表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
上書きした世界で、また巡り会えたら  作者: 小谷杏子
第二章 パラドックスダンス
10/39

第十話

 夕暮れのミギワ堂古書店は、蛍光灯の光よりも西陽の主張が強い。古本だらけの棚の中で、涼香は読んでいた漫画をパタンと閉じた。


「デジャブだ」


 おもむろにつぶやくと、こころが顔を上げた。レジ台に座って古本を開いている。その「逆巻きの時空間」という小難しいタイトルの本を引ったくると、こころは「わぁ」と気が抜けた声をあげた。


「私、前にも優也にふられて、明に慰められたことがあるんだよね」


 ちょっと前にタイムリープをした、とまでは言えなかった。肝心なところで言葉がひるんでしまう。


「それは、デジャブってやつ? あるある、そういうこと」


 答えるこころの目は柔らかだ。なんとなく憐れみを感じる。その目に指を突き刺そうとすると、彼女は大きくのけぞって回避した。


「嫌な夢でも見たんじゃない?」

「うーん? だとしても、正夢になってるし。最悪」


 あれは夢だったんだろうか。いや、あのいっときの時間旅行は夢ではなかった。どうしてタイムリープができたのか──


「あのさ、私はSFに詳しくないから、よくわかんないんだけど」


 本の表紙を見つめながらゆっくりと言う。宇宙色のワームホールが描かれた黒い表紙。かつてはクリアだったろう紙の質感をなぞる。


「タイムリープみたいなことって、現実的に起こるものなの?」


 ちらりと視界に入れたのは、十年前に流行ったアニメ原作の漫画。主人公の男の子が過去に戻って、失恋相手だった同級生の女の子を助けに行くストーリー。女の子は事故に遭う運命を回避するというハッピーエンド。


「うーん……どうなんだろ? でもさ、時間の巻き戻しができるおまじないならあるよ」


 こころがもったいぶって頬杖をついた。それに涼香はすぐに食いつく。


「さかさ時計のおまじない?」

「そうそう。よく知ってるねー」


 拍子抜けしたように言うこころに違和感を覚える。涼香は首をかしげた。


「あれ? 一年のときに教えてくれたんじゃなかったっけ?」

「そうだっけ? 忘れちゃったー」


 こころの記憶力は薄いようだ。意味不明な敗北を感じ、涼香はため息を吐いた。


「それって、嫌なことを回避するおまじないでしょ?」

「なに言ってんの。これはちゃんと時間を巻き戻すおまじないなんだよ」


 こころはムキになって言った。対し、香は眉をひそめて鼻で笑う。


「あー! バカにした! ほんとなんだってば!」


 身を乗り出し、こころが本を奪い返す。そして、不満げに頰をふくらませた。


「このおまじないはね、実在したタイムトラベラーにちなんだもので、結構あちこちで流行ったんだから」

「うわぁ、すっごく胡散(うさん)くさい……」

「ちゃんと事例があるんだよ。これで過去に戻ったひともいるし、デジャブを経験したり、危機回避したり。ネットで検索したらいっぱい出てくるし、この本にも書いてある。信ぴょう性はかなりあると思うよ」


 こころの声音が低くなる。涼香は笑いつつも、血の気が引いた。まさかそんな裏話があったとは思いもよらず、またそんなおまじないを軽い気持ちで行ったことを後悔する。

 しかし、このおまじないをやってみたからといって、おいそれと過去に戻れるわけがない。いや、どうなんだろう。戻った事例がすでにここにある。

 涼香は神妙に唸った。どうにも納得がいかない。脳は混乱を極めている。


「……涼香、あんまり思いつめないでね? まぁ、過去に戻りたい気持ちはよくわかるけど」


 こちらの不穏を読み取り、こころが遠慮がちに言ってきた。


「やっぱり、精神的にきついんだよ。必死に忘れようとしてない? 泣きたいときは思いっきり泣いていいんだよ。つらいときは素直に吐き出して。でないと、涼香が壊れちゃうよ」


 こころの声がだんだんと深刻になっていく。そんな親友の姿を見て、涼香は思わず口を開いた。


「大丈夫だって。失恋ごときでそう簡単に壊れてたまるかっての」

「でも、あたしは、そういうのをいままでに見たことがあるから、わかるんだよ」


 言いにくそうに飛び出すこころの声。そこにはかすかに不快が垣間見(かいまみ)れた。


「涼香だって、知ってるでしょ。あたしの両親のこと」


 そこまで言われて、ようやく涼香は思い当たった。

 こころの両親は、彼女が十二歳のころに離婚(りこん)した。父と母の末路は、喧嘩別れだったそうだ。かつては愛し合って結婚したはずの二人がいがみ合い、顔も見たくないほどに憎んでしまう。そんな一部始終を見てきたこころだからこそ敏感(びんかん)に感じ取れるのだろう。


「……私も、ちょっとよくわかんないんだ」


 ようやく出た答えはひどく曖昧なものだった。


「優也と別れたっていう実感がない。将来のこととか考えないといけないのに、目の前のことでいっぱいいっぱいで、どうしたらいいのかわかんない」


 タイムリープも都合のいい妄想なのかもしれない。運命を変えたいと、現実逃避した結果なのかもしれない。答えはどこにも見つからない。


「じゃあさ」


 やがて、こころがさっぱりとした声で言った。自然とうつむいていた顔を上げる。こころの爛漫(らんまん)な笑顔が目の前にあった。


「家で『さかさ時計のおまじない』をやってみようよ。あれは一人でやらなきゃいけないから、お互いの部屋で試してみる。それで、明日の朝に答え合わせしようよ」


 なんだかこちらの事情を汲んだような言い方だ。それも、かなり気を使っている節がある。

 涼香は不服にも頷いた。落ち込んでメソメソしているのは、やっぱりキャラじゃない。かっこ悪い様をさらしかけたことに呆れてしまう。鼓舞(こぶ)するように手のひらに力を入れて握った。

 空はまだ青く、西へ緑と黄色、オレンジのグラデーションがかかっている。オレンジなのに青い。対比した色合いだが、不思議と目に優しい。境界線が曖昧で、涼香はこの気持ちと同じようだと思った。


 ――もう一度戻れるなら、次は必ず運命を変えてやる。


 あんな結末が訪れる未来なんて、いらない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ