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上書きした世界で、また巡り会えたら  作者: 小谷杏子
第三章 ミント
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第十八話

 秋は甘くふくよかで、世界が色めいていた。冬は寒さから逃れようと、互いの距離が縮んだ。平凡に平穏に日常は過ぎていく。しかし、衝突というカップルにありがちな倦怠期が続き、気だるくて不穏な日と、優しくて甘い日が交互に訪れる。そんな生活。当たり前に続いた日常を繰り返す。

 記憶のフィルムが急速に回転し、その終着点で景色はマーブルを描いた。知っている世界とはまるきり違う景色が浮かび上がる。観測地点がすべて真逆に切り替わっていく。

 この選択は間違いじゃないだろう。そう信じたい。


 ***


「──おい、涼香」


 優也が声をかけるまで、意識は遠くにあった。目の前に立つ彼の威圧に驚く。


「うわ」

「プリント、真っ白じゃん。三年の大事な時期になにやってんだよ」


 授業が終わったあとだった。黒板はすでに日直が授業内容を消し去っている。日付は十月二十日。デッドラインのその日。

 しかし、優也から別れを切り出されるような前兆(ぜんちょう)は一切ない。


「勉強会、今日やるんだろ。右輪と。なにぼけーっとしてんだよ」


 頭を小突かれる。涼香は顔を上げて、曖昧に笑った。いまだ、思考はふわふわとおぼつかない。なんだか長い夢を見ていたようだ。

 これに、優也も不安な表情を浮かべた。


「どうした? 具合でも悪い?」

「ううん。大丈夫」

「お前は大丈夫じゃなくても、大丈夫って嘘つくからな。信用できねぇ」


 辛辣な言い方がダイレクトに突き刺さる。涼香は顔をうつむけた。すると、憂鬱を感知するこころがすっ飛んできた。


「ちょっと、寺坂くん! 涼香をいじめないでよ!」


 こころの噛みつきに、優也が大きくのけぞる。


「ひと聞き悪いな。いじめてねぇし」

「口悪いんだから、もうちょっと自重(じちょう)してよね! ねー、涼香」

「そうだよ。私だって傷つくことくらいあるんですからねー」


 ようやく、いつもの調子でおどけてみせる。優也は呆れたように「はいはい」と言って、涼香のカバンを取った。


「じゃ、駅前のファミレスな。先に行ってるから。がんばって、実行委員」

「はーい。んじゃ、あとでねー」


 優也が涼香の腕を引っ張る。そんなふたりをこころが大きく手を振って見送った。


 ***


 優也との別れは回避できた。しかし記憶の矛盾はとくになく、ただ一年の文化祭だけが鮮明に色を変えている。些細だったはずの時間が極端にずれているので、脳内には記憶のフィルムが幾重(いくえ)にも並んでいるようだった。タイムリープの影響だろうか。

 涼香はひとり満足して、優也の背中を追いかけた。


「あ、優也」

「ん?」

「明は? 勉強会なら明も誘えばいいのに」


 無邪気に聞いてみる。すると、優也の足がとたんに速くなった。

 そして、彼は冷ややかに言った。


「あいつは絶対に誘わねぇ」


 不機嫌たっぷりな低音が、わずかに怒りを見せる。それだけで、空気がピリリと窮屈(きゅうくつ)になった。



 青浪高校を出て、くぼ商店街を抜けた先に大きく横長の久保(くぼ)駅がある。駅前は黒を基調としたレンガ造りの店や、ご当地カラーに合わせたチェーン店までが勢揃い。その一角にあるファミリーレストランへ二人で向かった。ここは学生が勉強会でよく使うので、混雑しない時間帯は店側も(こころよ)く迎えてくれる。

 涼香と優也は店の中央のソファ席へ通された。店員にドリンクバーを注文し、優也が率先して飲み物を取りに行く。涼香はソファにもたれて、ぼんやりとその様子を眺めていた。

 どうやら、彼はさっき見せた怒りが冷めているらしい。戻ってくると、早速カバンからプリントと問題集を出した。涼香もならい、解き損ねたプリントを引っ張り出す。

 傍目(はため)には、二年も付き合っている恋人同士という空気は欠片(かけら)もないだろう。「熟年夫婦」と言われるのも慣れている。それくらい、二人の距離は自然なものだった。

 しかし、問題を解くほどの集中力が続かなかった。優也と別れる世界はもう払拭できたというのに、どうにも違和感がある。そもそも、彼は大学の推薦入試を受けるはずだ。この時期にはすでに、一次試験まで突破している。

 涼香は優也に持ってきてもらったジンジャーエールを飲んだ。とくに頼まないメニューを開いて閉じて、天井を仰ぐ。


「涼香ー、集中しろー」


 彼は顔も上げずに注意してきた。その仕草が癪に障る。わざとシャープペンを転がして、彼の気を引いてみた。


「凉香」

「ふふっ」

「おい」

「ごめん」


 顔を(おお)って笑いを堪える。

 すると、優也が長く息を吐いた。問題集をパタンと閉じる音がし、涼香は指の隙間から様子をうかがった。

 大学入試対策問題集の学校名に目が釘付(くぎづ)けになる。地元の大学名である「()()大学」という文字が書かれてあった。涼香が志望する大学だ。

 それだけで、この世界の軸を悟った。彼は、夢を諦めている。


「ちょっと待って。優也、私と同じ大学に行くの?」


 思わず聞くと、優也の手が止まった。顔を上げ、呆れたように涼香を見る。


「なんだよ、いまさら。それはもうとっくに決めたことだろ」


 アイスコーヒーのストローを音を立てて飲む彼は、眉を不機嫌につり上げた。怯むわけにはいかず、涼香は前のめりになった。


「だって、バスケは? プロになるって言ってたじゃん。推薦は?」

「はぁ? 俺がプロになれるわけがないだろ。それに、明のほうが推薦に向いてたし」

「いやいや、でもさ」

「はい、この話は終わり」


 会話の終了を宣言し、優也はグラスをテーブルに置いた。コトンと立てた音が機嫌の悪さを表している。

 問題に目を移すも、シャープペンを転がしてもてあそぶ。そんな涼香を無視し、優也は英語の問題集を引っ張り出した。淡々と文章問題をこなしていく。その手を見ながら、涼香はどんよりと言った。


「私が原因でやめちゃうの? バスケ、あんなに好きだったくせに」

「……しつこい」

「好きなことまで我慢(がまん)することないでしょ。そりゃ、私のせいかもしれないけど」

「涼香」

「ひとりごとなんで、気にしないでくださーい」


 ふてくされると、優也は観念したようにシャープペンを置いた。ソファにもたれ、涼香をじっと見つめる。


「好きなことよりも、涼香を優先したい。それが俺のいまの気持ちだから……言わせんな、バカ」


 面と向かって言われると、顔に熱がこみ上げる。頬が紅潮(こうちょう)し、それでも場にそぐわないと思ったので気持ちを(しず)めることに専念した。


「そう、ですか」

「そうなんです。だから、もう二度と『私のせい』って言うなよ。次言ったら怒る」

「明と仲直りしてくれたら、二度と言わない」

「はぁ? それは絶対に嫌だ。意味わかんねぇよ」


 滑り込みの言葉はあえなく却下(きゃっか)された。あんまりしつこいと喧嘩になりそうだが、ここで折れるわけにもいかない。またもや、ひとりごとのようにつぶやいてみる。


「あーあ。やっぱり喧嘩してるんだ」

「恋愛と進学だけでも手一杯なのに、ほかのヤツのことなんて気にしてられねぇよ。俺は涼香さえいてくれればいい」

「えぇ……?」


 こみ上げた熱が一気に冷めた。本来なら、喜ぶ場面だ。しかし、優也のその甘ったるさが奇妙に思えた。優也が真剣に思ってくれるほど、その感情が重いものになっていく。

 彼の足を引っ張ることはしたくない。それに、もし大学進学できたとして、ずっと一緒にいられるという保証はないのに──どうしてか先のことを考えてしまう。いま目の前のことに集中すればいいのに。素直になれたらいいのに。でも、一度抱いた違和感が邪魔をしてしまう。結局、いまの彼とは未来が見えない。

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