第二十八話
「そういうわけで、一組のアイスをパンケーキに使う。この際、合同企画としてみんなで売り込もう。うちとしては、見た目も派手だし、けっこういけると思うんだよね」
涼香の提案に、優也はしぶい顔つきだった。しかし、明の必死な頼みを前にして、無下にはできないらしい。
やがて、彼は「はぁー」と長いため息を吐いた。
「わかったよ。売り上げとかそのへんは、俺がどうにか帳尻合わせるとして。なんとかしよう」
「ありがとう優也! この恩は一生忘れない!」
「大げさだなぁ……でもまぁ、いっか。いまのうちにお前に恩を売っとくのも悪くねぇ」
抱きつこうとする明を邪険に追い払い、優也はさっそく、クラスの男子生徒を引き連れて一組のクーラーボックスを取りに行った。
その様子を、こころは感心げに見ていた。いっぽう、羽村はわずかに顔をしかめている。郁音は例のごとく、この場にはいない。
教室の熱が下がっていくのは目に見えてわかった。
「ねぇ、大楠さん」
予想通り、羽村が疑心の目つきで近寄ってきた。
「ほんとにうまくいくの? なんか、余計な仕事が増えた気がするんですけどー」
「大丈夫。だって、パンケーキの上にアイスだよ? 豪華じゃん。これは確実に売れるね」
「なにその自信。リスクとか考えないわけ? しっかりしてよ、実行委員」
羽村の剣呑な言い方が、教室内の熱を急激に冷やした。それは羽村自身も気づいたようで、すぐさま涼香から目をそらす。しかし、彼女ももうあとに引けず、ふくれっ面のままだった。
こころを見やると、彼女が足を踏み出そうとした。瞬間、涼香は羽村の腕を引っ張った。
「羽村さん。ちょっと、話そうか」
「えっ?」
動揺する彼女を強引に引っ張って、廊下に出ていく。その後ろをこころが追いかけてきた。
「待って、涼香! 開会式始まっちゃうよ!」
「うん。でも、こっち優先。みんな、先に行ってて。あ、あと、寺坂にも言っといて」
唖然と口を開けるこころに手を振り、涼香は羽村を引き連れてトイレに走った。
***
「羽村さんってさ、どうしても私と対立することがあるよね」
トイレの奥で涼香は羽村と対峙した。校庭では文化祭開会式のために、生徒が集まっている。がやがやと賑やかなノイズが窓の隙間から侵入している。
「それって、私が寺坂と仲良くしてるから?」
確信めいた声音で問うと、羽村は怯えたように肩を震わせた。しかし、すぐに目尻をきつく持ち上げる。
「バレてたか」
悪びれる素振りを見せず、彼女は舌を出して意地悪に笑った。
「大楠さんも寺坂のこと、好きなんでしょ? 仲いいもんね」
「……バレてたか」
同じようにツンとした態度で言えば、羽村は口に手を当てて吹き出した。
「あーもう、最悪。文化祭始まる前に嫌なこと聞いちゃったー」
羽村は気だるそうにカーディガンのポケットに手をつっこんで、くるりと背を向けてしまった。
「でも、早めに知れてよかったよ。私、文化祭が終わったら寺坂に告白するつもりだったから」
羽村は背中越しに敗北の笑いを上げた。
「いや、マジでさぁ、最初から負け戦だったわけなんだけど……それでも、望みをかけてたの。でも勝ち目がない。もう、絶対に。一パーセントも望みがないってことよね」
涼香は後ろ手を組んで佇んでいた。彼女の失恋が、あの明の顔に重なっていく。重圧が背中にのしかかってくる。
羽村がちらりと振り返った。
「そんな顔しないでよ。もっとさぁ、こう、勝ち誇った顔でいてよ。でないと、大楠さんのこと悪者にできないでしょ」
悪者か。たしかに、ここまでは思い通りになるよう危機を回避している。試験の答案をカンニングしている気分だ。しかし、ここで逃げるわけにはいかない。後夜祭までに、すべてのことを片付けなくてはいけないのだ。
「……聞いてもいい?」
涼香は喉を引きつらせながら言った。
「もしも、私が鈍感で無自覚で、これから先も寺坂とのことを有耶無耶にしたら、怒る?」
「そりゃあ、いい気はしないよね。だって、寺坂は大楠さんのことが好きだもん。それを弄ぶのはムカつくし。大楠さんのこと、大嫌いになる」
きっぱりと言われ、涼香は身構えていた体をさらに強張らせた。
「じゃあ、こっちからも聞いていい?」
考えている間にも、羽村はせっついてきた。鋭く探るように聞く。
「どうして寺坂のことが好きなの?」
考える。どうして好きなのか。
思うようには出てこない。こみ上げる感情をなんと言い表せばいいのかわからない。でも、明の言葉を借りるなら、この感情にあてはまる言葉や理由はいらないと思う。
「あいつのことが全部好きだから、好きってだけだよ。そこに理屈や言葉はいらない。感情だけで突っ走ってる。そういうもんでしょ」
その答えに、羽村は小さく笑った。
「はぁ……やっぱ敵わないわー。もう、いいや。幸せになってよね。でないと、許さないから」
その約束は気軽にはできない。でも、彼女と衝突する道は完全に閉ざされたはずだ。
涼香は小さく笑った。羽村もニッと歯を見せて笑う。
「期待してるぞ、大楠」
わだかまった空気が、一瞬でくだけた。
「任せとけ、羽村」
——絶対に、無駄にはしないから。
願いをたくされると、やる気がみなぎった。強くうなずいてみせると、比例して羽村の顔が緩む。
『ただいまより——第四十三回——青浪高校文化祭を——開幕します!』
生徒会長の元気な声が窓越しに聞こえ、外が一段とにぎやかになった。開会式がもう始まってしまう。
「うわっ、最悪! 失恋してる間に始まってるじゃん!」
羽村は慌てて廊下に出た。涼香もその後ろを追いかける。派手に装飾が施された無人の廊下をバタバタと足音を鳴らし、二人で駆け抜ける。
『それでは、みなさん、せーの!』
掛け声とともに色とりどりの風船が空へ放たれた。昇降口を飛び出すと、すでに風船は生徒たちの手から離れていく。花火が上がるような、空気を伝う音が高い空を沸かす。
「あー! あーあ、残念。遅かったかぁ」
羽村が悔しそうに言った。その声がたくさんの拍手にかき消されてしまう。
「じゃ、がんばってねー」
そう言って、彼女は友人たちを探しに、ひと波の中へ消えた。
たちまち辺りは騒然となる。メイド服やきぐるみ、大きなマスコットキャラクターや手作りの衣装を見に付けた生徒、おそろいのTシャツを着たクラス、部活のユニフォーム姿でごった返した。
すると、グラウンド特設ステージで吹奏楽部の演奏が始まった。楽器が一斉に音を揃える。その大きな衝撃に、その場にいた生徒たちが歓声をあげた。中には踊りだす女子グループもいる。流行りの邦楽をアレンジした演奏だ。
「すーずーかー!」
ごった返す人波の中を、こころがかいくぐって走ってきた。三つ編みがわずかに崩れている。
「開会式、間に合った?」
「アウトだった」
「えぇーっ! んもう、せっかくきれいな開会式だったのにー!」
空へ昇っていく風船を見上げながら、こころは惜しむように絶叫した。がっくりと項垂れ、涼香の手を握る。そして、密やかに聞いた。
「羽村さんとは仲直りできた?」
心配だったに違いない。そんな彼女の頭を小突き、涼香はあっけらかんとうなずいた。
「うん」
「そっか。んじゃ、今日は全力で楽しんじゃおう!」
校舎へ戻って、お祭りムードの廊下を過ぎる。例えようのない愉快な気分。足は幾分軽やかだ。
教室のドアを開け放つと、スタンバイしているクラスメイトたちのはしゃいだ声が飛びこんでくる。陽気な圧迫感に怖気づくも、こころが後ろからポンと背中を押した。
「さぁ、文化祭だ!」