあげ、焼きそば、わたあめを抱え、頭には(きつね)のお面をつけている。文化祭を満喫(まんきつ)しているようでなによりだ。


「あ、郁ちゃんのライブ、最高だったよ!」


 そう言ってスマートフォンを見せてくる。動画を撮ってくれていたらしく、画面に指が触れると、たちまちギターとノイズが混ざった音が反響した。大音量が耳をつんざく。すぐさま動画を止めたが、パンケーキを食べる客の視線が痛い。


「し、失礼しましたぁー」


 涼香は慌てて裏声を出した。こころが申し訳なさそうに頭を下げる。


面目(めんぼく)ない」

「もう……その動画、あとで送って」

「了解」


 こころはすごすごとスマートフォンをカーディガンのポケットにしまった。


「まぁ、アイスの件は売り上げがかなりいいので、むしろうちの成績も爆上(ばくあ)がりでさ」


 涼香は得意げに笑った。横では優也が電卓をパチパチ鳴らして計算している。


「ほう、どれどれ」


 こころが優也のノートをのぞき込む。赤字どころか一組の材料費も還元できそうだった。しかし、優也は腕を組んで難しい顔をしている。


「でもまぁ、約束は約束だしな。うちも材料分使い切ってるし、もう店もしめないと」


 時刻は十五時五十五分。一般開放時間は残り五分を切った。客足もそぞろになっており、ジュースだけが余っているような状況だ。


「涼香、片付(かたづ)けはあたしがやっとくし、いまのうちに色々見てきたら?」


 こころが元気よく提案した。


「そーだね。でも、こころがからあげ買ってきてくれたし、これでいっかな」


 味見のために甘いものを食べすぎて腹は満たされているが、やはりしょっぱいものも食べたい。こころが抱えてきたものをパクパク口に放り込んでいく。


「うーん。それじゃあ、あたしはもう一回、まわってこよう……化学(かがく)同好会の『ばけがく実験室』に行きそびれてて」

「行っておいでー」


 軽く手を振って追いやる。こころは嬉しそうに目を輝かせた。


「んじゃ、涼香のために動画撮ってきてあげるー!」

「いや、別に、ばけがく実験室には興味ないんだけど……って、行っちゃった」


 追いかけるように言うも、こころは猛ダッシュで教室を出て行った。


「……行かなくていいの?」


 横から優也が苦笑まじりに言った。


「うーん……まぁね」


 優也と一緒にいたいから、なんて口が()けても言えない。曖昧(あいまい)に返事をしてしまい、優也は「ふーん」と軽々しく唸る。


「じゃあ、あとは後夜祭だなぁ」


 その声が切なげに響く。

 祭りが終わる。楽しかった時間は必ず終わってしまう。えも言われぬ寂しさを涼香も感じた。このままでいたい。でも、時間は無情だ。

 やがて、十六時のチャイムが鳴った。


『放送部からのお知らせです。これをもちまして、一般開放を終了させていただきます。また、生徒は後夜祭の準備のため、十六時半以降より後片付けを始めてください。ご協力よろしくお願いします』


「あーあ。終わっちゃうね」


 思わず言うと、優也も気まずそうに頷いた。


「そうだな。ライブ、観たかったなー」

「あとでまた観たらいいじゃん。郁ちゃんも出るってよ」

「そうなんだけどさ」


 なんだか煮え切らない。優也はそわそわと落ち着きなく、肩を回した。これは告白のタイミングをうかがっているのでは。

 そう予想していると顔が熱くなり、涼香は教壇から降りた。


「どこ行くんだよ」


 聞かれてすぐには答えが思いつかない。引き止めるような言い方に、涼香は戸惑った。逡巡する。不自然な間があいた。


「えーっと……トイレ」

「あ、行ってらっしゃい」


 優也は頰を引きつらせて眉をひそめた。手で追い払われる。それに甘えて、廊下へ逃げた。

 足取り軽やかにトイレへ急ぐ。しかし、急ブレーキをかけて立ち止まった。トイレの奥に人影が二つあった。同じクラスの女子二人。一方はこころで、もう一方は羽村だった。入口から遠ざかり、壁に張り付いて見守る。

 どういうことだろう。こころは化学同好会の催しに出かけたはずだ。


「ほんとのところ、どうなの? 大楠さんからそういう話、聞いてないの?」


 羽村の問い。切り取った言葉の筋からなにも読み取れず、涼香は固唾(かたず)を飲んだ。


「うーん。まぁ、そうだなぁ。涼香って、そういうの隠したいひとだし」

「はぐらかさないでよ。だって、寺坂は大楠さんのことが好きでしょ? 見てれば分かる」


 羽村のいらだった声に涼香は息を飲んだ。すかさず、こころの緩やかな笑いがこぼれる。


「確かに寺坂くんってわかりやすいよねぇ。あたしも困ってるんだよー。見ててやきもきしちゃうっていうか」

「そういう話をしてるんじゃなくて!」


 きつい声がトイレ内を震わせた。あまりにも切迫しているので、涼香もこころも羽村でさえ息をひそめる。少しの間をあけ、羽村は声を落とした。


「大楠さんは、寺坂のことどう思ってるかを聞いてんの!」

「だからぁ、そういう話はしたがらない子だからぁ」

「仲がいいなら聞いてるでしょ? 教えてよ。でなきゃ、私、いつまでたっても諦められないじゃん」


 悲痛にも似た言葉が、涼香の胸に突き刺さった。体が硬直して動けない。羽村の気持ちを、いままで一度だって考えたことがなかった。

 彼女も優也のことが好きだった。だから、いつも涼香に突っかかってくる。それは三年に上がっても変わらない。どうして気がつかなかったんだろう。


「そっか。そうだよね……羽村さんも、つらいよね」


 こころもおどけた調子を崩しており、真剣に言った。ため息を吐いたのはどっちだろう。二人の間に沈鬱(ちんうつ)な空気が流れる。


「涼香はね、いい子なんだよ」


 やがて、こころが苦笑交じりに言った。


無愛想(ぶあいそう)だから誤解(ごかい)を招きやすいんだけど、実はよく笑うし、よく食べるし、恥ずかしがり屋で、めんどくさがりで、()(しょう)で、目の前のことしか見えてない。みたいな」

「はぁ」

「でね、恋愛に(うと)いの。自分の気持ちに気づかなかいほど鈍感なの」

「ん? それって」

「うん。まぁ、そういうこと。素直じゃないから認めてくれないだろうけど、あたしはそうだと確信してるね」


 自信たっぷりに言い切ってくれる。こころの透き通ったまっすぐな言葉に、涼香は口を抑えた。うっかり息を漏らしそうになった。

 そんなこちらの感動もつゆ知らず、話は続く。


「あーあ。羽村さんってば、真剣だからさぁ。これじゃあ、どっちを応援したらいいかわかんないじゃん」


 羽村はぎこちなく唸った。彼女も悪気はないのだろう。気まずそうなため息がとめどなく漏れている。


「気持ちはそのままでもいいと思うよ。忘れずにとっときなよ。次のひとのために」

「それ、遠回しに諦めろって言ってるよね」

「まぁまぁ、恋心というのはどんな困難にも立ち向かえる希望なんだよ。ね、そう思えばこんな失恋もかすり傷だよ」


 そっとのぞくと、羽村は顔をうつむけていた。カーディガンの袖で目元を拭う。


「……あーもう、わかったよ。引き止めてごめんね」


 敗北の声は無理をするような明るさがあった。そこにこころが穏やかにも咎めるような言葉をかける。


「じゃあ、もう涼香にきつい言い方しないでね?」

「うん。そうする。でも、やっぱり大楠さんもはっきりしてくれなきゃ、嫌かも」

「そこはあたしがなんとかするよ」


 こころはなおも自信満々に言った。どこからその自信が湧くのだろうか。呆れを通り越して感心してしまう。これには羽村も不審感を抱いたらしい。


「ほんとかなー?」


 声をうわずらせ、彼女はきびすを返した。トイレから出てこようとしている。慌てて階段まで逃げ込むも、羽村はこちらに気がつかず、教室へ戻って行った。

 こころもトイレから出てきた。やけに清々しそうな顔をしている。


「ふぅ。いいことしたなぁ」

「……こころ」


 階段から呼びかけると、こころの肩がびくりと飛び上がった。


「え? あれー? なんで!?」


 頭の裏で手を組んで体を横へ傾ける。その大げさな仕草に呆れ、涼香は階段を駆け上がった。こころの脇腹に親指をねじ込む。


「うあっ」


 地味な攻撃にこころがくずおれた。


 ***


 濃い青空と、西に向かう夕陽の色がやけにきれいだった。青とオレンジの隙間(すきま)に緑と黄色のグラデーションが(にじ)み、さながら水をたっぷり含んだ水彩画のよう。


『さぁ、みなさんお待ちかね! 今年もきたぞ! 後夜祭の時間だーっ!』


 開会式とは打って変わって、生徒会長のテンションが高い。グラウンドステージでは全校生徒が思い思いに(つど)っている。

 涼香とこころは後列にいた。前列は三年生がほとんどで、最後の文化祭を楽しんでいる。そんな彼らに向かって、生徒会長もステージ上からマイクを片手に堂々たる司会進行をしていく。


『今年も無事、後夜祭を開催することができます! 毎年先生たちに交渉するの大変なんですよー。まぁ、来年も開催できるようにがんばりますので。みなさん、ご協力よろしくお願いします!』


 生徒たちの熱気がグラウンドに充満した。ざわめきが波打つ。


『それではさっそく、毎年恒例、部門賞の発表をします! 模擬店部門、()えある第三位は——』


「ねぇ、こころー」


 涼香はふと、こころの袖を引っ張った。ステージを見ようとぴょこぴょこ飛ぶこころがおとなしくなる。


「なーにー?」

「寺坂に変なこと吹き込んだでしょ?」

「へ?」


 こころは上げていたかかとを落とした。首をかしげてキョトンとする。


「やだなぁ、なに言ってんの、涼香」

「とぼけても無駄。さっきの羽村とのやり取りもそうだけど、裏で寺坂と私をくっつけようとしてるのはもうバレている」


 優也はどこにもいなかった。それに、制服の群れから優也の背中を探り当てるのは不可能だ。彼が中庭にいることは知っているが、涼香はあえてこころに揺さぶりをかける。

 こころは口を横に引き結んで、笑いをこらえた。頬がプルプル震えている。

 じっと見つめていると、観念(かんねん)したのか、こころは肩を落とした。止めていた息を吐き出す。


「サプライズのほうが、涼香も告白オーケーするかなぁって思って」

「好きでもない相手から急に告白されてもオーケーするわけないでしょ」


 ピシャリと言い放つと、こころは衝撃を受けたように口を大きく開いた。「はわわ」と口を震わせ、彼女は校舎の最上階を見やった。やはり、中庭を選んだのはこころだった。


「……でも、あいつのことは嫌いじゃないから、別にいいんだけどね」

「えっ? ってことは?」


 落ち込んだこころの目がとたんに生き返る。その視線から逃げようと、涼香も校舎の最上階を見た。優也の姿を探すも、彼の影はどこにもない。

 その時、ステージ前方が歓喜の声で湧き上がった。


『模擬店第一位は、野球部の焼きそば亭! おめでとうございます! 代表者は上がってくださーい』


 太い絶叫と拍手。この歓声に気を取られ、涼香はカーディガンのポケットにあるスマートフォンの着信に気づけなかった。しかし、こころの耳が鋭く、敏感に察知してくれる。


「涼香! スマホ! スマホ鳴ってるよ!」

「え? あ、ほんとだ!」


 慌ててポケットを探る。画面の表示は「寺坂優也」だった。待ちかねた連絡に、胸がドキリと高鳴る。


「もしもし? 寺坂?」

『……悪い、大楠』


 返ってきたのは、盛り上がるステージに負けそうなほど弱い声。画面を耳に押し当て、もう一方の手で耳を塞ぐと、優也の長いため息が聞こえてきた。


『えーっと……いまから図書室に来てくれ。大事な話があるんだ』


 告白だ。

 心臓はせわしなく動く。記憶の中では、このとき彼に向かって散々な文句を垂れていた。それをこころがおさめ、(なか)ば強制的に中庭へ連れて行かれた。でも、いまは違う。


「わかった」


 優也の言葉を聞きたい。今度は優也に見捨てられないように。

 そんな思いが強くなる。どこからかみなぎってくる感情の波に流されていく。

 通話を切り、スマートフォンをポケットに押しこんだ。ふと、こころと目が合う。


「いがーい」


 彼女は冷やかすように笑った。なんだか、優也にも同じことを言われたような。


「意外ってなによ」

「だって、いつもの涼香なら拒否って罵倒(ばとう)くらいはしてるでしょ」

「今日の私は、いつもとは一味(ひとあじ)違うんだよねぇ」


 ふふんとひと差し指を立て、ニヒルに笑ってみせる。こころが盛大に吹き出した。


「みたいだね! 文化祭効果? やだぁ、超かわいいー!」


 口に手を当ててはやしたててくる。トンっと肩を押され、涼香は群れから追い出された。


「んじゃ、行ってきなよ」

「うん」


 集いの群れから一歩ずつ離れる。こころが手を降って見送ってくれ、涼香も小さく手を振り返した。


 ——ありがとう、こころ。


 用意周到な親友の作戦に悔しく思いつつ、涼香はひっそりとした中庭へ向かった。

 やっぱり、こころにはかなわない。


『次はゲーム部門にいきましょう! 第三位——』


 生徒会長の声が遠ざかっていく。グラウンドの熱気とは反対に、中庭はしんとしずかで一切ひと気がない。ところどころに祭りの残骸(ざんがい)があり、あの高揚が忘れ去られたように寂しい。

 エモーショナルな気分になると余計に緊張感が(つの)った。一歩進むごとに期待がふくらむ。心音が耳に近い。脳がどくどくと膨張する。心臓の鼓動が速くなり、息が上がった。顔が熱い。血流に飲まれて目眩がしそう。

 落ち着け。落ち着いて、慌てないで、冷静になって——でも、ダメだ。先がわかってるせいで、余計に感情が忙しくぐるぐると循環(じゅんかん)する。

 もし、優也から告白されて付き合うことになったら。それはきっと、甘く楽しい生活のはじまりだ。浮き足立った妄想(もうそう)がめくるめく。

 しかし、それもつかの間で、涼香はふと足を止めた。


「……待って。このままじゃ、私、優也と破局するんじゃ」


 冷水をかぶったような感覚がし、期待と高揚が一気に沈んだ。お祭りムードと初恋気分に浸っていたせいですっかり忘れていた。

 自暴自棄になって、なにもかもうまくいかなくなる。そんな世界への道順をもう一度たどるつもりか。ここまで順当に過去をさかのぼっているだけで、ほとんど変わっていない。涼香は頭を抱えた。

 夢なら夢のままでいい。それにしてはリアルな世界だ。たとえ夢の世界だけでも最善な道を選びたい。どうしたら、変えられるんだろう。

 グラウンドではすでにかがり火が上がり、オレンジの火の粉が青い夕焼けに向かって散る。壁に当たり、くぐもったエレキギターのジィィィンと絞るような音が聴こえ、後夜祭もフィナーレを告げていた。グズグズしている暇はない。

 それなのに──


「大楠?」


 立ち尽くしていると、心配そうな優也の声が聞こえた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ