第十六話
人混みの中、前を歩く優也の背中を追いかけるのに必死だった。どちらもなにも言わない。なんだか気まずく、またどうして気まずいのかわからない。
「――なぁ」
唐突に優也が振り返り、立ち止まった。
「俺、からあげ食いたい」
いきなりの宣言に、涼香は首をかしげた。
「はぁ……買ってくれば?」
「手が塞がってんだよ」
「あ、そういうことね。はいはい」
そう言ってスイーツを引き取ろうと手を伸ばす。しかし、彼は渡そうとはしなかった。
「お前が買ってきて」
優也は顎でしゃくって露店を示す。
「使いっ走りですか」
ふてくされたように言ってみるも、優也は悪びれもせずに頷いた。
「早く行って来い」
「言い方がムカつく」
「……買ってきてください」
明らかな棒読みに、涼香はふくれっ面を見せつつ、からあげの露店へ向かった。
本当は険悪になりたくなかったのに。それは、優也が明に言った「かわいくない」のせいだろう。
「どうせかわいくないですよーだ」
何度も言われたことなのに、胸がチクチク痛んでしょうがない。こんな思いをするなら、いっそ恋愛なんてしなければよかった。仲がいいクラスメイトという立ち位置のほうが、ふられる未来を迎えるよりもはるかに優しくて楽しいはずだろう。
しかし、同時に羽村の顔を思い出した。そして、裏で手を回しているこころの顔も。あの二人を裏切って、今日を何事もなく終わらせてしまったら、それこそ居場所がなくなってしまうかもしれない。恋愛も友情も同時に失うなんて、それこそ大惨事だ。
「大楠」
後ろから声をかけられる。同時に膝の裏を攻撃される。かっくんと膝が曲がり、涼香は「わぁっ」と情けない声をあげた。
「なにすんの!」
振り向かずとも誰の攻撃かは明らか。優也が威圧的にじっとりと見ていた。
「ぼさっとすんなよ。俺のからあげ、早く買え」
「わかってるよ! ちょっと待ってて!」
ポケットからグリーンラビットを出し、お金を露店の生徒に渡す。カップ入りのからあげは五百円で販売しているようだ。
「ありがとうございまーす!」
元気がいい剣道部の女子マネージャーが愛嬌を振りまく。山盛りのからあげのカップを差し出された。
「はい、買いましたよ。五百円よこせ」
「うん。それはいいんだけどさ」
優也はまたも無愛想に顎でしゃくって、今度は中庭を示した。
「あっち行こう」
「はぁ?」
意図がわからないので、またしてもかわいくない声を出してしまう。しかし、優也は先を歩いて行ってしまった。スイーツが人質にとられているので、やはり追いかけるしかない。
「もう、なんなの……」
お祭りの空気は一層濃くなっている。中庭も例外じゃなく、生徒でごった返しているものの、ここにはベンチがあった。まさか、そこで二人並んで座るつもりだろうか。そんな予想は早くも裏切られ、彼は体育館裏の湿気た場所までさっさと歩いていく。
体育館のステージは熱狂的で、どうやらいまは『BreeZe』の演奏の真っ最中だった。
優也の謎行動を考えることに飽きてしまい、ぼんやり聞こえてくるドラムロールを聴きながら、涼香はあの三人を思い出していた。
――仲直りしたんだろうなぁ。よかったよかった。
それに比べて、こちらはと言えば。さっきから空気がおかしい。せっかく二人きりになったのに、うまく楽しめない。もやもやする。
「なぁ、大楠」
体育館ステージの真裏に当たるその場所は、冷たいコンクリートの塊が置いてあった。隅にはボールかごが追いやられており、雨ざらしになったと思しき湿ったバスケットボールが転がっていた。
優也は安堵の息を吐いて、ようやく笑った。
「ここ、俺の秘密基地なんだよ」
「へぇぇ」
「練習抜けて、考えごとをするときに来てる」
「それ、サボってるだけじゃないの」
すかさず言うと、優也は吹き出して笑った。そのえくぼが憎めない。
「かもな。やっぱ、練習きついし。上下関係めんどくせぇし」
「そういうもんなんだ」
「そういうもんなの。結局、練習は先輩たち優先で、一年はマネージャーみたいな扱いでさ。ボールさわりたくてウズウズしてるのに、基礎練と筋トレばっかでつまんねぇ」
いつも楽しそうに部活をしている優也しか知らないものだから、その告白は思いがけないものだった。
「って、そんな話をしたかったわけじゃないんだ」
そう言って、彼はコンクリートの塊に腰を下ろした。ポップコーンと鈴カステラを置いて、涼香に手招きする。
「横、座れよ」
「えっ」
「いや?」
「……いや、じゃ、ないけど」
ぎこちなく言って、涼香はそろそろと優也の横に座った。少しだけ隙間を開けて肩を並べる。
「さっきはごめん」
優也が静かに言った。
「嫌な言い方したよな。あんな風に言うつもりはなかったんだ。お前、まだ怒ってるよな」
「いや……そんな、全然。あんなの、いつものことじゃん」
しっとりと弱々しく言うものだから、心臓が爆音を鳴らすようにはじけた。まともに優也の顔が見られなかった。それなのに、優也は顔をのぞきこんでくる。
「ほんとに怒ってない?」
「怒ってないってば」
「そっか。それならよかった」
まだ不安そうだが、優也はホッと息を吐いた。
「なんか、自分でも変だなぁって思ったよ。おかしいよなぁ。お前と明がしゃべってるだけで、もやもやしたっていうか。しかもあいつ、あんなあっさり『かわいい』とか言うし」
「えーっと、それって」
「うん。嫉妬。俺は明に嫉妬してる」
息が止まった。すぐに吹き返すも、思考回路が誤作動を起こしてしまう。ぼうっと優也の顔を見つめると、彼も自覚しているようで、目をそらしてしまった。
こういうとき、なんて言えばいいんだろう。
「……バスケ部期待のエースも、余裕がないことあるんですねー」
出てきた言葉のかわいげのなさが恨めしい。
「悪いかよ」
「悪くないけど。クソガキじゃん」
口はわざと悪ぶっていく。本当にかわいくない。照れ隠しの言葉をいますぐに撤回したい。それは叶わず、涼香はもう諦めた。
「私も、嫌なこと言ったよね……今朝はあんだけ楽しくやろうぜって意気込んでたくせに、ほんと、私たちダサいわー」
あははと渇いた笑いを空に放つ。カラリと晴れた青空は、枯れた桜の葉であまり見えない。
「実行委員なんて、らしくないことやってるよな」
「ほんとだよ。それもこれも、こころのせい。でしょ?」
確認するように言ってみると、優也はごまかすように苦笑した。
「バレてたか」
「バレてますよ。実行委員はこころの差し金で、あの子と裏で繋がってる。でしょ?」
「言い方に語弊がある。そんな悪どいことはしてないっつーの」
「今朝のアレもこころの指示でしょ。わかりやすい」
ため息を投げつけた。すると、優也はだらしなく肩を落とした。
「……マジで情けねぇな。告白だってままならないんだから」
その嘆きがくもっていく。優也は両手に顔を埋めて落ち込んだ。
「俺さ、こういうの初めてで、どうしたらいいかわかんなかったんだ。お前が他のやつに取られるのは嫌で、明に嫉妬してるのもすげぇ嫌なんだけど、でも、それでもなかなかうまく言えない」
それから彼は「かっこわりーな」と自嘲気味に笑った。
「右輪から持ちかけられたんだ。協力してあげるから、文化祭の日に告白しろって」
「それ、ほとんど脅しじゃん」
「いや、それに思わず乗ったから、俺は共犯みたいなもの。なんか、騙してるみたいでごめん」
「意気地なしの寺坂くんにはいい方法だったんじゃない?」
ついつい厳しく言うと、優也は黙り込んでしまった。すぐに明の言葉を思い出す。
――優也のこと、あんまり責めないでやってね。
そうだった。落ち着け。調子に乗るな。
言い聞かせて一拍置く。息を吸い込んで、吐く。舌に残った甘味を思い出しながら、涼香はぽつりと言った。
「――多分ね、後夜祭で、郁ちゃんのライブがあるんだけど」
「え? あぁ、うん」
思わぬ発言に戸惑う優也だが、それに構わず話を続ける。
「そのライブを一緒に観たいんだ。二人で」
「うん……え?」
「だから、一緒に観ようって言ってるの。私は寺坂と一緒にいたい。そう言ってるの」
うまく伝わっているだろうか。いや、どうだろう。どうにも素直になれない口だから、遠回しになっている気がする。
優也はぽかんとしている。あぁ、やっぱり伝わってない。
まったく、どうしてこうもお互いに不器用なんだろう。嫌になってくる。
「だから、私は寺坂のことが好きなの。そういう回りくどいことはしなくていいから、私と一緒にいてよ」
しんと音が止んだ。祭ばやしが遠い。味気ない場所なのに、ふわふわ甘い浮ついた空間になっていく。その色に染まるのもたまらなく恥ずかしくて、涼香は体をすぼめるように膝を胸に引き寄せた。
「……なんか言って」
気まずくて仕方がない。
すると、予想だにしない言葉が返ってきた。
「もう一回言って」
「はぁ? 聞いてなかったの?」
「いや、聞いてた。でも、もう一回聞きたい」
「甘えんな。今度はそっちから告白して」
つい乱暴に言うと、優也は照れ臭そうに笑った。
「――俺も、お前が好き」
観念したのか、彼もまたボソボソと言う。その言葉がくすぐったくて、心臓を掻きたくなる。耳が熱い。赤くなっている気がする。
「大楠」
「はい……」
「俺と付き合って」
声が近い。彼の息も。爽やかなあの薄荷と、クリームの甘い香りが鼻腔に届き、涼香はこくんと頷いた。