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上書きした世界で、また巡り会えたら  作者: 小谷杏子
第三章 ミント
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第二十二話

「え……? え、待って、郁ちゃんって若部のことが好きだったの?」


 まずはその確認から入らなくては話がわからない。

 こちらの挙動不審を見て、郁音は「あ」と口をぽっかり開けて驚いた。


「そうそう、そうなんだよ。知らなかったよね」

「知らないよ。全然知らなかった!」

「うん。私もだれにも言ってなかったし。夏くらいにね、見ちゃったんだよ。雫が後輩の女の子と歩いてるの」

「うわー……」


 なんと言えばいいかわからず、間抜けな相づちしかできない。それでも郁音は話してくれた。いや、話したがっているようだった。あっけらかんとしているが、言葉の端々に寂しさを漂わせている。


「ま、うちは部内恋愛禁止だから、どっちにしろ叶わぬ恋だったわけ。私の初恋、さよーならって感じで高校生活が終わるんだ」

「待ってよ。そんな重たい話聞かされたあとに、あの二人を交えて生バンド聴かされるの? 私、どういう顔して聴いたらいいのよ」


 励ましの言葉なんて出てこず、おどけた調子になってしまう自分がたまらなく嫌だった。それでも郁音は絶えず笑ってくれる。


「正論だわ。ほんとごめん」

「そんなんで、よくここまで続けられたね」

「まーね。バンド自体は好きだし、雫にもバレてるし。もう過去の話だよ」


 その割には、まだまだ傷は()えていないようだ。

 失恋の痛みは、涼香も身をもって経験している。だから、言葉を選んでしまう。そして、結局なにも言えずにいることを選ぶ。

 そうこうしているうちに、郁音が自嘲気味に言った。


「なんで私もこんな話しちゃったんだろ。あ、もしかすると涼香が無神経に『成功者』って言ったからかな」


 その言葉自体が無神経にも思えるが、涼香はなにも言わなかった。お互い様だ。

 まったく、言葉というのは難しい。不用意に言うべきじゃなかったと反省するも、そうすると気軽に話をするのが怖くなってくる。途方もなく面倒に思え、きれいな言葉を考えることを早々に諦めた。

 郁音も悪気があって言ったわけではない。彼女の口は粘着質なものはなく、どちらかというとサバサバしていた。その口が鋭く切りこんでくる。


「なんだっけ、タイムリープ? って言ってたよね」

「え? あ、あぁ、うん……いや、違う」


 慌てて訂正しても遅い。いまや隙だらけの涼香を郁音は面白がっている。


「あれでしょ、過去に戻ったり未来に行ったりするやつ。そういうの、いいよね。過去に戻れたらつらい道をたどらないようにしたらいいし、未来を見ることができたら幸せルートだけをたどっていけばいい。早くタイムマシンが開発されたらいいのに」


 過去に戻れたら、軌道修正する。それは自分にとって得な道。

 未来に行けたら、危機回避する。それも自分にとって得な道。

 過去に戻って軌道修正した自分の道は——思考に引っ張られかけ、涼香はすぐさま頭を振った。

 正しい。そのはず。だって、いまこの場所は願ったとおりの現実なのだから。


「あーでも、ちょっとずるいかも」


 郁音の考えはすぐに切り替わった。その早さに追いつけず、涼香は「え?」とまたも間抜けに聞き返す。


「だって、ほかのひとの人生まで(くる)わせちゃうかもしれないリスクがあるのに、自分だけ得な道を選ぶって、都合よすぎるよ」


 郁音の言葉は悪気がない。いつだってそうだ。

 でも、彼女の言葉を借りるなら、どこまでも無神経に思えた。そしてまた、自分の考えも無神経だと思えた。


「よー! 郁音! 練習しよーぜ!」


 元気よく現れたのはBreeZeのリーダー、麟。その後ろから眠たそうな顔をした雫が顔をのぞかせた。


「あれ? お客さんがいる」

「おぉー! 大楠じゃん! 久しぶりー!」


 麟の元気な声に驚いて、それまでの鬱がパーンとはじけ飛んだ。


「なになに? どうしたの? っていうか、関係者以外立ち入り禁止ですけど?」

「え? そうなの? なんか、ごめん」


 しかし、郁音が連れこんだのだ。謝る義理はなかった。

 まじまじとこちらを物珍しげに見る二人の視線から逃げようと、涼香は郁音の方へ近寄った。しかし、郁音は反発するように背中を押してくる。


「涼香が恩返ししろって言うから、ちょっとだけ練習見せてやってくれない?」


 なぜか、こちらがねだったような言い方だ。すぐに振り返ると、郁音はやはり面白がっているようで、意地悪に口の端をめくった。


「恩返し……あぁ、もしかして、バンド解散危機を救ったから?」


 思い当たったのか雫が言う。すると、麟が合点したように手を打った。


「なるほど! バンド解散危機を救った女神様だからなぁ。それなら、しょうがないかー」


 不遜(ふそん)に言いつつ、麟は嬉しげな表情を隠せない。雫もにっこり微笑んでいる。戸惑っていると、郁音がこっそりと耳打ちしてきた。


「この二人、実は涼香に会いたがってたんだよ」

「えっ、そうなの?」


 意外な情報に驚く。郁音はやはり面白がるようにクスクスと笑った。その愉快な声が耳をくすぐる。

 過去を変えたことは重罪かもしれない。でも、こうしてだれかの危機を救っている。まぎれもない事実だ。


「じゃあ、大楠のために一発どかーんと派手にやりますか」


 麟は飛び跳ねるように部室へ入ると、さっそくギターケースから自前のエレキギターを取った。アンプを挿して音を合わせる。雫も無口ながら楽しそうで、カバンからスティックを取った。


「ほら、早くー」


 郁音は準備万端だ。二人を急かす様子は、失恋の痛みなどどこにもない。そんな彼女を素直に尊敬した。

 雫がようやくドラムの中に収まったと同時に、麟が気取った口調で言った。


「どうも、『BreeZe』です。二年前の解散危機を救った大楠さんに愛を込めて。新曲『ミント』を聞いてください」


 瞬間、全員の顔が無になる。微細な気が満ちて数秒後、心臓を打つようなドラムが派手に音を奏でた。

 三人の息が合う。三つの派手な音が震え、窓ガラスが(きし)んだ。

 全身を震わす音の(うず)が、学校中に響かないはずがない。ぐるぐるとスピンするギターサウンド。リズミカルなドラム。ずっしりと重厚感のあるベースの三重奏が一度に溢れる。

 すると、唐突に青筋を立てた男子生徒が引き戸を開け放った。


「急にライブやるなんて聞いてないぞ!」


 音楽室の真下に位置する生徒会室から、生徒会長が肩をいからせて怒鳴りこんでくるのは明白である。会長の登場が、爽やかな爆音を止めた。


「あぁ、ごめんごめん。リハやるって言うの忘れてた」


 率先して会長をなだめるのは、意外にも雫だった。長身の彼が出向けば、誰でも気圧されてしまうようだった。


「ごめんねー、会長」

「練習するときは事前連絡! いつも言ってるだろ! 俺の頭痛がひどくなる!」


 全員で申し訳なく会釈すると、会長は肩を落としてため息を吐いた。疲れた顔で帰っていく。

 その様子をうかがいながら、雫が言った。ドアを閉める。


「……あいつも大変だよなぁ。文化祭の予算調整、溜まってるらしいぜ。文化祭、明日なのに」

「そうなんだ。大変だなー」


 邪魔が入ったことに、麟は残念そうに頭を掻いた。


「それならしょうがないか」


 郁音も肩にかけていたベースを外す。


「でも、一番楽しみにしてるのは会長なんだ。それくらい、俺たちは信頼されてんだよ。なぁ?」


 得意げに言う麟。雫も肩を震わせて笑う。

 二年前はいがみ合っていたこの二人が、すっかり仲良く肩を並べているものだから、涼香はたちまちくすぐったくなった。口元に手を当てて吹き出す。

 このバンドはサービス精神が旺盛(おうせい)だ。そこまでのもてなしをしてくれなくても良かったのに。


「明日のライブ、楽しみにしとけ」


 部室を出る間際、三人が涼香を見送ってくれた。自信に満ち溢れた麟を見ているとなんだか励まされる。渦巻くような彼のギターソロは確かに圧巻(あっかん)で、わずかな演奏でもエネルギーをもらえた。


「ありがとな、大楠。寺坂にもよろしく言っといて」


 なんの前触れもなく、雫が穏やかに言う。青いピアスが光り、どことなく危なげなにおいを漂わす彼だが、(ふところ)の深さを知ると確かに郁音が()れるのもわかる気がした。


「羽村ちゃんによろしくー」


 郁音も手を振って見送ってくれる。それに応えて手を振り返し、涼香はポニーテールをひるがえした。

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