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上書きした世界で、また巡り会えたら  作者: 小谷杏子
第一章 ポップシャワー
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第六話

『ごめんね、涼香。私、そっち行けそうにないわ』


 スマートフォンの向こうで、郁音がしきりに謝ってくる。申し訳なさそうな声を聞いても、涼香は不機嫌なため息を投げた。


「でも、当番は決まってるし……午後のライブが終わったら来れるって話だったじゃん」

『本当に申し訳ない! そこをなんとか! いま、現在進行形で超やばいんで!』

「いま、現在進行形で超やばい状況ってなに?」


 あまりにも抽象的(ちゅうしょうてき)でわけがわからない。

 同じクラスの郁音も、クラスのパンケーキ屋で当番をする運びになっていた。午後一番のステージで彼女が所属するバンドのライブが行われ、その舞台は成功したはずだ。


『いや、それがさぁ……生徒会から後夜祭のライブに出てくれって頼まれて』


 低い声音で言うも、言葉の端々には浮かれた感情がにじみ出ている。しかし、友達の成功談を素直に喜べる状況ではない。

 一年二組のパンケーキ屋はそこそこの反響だった。それに、当初から組んでいたスケジュールに穴があくのはよくない。クラスの雰囲気を壊しかねない。郁音のバンドは応援したいが、どちらを優先したらいいのか。


『とにかく、麟が練習するって聞かなくて。だからお願い! 頑張って!』

「あ! ちょっと、郁ちゃん!」


 そうこうしているうちに通話が切れた。


「大楠さーん、ジュース運んでよー」


 後ろから羽村が声をかけてくる。不審めいた声に、涼香は慌てて反応した。


「ごめんごめん」

「んで、美作さんは?」

「郁ちゃんは、ちょっと戻れそうにないらしい……」

「えぇ? 嘘でしょー?」


 悪いのはこちらじゃないのに、なぜか責められてしまう。やはり、こういうハプニングはクラスの雰囲気を悪くするものだ。


 ——このあと、どうしたんだっけ。


 必死に思い出そうと記憶を手繰(たぐ)り寄せる。すると、当番じゃない優也が教室に現れた。


「どうかした?」

「あ、聞いてよ、寺坂ー」


 すぐさま羽村が告げ口しようとその場から離れる。涼香は客にジュースを配りながら、その様子をちらりと盗み見た。


「──そうか。まぁ、しょうがないよ。美作も忙しいんだし。あいつが楽しいんなら、俺は嬉しいよ」


 優也は羽村の文句を笑ってなだめた。小さなえくぼが困っている。それを見れば、羽村も不服ながら頷いた。


「その分、大楠が頑張ってくれるからさ!」


 感心しかけていたらこれだ。まさかこちらに面倒を押しつけてくるとは思いもしない。

 羽村がこちらを見やる。その視線に、わずかな憐れみが見えた。しかし、彼女はそれで納得したらしい。

 対し、こちらはますます不満だ。涼香はさっさとジュースを運び終え、教壇のカウンターに戻った。すると、口を開く前に優也が満面の笑みで肩を叩いてくる。


「な、大楠! 俺たちでがんばろうよ」

「まぁ、いいけど……」


「俺たちで」という言葉に、少しだけ気持ちが浮つく。にやけそうになるのをこらえようと、わざと不満な態度をしてみせる。すると、優也の眉がハの字に曲がった。


「え? いやか?」

「いや、じゃ、ない……」


 自然と答えるも、すぐに羞恥(しゅうち)が回ったので優也の足を踏んづけた。それを優也はあっさりと飛びのいて回避する。さすがバスケ部。反射神経がいい。

 その時、優也のズボンのポケットからスマートフォンの電子音が鳴った。


「お、明? どうしたー?」


 思わぬ相手が口から飛び出し、思わず耳を澄ませる。優也に近づくと、彼は少しだけ肩をそらして涼香を見た。動揺の色を浮かべている。こちらに意識を向けているせいで、スマートフォンが耳から離れていった。


『大変なんだよー、助けてくれよー』


 明の嘆きが丸聞こえ。優也は電話に集中しようと、その場から逃げていく。涼香は(たま)らず追いかけた。


「まじかー。おー、そりゃあ大変だなぁ。やべー」


 教室から出て高笑いする優也。彼の足は隣の一組に向かっていた。隣と言っても階段とトイレに挟まれた校舎の最奥である。

 優也はスマートフォンを切ってポケットに押しこんだ。その足は迷いがない。


「うっわー。本当にやべーな」


 そんな声が聞こえ、涼香も一組をのぞいた。仕切りで見えない。


「そうなんだよ。やばいんだよ。それもこれも全部、僕の発注ミスのせい」


 どんよりと暗い明の声が聞こえた。涼香は仕切りからこっそり顔を出してみた。


「大丈夫?」


 見てみると何段も積み重なったクーラーボックス。その一つに敷き詰められた大量のカップアイスがざっと二十、いや三十個ほどか。これがあと四ケースもある。


「なんとか売ろうとがんばってたんだけど、もう十四時でしょ。一般開放が十六時までなのに、まだ半分以上も残ってるの」


 一組の実行委員である女子生徒が小声で教えてくれた。


「しかも、ここって階段とトイレに挟まれてて、あんまり目立たないんだよね。場所が悪すぎ」


 明を見ると、彼は深刻に思い詰めた顔をしていた。いまにも泣き出しそうな。とにかくどんよりと暗い。


「売り子して校舎の中もまわったら?」

「それは朝からずっとやってる。でも、今日は気温も低いし、あんまり売れ行きがよくないみたいで」


 優也の提案に明がすぐに返す。全員が沈黙(ちんもく)する中、涼香は素早く頭を働かせた。


「……じゃあさ」


 全員の目がこちらに集中した。目のやり場に困り、とりあえず優也を見る。


「うちで半分引き取ろうよ。二組のパンケーキに使おう」

「それはちょっと、厳しいんじゃね」


 優也は煮え切らない様子でもごもごと言った。どのクラスも材料費は決まっており、売り上げによっては赤字を切る。その調整は生徒会が担っているが、急な予定変更をされては多方面に迷惑がかかるだろう。


「んじゃあ、こうしよう。これの三分の一をうちで引き取る。で、はけそうならまた追加で引き取る。一組はもうこの際、後夜祭返上で売り子してがんばるしかないよ」


 強い口調で提案すると、優也が頷いた。明の顔がパッと華やぐ。


「ありがとう! 助かる!」

「がんばるのはそっちだからね? うちは、あくまで手伝うだけ」

「それでもいいよ! ってか、それしかないよ! うわぁ、二組マジ神様」


 調子のいいことを言うが、明も朝からずっと悩んでいたんだろう。一組全員からの非難を受けるのはつらい。せっかくのお祭りなのに。


「優也、ありがとう! この恩は一生忘れない!」


 明は優也に頭を下げた。そして、アイスのケースをまたいで涼香の元へ行く。


「君もありがとう! 名前は? あなたはどこの女神様ですか?」


 調子のいい言葉なのに、顔が真剣なので涼香は拍子抜けした。勢いに押され、後ずさる。


 ——そっか、明は私のこと、まだ知らないんだ。


「大楠です。大楠涼香」

「ありがとう、大楠! この恩は一生忘れないから!」

「大げさだなぁー」


 奥で優也が笑い飛ばした。アイスのケースを抱え、涼香の肩をつかむ。


「そうと決まれば、さっさと売ろうぜ」


 そのまま廊下までズルズルと引きずられた。明が拝みながら見送る姿が遠のいていく。


「……大楠、ありがと」


 二組へ戻る途中、優也が耳元で言った。


「あいつ、同じバスケ部の杉野明っていうんだけど」


 知ってる。でも、いまは知らないふり。

 明は目立ったプレーはしないが、並外れた持久力とテクニックがあり、部活仲間としても友達としても最高だという。でも、本番に弱くて、たまに変なミスをする。一度ミスしたら不調が続いてしまうとか。この件も明ならやりかねないミスだ。

 涼香は小さく笑った。想定外の事態に巻きこまれるのも意外と楽しい。お祭りにはうってつけのイベントだ。それに、この事件はあとあと功を奏することを知っている。

 涼香は余裕たっぷりに笑った。


「全然いいよ、これくらい。だって、友達でしょ?」

「うわ、超やさしー。いがーい」

「なにが意外よ」

「だって、いつもはそんな優しくないしー?」


 照れ隠しに冷やかしてくる。そんな彼の腕を親指で突き刺した。

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