第十七話
優也に強制的な告白を持ちかけた犯人は、教室でのんびりとパンケーキを焼いていた。
教室に戻ってくるなり、彼女はすぐに反応する。ふわふわの三つ編みを揺らして駆け寄ってきた。
「おかえりー! あれ? 寺坂くんも一緒なの?」
釈然とせずも、人懐っこい笑顔で二人を出迎える。
「こころ、話があるんだけど」
涼香は深刻な顔で、こころを廊下に引きずり込んだ。バランスを崩しつつも笑顔を絶やすことはなく、こころはなにやら期待に満ちた目をした。
「どうしたの?」
「いろいろとはっきりしないといけないことがあるからね」
涼香はわずかに声のトーンを落とした。それを優也がなだめようと、涼香のカーディガンを引っ張るが、構わずビシッと人差し指を彼女の胸に突きつけた。
「こころ、私を騙してるよね?」
「え? な、なんのことかなー?」
鋭く言い放っても、こころは白々しく口の端を横に伸ばすだけだった。
「とぼけないで。あんたが寺坂に告白を仕向けたってことは、とっくにバレてるの」
「おい、大楠。その言い方はないだろ」
優也はこちらの友情を壊すまいと必死だった。おろおろする彼を振り切り、涼香はこころに詰め寄る。
いっぽう、こころもようやく笑顔を崩した。そして、責めるように優也を見る。
「……寺坂くん、ほんとダメなんだから。下手くそ」
「ごめん」
「寺坂は悪くないでしょ」
すぐにかばうと、優也は頭を掻いた。
「えーっと、じゃあなに? 涼香は怒ってるの? あたしが寺坂くんと涼香をつき合わせようとしてるの、そんなに嫌だった?」
どうにも悪びれない彼女の言い方に、涼香は呆れのため息を吐いた。
「まぁ、ちょっとは怒ってるんだけどさ。こういうやり方、私はあんまり好きじゃない」
「あー……うーん。そっかぁ」
こころは、気まずそうに目を伏せた。そして、若干の不満を見せつつ優也を見る。
「まさか涼香に怒られるとは思わなかったよ。ごめんね、寺坂くん」
「いや……」
優也は歯切れ悪く唸った。まったく、嘘がつけない性格というのは損だと思う。
涼香はたしなめるように優也の袖をつまんだ。こうなったらもうネタばらしをしよう。
「あのね、さっき寺坂に告白したの」
さらりと真顔で告げた。案の定、こころは間髪を容れずに目を驚かせた。
「へ?」
「だから、この話はもうおしまい。いろいろと気を使わせてごめんね」
目元を緩めて笑うと、こころは放心したように動かなくなった。ぼうっと目が虚ろだ。
「こころ? 大丈夫?」
慌てて目の前で手を振ると、こころはハッと我に返った。そして、唇をわなわな震わせた。次の瞬間には、涼香の首へ腕を回す。
「おめでとう!」
勢いよく飛び込まれ、涼香はバランスを崩した。壁に激突する。それを優也が助けようと手を伸ばしたが遅い。だが、こころは気にもとめずに涼香をぎゅっと強く抱きしめた。
「やったぁ! 涼香、おめでとう!」
「あ、ありがと、こころ……」
「寺坂くんもおめでとう! やったね!」
すぐさま起き上がり、こころは優也の足を叩いた。その攻撃に優也は照れくさそうに受け取る。
「右輪のおかげだよ」
当事者よりも安心して喜ぶこころの目尻には、うっすらと涙が浮かんでいた。
***
濃い青空と、西に向かう夕陽の色がやけにきれいだった。青とオレンジの隙間に緑と黄色のグラデーションが滲み、さながら水をたっぷり含んだ水彩画のよう。
『さぁ、みなさんお待ちかね! 今年もきたぞ! 後夜祭の時間だーっ!』
開会式とは打って変わって、生徒会長のテンションが高い。グラウンドステージでは全校生徒が思い思いに集っている。涼香と優也は後列にいた。
祭りの終わりは名残惜しくて寂しい。まだ終わらないでほしいと願っても、時は止まらない。
次々と受賞者がステージに上がり、思い思いの言葉を熱く語る。中には涙ぐんでいる人もいる。それを冷やかすようにはしゃぐ人も。晴れやかな笑顔を見ていると心があったかくなる。
隣に好きなひとがいるからだろうか。思いが通じ合ったこの手を絶対に離したくない。
涼香はこっそりと優也の手のひらをくすぐった。それに応じるように、優也も涼香の手をつかむ。やがて、誰にも見えない場所で二人は強く手を結んだ。
「優也」
思わず名前で呼ぶと、彼は握った手を強張らせた。
「なに?」
「ずっと、一緒にいようね」
似合わないセリフだと思う。だから、優也も驚いた様子で、冷やかすように笑った。
「大楠もそんな風に言うんだなー」
「今日の私は一味違うのよ」
「うん。今日のお前は一番かわいい」
改まって言われると、今度はこちらの手に力が入る。
手のひらの熱がそのまま彼に伝わってしまうんじゃないかと不安になった。でも、いま彼の手を離したら、どんな未来が待っているかわからない。ここまで、なにひとつ順当じゃないから。
確実に未来が変わっていく。そんな予感がした。
『どうもー! 軽音楽部期待の新星、BreeZeでーす!』
いつの間にか、ステージには郁音が所属するバンドが登場していた。部長の麟が元気よく声を張り上げる。
『実は、午後のステージの前にバンド解散危機なんてことがありまして。でも、ある女の子に励まされました!』
ギターを肩から下げて堂々とスタンドマイクの前に立つ麟に、全員が歓声を上げる。ライトを浴びる郁音と雫も柔らかに笑っていた。
『オレたちのライブを楽しみにしてくれていたんです。本当にありがたい一言でした。そのおかげで解散は免れました! 本当にありがとう!』
涼香はクスクスと忍び笑った。それを優也が怪訝そうに見る。
「どうした?」
「ううん。なんでもない」
優也は知るよしもない。まさか、このバンドの解散危機を救ったのが涼香であることを。
『それじゃあ初めてつくった曲を、いまから披露したいと思います! みんな、盛り上がっていきましょう! 聞いてください。〝パラドックスダンス〟』
「えっ?」
思わず声が飛び出した。場にそぐわない疑問符。優也は気づいてない。しかし、涼香は周囲を見渡して挙動不審だった。
――タイトルが違う。
しかし、彼らの曲は止まらない。激しく走るギターとドラムの音。それから、ドクンと心臓が跳ねるようなベース音がはじけた。三つの音が重なる。
『願いも祈りも望みもないこの時間 いつまで続く ループ ループ』
爆音の中で、突き刺さるような詞が駆け抜ける。
曲だけでなく、詞まで違う。いや、過去を変えたのだからそんな誤差くらいあるだろう。だって、ここまでなに一つ順当じゃないのだから。しかし、どうしてこんなに焦燥を煽るのだろう。
その時、麟の声が鋭く人波を掻き分けた。
『いま 粟立っただろう 矛盾の中で死んでいく』
――この選択は正しかった……?
脳内を占める自問に怯えているうちに、いつの間にか目の前が真っ暗になった。
視界が暗転する。