文化祭の前に ①
文化祭の当日がやってくる。
僕の両親も見に来るって言っていた。朝から、乃愛が僕のことを起こしにくる。
「博人ー、おはよう」
「……おはよう、乃愛」
乃愛はにこにこと笑いながら、僕のことを見ていた。
乃愛は朝から元気だ。女神である乃愛には、正しくいえば睡眠時間なんて必要がないので、乃愛は眠いという感覚が分からないのかもしれない。
起きて、着替えて、朝食を食べていた僕は乃愛からこんなことを言われる。
「ねぇねぇ、博人。頬にキスしてくれるんでしょ。よろしく!」
何で親がいる前でそういうことを言い出すのだろうか……などと少々思いながら乃愛を見る。
乃愛はにこにこしている。そして母さんたちは少しニヤニヤしている。
多分、乃愛のことだから周りの人たちのことなんて全く気にしていなくて、ただ僕に頬にキスしてほしいって思っているだけだろうけれど。
「博人、私の頬にキスしてくれるんでしょ?」
「……えっとね、乃愛。母さん達いるから」
「博人、照れてるの? 別に周りの人間なんて気にする必要何もないのに」
「……乃愛が気にしなくても僕は気にするからね?」
「じゃあ部屋いこーよ」
というか、あれだよね。
乃愛って多分何も考えていないんだろうけれど、文化祭終わった後に抱きしめるのと、頬にキスするのもまとめてってわけではないのか。
別々にやるのと、まとめてやるの、どっちの方がいいのだろうか……。
どちらも正直恥ずかしいけれど、ぱって済ませるなら別々の方がいいか?
などと悩んでいる間に、乃愛に部屋へと連れていかれた。
「はい、博人」
乃愛はそう言いながら僕に頬を向けてくる。
……いや、いざこう改まって頬を差し出されると恥ずかしいというか。というか、僕、女の子とそういう仲になったこともないわけで、こういう風に頬にキスをするなんてのも当然ないわけで……。
「ひろーとー?」
「……ちょっと待って。乃愛。僕の心の準備が出来てないから」
「心の準備? 博人、私の頬にキスするのドキドキしてる?」
「……まぁ」
そう言ったら乃愛は何だか嬉しそうに笑った。
「ふふふー、もっともっと、ドキドキしていいんだよ?」
何だかそう言って微笑む様子に少しドキリとした。
なんか妙に色気があるというか……うーん、この状況を楽しんでいる。
「でもドキドキしてても駄目だよ。約束は約束だからね。私の頬に、博人はキスしないと駄目なの」
「うん、わかってるから、ちょっと待ってね。心の準備を固めるから」
「うん」
乃愛がワクワクした様子で待っているので、僕はちょっと深呼吸をする。
――そして数分無言タイムを得た後、僕は覚悟を決めて乃愛の頬に顔を近づけた。
柔らかい感覚が唇に感じられる。……いや、なんか本当に恥ずかしい。
頬から離れると、乃愛は満面の笑みを浮かべている。僕は何か恥ずかしいので部屋から出て行こうとすると、乃愛に抱き着かれる。
「えへへー。博人」
嬉しそうな声が後ろから聞こえてくる。
なんだかだらしない声というか……、幸福そうな声というか、僕が頬にキスしたのだけでこんな風な態度になるなんて……まぁ、恥ずかしいけれど嬉しくないわけではない。
「……乃愛、ちょっと離れようね」
「ふふ、照れてるよね。博人」
乃愛は僕の言葉はよく聞くので、僕から身体を離す。そしてにこにこと笑いながら僕を見ている。
いや、なんかうん、普通に恥ずかしい。
え、これ、文化祭終わったらもう一回似たようなのあるんだよな?
……一回で済ませた方がよかったのだろうか。いや、でも……うーん。などとそんな気分になる。
それにしてもマンガとかアニメとかだと、こういう頬にキスとか簡単にやっている登場人物見かけたことがあるけれど普通に恥ずかしすぎない? なんで簡単に皆出来ているのだろうか。
僕の部屋からリビングに戻ると、母さんと父さんがニヤニヤしていた。
いやうん、恥ずかしい。乃愛がにこにこしながら僕と腕をつかんでいるから余計にそういう目で見られているし。
「乃愛ちゃん、嬉しそうね」
「嬉しいよ。おばさん。博人が――」
「乃愛、ストップ」
本当に僕の両親相手に色々あっけからんと言わないでほしい。
「乃愛、普通に両親にそういう風に言うのはやめようね。あとまわりにも、僕は恥ずかしいから」
「えー? 博人が頬にキスしてくれたって、それが嬉しいって言いふらしたいだけなのに?」
「うん、やめて」
ただでさえ、今も僕と乃愛をセットで考えているクラスメイトたちから生暖かい目で見られたりしているわけだし。
「博人がそう言うならそうする。でも文化祭が終わったら抱きしめてね?」
「……約束したからやるけれど、本当に外でそういうのあんまり言わないでね」
本当に僕はいたたまれない気持ちになってしまうから。




