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上書きした世界で、また巡り会えたら  作者: 小谷杏子
第三章 ミント
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第二十一話

 小説以外の本を読むと言ったら教科書くらいだ。古本なんてミギワ堂古書店でしか触れたことがない。

 帰宅してすぐ学習机に向かう。問題集よりも先に「逆巻きの時空間」を開いた。こころから借りた汚い古本は、挿絵(さしえ)が一切ない学問書。

「時間と空間の変化」「アインシュタインの相対性理論」「時間の遅れ、ウラシマ効果とは」「多世界解釈への解釈」「タイムパラドックスの穴」などなど興味は()かれるものの読みこむには難しく、すぐに飽きてしまう。ざっと(なな)め読みし、すぐに本を閉じた。スマートフォンを取る。

 手っ取り早く、インターネットで「タイムリープ」と調べる。すると、時間旅行を題材とした映画、小説、アニメなどが並んだ。スクロールしながら、視聴したことがある映画を思い出す。その中に、ミギワ堂古書店で読んでいた漫画も検索結果におどり出た。

 タイムリープとは、通常の時間(現在)から過去や未来へ移動すること。タイムトラベルやタイムスリップなど、呼称や手段は様々だ。

 時間遡行(そこう)装置タイムマシンを用いた方法、超常的な能力などが要因のもの。または、不測の事態によるもの、思いがけない事故などが要因のもの。

 涼香の場合は後者に当てはまりそうだ。タイムリープは不特定多数の現象なのかもしれない。とは言え、これはどうも創作の世界に通じる舞台設定のようだが。

 しかし、二回目の世界で、こころがタイムリープは「できる」と言っていた。思えば結局、あの答え合わせができていない。


「んー……」


 涼香は「さかさ時計のおまじない」と検索してみた。すると、トップに長いタイトルの記事が出てきた。


『タイムリープが体験できる!? さかさ時計のおまじないの方法と条件』


 URLをタップすると、薄紫の背景にシンプルな白抜き文字が等間隔に記されていた。



【さかさ時計のおまじない方法】

 ①人生で一番幸福な瞬間を思い浮かべる

 ②北極星を軸に反回転する

 ③三回深呼吸をする


【さかさ時計のおまじない条件】

 ①必ずひとりで行うこと

 ②午前〇時に行うこと

 ③憂鬱であること



「あれ?」


 ざっとスクロールしていくと、下にも細かな条件が記されていた。知らない情報がいまここで明らかになるとは思いもせず、しかし深く考えてみれば、こころからの情報を鵜呑(うの)みにしていたのが間違いだったと改める。

 涼香は最後の文言をまじまじと見つめた。


「〝憂鬱であること〟ねぇ……」


 ——まぁ、条件は満たしていたわけだ。


 あまりいい気分ではないが、すとんと()に落ちる。

 涼香はスマートフォンを置き、靴下のままでベッドに上がった。一度目も二度目もベッドの上でおまじないを試してみた。時間に差はあったものの、二回もタイムリープを経験しているので、やけに確信がある。

 なんとなく目をつむり、幸福な瞬間を思い浮かべた。上書きした告白のシーンは、いまや三つのパターンがある。そのどれもが幸福そのもので、一番なんて選べない。

 左足を軸にくるりと左へ回ってみる。北極星を調べるのを忘れていたが、家の中だから確かめようがない。全身が壁を向いたが、なんとなく目をつむったままでいる。

 それから、三度の深呼吸。ゆっくり、息を吸って——吐いて。吸って、吐いて。もう一度吸って、吐き出す。

 涼香はおそるおそる目を開けた。視界は白い壁だけ。急いでスマートフォンを見るも、時間が戻っている形跡はない。また、進んでいる節もない。


「まぁ、条件無視しちゃってるしなぁ……明日、朝起きて一年の文化祭に戻ってたら確定かな」


 もし、戻っていたら優也の夢を応援したい。そのためには、彼に不安を与えないように振る舞うしかない。

 まさか過去改変が他人の人生を変えてしまうなんて思いもしなかった。些細なことだと軽く考えていたから、その重みがどんどんあとを追いかけてくる。

 涼香はベッドに座りこんだ。


「私、とんでもないことをしてるかもしれない。いや、でも、それでも……」


 それでも、優也と一緒にいたい。自覚した恋心をおいそれと手放したくはない。知ってしまった感覚を捨てきれない。

 こころも明も応援してくれていた。優也もそうなるように望んでいる。この選択は正解ではないが、間違いではないと強く思う。


「涼香ー? 帰ってるのー? ご飯できてるんですけどー」


 階下から母ののんびりした声が轟いた。


「はーい」


 制服のリボンを取り、タンスの中からゆるいセーターとサルエルパンツを適当につかむ。窮屈なスカートとシャツを脱ぎ捨てて部屋を出た。ファミレスで冷麺を食べたはずなのに、腹の隙間はまだ空いているらしい。


 ***


 放課後の準備時間は十八時までと決まっている。現在、十七時三十分。気分転換なんかしている暇はなく、教室は明日の準備に追われていた。

 廊下にはドタバタと走り回る一年生。妙な被り物を作ってはしゃいでいる二年生。三年生のフロアは人がまばらで、受験勉強の息抜きがてら、作業に勤しんでいる。

 科学室からは小麦粉と砂糖の甘い匂いが漂い、家庭科室からはポップコーンの香ばしい音がはじけ、美術室からはなぜかトンカチを叩く音がガンガン鳴り響き、放送室からは機材が運び出されていた。階段を降りるたびに音が変わっていく。

 涼香は羽村からのお願いで、生徒会室へ追加の材料費申請書を持っていこうと階段を上っていた。

 文化祭前日ともなれば、準備がいよいよ終盤となったものの、優也は教室にいることが減っていた。かつては文化祭実行委員としてクラスを引っ張ってきたのに、見る影もなくよそよそしい。そんな彼を目の当たりにするのは、やはりつらいものがある。

 結局、タイムリープはできなかった。そもそも条件が合わないから、できるわけがなく、涼香はなにもできないまま文化祭までの時間を過ごしていた。

 タイムリープの相談は誰にもできない。非現実的な超常現象を突然に告白することは、涼香の中にあるありったけの勇気を振り絞っても形には到底及ばなかった。


「まぁ、こころだったら『タイムリープしたんだー』って言えば、すんなり信じてくれそうな気がするけど……」

「タイムリープ? なにそれ?」


 背後から声をかけられる。振り返ると、そこにはピンと毛先がはねたショートヘアの女子生徒、郁音が階段を追い越していった。


「よう、涼香」


 郁音はニカッと歯を見せて笑い、背負ったギターケースをかけ直して踊り場で涼香を待つ。追いかけると、彼女は楽しそうに言った。


(めずら)しいとこで会うね。あ、生徒会に行くの?」

「うん。羽村に頼まれてさ」


 申請書をひらひら振って気だるく言う。


「あーね。二組は脱出ゲームだっけ? 大変そうだね」

「まーね。受験で大変なんだから、五組と六組みたいに合同にしたらいいのに」

「わかる。うちのクラスも、たこ焼き屋やるんだけどさ、ロシアンたこ焼きとか手間がかかるのなんのって」

「でも、郁ちゃんはバンドで忙しいんでしょ?」

「うん。結局、三年間バンド漬けだった。楽しいからいいんだけどね。でも、一度でもいいから、クラスの子たちとワイワイやってみたかったなーなんて」


 それはなんだか贅沢な悩みだ。と言うのも、BreeZeはいまや校内の名物バンドとして人気を博している。

 生徒会室への道すがら、涼香は冷やかしたっぷりに郁音のギターケースに触れた。


「なーんか、成功者の余裕って感じでうらやましいな」

「成功者? 私が?」


 なんと、郁音は自覚がないらしい。そんな彼女の背中を軽く押すも、どうにも釈然としない顔を向けられた。


「だって、大人気じゃん。平凡な私なんかじゃ、絶対に手の届かない場所に行っちゃってさ、さみしいわー」

「ファン第一号だもんね」


 郁音はくすぐったそうに笑った。


「涼香の言葉がなかったら、とっくに解散してたバンドだし。ありがたく思ってるよ」

「ほんとかなー? その割には恩恵(おんけい)があんまりない気がする」


 ついふざけて言ってみると、郁音は肩をすくめた。


「じゃあ、その恩を返すとしましょうかね」

「え!? 冗談で言っただけなのに」


 まさか本気で捉えられるとは思わなかった。そんな涼香の手を引っ張って、郁音はもうワンフロア駆け上がる。生徒会室は四階で、音楽室は五階。どうやら部室である準備室に向かっている。

 音楽準備室のドアを開ける。しかし、そこはからっぽで、他の二人がいない。


「ありゃ、私が一番乗りだったか……」


 呆気にとられて笑う郁音。涼香は困惑しつつ、つられて笑った。


「せっかく生ライブしようと思ったのに」

「じゃあ、二人が来るまで待つよ」


 ここまで来た手前、引き返すのは惜しい。

 郁音は機嫌よく、涼香を部室に引っ張りこんだ。ギターケースを開き、自前の赤いシックなベースギターを出す。さっそくチューニングを始める郁音を見ていると、やっぱり彼女は成功者のように見えた。その考えが伝播(でんぱ)したのか、弦をつまみながら郁音が言った。


「私から言わせてもらえば、涼香のほうが成功してると思うんだよね」


 ジィィィンと、軽い音。だんだんと重たくなって、胸を穿(うが)つようにグゥゥンと低くなる。


「私が? どういうこと?」

「だって、寺坂と仲良いじゃん。うちのクラスの杉野がさぁ、うらやましがってるんだよ。それくらい評判は聞いてるよ」


 こんなところで、こちらの恋愛事情を聞かされるとは思わなかった。しかも、よりによって明の名前が出てくるとは。複雑な心境でいると、郁音の意地悪そうな笑い声が聞こえた。


「いやぁ、順調そうでよかったよ。彼氏とうまくいってて、クラスでも浮いてなくて、順調に青春やってる感じがうらやましい」


 だんだんと郁音の声が低くなる。怪訝に思い、涼香は顔をあげた。郁音の伏し目がちな表情が、どこか大人びた憂いを持つ。ベースギターは安定してきたのに、比例するかのように彼女の顔は暗い。


「なんかあった?」


 いくら鈍感な涼香でも、友達の表情を読むことはできる。

 郁音は口の端を横に持ち上げて、無理に笑った。


「私、雫にふられちゃったんだよねー」


 思いもよらない失恋話が飛び出し、すぐさま心が怯んだ。

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