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上書きした世界で、また巡り会えたら  作者: 小谷杏子
第一章 ポップシャワー
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第三話

 涼香は記憶の海に身を投げた。まばたきすれば視界の色がせ、解像度かいぞうどの落ちた世界に沈んでいく。

 こんなはずじゃなかったのに、目の前の現実は冷たい。この前まではうまくいってたはずなのに。


 ***


「——大楠。俺と付き合って」


 高校最初の文化祭。中学から同じクラスになることが多く、仲が良かった優也から突然に切り出された。

 ひと気のない中庭。生徒たちはみんな、校庭で盛り上がっている、そんな祭りの熱が冷めやらない夜。後夜祭こうやさいのにぎやかな声と群青ぐんじょうの空、そして超高速のギターがサウンドが青春の一ページをいろどった。ギュルギュルとフィルムを巻くような音が、この場の空気をあおる。

 だから、余計に嫌だった。恋とか熱い友情とか、そういうものは苦手だ。それに、優也のことは仲のいい友達だと思っていた。


「やめてよ。私、そういうの苦手なんだけど……冗談でしょ?」

「いや、本気。いいかげん察しろよ。鈍感どんかんすぎ。俺がなんの下心もなしに話しかけるわけないだろ」


 随分ずいぶん横暴おうぼうな言い方だ。すぐさま口の端を曲げて抗議した。


「なにそれ。そういう目的ならお断りなんだけど。へんたーい」

「はぁ?」


 みるみる真っ赤になった優也の顔を、ここぞとばかりに笑って冷やかしてやる。

 てっきり冗談だと思っていたから油断していた。手首をつかまれて、真剣な目を向ける彼に射抜いぬかれた。振りほどけなかった。動けなくなった。

 だから、口を動かすことにてっした。得意の毒舌でひるませれば、この状況から逃げられる。


「俺、本気だから」


 強い語気に感情が大きく揺れる。胸が熱くなって、かじかんだ指も一気に熱がまわっていく。

 一度に想起(そうき)したのは恋愛漫画の王道展開で、主人公の女の子が好きな相手から告白される物語。自分には無縁(むえん)な世界だと思っていた世界。

 でも、いまは紛れもなく涼香が主人公だった。その幸福感にときめく。

 優也と付き合う。それはきっと、明るい世界だ。

 時間差で認識し、顔がどんどん下へ落ちる。まともに優也の顔が見られない。この場から逃げ出したい。前髪があると目元を隠せるのに、あいにく昔から前髪は作らない主義である。


「……好きって、どこを?」


 好かれる理由がわからないから、つい試すように聞いてしまう。


「どこって、そんなの……」


 優也は口ごもった。目をつむって息を吐いて、彼も顔をうつむける。


「いや、その、好きなとこがないってわけじゃなくって。うまく言えねぇけど……あぁ、もう」


 しゃべると墓穴(ぼけつ)を掘ると思ったのだろう。優也は黙り込んだが、つかんだ腕は離さない。指の皮が厚くてしっかりした強さが彼の思いを語っていた。


「……こんな私でいいの?」

「うん」

「私、口悪いじゃん。すぐ叩くし、怒るし、冷たいし、優しくないよ」

「いい。それでもいい」

「えっ、寺坂ってドM?」

「バカ、違う」

「あはっ、違うんだー……」

「いまそんな話はどうでもいいだろ。話をそらすな」


 さすがに怒らせただろうか。でも、ふざけていないと緊張で顔が上げられない。


「だって。私、告白されたの、初めてで……」


 決断なんかすぐにできるわけがない。恋愛感情なんて、まだまだ育ってない。実感がない。浮かれるようでも気が滅入(めい)るようでもある。そうして感情を大きく揺り動かすと、自分の姿が滑稽(こっけい)に思えた。甘い空気がむずがゆい。

 次第に緊張していき、言葉もうまく出てこない。様子をうかがう優也の顔が近くなる。

 正直、彼はイケメンかと聞かれたらそうじゃないと思う。鼻も低いし、全体的に薄い。笑えばえくぼが目立つ口を、いまは真剣に引き結んでいる。

 それを見ていると、考えるのが面倒になった。

 たぶん、理屈はいらない。言葉なんていらない。好きだと言ってもらえるだけで嬉しくて、舞い上がっていく。気持ちが爆発してしまえば、あとはもう、どうとでもなればいい。


「——わかった」


 声は小さく、うまく伝わっているか不安になる。

 そっと彼の手を握ってみた。冷たくひんやりとした指先が触れると、優也はわずかに後ずさった。自分から言っておきながら、涼香の回答に驚いている。彼は震える声で聞いた。


「いいの?」

「いいよ」


 涼香もぎこちなく言った。

 (のど)干上(ひあ)がって、思うように声が出ない。心音がうるさくて、それは一体どちらのものかわからなかった。


「涼香」


 初めて彼から名前で呼ばれた。その瞬間、緊張はさらに高まっていき、必死に顔を隠すことでいっぱいいっぱいだった。


「……なに?」

「ギュって、していい?」


 そのお願いは、そう簡単に受け入れられるものじゃない。でも、彼のことを思うと感情が先走っていき、彼のためにもその願いは叶えたい。

 こくんと小さく頷くと、強い力で引っ張られた。身構えてなかった体がふわっと倒れこみ、それを優也が抱きとめる。中学生のころは同じ身長だったのに、とっくに差がつけられていて、涼香の体なんてすっぽり()まってしまう。


「ありがとう、涼香」


 視界は白。少し(かげ)る。汗くさい。でも、嫌なにおいじゃない。

 優也は広い手のひらで涼香の頭をなでた。その動きがぎこちなく、指先は震えていた。それを感じり、涼香はただただ優也のシャツに顔をうずめたままでいる。

 初めての感触に涼香自身も戸惑っていた。心臓の鼓動(こどう)が速い。緊張している。多分、お互いに。

 いま思えば、文化祭の終わりに告白するなんて優也らしくない。そういう気の利いたシチュエーションを彼が思いつくはずがなく、事実、こころが優也を焚きつけたおかげで仕上がったようなものだった。


 ***


 ダイジェストで振り返ったはじまりの淡く甘い日。今はもう過ぎ去ったあの日に逃避していると、陰気な声でこころが切り出した。


「……こんなことになるなんて、思わなかったよ」


 夕暮れのミギワ堂古書店は、蛍光灯の光よりも西陽(にしび)の主張が強い。

 こころはレジ台に座っており、読んでいた古本をパタンと閉じた。「逆巻(さかま)きの時空間」という小難しいタイトルの新書だ。


「あーあ。なんでこんなことになるかなぁー」


 そう言って、長いため息をつく。涼香は古い少女漫画を開いていた。男の子が女の子に告白して終わる。そのあとが知りたいのに先がない。しらける。不満に思いながら漫画を閉じた。


「なんでこころがショック受けてるの? 意味わかんないんだけど」

「だって、あたし、あのときすっごくがんばったんだよ? 寺坂くんと涼香がうまくいきますように!って、毎日神様にお祈りしてたのに!」

「うーわ、バカみたい。ていうか、神がいたとしても、私は見放されたわけだよねー。ウケる」

「ウケるな! んもう、涼香ったら!」


 あんまりふざけると今度はこころにまで見放されそうだ。

 でも、心はずっとモヤついていて、気分が悪い。無理に明るくすることもできないから、なにも言わずにしかめっ面のままでいる。すると、こころは取り繕うように言った。


「……一年の時ね、寺坂くんから相談を受けてから、二人をどうにかくっつけたいと思ったのよ。寺坂くんって、ああ見えてメンタル弱いから、あそこまでセッティングするの大変だったなぁ」

「そうそう。メンタル弱すぎなんだよ、あいつは。まぁ、別れの理由も優也のメンタルが持たないからっていう……夢と私が天秤にかけられてたわけ」


 自虐的(じぎゃくてき)な口はいたって軽々しく、無感情な言葉を吐いた。


「ま、私もかわいげがなかったし。とにかく、私には恋愛なんて最初から無理だったんだよねぇ」

「いやいや、二年も付き合ってて、なに言ってんだか」

「それこそ奇跡(きせき)だよ、キセキ。かわいいものが似合わない私に彼氏とか、ありえないから」

「ありえないとか言わないの。涼香だってかわいいんだから、自信持ちなよ」

「女子が言う『かわいい』って言葉ほど信用できないものはない」


 ここで()められても嬉しくない。それに「かわいい」という言葉に嫌悪(けんお)が走る。この複雑な気持ちをこころはわかってくれず、面白がって「かわいい」を連呼してきた。

 気をまぎらわそうと、本棚を物色したがどれもこれも古臭くて汚い本ばかりだ。おまけに分厚(ぶあつ)く、色褪せた背表紙はなんと書かれているのか読み取れない。

 ミギワ堂古書店はこころの祖父が営む店だ。駅から少し外れた場所に(のき)を並べる商店街の中腹に位置している。こころは文化祭前日だろうが、文化祭当日だろうが、学校から帰ったらすすんで店番をする。そんな親友を「いい子」だとは思うが、尊敬まではできなかった。

 店の中にまっすぐ差し込む夕陽が眩しい時間帯。ここはいつでもゆったりとしており、時間を無駄遣(むだづか)いできる場所なので、放課後から夕飯までの暇つぶしにはちょうどいい。


「……涼香ー、あんまり思いつめないでね?」


 こころが遠慮がちに言ってきた。そろそろ気を使わせるのも嫌になり、涼香はふわりと微笑を返す。


「うーん……私、そこまで深刻に考えてないけどねぇ」

「嘘だー! 彼氏と別れたばっかりなのに! て言うか、涼香はもっとちゃんと泣いて!」

「はぁ? なんで私が泣かなきゃいけないの? 失恋ごときで」


 実際、こんなことで感情を乱されるわけにはいかない。たかが失恋で、ショックを受けていたら受験まで身が持たない。


「そもそも受験前なのに、あいつと付き合うの大変だったんだから。めんどくさい連絡とかさ、デートとか話とか部活見に行くのとか。もうこれからは、そういうことしなくていいんだし。楽でいいじゃん。せいせいする」


 一息に言い、最後には「あっははー」と高笑いしてやる。しかし、こころは笑ってくれなかった。


「本当にそう思ってる?」

「しつこいなぁ。思ってるよ。なんで疑うの?」

「だって……最近の涼香、ちょっと変だよ」


 その言葉に、涼香は口角を上げたまま固まった。


「え?」


 胸の奥深くで、風船(ふうせん)がパンと割れたような気がする。それも大きな衝撃じゃなく、小さなもの。水風船がはじけたみたいな。途端に動揺が血管を走りぬける。


「無自覚だったの? それこそまずいよ。羽村さんと仲悪くなったり、文化祭の準備をサボったり、この間なんて勉強会もすっぽかしたし。いろいろ、余裕がないんじゃない?」


 こころはぽつりと静かに言う。涼香は言い返そうと口を開いた。でも、何を言えばいいかわからず、すぐに閉じる。


 ──なにも考えるな。いまは。


 心にふたをしてしまえば、あっさりとざわめきが止んだ。すぅっと息を吸い込んで、笑ってみせる。


「こころは心配しなくていいよ。ただでさえ、明日の文化祭で忙しいんだし。がんばってね、実行委員長」


 手を振って店を出ていこうとすると、こころが追いかけてきた。本棚をひっくり返す勢いで走ってくる。


「待って、涼香、ダメだよ! 自分の気持ちをごまかしたらダメ! あとあと後悔するんだから!」

「大丈夫だって言ってんでしょ。別にそこまで優也に入れこんでたわけじゃない」


 ——本当にそう思ってる?


 否定的な言葉を繰り出すと、暗い本音が顔をのぞかせた。じっと胸の奥底でこちらの様子をうかがっている。それはなんだか、こころの顔にも似ていた。

 (かたく)なに気を張っていたせいか、急に力が抜けていく。


「……私も、ちょっとよくわかんないんだ」


 答えを必死に探しても、どこにも見あたらない。悲しいとか、泣きたいとか、悔しいとか。そういう極端な感情がどこにもなく、ただただ虚しい。


「だから、泣けって言われても泣けないし。優也との思い出がきれいだったかと言われればそうじゃないし、むしろ喧嘩(けんか)ばっかりで未来が見えなかったし……軽い気持ちで付き合ってたんだよ、私は」


 またも飛び出す卑屈ひくつな言葉に、こころは言葉を失っており、顔をしかめてこちらを見ている。

 気まずい空気が境界線を引いていくように思え、涼香はこころの手を振り払った。

 すると、こころは寂しげにうな垂れた。


「わかったよ。涼香がそう言うんなら、あたしはもうなにも言わない」


 ──うん。そのほうが助かる。


 頭の中に浮かんだ言葉は口に出せず、涼香は逃げるように家路へ向かった。

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