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上書きした世界で、また巡り会えたら  作者: 小谷杏子
第五章 ミズイロ炭酸水
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第三十三話

「——涼香」


 耳に届くのは柔らかな優也の声。


「大楠、聞こえる?」


 不安を押し殺したような明の声も聞こえる。

 目を覚ますと、二人の顔があった。視界が明るくなれば、その光に頭蓋骨(ずがいごつ)が悲鳴を上げた。

 顔をしかめると、二人が息を飲んで顔をのぞきこんできた。ぼやけた視界がクリアになる。


「大丈夫? 体育館裏で倒れてたんだよ」


 すぐに言ったのは明だった。優也は安堵の息を吐いて、天井を見上げた。


「ここは?」

「保健室だよ。病院に連れて行こうかって、先生たちが慌ててたけど、貧血みたいだったからひとまず様子を見てて」

「そう、なんだ……」


 白いカーテンの中でベッドを囲む二人を見やり、深く枕に頭を埋めた。大騒ぎになったであろう状況を想像すると恥ずかしくなる。

 どのくらい眠っていたんだろう。外を見ると、赤い夕焼けが眩しかった。


「まったくもう……受験勉強のしすぎじゃない? がんばりすぎるのもほどほどにしなよ」


 明が体をのけぞらせて笑った。いっぽう、優也も頰を引きつらせたまま苦笑する。


「あんまり心配させるなよ」


 どうしよう。頭が働かない。寝ぼけたように見れば、彼らはそれぞれ不思議そうに首をかしげた。


「涼香、本当に大丈夫か? 頭打ったんじゃないか?」


 言い方はぶっきらぼうだが、優也の声は深刻そうだった。その扱いに、涼香は反射的に体を起こした。


「大丈夫だよ! ちょっと色々あっただけだから……っ!」


 少し声をあげただけで、頭の奥がキーンと痛んだ。思わず項垂れてしまうと、明がたしなめるように優也の太ももを殴る。


「おい、優也」

「ごめん」


 優也は素直に謝った。そして、大事そうに涼香の手を握る。


「無理すんな。今日はもう帰ったほうがいい。早く寝て、早く元気になって」

「うーん……そうする……」


 ひたいを揉んで痛みを緩和すると、少しはマシになった。まぶたを抑えて、頰をつまんで顔を上げる。

 優也と明が並んで座っていると、胸がほっこりとあたたかくなるようだ。安堵のおかげか、顔が自然と笑う。すると、明が人懐っこく言った。


「もうすぐ文化祭なんだからさ、ゆっくり寝て、体を休めてね」

「うん。ありがと……」

「疲れたときは塩だからな。塩なめとけ」

「優也、それ、彼女に言うセリフ? ほかにもっと言うことあるだろ」


 こういう場面は久しぶりに見るような気がする。のんびりと穏やかな空間だ。

 あの亀裂が嘘みたいに――


「ちょっと待って」


 たまらず二人の間に割って入った。明がキョトンと目を丸くし、優也は眉をひそめてこちらを見る。

 涼香は優也の手を握り返し、おそるおそる聞いた。


「あの、いま、私たちって何年生?」

「は?」

「いいから答えて」


 変な質問だというのはわかっている。すがるように言えば、彼らは顔を見合わせた。


「……三年だけど」


 明が言う。涼香は食い気味に次の質問をした。


「じゃあ、今日は何月何日?」

「おい、涼香」

「いいから! お願いだから答えて!」


 その剣幕に、優也はごくりと喉を鳴らして驚く。そして、ぎこちなく答えた。


「十月二十日」


 何度も繰り返した、繰り返させられた日だった。

 いつの間にか時間が飛んでいる。一年の文化祭だったはずなのに、でも、眠っていた時間は二年というわけではないようだ。どうにもこの矛盾が解消できない。


「涼香、もういいから寝ろ。疲れてんだよ。親には連絡入れとくから、スマホ()せ」


 心配からのいらだちが彼の手から伝わってくる。

 涼香はカーディガンのポケットから素直にスマートフォンを出した。優也に渡すと、彼は顔をしかめたまま「ん」と唸った。いっぽう、明は涼香と優也を交互に見ており、その場から動こうとはしなかった。

 優也が涼香のスマートフォンを操作し、保健室を出て行こうとする。


「明、涼香のこと見といて。こいつ、大丈夫じゃないのに大丈夫って嘘つくから」

「わかった」


 あしらわれてしまうことにモヤモヤするが、それよりもこのタイムパラドックスを処理するのに忙しい。いや、矛盾はないのかもしれない。確実に過去は上書きされている。ということは、過去改変が完了したことを意味するのだろう。

 これが、こころが望んだ世界か。

 涼香はあたりを見回した。すると、はだけたシーツを明が掛け直そうとした。優也の言うとおり、涼香を寝かしつけてくる。


「そんなわけだから、親が迎えにくるまで寝よう」

「待って待って。その前にもうひとつだけ聞いていい?」

「えぇ?」


 ためらう明だが、構っていられない。涼香は間髪をいれずに聞いた。


「こころはどこ?」

「え?」

「こころだよ! 右輪こころ! あの子はどこにいるの?」


 彼女の姿が見えないから、余計に不安になる。こういうとき、絶対に横にいてくれるはずなのに。

 最後に彼女を見たときは、随分とひどいことを言った。自分の弱さを押し付けた。

 謝らないと。

 でも、その前に彼女の安否が気になる。妙な胸騒(むなさわ)ぎが止まらない。

 明は困ったように眉をひそめた。天井を見上げ、枯れた笑いをこぼす。やんわりと、こちらの事情を汲もうとするも、彼の問いはストレートなものだった。


「えーっと……だれ、かな?」


 そんな言葉は聞きたくなかった。


 ***


 スマートフォンの中にあるはずの、こころの連絡先を調べた。しかし、どこにもなかった。そのあと、郁音と羽村にメッセージを入れた。翌日、教室で机を確認した。担任教師にも聞いた。

 しかし、誰もが不思議そうに口を揃えて返してくる。


【だれの話?】


 右輪こころという存在がどこにもなかった。繰り返してきた時間の上書きの代償に、こころが消えた。

 入学式の日、教室のベランダで話しかけたあの時間も、何度もやり直してきた文化祭もなかったことにされている。

 文化祭――間もなく、高校生活最後の文化祭が迫っていた。時間はあざ笑うかのように止まってくれない。

 涼香は、もの足りない教室でただ呆然としているだけしかできなかった。そして、文化祭前日というこの日もひっそりと教室から離れ、体育館裏でぼんやりとうずくまっていた。

 グラウンドでは明日の祭りに備えようと制服姿の生徒と、部活動に励むユニフォームがせめぎ合う。すると、外を走る男子バスケ部の生徒たちの掛け声が聞こえてきた。屋内競技の部活は外で体力トレーニングをしているらしく、その中には引退したはずの優也の姿もある。その様子をフェンス越しにぼんやり眺めた。

 時の流れが無情で、居場所がどこにもないように思えてくる。あの思い出全部が幻なのではないかと、虚無感にさいなまれる。

 どうしてこんなことになったんだろう。また道を間違ってしまったんだろうか。こころが消えてしまう世界が正解だったとでもいうんだろうか。


「違う。そんなこと、絶対違う」


 こんな結末は望んでいない。

 じゃあ、なにが正しかった——?

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