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上書きした世界で、また巡り会えたら  作者: 小谷杏子
第三章 ミント
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第二十四話

「どうして……」


 なぜ、こころがここにいるのか理解ができない。

 こころはバツが悪そうに涼香を見やるが、答える気はなく、まっすぐに明を見上げた。いままで見たことがないほどによどんだ目をしていた。


「ねぇ、杉野くん。どうして涼香が悪者になるの? おかしいよね?」


 詰問(きつもん)に明は唾を飲む。その隙を突こうと、こころはさらに詰め寄る。


「だって、杉野くんがどう思ってたか、涼香は知りようがないんだよ。それなのに、勝手に感情を押しつけてる。ひどいよ」

「こころ! そんな言い方しないで」


 思わず駆け寄って間に入るも、明とこころは互いに冷めた表情を突き合わせており、その空気を緩和(かんわ)させるほどの威力はなかった。


「大楠に告白して、ふられてこいって言ってきたお前がそれを言うの?」


 衝撃的な発言が明の口から繰り出された。こころの目が怯む。


「い、言い方ってものがあるよ。涼香のことが好きなら、優しく身を引くくらいの誠意を見せてよ。だって、今日言ったって、明日言ったって答えはおんなじなんだから」

「なんだよ、それ。僕はそこまで大人じゃないんだけど」

「ちょっと、二人とも! 話が見えないんだけど」


 聞き捨てならない言葉の数々につい口を挟んだ。いったい、二人の間でなにが起きているんだろう。止めに入るも、彼らの熱は冷めやらない。


「右輪ってさ、大楠のためなら手段を選ばないって感じだよね。大楠を中心に考えて、ほかのやつのことなんかどうでも良さそう」


 明の声には嘲笑が混ざっていた。

 彼の言い分が正しいのなら、こころはまたしても涼香の恋愛ごとに首を突っ込んで、あれこれと手を回していたということになる。そこまでの推察ができるようになって、涼香はおそるおそる口を開いた。


「なんでそんなことを……?」

「涼香のためだよ。それ以外に理由はない」


 こころはすぐに口走った。だが、その説明では涼香はおろか明だって納得はしない。


「大楠のためなら、他人を傷つけてもいいんだ? こうして聞き耳立てて監視してるんだろ。言っとくけど、お前に言われて告白したわけじゃないから。勘違いするなよ」


 普段、穏やかな彼にしては随分と荒っぽく、怒気を含んだ言い方だった。その口調に怯え、涼香もこころも肩を震わせた。こころの怯えようは尋常じゃなく、足元がぐらついている。

 それを認めてしまえば、明も諦めてため息を吐いた。こころを押しのけて校舎に戻る。


「明、もう一度話そう? こころもそんなつもりじゃなくって……」


 たまらずたしなめるも、言葉がうまく出てこない。明の(うる)んだ目が涼香を責めている。


「これで僕のこと、嫌いになっただろ?」


 返す言葉が見つからない。目を伏せると、彼はもう答えを待たずに階段を下りていった。

 同時に、こころがその場でしゃがみこむ。そんな彼女を、涼香はゆっくりと見下ろした。


「……説明して」


 声を震わせて唸ると、こころは気を抜くように頬を緩めて見上げた。


 ***


 濃い青の上に灰色の雲が伸びやかに線を描く。細い横縞(よこじま)の空模様が遠く彼方にあり、なんだか心まで遠のくように思えた。

 青は悲しい色だ。寂しさを増長させる。ギュルギュルと渦巻くギターサウンドのように腹の底が(うず)く。

 いらだちとも切なさとも違う、むしろスゥッと透き通っていた。胸に隙間風が通るような。のど飴の薄荷味のような。風で肺が()みるような。そんな冷感だ。

 くぼ商店街への道のりが長く、電線をたどりながらこころと歩いた。学校を出てからずっと互いに黙ったままだ。

 老舗(しにせ)文具店、仏具店、古着屋といった年季(ねんき)の入った茶色の外観が並ぶ中、古風で()びついたミギワ堂古書店が現れる。


「ただいま、おじいちゃん」


 帰ってくるなり奥のレジカウンターへ声をかけるこころ。すると、白猫の爪を切っていた祖父がメガネ越しにこちらを見た。


「おかえり」


 柔和(にゅうわ)なしわがほころぶ。それから、涼香の顔色をうかがうように、猫の前足を持った。


「涼香ちゃんも、おかえり」

「た、ただいま……?」


 反射的に言うと、こころの祖父はにっこり微笑んだ。


「おじいちゃん、あとはあたしがお店しめるからー」


 いつものようにレジ台へカバンを置き、祖父を追い立てる。「ぶにゃん」と猫の不満そうな鳴き声が遠ざかった。

 沈黙。古い蛍光灯が何度か点滅した。


「……涼香」


 じゅうぶんに空気が冷めると、ようやくこころの口が寂しく言った。


「ごめんね」


 この空気の重さがいたたまれない。涼香は古く黄ばんだ天井を見上げた。


「まずは、どうしてこんなことをしたのか、それを教えてよ」


 明の気持ちを踏みにじってまで、涼香と優也の交際を応援し続けていたその真意を知りたい。いや、答えはわかりきっている。


「私のためにってさ。そんな重いことを、なんでこころがやらなきゃいけないの?」


 彼女が黙るから、言葉と疑問がどんどんあふれた。歯止めが効かなくなる前に話してほしい。しかし、涼香の口はこころの沈黙を追い詰める。


「私が危なっかしいから? そんなに私のことを怪しんでたの? それとも、私が相談したから? こころにこの先のことを不安だって言ったから?」


 ——もしも、私のせいでこんなことになったのなら。


 それも、過去を変えてしまったせいで人間関係にゆがみが生じたのかもしれない。タイムパラドックスというやつだろうか。

 矛盾と言えば、全員が抱えている問題でもある。明も、優也も、涼香も。こころだけを責める権利なんかない。

 黙るこころを見ているうちに、ますます気が重くなった。自問自答で頭の中がうるさくなる。


「全部、私のせい?」

「それは違う!」


 突如、鋭い否定が店の中を駆け抜けた。

 驚きで目をしばたたかせると、こころは顔をうつむけた。ぼたぼたと涙が落ち、たちまち彼女は肩を震わせてしゃくりあげた。


「……涼香がダメにならないように、寺坂くんとうまくいくように、それだけを考えてたの。でも……あたし、杉野くんのこと、傷つけちゃった。バカなこと、しちゃった」


 息を飲んだ。こころの涙を間近で見ると、なにも考えられなくなった。

 こころがこの選択をしなければいけなかった世界をつくりだしたのは涼香自身だ。その罪悪感が一気に全身を駆けめぐる。


「一年のときに涼香に怒られて、それで()りたはずなのに。でも、涼香が困ってるなら、あたしはなにを犠牲にしてでも助けたいって思ってるから。だから、全然見えてなかった」


 あはは、と場にそぐわない笑いが涙とともに落ちる。


「こころ」


 なんて言えばいいんだろう。しかし、最適解なんかどこにもない。

 涼香は努めて優しく言った。


「私、やっぱりどうしてもわからないよ。こころがどうして私のことを助けてくれるのか、全然わかんない」


 こころの厚意は重い。彼女がそこまでする理由がわからない。

 優也に告白するよう仕向け、今日は明の気持ちをないがしろにして傷つけた。涼香に対する優しさと平等じゃない。

 こころは鼻をすすり、呆れて笑った。


「あたしもバカだけど、涼香も相当のバカよね」

「鈍感思考ですから」

「ほんとそれ。鈍感すぎて、心配だよ。本当に」


 こころは涙を袖で拭い、息を整えた。すっかりまつげが()れてしまい、涙の粒が残っていた。そして、わざと抑揚のない声で静かに語り出す。


「あたしはね、小さいころに両親が離婚して、それからずっと寂しいんだ」


 涼香は思わず、店の奥にある居間を盗み見た。祖父の姿は一切見えない。それになぜか安堵する。こころもゆっくり慎重に言った。


「胸にぽっかり穴が空いたみたいでさ。でも、ひとは失ったものがあると、そのぶん強くなれるんだって。そんな話をずっと信じてたんだけど、いつまで経っても(ふさ)がらないの」


 涼香は息を飲んだ。

 こころのこれまでに比べたら、失恋や友情の亀裂(きれつ)なんか些細なものだろう。同等だと思ったら厚かましい。


「でもね、それ以上に悲しいことはないのも事実で、自分の中のキャパシティが広くなったわけ。前に進まなきゃいけないから、楽しいことを見つけなきゃいけなかった。それでね、二年前に見つけたの」


 こころは柔らかに微笑んだ。涙に濡れた笑顔は、春の陽だまりのようにあたたかい。


「涼香があたしに話しかけてくれたから。それだけで救われた」


 その瞬間、涼香は記憶の海に潜りこんだ。

 制服が馴染(なじ)まない春のこと。中学時代の知り合いが何人かいるものの、教室の浮ついた空気が肌に合わないからベランダに出た。そこでばったり出くわしたのがこころだった。一人でしんみりと窓を眺める彼女に、ただ気まぐれに声をかけた。それが始まり。


「そんなこと、あったね」

「あ、忘れてたんでしょー? 涼香って、ほんとそういうとこあるからー」


 冷やかしの言葉を投げつけられる。こころも恥ずかしいらしく、照れ隠しに「いひひ」と奇妙な笑い声をあげた。


「まぁ、でも、あたしも自分で言うまで思い返しもしなかった。それくらい、毎日が楽しいの。涼香が困ってるなら助けたい。寺坂くんと杉野くんのことで涼香が悩む姿を見てられなくて……なにやってんだろうね、あたし」


 しんみりと寂しさをにじませるから、それに合わせて押し黙る。もう何度も言葉を思いついては打ち消している。


「でもまぁ、それがあたしの本性ってやつなのかな。ヒーロー気取りで浅はかで矛盾だらけで、子どもっぽくて。なにが青春哲学よ。バカみたい」

「それを言うなら、私もそうだよ。全然、自分のことがわからない。見えてない」


 いつでもどこか迷いがあったのは、喪失を体感したからなんだろう。

 こころの秘密を知ったいま、涼香も激情に駆られた。自分の奥底に秘めていた、自分でも見えていなかったものが急に(よみがえ)る。


「この間、聞いてきたでしょ。どうして『かわいい』が苦手なのかって。それを思い出したよ」


 こころに比べたらやはり、はるかに小さなものであって、同等に並べるのがおこがましい。それでも、彼女が言うキャパシティというものの大きさに個人差があるのなら、この古傷(ふるきず)が基準だろう。


「私ね、小学生のころ、同級生の女の子に言われたんだ。『大楠さんにピンク色は似合わない』って。ただのやっかみなんだろうけど、それでも、そこから私は、自分を飾るのが苦手になった」


 女の子の代名詞(だいめいし)みたいなフリルやピンクが好きだった。いまでもファンシーなぬいぐるみのコインケースを隠し持っている。甘いものが好きで、一年生の文化祭でつくったパンケーキ屋は自分の中に秘めていた『かわいいもの』の寄せ集めだった。

 閉じ込めて隠しても、無意識に羨望(せんぼう)していた。そうしてねじれたら、戻れなくなった。彼氏ができても、どこか冷めた不感症(ふかんしょう)でいつづけた。

 だから、うまくいかないんだろう。

 そんな自己分析を終えると、目尻が少しだけ湿った。


「気づけただけでもいいじゃん」


 こころの声に熱が入る。それを直視したら、涙がこぼれそうで慌てて天井を見上げた。

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