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上書きした世界で、また巡り会えたら  作者: 小谷杏子
第五章 ミズイロ炭酸水
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第三十六話

 過去を変えるのは重罪だと痛いほど知った。それでも、こころが消えてしまう未来を塞ぐことはできたはずだ。

 これからどうなるんだろう。

 いくつもの可能性を考えては消していく。優也と別れる世界、明と付き合う世界、こころと出会わない世界、どん底を味わう世界、甘く優しい世界もなくはない。この選択が正しいのか間違いなのか、誰にもわからない。


「――でも、もうタイムリープはしない。させない」


 眼前に続く暗いトンネルは未来を暗示しているようだった。ゆっくり足を踏み出すと、あっという間に音を崩れていまいそう。それくらい不安定な道を、強くしっかり踏みしめて歩く。歩いて、歩いて、歩いて、家路までの道を歩く。

 冷たい風が髪をさらい、涼香は首をすくめて身震いした。帰り方なんてわからないが、とにかく前だけを見つめる。

 ふと、空を見上げると星のまたたきが視界を埋めた。

 黒く塗りたくったような背景に白い点描。まばたきをするたびに星が点滅する。吸い込まれそうな黒に手を伸ばすと、空が時計回りに旋回した。

 時間というのはきっと、夢の狭間(はざま)に似ているんだろう。幾重にも連なった記憶のフィルムをたどる。どうにも心地が悪く、ぬかるみを歩いているような気がした。

 帰り道がない。もしかすると、また間違えたのかもしれない。


「いやぁ……本当にどうすんだこれ」


 とぼけたひとりごとでも吐かなければ、恐怖感を拭えることはできなかった。


『大楠さんってさ』


 ふと、背後で女の子の声が聞こえた。小学校低学年くらいの女の子が嫌みたらしく笑っている。小学二年のころの記憶だ。名前も覚えていない相手だが、言葉の棘はやけに鮮明だった。


『つり目だし、おでこ広いし、かわいくないよね。ピンク、似合ってないよ』


 その悪態(あくたい)が懐かしく、傷口をえぐる。

 小学校二年生だった涼香は、ピンク色の小物を集めていた。ピンク色のフリルや、さくらんぼの髪留(かみど)めが好きだった。

 映像が切り替わる。


『涼香? 今日はさくらんぼ、つけなくていいの?』


 学校へ行く間際(まぎわ)、母に聞かれた。


『もうつけたくないの。私には似合わないから』


 それを冷たく突っぱねてしまい、翌日からはデニムの服を選んで着るようになった。長い髪の毛も一つにくくって、髪ゴムは無地の青色で。

 いま思えば、自分の好きなものを否定されたからずっとふてくされていたんだろう。傷ついたときくらい隠さずにいられたら、まだこんなことにはならなかったのかもしれない。そんな時代が(もう)スピードで目の前を駆け抜けていく。

 涼香は、記憶の海に溺れた。

 学年が上がっても、中学校に上がっても、とくに好きなものはなく、こだわりもなく、部活も熱心じゃなかった。毎日楽しければそれでいい。成績も中の上くらいを(たも)っておく。

 断片的に自分の軌跡(きせき)をたどれば、いつの間にか優也の顔が頻繁(ひんぱん)に現れるようになった。ほんの数年前のことなのに、一瞬の出来事を大事にしていたわけではなく、おぼろげにぼやけている。


『大楠って、女子っぽくないから話しやすいよなー』


 優也とは中学で出会った。同じ班で、同じ委員会。そこから話す機会(きかい)が多くなった。


 ――どうせかわいくないですよーだ。


 ふてぶてしい優也の顔を蹴飛ばすと、映像が淡い気泡(きほう)となって消えていく。もっと深く沈んでいけば、濃厚な青の中に光を見つけた。

 高校の入学式。浮かなくて、変わりばえしない世界をぼんやりと眺めているだけの映像が淡々と流れていく。そこに、こころの姿はない。


「やっぱり、こころとは出会えないのかな」


 そこからは記憶に新しい時間が流れていく。こころがいないだけで、日常は淡々と過ぎていく。それはどうにも味気ない世界だ。


「――涼香」


 足元から、はっきりと声が聞こえてきた。見下ろすと、海の底に人影がある。

 手を伸ばしてこちらを見ているのは――


「こころ!」


 ふわふわの三つ編みが、暗い水底で揺れていた。


 底に足がつくと、浮遊感がなくなった。急激に体重を取り戻し、ぬかるんだ地面にめり込んでいく。それをこころが引っ張り上げてくれた。


「ねぇ、あなたは何番目のこころ?」


 真剣に聞くと、こころは口元をだらしなく緩ませて笑った。


「ゼロ番目、かな。あたしはずっとあたしのまま」

「じゃあ、私が失恋してからうまくいかなくなって、死んじゃうっていう結末を知ってるわけだ。ずっと、抱えてたんだ」

「そ、だね……」


 空気がぎこちなくなっていく。こころの視線が下がっていき、涼香は鼻息を飛ばした。


「もう大丈夫だから。そんな世界、さっさと忘れてよ」

「う、うーん……そうだね」


 それでもなお、こころの顔は晴れない。涼香は話を変えることにした。


「ここ、どこ?」


 こころは頼りなく苦笑する。どうやらわからないらしい。涼香は天を仰いだ。


「私たち、帰れるのかなー」

「どうだろ。あたしが思うに、ここは〝時空の狭間〟なんだよね。ゴミ箱みたいな場所」

「時空の狭間? ゴミ箱? なんだそれ!」


 素っ頓狂に聞くと、こころは気まずく眉をひそめた。


「タイムリープを繰り返して迷子になっちゃって、その末路みたいな?」

「うわ、こっちも最悪な結末じゃん。ヤダヤダ。私、バッドエンドは嫌いなのにぃ!」


 思わず天に向かって絶叫すると、暗い天井がわずかに揺らいだ。声が反響し、波紋(はもん)が広がっていく。涼香は肩を落としてうずくまった。


「涼香……」


 こころの声が降ってくる。耳だけで聞き取り、涼香は顔を上げずに「ん?」と軽く返した。すると、髪の毛に涙が(したた)り落ちてきた。


「ごめんね。こんなことに巻きこんで」


 顔を上げると、こころが涙をこぼしていた。暗く淀んだ瞳で、顔をぐしゃぐしゃにしてしゃくり上げる。そんなこころのスカートを引っ張った。


「もう、泣かないでよ」

「だって、あたし、余計なことして涼香を困らせてばっかりで、幸せになって欲しかっただけなのに、その願いが届かなくて……」


 こころが悔やんでいることは目に見えて明らかだった。

 その気持ちが痛いほど伝わる。友人のために必死に過去を変えては落胆し、諦めがつかなくなって、それはいつしか「使命」とすり替わる。

 彼女は目尻をぐぐっと押しながら続けた。


「結局、あたしは涼香のこと考えてるふりして、理想を押しつけてただけだった。ここに引きずりこまれて、ようやく気づいたよ。本当にごめんなさい」

「あー……うん、まぁ、それは(いな)めないわ」


 泣きじゃくる彼女を前にして、感情が動かないはずがない。それでも、お互いに泣き合っていては話が進まないだろう。ぐっとこらえて、こころの手を引き寄せる。すると、彼女はようやくしゃがんだ。


「いい? こころ」


 うつむき加減のこころに、涼香は真剣な目を向けた。声音は少しだけ低い。


「私もね、こころにはずっと笑っていてほしいし、悩まないでほしい。私のことで深刻に考えないでほしいし、期待もしないでほしい。ほら、私も押しつけるよ」

「でも、あたし……」

「もういい。いいってば。私も共犯だから。こころだけに押しつけるつもりはないよ。友情に理屈や公式は不要。感情を優先させるべし。それが私の青春哲学、でしょ?」

「あはは……はぁ、やられたー」


 おどけた声で言えば、こころは吹き出して笑った。高く伸びやかな笑い声が響くと、一緒に笑い出したくなる。

 たっぷりの涙を滴らせ、ひとしきり笑うと彼女は上目遣いに見た。


「許してくれる?」

「許す」

「また友達になってくれる?」

「当たり前じゃん。約束したでしょ」


 背中を思い切り叩くと、こころの体が大きく前のめりにぬかるみへ沈んだ。仕方なく引っ張り上げる。なんとなく気恥ずかしくなり、涼香はため息混じりに聞いた。


「――私が死んだ後、タイムリープしたってことよね。私を助けるために」


 こころの表情が固まった。


「うん。連絡もつかなくなって、家に行っても会えなくなって。そしたら、急に」

「それで、私の分岐点まで戻って助けようとしたと。でも、私が途中参加してきたからうまくいかなくなった。それで何度も繰り返したわけね」

「そう。何度も何度も涼香がついてくるから、最後のタイムリープではなにもしないことに決めたの。そしたら、涼香が倒れちゃって……たぶん、あの時、あたしたちはタイムリープのタブーに触れちゃったんだよ。それで、こんなことに」

「はぁ……意味わかんない」


 単なるおまじないがこんな事態を引き起こすなんて。涼香は項垂れて反省した。


「タイムリープってなんなんだろうね。条件さえ合えば、手軽にできちゃうじゃん。危ないわー」

「普通、タイムリープできたら浮かれるものじゃない? あたしは浮かれたよ。これで過去を変えてやるって、まるで主人公になった気分だった」


 いくらか吹っ切れたのか、こころもあっけらかんと言う。対し、涼香は「ふん」と鼻で笑った。


「こころみたいに使命感も正義感もないからねー。やっぱり私は、そこまで(うつわ)が大きくないんだよ」


 出した答えは情けないものだった。でも、納得して出した結論だから落胆はなく、むしろ気楽なものだった。

 こころの顔を見ると、彼女は不満そうに口を尖らせた。


「でも、ここまで来てくれたじゃない」

「今日だけだよ。もうこれっきりだから」


 恥じらうと、こころが脇腹を突いてきた。地味な攻撃をかわし、たっぷりの意地を見せてふんぞり返る。


「感情をフルに使うのが面倒だし、そもそも悩みたくない。誰かの生きがいになるのも荷が重い……心配されたくないし、この逃避癖は抜けそうにない。誰かに頼るっていう発想がないと、すぐにへばってる」


 何度も繰り返してようやくわかった自分の本性。きっと、これからもそういう風に生きていく。でも、最悪な選択だけは絶対にしない。


「ゼロ番目の私はバカだよ。ほんと、バカ。それに気づけただけ、今回のことは大収穫でしょ。だから、こころも自分を責めないでね」


 膝に顔を埋めて言うと、こころはぽっかりと口を開けた。みるみるうちに目が潤んでいく。やがて感極まって、涼香の肩にしがみついてきた。


「すーずーかぁー」

「あーもう、泣くなってば!」


 鬱陶しく追い払うも、無下(むげ)にはできない。こころの肩を抱くと、彼女の涙が服に染み込んだ。ぐすぐすと鼻をすする音がこもる。背中をトントン叩くと、こころはようやく落ち着きを取り戻して笑った。

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