第十二話
桜の木が脇に並ぶ校門は、一段と派手に彩りが施されていた。カラフルなボックスを組み合わせたアーチ。板で切り取られた「第四十三回 青浪高校文化祭」の文字は実行委員会と美術部の共同制作だ。
目の前に広がる華やかな露店のテントが祭りの予感をふくらませる。その間をせわしなく走り回る生徒たち。巡回する先生たちもみな笑顔だ。
校門をジャンプするようにまたいでアーチをくぐり抜けると、そこは非日常の極彩色。枯れた桜の葉も色づいていて、まるで紅葉のよう。
どこかでトウモロコシを焼く香りがする。体育館では音合わせをするギターの派手なカッティング。グラウンドでは管楽器がはずむ。中庭からは合唱部のハミング。そして、高い笑い声。学校全体が高揚感に包まれていて、新しくも楽しい空気を感じた。なに一つ差異がない。
こころを見やれば、彼女はキラキラと目を輝かせている。
「ひゃぁー! お祭りだ! お祭りだね! あたし、高校の文化祭って初めてなんだよー! 楽しみだね!」
「うん。楽しみだね」
オウム返しのようにこころの言葉をそのまま返す。戸惑いは隠せなかった。
しかし、体のどこか奥底ではこころと同じ高揚が沸き立つ。この興奮はいつだって新鮮で、不思議と胸が高鳴る。
「あ、そういえばさー、知ってる?」
昇降口に入ってすぐ、こころがのんびりと言った。
「一組のアイスクリーム屋さん、発注ミスで生徒会のお世話になったんだって」
その思いがけない発言に、涼香は首をかしげた。
「え? どういうこと?」
一組は明のクラスだ。そして、一組は文化祭の中盤で窮地に追いやられる。それを助けたのはほかでもない二組であって優也と涼香だ。
「なんか、もめたらしいよ。一組の、誰だったかな。寺坂くんの友達だったような」
「それって、杉野明?」
「そうそう。その子が発注ミスして、アイスが五百個も届いちゃったんだって! 現実でそんなミスしちゃうひと、いるとは思わなかったー」
あははと笑うこころの顔には、まるで他人事のような軽々しさがあった。しかし、よそのクラスの事情である。深刻に考えるほうが奇妙であって、こころが気にする問題ではない。
しかし、涼香は心臓の血管がドクンと跳ねるような違和感を覚えた。
明がミスをしない。ということは、明との過去がなかったことになる。最初から過去をなぞることができないが、これはこれで未来が変わることに期待が持てる。
ふわふわと甘く飾り付けた教室にはクラスメイト全員が集まっていた。
「おい、おせーぞ、実行委員!」
すぐにヤジを飛ばしたのは優也だった。鬱々とした空気はどこにもなく、彼も晴れやかな笑顔で涼香を迎え入れる。
この笑顔が見られるなら気分もいくらか晴れるもので、涼香は自然と笑顔を返した。
「ごめんごめん。楽しみすぎて夜更かししちゃって」
「涼香ったら、寝坊したんだよー! 信じらんないでしょ!」
こころが横で責める。すると、教室はどっと笑いであふれた。その笑いをかいくぐり、優也が教壇にのぼる。そして、黒板を思い切り叩いた。
「はいはーい、静粛に! やっと全員そろったので、実行委員からお話がありまーす! はい、大楠!」
身構えてはいたが、いざ名指しされ、注目を浴びるとなると顔が勝手に熱くなる。
しかし、ここで尻込みしていてはまた同じ道をたどるだけ。涼香は意を決して壇上に上がった。
「えーっと……ここまで頑張れたのは、みんなのおかげです。ありがとうございました。文化祭、楽しみましょう」
ぎこちなく拙いながらもスピーチを終えると、クラス全員が手を叩いた。こころも嬉しそうに大仰な拍手を送っている。優也も柔らかく笑っていた。
「んじゃあ、次は俺! 大楠の言うとおり、みんなの協力でここまでこれました。いよいよ今日が本番です。ひとまず、楽しい文化祭にしましょう! 全力で楽しもうぜ! 以上!」
とたんに「おぉーっ!」と湧き上がる声援と拍手。はやし立てる賑やかな口笛。その歓声を二人で浴びる。
「大楠、ありがとな」
音に混ざるように、優也がボソボソと耳打ちした。気遅れする涼香は何も言えず、曖昧に笑うしかできない。
「はい! それじゃー、もうすぐ開会式始まるんで、外に出よう」
優也の声と同時に、スピーカーからチャイムが鳴り響いた。
『生徒会からのお知らせです。まだ教室に残っている生徒たちは、速やかにグラウンドへ集合してください』
教室が一気に慌ただしくなり、全員が廊下へ飛び出した。こころに続いて、その後ろを涼香も追いかける。
「大楠」
ふいに呼び止められ、涼香は振り返った。優也が固い表情で立ち止まっている。
「あの、後夜祭なんだけどさ」
さっきまでの威勢はどこへやら。二人きりになったとたん、彼は声を低めて真剣になる。
「……えーっと。やっぱ、なんでもない!」
優也がいま、何を考えているのかが手に取るようにわかる。廊下を見やると、こころの三つ編みが窓枠からはみ出していた。
こころの協力を得て、いま告白しようとしている。しかし、彼は勇気が出ずに口ごもっている。いつだってそうだ。優也は口が重いから大事なことはすぐに出てこない。
「ゆ……寺坂」
涼香は真顔で彼に詰め寄った。そして、彼の胸を押すように拳をドンと突きつける。面食らう彼の足が後方へ下がる。
「文化祭、一緒に見てまわろ?」
明の件がないのなら、きっとこの文化祭は時間が余ってしまう。大きなハプニングを回避したのなら、それを逆手にとって優也の気持ちをこちらに向けて――未来を変える。
案の定、優也は口をあんぐり開けて首を縦に振った。
「あぁ」
「午後の当番が終わったらだからね。逃げるなよ」
ビシッと人差し指を突きつけてみる。
「お前こそ」
指をパシッと払われた。優也は安堵しつつも、少しだけ悔しそうに口をすぼめていた。しかし、顔を見合わせると笑ってしまう。涼香も吹き出して笑った。
その時、外の賑わいに拍車がかかる。
『ただいまより――第四十三回――青浪高校文化祭を――開幕します!』
生徒会長の元気な声が窓を突き抜けた。
「うっわー! やべー! もう始まるじゃん!」
優也は慌てて廊下に出た。涼香もその後ろを追う。派手に装飾が施された無人の廊下をバタバタと足音を鳴らし、二人で駆け抜ける。
『それでは、みなさん、せーの!』
掛け声とともに色とりどりの風船が空へ放たれた。昇降口を飛び出すと、すでに風船は生徒たちの手から離れていく。花火が上がるような、空気を伝う音が高い空を沸かす。
「あーあ! 遅かったー」
優也が悔しそうに言った。その声がたくさんの拍手にかき消されていき、涼香は思わず笑った。
たちまち辺りは騒然となる。メイド服やきぐるみ、大きなマスコットキャラクターや手作りの衣装を見に付けた生徒、おそろいのTシャツを着たクラス、部活のユニフォーム姿でごった返した。
すると、グラウンド特設ステージで吹奏楽部の演奏が始まった。楽器が一斉に音を揃える。その大きな衝撃に、その場にいた生徒たちが歓声をあげた。中には踊りだす女子グループもいる。流行りの邦楽をアレンジした演奏だ。
「大楠」
流れる人混みの中で、二人は向き合って笑う。調子を取り戻した優也が親指を突き上げた。
「楽しくやろうぜ」
「おう!」
涼香も真似して親指を突き上げる。それを合図に、ふたりはその場からゆるゆると後ずさった。ひとの波が押し寄せ、優也の姿が見えなくなった。
「すーずーかー!」
ごった返す人波の中を、こころがかいくぐって走ってきた。三つ編みがわずかに崩れている。
「こころ、今日はもうなんにもしなくていいからね」
小さく言った言葉は、彼女の耳には届いていない。
「えー? なんてー?」
「なんでもない」
校舎へ戻って、お祭りムードの廊下を過ぎる。例えようのない愉快な気分。足は幾分軽やかだ。
教室のドアを開け放つと、スタンバイしているクラスメイトたちのはしゃいだ声が飛びこんでくる。陽気な圧迫感に怖気づくも、こころが後ろからポンと背中を押した。
「さぁ、文化祭だ!」